菜食のロゼ
続きです。
ほとんど凍っているような冷たい雨。
分厚い濁った雲の下、そびえる城にその雨は降り注いでいた。
農地を中央から見下ろす、とんがり屋根の巨大な城。
改造された収穫者の塔だ。
薄暗い廊下の窓から、仮面をつけた女が冷たい外の景色を窺う。
そしてその表情を歪めた。
「くさい、くさい、くさい・・・・・・!!」
女は忌々しそうに窓の外、働く農民たちと畑を見下ろす。
「雨に濡れた犬の匂いがするわ・・・・・・。本当に、臭くってたまらない。これだから・・・・・・肉食主義者は・・・・・・」
冷たい雨が、全てかき消してしまいそうな勢いで降り注いでいた。
「ここは・・・・・・」
降りしきる冷たい雨が視界を不明瞭にする。
しかし、オレが眼前に現れたそれを見逃すことはなかった。
兼好を打ち倒した後、再び当てもなく放浪。
そしてついに次の街にたどり着いたのだ。
雨に濡れたまま、歩みを早める。
目前に広がる街のその中央には、まるでおとぎ話のお城のような収穫者の塔が佇んでいた。
街の入り口には閉ざされた門と、それを守る門番。
普通の街なら旅人は労働力としてありがたがられるが、ここはそうはいかなそうな雰囲気だ。
「ちっ、めんどくせぇ・・・・・・」
門前に立ち塞がる二人の守衛に、上着の中の短機関銃に手をかけながら歩み寄る。
もし門番が障害になるようなら、いつでも撃てるように構えておくのだ。
「おい、待て。お前は餓狼か・・・・・・?」
オレの顔を見て、門番は感情を押し殺した声で尋ねる。
「だったらどうするってんだ?」
オレはそれにあくまで威圧的に答えた。
守衛はオレの言葉はほとんど無視したまま続ける。
「・・・・・・そうか、お前が餓狼か。お姉様がお待ちだ、ついてくるといい」
「お姉様・・・・・・だぁ?」
間違いなくそう呼ばせているのはここの収穫者だろう。
この間の兼好の時もそうだったが、どうやら完全にオレのことは拳力者たちの間で共有されているらしい。
そしてその拳力者たちがとるのは・・・・・・徹底抗戦の構え。
「やれるもんならやってみろ」とでも言いたげだ。
「なるほどな・・・・・・」
ならばお望み通りのしてやろうじゃないか。
守衛に招かれるまま、巨大な野菜が並ぶ農地を突っ切る。
畑を手入れするのは、生気のない瞳をした農民たち。
何を考えるでもなく、いや何も考えないように努めながら作業に集中していた。
時折、こちらに注がれる視線。
明らかにただの異邦人を気にしている視線ではない。
おそらく、オレがここに訪れることがどういう意味を持つのか知っているのだろう。
オレの到来が彼らにもたらすのは、希望なのか・・・・・・それとも・・・・・・。
「けっ・・・・・・」
やるべきことは一つだけ。
いつでもどこでも、それは同じだ。
拳力者を殺す。
これは誰かのための旅路じゃなく、オレ自身のためだけのものなのだ。
だから、それ以外考える必要はない。
城の前にたどり着くと、自分の仕事はここまでだとばかりに守衛は立ち去ってしまう。
城の中は案内してくれないらしい。
城の入り口は、静かにオレが立ち入るのを待ち構えている。
冷たく重苦しく、しかし精巧な城。
その城が醸し出すのは、雨も相まった恐ろしげな雰囲気だった。
罠の一つでも仕掛けられているかもしれないと、一応は注意しながら入り口の扉を押す。
分厚い金属の扉は、おそらくただの農民には推し開けないほど重かった。
だがもちろんオレにかかれば問題なく開く。
開いた扉から覗ける中の景色は薄暗く、まるで幽霊屋敷のようだ。
「けっ、立派なつくりして・・・・・・照明も無ぇじゃねぇか」
その暗がりに立ち入ると、開いた扉は自らの重さで勢いよく閉じた。
この城は無改造の収穫者の塔のように一本道なわけもなく、また兼好の寺院のようにこぢんまりとしているわけでもない。
ここまで呼んでおいて、拳力者自ら顔を出してくれるわけでもない。
城の闇の中に、キラリと何かが光るのを見つける。
「・・・・・・ふん、見てやがるな?」
きっとここの拳力者は性格の悪い奴だろう。
オレに「迷え」と言って、そうやってうろうろしている様を見て楽しもうというのだ。
そもそも自分を「お姉様」なんて呼ばせる奴がマトモなはずがないか。
「けっ・・・・・・」
悪いが、そういうつまらない茶番に付き合ってやるつもりはない。
オレのスタイルは、もっと剛直で、野蛮でいい。
この城のどっかでどっかりオレを待ち構えてる、なんてそんな偉そうな振る舞いオレが許すはずもない。
基本的に偉い奴は嫌いだからな。
近くの壁に歩み寄る。
そしてその冷たい壁に、べったりと手のひらを貼り付けた。
今頃オレの様子を見ているはずのここの“城主”は首を傾げていることだろう。
大丈夫、その答え、この行動の意図はすぐに教えてやるよ。
実行を持ってしてな。
貼り付けた手のひらに力を込める。
手のひらと壁の隙間に入り込んだ水が、空気を追い出す。
オレはお前のもとへは行ってやらない。
そう・・・・・・。
「お前が・・・・・・来い・・・・・・!!」
声を荒げるのと同時に、思い切り腕を引く。
筋力と雨水で吸盤のように張り付いたオレの手のひらは・・・・・・城の頑丈そうな壁を破壊した。
ガラガラと音を立てて崩れるのと一緒に向こう側にある部屋の内装が見える。
また、壊れた壁からガラクタになった謎の装置と、そこに取り付けられた鋭い槍が姿を現す。
「ハッ、やっぱり仕掛けがあったか・・・・・・」
悠々と待ち受けているのだから、道中に奴を楽しませるための何かが無いはずがない。
その目論みを台無しにしてやったのだから、今頃どんな顔をしているのやら。
「しかし・・・・・・壁一枚壊したとて、だな・・・・・・」
もっと派手に、思い切りめちゃくちゃにしてやりたい。
壁を一枚一枚破壊してやるパフォーマンスも、拳力者に見せるのはもったいない。
「となると・・・・・・柱、だな・・・・・・」
それも太いやつ。
この城を支える要だ。
そいつを見つけて壊してやれば、この大層な城も瓦礫の山だろう。
崩れた瓦礫を蹴るようにして、暗がりを歩く。
目につく柱は現時点で三本。
そのどれもが同じ形状、同じ大きさで、この内のどれが要という風でもなかった。
「ちっ、めんどくせぇ」
探せば柱なぞいくらでもあるだろうが、丁度いい柱を探すのに時間を使うというのは、非常に退屈だ。
オレは一刻も早く、ここの拳力者をぶん殴りたい。
それだけなのだから。
だから・・・・・・。
「・・・・・・」
自分からもっとも近い位置にある柱に歩み寄る。
オレの胴体より二回りほど大きいそれは、立派ではあるが所詮趣味性を追求したもの。
その精巧さと強度はトレードオフだ。
軽く拳を握る。
今や体はすっかり乾いているので、もう頼れるのはこれだけだ。
それで十分ともいう。
視界に三本の柱が収まるように立ち、目の前の一本に集中する。
狙いが定まったら、躊躇なく柱に拳を叩きつけた。
柱との接触の前に、空気の爆ぜる音が鳴り響く。
その音を貫いた拳は、見事に目の前の柱を打ち砕いた。
しかし衝撃はそれだけにとどまらない。
放たれた拳打は空気を伝播し、他の日本の柱にも伝わる。
一本目の柱から一拍遅れて、残りの柱も弾け飛んだ。
そこまでいけば瓦解は早い。
支えを失った天井が陥没し、その崩落が更に多くの破壊を引き起こす。
まるで渦を描くように、この場所を中心に城は崩壊していった。
崩壊し降り注ぐ瓦礫の隙間から外の光が差し込む。
磨かれた床には雨水が流れ込み、土砂と混ざって汚れていった。
「けっ、いい気味だ・・・・・・」
オレの上に降る瓦礫は打ち砕きながら、今頃慌てふためいているであろう拳力者の姿を想像して笑う。
数分間に渡る崩壊はとうとう終わり、後には瓦礫の山が残った。
その中央に立つのは、オレ。
他にこの場所で立っている者は居ない。
「なんだぁ? もうおしまいか?」
台無しになった拳力者のおもちゃ。
その崩落に拳力者自身が巻き込まれているようじゃ世話ないな。
身を刺すような冷たい雨に再び晒されて、しかしこの惨状を見て笑う。
そして、そんなオレに背後から語りかける者があった。
「ふざけないでちょうだい! この痩せ狼が・・・・・・どう落とし前つけてくれるの!? これだから・・・・・・肉食主義者は・・・・・・」
ややヒステリックな、女性の声。
その叫ぶような喚き声だ。
「ふ、なんだ・・・・・・ここの拳力者は女か・・・・・・。どうりで城の作りが陰湿なわけだ」
「どの口が・・・・・・!」
笑いながら振り向く。
するとそこには仮面の女が居た。
身に纏うものは全て黒。
仮面で口元以外を隠し、そして腰には鞭・・・・・・だろうか、それを尻尾のようにぶら下げている。
いかにも“女王様”といった風な女だ。
「へっ、そいつぁ失礼したね・・・・・・女王様」
「あら・・・・・・意外と礼節はなっているのかしら? でもねワンちゃん、あたしのことはお姉様とお呼びなさい」
雨に濡れながら、女は上品を装って笑う。
しかし仮面の内から覗ける瞳は、忌々しそうに歪んでいた。
「そういやそうだったな。それで・・・・・・そのお姉様が、オレに何の用で? 悪いが忙しいんでね、用があるなら・・・・・・さっさと済ませようぜ?」
地を蹴る。
虚を突く。
兼好の時のようには躊躇わない。
一気に距離を詰め、拳を突き出す。
が・・・・・・。
「やっぱり躾がなってないわね。おまけに・・・・・・身の程知らずみたい」
一瞬の内に閃く鞭。
それは触手のようにオレの腕を絡め取り、拘束してしまった。
まるで植物の蔓のような感触が右腕を締め上げる。
「この・・・・・・!」
蔓ならばと引きちぎろうとするが、腕を引こうともよりキツく締まるだけだった。
女を睨みつける。
その視線を受けても、女は余裕の笑みを浮かべるばかりだ。
「うふふ、焦りは禁物よ。この時間をじっくり楽しみましょう? だってあなた・・・・・・ここで死んじゃうんですもの」
「そいつはどうだか・・・・・・」
絡みついた鞭から、無数のトゲが生える。
「ふふ、どうかしらね・・・・・・?」
食い込むトゲは、容易く皮膚を貫き流血を引き起こす。
その血を吸って、その鞭は更に成長するようですらあった。
「その鞭の名は魔叩尾。あなたみたいな野蛮な肉食主義者を躾けるための玩具よ。少しでも動かそうものなら、棘から毒が注入されるから」
「そうかよ・・・・・・」
女の言葉に唾を吐きながら、力のまま無理矢理に鞭を振り解く。
「あいにく毒は効かないんでね」
「ふぅん、そう・・・・・・。まぁ、重要なことじゃないわね」
女はそう言いながら、解けた鞭を巻き取る。
どうやらその鞭は女の拳力に呼応して形を変えるようで、そのときには既にトゲは引っ込んでいた。
「ふふ、挨拶はこれくらいでいいかしら? 本当はもっと面白いものを用意していたけど・・・・・・あなたが台無しにしちゃったもの」
少し縮まった距離で互いに睨み合う。
どちらから攻めるでもなく、ただその機を窺う。
「お前・・・・・・名は?」
「あら、そんなこと知ってどうするのかしら? あなたはここで死ぬのよ?」
呆れた風に女は首を横に振る。
あくまで自らを格上と信じて疑わない、典型的な拳力者と言えるだろう。
しかしその呆れた瞳がぎらりと光る。
まるで獲物を見つけた肉食獣のように。
「いや、待って・・・・・・あなた、よく見たら・・・・・・なかなかあたし好みの顔してるじゃない」
「は・・・・・・?」
女は唖然とするオレに無警戒に近づく。
そしてその指でオレの頬を撫で前髪をかき上げた。
「・・・・・・んだよ、気色悪いな・・・・・・」
吐き捨てるように言うが、女は構わずに続ける。
「ねぇ、あなた? あたしのものになりなさい。ジェントル様には及ばないけれど・・・・・・あなたならいい奴隷になってくれそう。まずは肉を食べるのをやめるところからね」
オレの体をベタベタ触りながら、勝手なことを宣い続ける。
既にオレを手に入れたつもりみたいだ、この女は。
「はっ、お断りだね。自分に仕える奴らにお姉様だなんて呼ばせてる悪趣味なやつの手下になるつもりはねぇよ。ましてや拳力者・・・・・・だったら殺す以外の選択肢はねぇよ」
体を指が這い回る不快な感触をその腕と共に振り払う。
手が離れても見えない蜘蛛の巣が絡みついてるみたいでまだ気持ちが悪かった。
「はぁ・・・・・・そ」
女はため息と共にオレから離れる。
そしてその鞭を、何かの合図のように地面に叩きつけた。
「ならば無理矢理にでも奪うまでね。あなたに選択権なんかないことを思い知らせてあげるわ」
「けっ、やっとかよ。前置きが長いぜ」
これでコイツのパフォーマンスは終わったと見ていいだろう。
残るはシンプルな仕事。
コイツを、殴り飛ばす。
拳を構えて、女に相対する。
降り注ぎ続ける雨が、巻き起こった一陣の風に流された。
「ふふ、ワンちゃん。あなたのご主人様の名前を教えてあげる。知りたがっていたものね。あたしの名前は・・・・・・ロゼ。拳力者の、菜食のロゼとはあたしのことよ・・・・・・!!」
振り回した鞭が雨粒を打ち払う。
ロゼの周りはまるで傘をさしているかのようだった。
「さ、かかってきなさい。ただし、近寄れるものならね。美しい薔薇には、棘があるのよ」
「はっ、なるほどな・・・・・・」
鞭が空を切る音が凶悪に鳴り響く。
雨脚は強まる一方だが、その鞭が作り出す絶対領域が雨粒の侵入を許すことはなかった。
「ちっ、めんどくせぇ・・・・・・」
悪天候のせいもあるかもしれないが、振るわれる鞭が視認出来ない。
接近してまともにやりあうのは難しいと、そう認めるほかない。
「なら、ダメもとだな・・・・・・」
上着の中に手を突っ込む。
そうして取り出したのは・・・・・・。
「あら、珍しいおもちゃを持っているのね。けれど・・・・・・それが拳力者に通用した試しがあったかしら?」
余裕の態度を崩さないロゼ。
その体に真っ直ぐに二丁の短機関銃の銃口を向ける。
「拳力者には通用しなくても、鞭には通用するかもしれないぜ?」
堂々と待ち構えるロゼに向けて、引き金を引く。
瞬間、雨天の暗い空の下にマズルフラッシュが瞬いた。
引き金を引いたまま、どこかに攻め入る隙はないかとロゼの周りを駆ける。
放たれた弾丸は、ことごとく暴風のような鞭捌きに弾かれてしまっていた。
「ほらほら! どうしたのかしら?」
ロゼはそれを見て心底楽しそうに笑う。
本当にどこまでも悪趣味な女だ。
どこかに粗は無いのか?
死角からなら・・・・・・。
場当たり的に色々と試すが、どれも結果を残さない。
弾数も無限じゃない以上、早々にあれをどうにかしないとなのだが・・・・・・。
「ふふ・・・・・・やっぱり肉を食べてるようなお馬鹿さんにはどうにも出来ないかしら?」
「さっきからうるせぇなぁ! あんたが肉食わねぇのは勝手だが、あまり他人をバカにするなよ?」
「で? 実際にどうにも出来てないじゃない! ほんと、男ってみんな馬鹿! どうせ食べることしか考えてないんでしょう? あたしたち菜食主義者の視野は広いわ! 肉を食べるなんて非効率的なことをしてる馬鹿を馬鹿って言って何が悪いのよ!」
「あんなぁ・・・・・・」
これだから拳力者にはほとほと嫌気が差す。
広い視野を持ってるような奴がミカドなんか栽培しねぇよ。
しかし、そうしている間にも弾が尽きてしまう。
はなから無理なことをしていたとは言え、これで使える手が一つ減った。
弾切れになった銃を投げ捨てて、足を止める。
鞭を振るうロゼは息を切らす様子もなかった。
「あら? もう終わりかしら?」
「くそがよ・・・・・・」
「ふふ、もう悪態をつくことしか出来ないのね。あの豚やまがいものとはワケが違うのよ」
ロゼは変わらず鞭を振いながら、こちらに歩み寄る。
その暴風圏にオレを巻き込もうと、決着をつけようとする。
未だ妙案は浮かばない。
ただ逃げ惑うにしても意味がない。
何か、何かないか・・・・・・。
周りをいくら観察しようと、瓦礫と水溜りしかない。
瓦礫を放り投げたとて粉微塵になるまでだ。
ぴちゃり、ぴちゃりとロゼが一歩ずつ近づく。
この追い詰めていく時間を愉しむようにゆっくりと。
風を切る音が近づく。
無数のトゲを携えた鞭が、オレの体を引き裂こうと迫る。
ロゼの履いたヒールが空薬莢をぐにゃりと踏み潰す。
「・・・・・・ん?」
空薬莢を・・・・・・踏み潰す?
つまり、足元に薬莢が転がり込む程度の隙間があるということだ。
これにもう少し早く気づければそこから足を撃ち抜くまでだったのだが、しかし今は弾が無い。
「くそ・・・・・・」
だがこの“粗”なんとかして突けないだろうか?
既にそこには何も無いはずの上着をまさぐる。
「ほらほら、見苦しいわよ?」
上着を脱いではたいたりしてみる。
「そんなことしてもレシートの切れ端くらいしか見つからないわよ?」
そして最後にはズボンのポケットを探して・・・・・・。
そして、手のひらに伝わる感触。
瞬間、直感が「これだ」と告げる。
あったのだ、起死回生の一手が。
ポケットの中にあったそれ、誰でも持っている何らかの作物の種を取り出す。
そして最小限の動作でそれをロゼの足元に転がした。
「・・・・・・? 何かしら? この期に及んで何か妙なことをしたみたいね?」
「何をしたかは・・・・・・その身で確かめな」
何かをしたのは悟られたが、何をしたかは理解されていない。
いける。
あの絶対領域を打ち崩せる。
力を、あるいは慈愛を込めて拳を握る。
ほんの少しでいい。
どうかこの地の生命力を、オレに分け与えてくれ。
ロゼの疑うような眼差しをこの身に受けながら、拳を振り上げる。
そして・・・・・・。
「豊穣の・・・・・・拳!!」
そしてその拳を地面に勢いよく叩きつけた。
「ま、まさか!? 拳打の衝撃を地面に伝わせて、そうしてあたしの足元を崩落させることで体勢を崩させ、この鞭の動きを止めようと言うの・・・・・・!?」
「いや、違うな」
「あ、違うのね・・・・・・」
じゃあ何よと言いたげだが、その答えは自ずとやってくる。
転がした作物の種。
豊穣の拳によってその種に生命力が注がれ・・・・・・そしてそれは一瞬の内にして芽吹く。
「な、何・・・・・・!? どういうことなの、これは・・・・・・!?」
急成長した植物の蔓が、ロゼの足元から全身に絡まる。
それにより鞭を操る腕が、自由を失った。
「ハッ、何・・・・・・だって? 見たまんまさ、あんたの大好きな植物だよ」
「くっ・・・・・・ちょっと、こんなことしてただで済むと思って!?」
「言ってる場合か?」
ここぞとばかりに開いていた距離を一気に埋める。
そしてまだ満足に動くことの出来ないロゼから鞭を取り上げ、どこに捨てるか迷った結果たいらげた。
「な・・・・・・は? あんた、何して・・・・・・!?」
「食った・・・・・・」
「この・・・・・・ふざけるんじゃないわよ! 本当に・・・・・・最低よ! 何もかもめちゃくちゃじゃない! これだから肉食主義者は・・・・・・!」
そう言うロゼはしかし、憎しみでまるで肉食動物のように牙を剥いている。
こちらを睨みつけて、今にも放送禁止用語を連発しそうな様子だ。
「お前な・・・・・・さっきから肉食主義者は肉食主義者はって何度も言ってるが、いったい何がそんなに気に食わない?」
「そんなの・・・・・・分かりきったことじゃない! ミカドがある今、肉なんて食べる必要は無い! 非効率なのよ、肉という食べ物は!」
だからさ・・・・・・。
「そもそもミカドが非効率じゃないかよ。兼好じゃないが・・・・・・あれは到底自然な産物とは言えないし、必要以上に土地の生命を吸い上げる。いわば悪魔の植物さ。そんなに効率が好きならあんたは万能錠剤で十分だな」
オレの吐き捨てた言葉に、ロゼは腹立たしげに舌を鳴らす。
そして・・・・・・一瞬の内に体に絡まる蔓をバラバラにして見せた。
「ほんとに・・・・・・何から何まで気に食わない男! 気が変わったわ、あんたなんか要らない。あんたみたいな男、こっちから願い下げよ!」
雰囲気が変わる。
いや、内に収めていた拳力を解放したのだ。
それが圧となって、その身から溢れ出している。
今思えば、きっと絡まる蔓を寸断したのも拳力なのだろう。
「やっと本気出したか・・・・・・」
後退りながら、その様子を窺う。
その威圧感は、雨ですら弾き飛ばしてしまうようだった。
「・・・・・・後悔する瞬間すら、与えないわ」
ロゼは長いドレスの裾を引き裂く。
そして両腕を脱力させ、体の脇にだらりと垂らした。
無駄な緊張の一切が除かれた腕とは対照的に、その指先は力強くピンと伸ばされている。
全ての指を綺麗に揃えて、まるで刃のように。
「美しい薔薇には棘がある。それも・・・・・・とびきり危険な、ね」
ロゼは、ニヤリと笑った。
その手刀に宿る拳力、それが実際にその腕にオーラの刃を形成する。
兼好、ましてやフォアグラとすら比較にならない程洗練され、文字通り研ぎ澄まされた拳力だ。
「こいつは驚いた。人知を超えた拳力だな」
「菜食の賜物よ」
その言葉を置き去りに、ロゼは跳躍する。
着地するのはオレのすぐ目の前だ。
「くっ・・・・・・」
着地と同時にすぐさま襲いくる斬撃。
上体を逸らしてそれを回避するが、それでもロゼの攻撃の動作は舞うように続いた。
「くそが・・・・・・っ!」
まるで隙が無い。
全てが完成された一つの流れのようで、切れ目が無い。
一つ攻撃が終わったと思えば、そのときにはもう次の斬撃が間近に迫っている。
まるでその舞うような動きにオレ自身組み込まれてしまったかのように、離脱すら叶わなかった。
立て続けに降り注ぐ斬撃に、攻めあぐねる。
回避だけで精一杯、少しでも意識を避けることから逸らそうものから接触は免れないだろう。
「どうしたのかしら? 話す余裕も無い?」
「うる、せぇ! このクソ菜食主義者!」
「・・・・・・はぁ、あなたも菜食主義者のこと馬鹿にしてるじゃない。文句だけは立派でも、結局その程度の男ってことね。やっぱり・・・・・・ジェントル様には遠く及ばないわ」
視界で何度も、ロゼの服の裾と斬撃が閃く。
この流れを止めなければ、オレに攻め入る隙は無い。
「違う、な。オレがバカにしてるのはお前のその、腐った性根だ。肉を食う奴をバカにして当然と思っていることに加え、周りの人間にお前の偏った思想を強いようとするその精神性だ!」
「だってその方がいいもの。肉を食べることなんて百害あって一利無し! 効率だけじゃない。知ってるかしら? 牛のゲップは地球温暖化を加速させるのよ? 何かの記事で読んだわ。二酸化炭素よりずっと凶悪な! メタンガスを発生させるってね!」
「お前・・・・・・今は氷河期だぞ! あったまるならあったまった方がいいだろうが!」
精神に揺さぶりをかけようとするが、この様子ではもう何を言ったところで動じないだろう。
兼好のようなハッタリではないのだから、基本的にこういう手は通用しないと言っていい。
「・・・・・・」
ならば、どうするか・・・・・・。
未だ避けるだけで精一杯。
ただ足運びに注意を払う余裕が無い分、おそらくじわじわ追い詰められていくだろう。
最悪腕の一本を犠牲にしてでもこの斬撃の流れを止めるか・・・・・・。
命中を覚悟すれば突ける隙は生まれるだろう。
「いや・・・・・・」
そうか、別に接触自体が危険というわけではない。
あくまで危険なのは刃。
であれば横から弾けば傷つくことなく対処できる。
思いたったが吉日、早速試そうと腕を伸ばす。
「・・・・・・ふん、やっと攻めに出たわね。あなた、案外臆病なのね」
「ああ、あんた以外の拳力者も殴り殺さなくちゃならないんでな。そりゃ慎重にもなるさ」
斬撃の軌道に滑り込ませた拳。
狙うのはロゼの本体ではなく、拳力の刃だ。
それを弾く、あるいは打ち砕こうと思い切り打ち込む。
だが・・・・・・。
「その程度のこと、予測出来ないとでも思った?」
ロゼはそれを受けて手首を捻る。
刃の向きが変わり、そのままその鋭利な凶刃にオレの拳が突っ込んでいくことになってしまう。
だが・・・・・・!!
「その程度のこと、予測出来ないとでも思ったか・・・・・・!!」
オレが手を出しゃこうなる。
そんなこた百も承知だ。
拳を解き、手のひらを広げる。
そしてもう片方の腕も伸ばす。
それを一瞬の内にこなす。
「・・・・・・!?」
いきなりのことにロゼが驚くが、オレはそれでも尚急ぐ。
決してロゼに対処させないためだ。
振るわれた拳力の刃。
それを両の手のひらで挟み込む。
真剣白刃取り、鍛え抜かれた反射神経による妙技だ。
「く、姑息な・・・・・・!」
「ほざけ・・・・・・!!」
押さえ込んだ刃を、力のまま折り曲げる。
もちろんそれでぐにゃりと曲がるような柔軟性を持った代物でないので、それは細かな亀裂を走らせて砕けた。
「この・・・・・・!」
それを見たロゼが怒りのままに残ったもう片方の刃を振り下ろす。
が、刃が片腕となればその対処は容易だ。
裏拳で刃を弾き、そしてその懐に一歩踏み込む。
その至近距離から、渾身の右ストレートをお見舞いした。
「うぐぅ・・・・・・!?」
確かな手答えと共にロゼが瓦礫の方へ吹っ飛ぶ。
そして派手な音と一緒に砂埃を巻き上げた。
その砂埃も、すぐに雨か落ち着けてくれる。
「この・・・・・・このこのこのこの! どうして! どうしてあんたなんかに!!」
ロゼの怨嗟と共に、拳力が形になった触手が幾本もこちらに伸びてくる。
それを掻い潜りながら、その根本へと駆けた。
「知らねぇよ。・・・・・・ああ、そうだ」
瓦礫の内側から、人のものとは思えない眼光がオレを睨みつける。
お望みとあらば、何故オレに勝てなかったのか・・・・・・その答えを冥土の土産にくれてやろう。
トドメを刺すべく、拳を振り上げる。
そしてそれを、思い切り触手の生えた瓦礫の山に叩きつけた。
拳打のインパクトはまるで爆発のように辺り一帯に伝播し、地面を大きく陥没させる。
そしてそこに流れ込んだ雨水が泥水となって全てを飲み込んでいった。
その流れに飲まれないように飛び上がり、クレーターの外に出る。
未だ降り注ぎ続ける雨。
惨状を見下ろしながら、散った薔薇に向けて言い放った。
「お前がオレに負けたのは・・・・・・肉を食わないからだよ」
続きます。