小説の対義語は大説にあらず、中説でもない
小説を10分類。 まずは①の詳説(くわしく説明する、しょうせつ)
作者: 青春の蹉跌
野球は筋書きのないドラマと言うが、ドラマには筋書きがあるから「筋書きはあとからできる」。
台本がなかっただけの話。
日本シリーズ 最悪の試合を演出した3人
土井正三、岡村浩二、岡田主審
1969年 日本シリーズ 巨人VS阪急
巨人・土井 正三の「冷徹、冷静、冷淡」なホームイン
1969年の日本シリーズ第4戦・4回。巨人・土井の「奇跡のホームイン」はいまだに熱く語られる。無死・ランナー1、3塁。一塁走者の王 貞治が走った。
それは阪急も計算に入れていたようで、土井の重盗に向けた内野・前進守備でバックホーム態勢だったため、セカンド(山口富)ベース3メートルほど前からのバックホーム。
その年、捕手・岡村のブロックはパリーグでも恐れられていた。打撃も好調で、野村克也を抑えてのベストナイン。ノリに乗ってのシリーズ挑戦だった。阪急は昭和42~43年に巨人に敗退。一矢報いたい気持ちはチーム内で高揚。巨人並みのデータ研究もしたという。
誰しもがアウトと思った。土井は岡村に吹っ飛ばされ、それをネクスト・バッターズ・サークルの長嶋茂雄が心配そうに見る。主審岡田 功の判定はセーフ。一拍おいて、岡村が主審へ殴りかかる。もちろろん退場。シリーズ初の退場者であった。
動画を見ても、角度によるがアウトにしか見えない。スポーツ紙カメラマンが撮った1枚がセーフの証を刻む。土井の足は岡村の股間を抜け、ホ―ムべ―スへ達している。
カメラマンは語る。「動画に静止画が勝った。自分でもこんなことがあるとは・・・」。
一方の岡村。「アウトって信じているからね。細かいことなんか思いつかない」。
土井は「岡村先輩はぶち当たってくるから、こっちもぶち当たってやろうと。下手によけたり、左右に外すと足折れるもの」。土井は立教大学で岡村の後輩である。先輩・・・。ここに明暗を分けたXが潜んでいる。
「土井は細いでしょ。50㎏台って聞いてたし。まともに僕があたったら壊れちゃうんじゃないか。と言って、左足で蹴るふりをするのも・・・。後輩が来るから・・・と思ったのは事実。ほんのコンマ何秒やね」。
岡村は左足を出すタイミングが一瞬遅れた。左右の足が『必要以上に開いた』。そこを突いたのが土井の妙。ベースを踏んだ足が抑え軸となり、岡村にぶち当たった後に右へ吹き飛ばされる。「左へ飛んだら、肩か腰がやられたでしょう。右に主審が見えたから、あたっちゃえばクッションに、の気持ちはあった」。
「僕が甘かった。やっぱりね、後輩・・・。それに土井が先輩に遠慮するとも思った。そんな甘っちょろいチームじゃなかった、強いよ、やっぱり。これを話題にするのは最後だと思うから、つい言っちゃったなあ」。
その年も巨人に負け。昭和46~47年も敗退。のちに岡村は東映へ移籍。今年の初めに死去。土井はとうに鬼籍へ入った。
追記・・・主審の岡田 功は1971年、オールスター戦・江夏9連続奪三振時の球審。1982年、大洋対阪神では暴行事件(阪神の島野・柴田両コーチによる暴力)に巻き込まれた。