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暖かいココアとバッティングセンター

 

 ◆


 悪夢の中で半漠とユウタの激突を目の当たりにし、メアは精神をごっそり削がれていた。

 ソムニ施設の白いカウンセリングルームに戻された時、彼女の足はわずかに震え、視線は定まらず、呼吸は浅かった。


 ユウタが何か言おうと近づくと、メアは反射的に肩を震わせた。

 彼は眉を寄せ、それ以上踏み込まず静かに離れた。今は誰が何を言っても、メアの心は受け止められない――それを本能的に悟ったのだ。


 薄いブランケットがメアの肩にかけられ、部屋は小さく暖房が強められた。

 メアはベッド脇の椅子に座り、動かない。

 ただ、握りしめた両手を膝の上に置いたまま、深い穴のような沈黙に沈んでいた。


 黒い森の残滓。

 檻の墓場の冷たさ。

 半漠の男が告げた「王になれ」という言葉の重み。

 そして、逃げても晒される“自分の内側”。


 どれもが胸の奥でひしめき、簡単に言葉に出来るものではなかった。


 十分ほど経っただろうか。

 部屋のドアが控えめにノックされる。

 メアは微かに肩を揺らしたが、返事はしなかった。


 それでもドアは静かに開く。

 入ってきたのは一ノ瀬ヒカリ――だがいつもの冷静沈着な表情ではなかった。


「……大丈夫、メアちゃん。ココア飲む?」


 驚くほど柔らかい声だった。

 普段の研究者然とした口調とはまるで違う。

 メアは反射的に顔を上げ、ぽかんと目を丸くした。


「え……ひ、一ノ瀬さん……? しゃべり方……」


「え? あー、そうね。今の私は仕事モードじゃないから」


 ヒカリは小さく笑い、紙コップのココアをメアの手にそっと握らせる。

 その微笑みは研究者でも管理官でもなく、ただの“年上の女性”そのものだった。


「仕事のときはね、ああいう喋り方じゃないと部下とかユウタがナメてくるの。……いやほんとに。だから無理矢理スイッチ入れてるの」


「す、スイッチ……」


「そう。今はプライベートっていうか……“お姉さんモード”ってやつかな? だからね――」


 ヒカリは椅子を引き、メアと視線の高さを合わせた。


「メアちゃん。私のことは、ヒカリって呼んで」


「えっ……」


「ほんとは距離置かれるのキライなの。堅っ苦しいのもキライ。ほら、今の私こんな喋り方でしょ?」


 メアは言葉を飲んだ。

 さっきまで悪夢の魘されるような気配に満ちていた胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった気がした。


 震える指先でココアを口に運ぶと、甘さが喉を優しく撫でた。

 その温度が心の壁を溶かし始めたのか、ぽつりぽつりと言葉が溢れた。


「……わたし……ヒカリ……さん……夢で……アオイを傷つけて……逃げても、また……怖くて……」


 ヒカリは黙って聞いていた。否定も慰めも押し付けない。ただ傍にいて、言葉を受け止め続ける。


 メアはゆっくりと、今まで胸に詰め込んできたものを吐き出していった。

 親友への罪悪感、自分の体質への嫌悪、そして半漠に告げられた“不吉な未来”の予感。


 ヒカリはそっとメアの背中を撫でる。


「……メアちゃん。全部ひとりで抱えなくていいよ」


 その一言で、メアは胸が熱くなる。

 誰かにこんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。


「……ありが、とう……ヒカリ……さん……」


 心の中が少しだけ、柔らかい優しさに包まれた。


 ◆


 潜夢局の簡易ラウンジを後にしたメアの足取りは、まだ不安を引きずっていた。だが、先ほどヒカリと交わした温かな時間が、胸の奥の冷たい部分にゆっくりと染み込んでいるのも確かだった。


 そこへ、壁にもたれて待っていたユウタが顔を上げた。


「よし。じゃあ行こうか、メアちゃん」


「……どこに?」


「気分転換。悪夢の世界じゃメンタルが命だからね。落ち込んだままだと、それこそ漠徒に美味しく食べられちゃうよ」


 言い方は軽いが、その根っこにある“本気”をメアは感じ取った。

 促されるまま施設の外に出ると、まだ夜も深まらない街の空気が冷たく肌を撫でた。


「まずは――ここだね!」


 ユウタが歩いて向かった先は、バッティングセンターだった。


「……なんで?」


「頭の中ぐちゃぐちゃな時は、身体動かすのが一番。ほら、ストレス発散にもなるって言うじゃん」


 バットを手渡され、メアは戸惑いながらもケージに入った。

 機械音が鳴り、白球が射出される。


「わ、きゃっ!」


 初球はかすりもせず通り過ぎた。


「ドンマイ! まずは形だけ真似してみよっか。こう、肩開かないようにしてさ」


「言うのは簡単だよ……」


 しかしユウタは後ろから軽く構えを直し、丁寧に教える。

 その手つきは意外なほど繊細で、メアは思わず頬を赤くした。


 二球、三球と空振りしたあと――。


 カンッ!


 乾いた金属音が天井に反響する。


「っ……当たった!」


「おお、ナイス! 才能あるよ、メアちゃん」


 褒められて、ほんの少しだけ心が軽くなった。


 そのあと二人はボウリング場へ移動し、真剣勝負を繰り広げた。

 メアのガーター連発にはユウタが腹を抱えて笑い、逆にユウタがストライクを外せばメアが小さくガッツポーズを取る。

 施設から逃げ出し、悪夢に飲まれかけていた数時間前が嘘のようだった。


 ゲームを終えて、メアがドリンクのカップを両手で抱えた頃。

 ユウタはふと表情を和らげた。


「ねぇ、メアちゃん。俺ってさ、こう見えて――めっちゃ人見知りなんだよ?」


「……は? 嘘でしょ」


「ほんとほんと。今こうやって話してるのも練習した成果ってだけ。自分から誰かに近づくの、昔は全然できなかった」


 彼は自嘲気味に笑い、右の手のひらに視線を落とした。


「だからさ。俺の能力って“壁を生む”だろ? あれって、心のクセみたいなもんなんだと思う。人と距離を取るための壁。自分を守るための壁」


「……」


「で、その壁を壊す方法が見つからなかったから、逆に“壁そのものを切る力”が生まれたんじゃないかって。自分の壁をブッ壊す象徴みたいなさ」


 メアはしばし彼を見つめてから、そっと目を伏せた。


「……なんか、わたしだけじゃないんだなって思った」


「そりゃそうだよ。誰だって欠陥だらけ。だから補い合うんだよ」


 ユウタの声は軽く聞こえるのに、不思議と芯を持っていた。


 メアは深く息を吸った。

 夢で犯してしまった罪も、半漠に向けられた言葉の意味も、全部がすぐに割り切れるわけじゃない。

 でも――。


 少しだけ、明日がマシに思えた。


「ありがとう……ユウタ」


「おっ、初めて名前呼んでくれた!? ねぇもっと呼んで呼んで?」


「うるさい。調子に乗らないの」


 そう言っても、メアの声には確かな温度が宿っていた。


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