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神様に愛された私たち  作者: シルヴィア


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9/24

変わりゆく情勢

 時計の針が午後三時を指し、日差しが僅かに傾き始める頃。

時折吹きすさんでいた春の風は落ち着きを取り戻し、青々と茂った庭木の葉をさわさわと揺らしている。

お腹も心も満たされたフィオナが、「そろそろリルが心配だから」とダイニングを後にしたのは半時ほど前。

今ではコーヒーの芳ばしい香りに包まれる中、大人達のゆったりとした談笑の時間である。


「閣下。そろそろ本日来訪をされた本来の目的をお聞かせ願えますか?」


 ルーカスは砂糖とミルクがたっぷりと入れられたコーヒーをソーサーへ戻すと、穏やかな笑みを浮かべながらマリーと談笑を続けるヴィクトールへ声をかけた。


「ん?……あぁ、そうだったな」


 先程までの流暢な会話から一転し、ヴィクトールはどういうわけか言葉を詰まらせると、やがてマリーに向かい申し訳なさそうに頭を軽く下げた。


「マリー。すまないが、この場はルーカスと二人だけにしてくれんか」


「かしこまりました。……ルーカス、フィオナとリルも連れて行くわね」


「あぁ、頼む」


 察しの良いマリーは笑顔で頷きすぐさま立ち上がると、エプロンを外し、財布の入った鞄を手に、廊下の奥にあるフィオナの部屋へ足早に向かっていった。  


(マリーには聞かせられない話……)


 妻の背を見つめながら、ふと過ぎる考えに胸がざわつく。

そう感じた矢先、廊下の奥からドタドタと忙しない足音が聞こえ始め、間を置かず目の前に現れたのは、お腹がこんもりと膨れたフィオナの姿。

これにはルーカスも思わず目を見張る。

しかしよくよく見てみれば、膨れた服の下からはふわふわの白銀の尾が嬉しそうに揺れているではないか。

どうやらフィオナなりに、ヴィクトールの目からリルを隠しているつもりなのだろうが、これではかえって逆効果だ。 


(フィオナ。気持ちは分かるが、とてつもなく目立っているぞ)


 顔には出さないが、内心は焦燥に駆られ、既に頭の中では、この状況をどう言い繕おうかと考えを巡らせ始める。


「くくっ……」


 その時、ふと耳に届いた笑いを堪える声。

ルーカスは平静を装い視線だけを向けると、そこには案の定、可笑しそうに肩を揺らし始めたヴィクトールの姿があった。


「くっ、はははっ!フィオナ、何だそのお腹は!……ん?おやおや?誰かそこにいるのかな?可愛い尻尾が丸見えだぞ?」


「え?」


 指摘されたフィオナは視線をきょろきょろと泳がせると、時折重たそうにお腹を持ち上げ、挙句の果てに、何やら小声で自分の腹部に話しかけている。

その様子にルーカスは心の中で、「あぁ……」と頭を抱えると、フィオナの背後で押し黙ったままのマリーへ目配せをした。

だがマリーもまた緊張をしているのだろう。

ルーカスの視線に気付きはすれど、ヴィクトールの手前、下手な動きは取れず、ただ笑みを浮かべ続けているだけ。

するとその状況を察したのか、フィオナはひとり唸ると、やがて腹部を優しく撫でながら口を開いた。


「えーっと、リルがちょっと風邪をひいちゃって……。閣下にうつしたら駄目だから、こうやって抱っこしてあげてるの」


「リル?」


「うん。私たちの大切な家族」


「そうかそうか、それは心配だな……」


 思いのほかヴィクトールはそれ以上口を開くことはなく、何事もなかったようにカップを持つと、ゆっくりと口元へ運んだ。

突如始まり、突如終わりを迎えたフィオナによる即興劇に、ルーカスの肝は冷えに冷えたけれど、なにはともあれこの場はどうにか切り抜けられそうだ。

そもそもどんなに博識な人間であれ、研究者でもない限り、尾だけではフェンリスヴォルフだと気付くわけがない。

しかし念には念を。

取り敢えず今は、一刻も早くこの場からリルを遠ざけることが先決である。


「フィオナ、ほら、もう行きなさい」


「お父さん、お菓子、買ってもいい?」


「一個だけだぞ」


「うん!お父さんの分も買ってきてあげるねー!」


「ははっ、ありがとうな」


 きゃっきゃっと笑いながら玄関へ向かうフィオナと、二人に笑顔で会釈をするマリー。

やがて玄関の扉が閉まると、同時に流れ始めたのは少し居心地の悪い静寂。

しかしその場に残されたヴィクトールとルーカスは、どういうわけか互いに口を開くことなく、束の間、えも言えぬ雰囲気を漂わせた。

その間、ルーカスの思考の大半を占めていたのは、先程まで巡らせていた推測。

そもそもこのような何もない時期に急遽来訪するなど、十中八九良い知らせではない。

なにより、先程から押し黙ったまま、時折微かに溜め息を漏らすヴィクトールの様子が全てを物語っている。

握り締めた拳からは知らぬ間に汗がじんわりと滲み、無意識に早鐘を打ち始めた鼓動に息苦しさを覚える。

けれど、いつまでもこうしているわけにもいかない。


「閣下、それで本題というのは……」

 

「……あぁ。……色々と、前置きを考えては来たんだが……どの言葉を選んだとて、お前には何の意味もなさないだろうな」


「……?何の話ですか?」


「いや、こちらの心構えの話だ。……では、ルーカス。単刀直入に言う。お前、帝国騎士団の副団長に復職する気はないか?」


「………は?」


 それはまったく予想だにしない言葉であった。

何故ならば、ルーカスが退役をしたのはフィオナが生まれる前であり、すでに八年も経っていたからだ。

確かに騎士時代の性分なのか、日々の修練は欠かさず行ってはいるが、とはいえ現役を退き久しい者に今更副団長など務まるはずがない。

そして何より騎士団に戻らない、否、戻れない大きな理由があることを彼は知っているはずだ。

それなのに、何故。


「……閣下は、俺が退役した理由を……一番ご存じのはずではないですか……」


 悲痛な面持ちで言葉を紡ぎ、まるで昨日のことのように脳裏に浮かぶのは、マリーと結婚をしてまだ間もない頃の記憶。


 それは今から八年前。

隣国との戦争が激化し、副団長として最前線で指揮を取るよう命じられたルーカスは、出征の数日前にマリーから身ごもったことを告げられる。

必ず生きて帰ると心に刻み戦場へ向かうも、相手との相性が悪く致命傷を負ったルーカスは、その後何日もの間、意識が戻らず生死の境を彷徨うことになる。

やがて奇跡的に意識を取り戻したルーカスの一番初めに視界に飛び込んできた光景。

それは枯れ果てた声と泣き腫らした顔で、何度も何度も自分の名を呼び続ける妻の痛ましい姿であった。



「……あの日の光景を、これまで一度たりとも忘れたことはありません。俺は片目を失いましたが、生きて妻と娘の元へ帰ることができました。そしてその時、心に誓ったのです。俺はもう二度と、あの時と同じ辛い思いを家族にはさせないと……。ですので……申し訳ございませんが……」


 ルーカスは言い終えるとすぐさま片手を胸の前に当て、深々と頭を下げた。

これが今の自分に伝えられる想いの全てであり、どうかこの意を汲んでほしい。

けれど長年彼の側近として仕えてきたからこそ分かることもある。

彼は情に熱い男だが、愛国心もまた人一倍強い。

故に自分の復職が懇願ではなく命令に変わった場合、断る術はもうないのだ。


「……すまない」


 頭を下げたまま、あれこれと巡らす思考を一瞬で止めたのは、吐息のように儚い呟きであった。


(……なんだ)


 これまで聞いたことがないような弱々しい声にルーカスは眉を顰め、ゆっくりと姿勢を戻した。


「お前が退役せざるを得ない原因を作ったのは、この私だというのに……」


 見るからに悲痛な面持ちで再び『すまない』と呟き、今度はヴィクトールが深々と頭を下げる。


「閣下!貴方が頭を下げるなど……っ」


 ルーカスは慌ててがたっと席を立つと、頭を下げ続けるヴィクトールへ手を伸ばした。


「だがそれでも!恥を忍んでの頼みだ……。無論、これは命令ではなく頼みであり、決定権はあくまでお前にある」


 その言葉に伸ばした手を止めると、訝し気な面持ちで手を下げ、ゆっくりと腰を下ろす。


「……一体、何があったのですか?」


 理由を尋ねたところで騎士に戻るつもりなどさらさら無いのだが、わざわざ八年も前に退役をした部下を尋ね、辺境まで足を運ぶくらいだ。

それなりの理由があるのだろう。


「……閣下」


「……陛下の体調がな……あまり思わしくない……」


 消え入るような声で紡がれた言葉に、ルーカスは目を見張り体を強張らせる。

現皇帝である≪フェリクス・リヒテンヴェルト≫。

ルーカスにとっては騎士団を退役した今も尚、忠誠を誓う大切な存在である。

 

「……陛下が……」


「あぁ……。主治医の話では今すぐどうこうなる訳ではないが……もう、長くはないらしい……」

 

 突如鋭利なもので心を深くえぐられたような感覚に陥り、言葉を失う。

一瞬で頭の中が真っ白になり、もはや思考は完全に止まり、何も考えられない。


「元々お体が丈夫な方ではなかったんだが、皇后が崩御されてからは益々元気をなくされてしまってな……」


 伏し目がちにぽつぽつと語るヴィクトールの言葉が、どこか遠くに感じる。

同期である騎士団長達と交わす手紙の中には、その件に関しては一切記されていなかった。

今思えば最重要機密事項に当たるからだろう。


(自ら帝都を離れた身とはいえ、自分だけが独り取り残されたように感じ、寂しいと思うことは我儘なのだろうか……)


「そこで問題は帝位継承だ」


 ヴィクトールの少し苛立ちを含んだ声に、はっと我に返る。


「皇太子はまだ十三歳、皇女に至っては九歳だ。今の状態で陛下が身罷るならば、必ず貴族復権派の奴らが動き出すはずだ。奴らが虎視眈々と宰相の座を狙っていると小耳に挟んでいる。若い皇太子なら意のままに操れると踏んだらしいが……あの狸どもめが……」


 次第に語気を強め荒々しい口調で言い放ったヴィクトールは、腕を組み大きく舌打ちをすると、ゆっくりと背もたれに体重を預けた。


「いずれにせよ、次の宰相を巡って次は誰と手を組もうかと城内は派閥争いの真っ只中だ。もしもこの話が陛下のお耳に入りでもしたら……あぁ、なんたる非礼で醜く、くだらない」


「……仰る……通りです」


 皇帝の一件でただでさえ胸が張り裂けそうだと言うのに、まるで追い打ちを掛けるように次から次へと襲い来る様々な問題。

ルーカスはテーブルに片肘を突き頭を抱えると、深く深く溜め息を吐いた。


「とにかく今は、陛下が落ち着いて政務を摂り行うために、うるさい外野を牽制できる味方が欲しい。それが今日お前を尋ねた本来の理由だ。……お前ほど、心強い味方はいないからな」


「だから、騎士団に……」


 あぁ、と頷き、ヴィクトールは冷め切ったコーヒーを一気に飲み干した。







 取り寄せたばかりのコーヒーの粉をフィルターにセットし、ドリップポットからゆっくりとお湯を注ぎ蒸らす。

本日二杯目のコーヒーを淹れながら一人キッチンに立つルーカスは、先程から次々と聞かされる帝都の現状と騎士団への復職について思索に耽っていた。

あれからルーカスとヴィクトールは互いに意見を述べ合うも、復職についてだけは折り合いが付かず、平行線を辿る一方。

無駄に時間だけが流れ、やがて二人は一度頭の中を整理すべく休憩を取ろうとしているところであった。


「お前、今も日雇いの傭兵を続けているのか?」


 リビングの窓から外の景色を眺めながら、ヴィクトールはぐっと背伸びする。


「はい」


「……ったく、未だに信じられん。元騎士団副団長かつマスターランクのお前が日雇いの傭兵など、誰が想像できようか」


 なんたる宝の持ち腐れ、と唸るヴィクトールに、ルーカスはふっと口元を緩めると、手元のドリップポットからゆっくりとお湯を注ぎ始めた。

途端、バニラのような甘い香りが部屋中を満たし始める。


「これがなかなか気楽で良いんですよ。閣下も退役後に如何ですか?」


「馬鹿を言え。私には帝都のスイーツ本を執筆するという大役が待っているんだぞ」


「ははっ、そうでしたね」


 笑いながらドリッパーを外し、淹れたてのコーヒーをカップに注ぐ。

やがて窓辺で気持ちよさそうに佇むヴィクトールの名を呼び、カップ二客と共にダイニングへ向かった。


「おぉ、この香りはフレーバーコーヒーか」


「はい。バニラです」

 

 ヴィクトールは嬉しそうに目元を緩めながらダイニングへ戻ると、着席をし、早速淹れ立てのコーヒーを口に含んだ。

ルーカスも続いて席に腰を下ろす。


「……あぁ、疲れ切った心身に染み渡るな……美味い。……そういえば最近は隣国の奴らが妙に大人しく、目立った騒ぎもこれといって聞かん。日雇いのお前からすれば暇を持て余すばかりで退屈だろう?」


(暇?退屈?そんなはずは……)


 何気ない会話の中で感じた違和感に、ルーカスは眉を顰める。


「……どうした。何か気がかりなことでもあるのか?」


「……はい。実はここ最近、国境を越え不法侵入をしてくる賊が妙に増えているんですよ。皆で持ち場を交代制で見回ってはいるのですが、それにしても尋常ではない増え方です。加えて以前より人員を割かなくてはならない状況にも関わらず、帝都から派遣される騎士の数は以前より減らされています。失礼ですが閣下。減らしたのには何か理由が?」


 その瞬間、ヴィクトールは表情を一変させ、やや乱暴な音を立てカップをソーサーへ戻した。


「ちょっと待て。確かに今、辺境へ送る騎士の数は減らしてはいるが、それはそのように報告を受けたからだ」


「そのように、と言うのは?」


「隣国との情勢が落ち着き、減員しても構わないと記された辺境伯からの書面だ。無論、印もサインもある正式なものだ。……どういうことだ。これではまるで正反対じゃないか」


 二人は互いに目を合わせたまま息を呑むと、しばらくの間口を噤んだ。

ヴィクトールによれば、皇帝の容体に関しては厳しく箝口令を敷いていると言うのだが、それに乗じて引き起こされた中枢の混乱に関してはどこまで漏れ出ているか見当がつかないらしい。

加えて騎士団への虚偽の報告により派遣騎士が減員され、国境警備が手薄になる頃を見計らうかのように増え始めた不法侵入者達。

これら全てが偶然の重なりというには、いささか腑に落ちない。


「とにかく、憶測だけで結論を出すにはこの話は大きすぎる。取りあえず一度城に持ち帰り調査をする」


「そうですね。俺達の読みが正しければ、これは前代未聞の不祥事です。騎士団長二人にも早急に要請を求めるべきでしょう。……俺も、騎士団への復帰は致しかねるのですが、それ以外でしたら何なりとお申し付けください」


 長年の癖なのだろう。

無意識に流れるような所作で胸に手を当て頭を下げ、騎士の敬礼をおこなう。


「はっ、そこだけは譲らないんだな」


「申し訳ございません」


「まぁ、仕方ない。……それはそうとお前、先程日雇いの仕事に国境警備が含まれていると言ったが、その流れでうまいこと辺境伯に近付けないか?」


「警備箇所は辺境伯邸ではなく国境検問所ですよ?それよりも騎士団長である貴方の方が早々に謁見できるのでは?」


「いや、辺境伯が素直に私と謁見するとは思えん。都合が悪いからと、逃げ続けるに決まっている」


「……確かに」


「まぁ、そこは任せろ。小心者の奴のことだ。身の危険を感じればすぐさまお前の噂を聞きつけ、あちら側から接触を図ってくるだろう」


 ヴィクトールは腕を組み、にやりと不敵な笑みを浮かべた。


(あぁ、この笑みは幾度となく見覚えがある。それも確実に成功を収めると踏んだ時のものだ)


 ルーカスはふっと目元を緩めると、そっと胸に手を当て頭を下げた。


「分かりました。できるだけのことはやってみます」


「あぁ、頼む」


 そう言うと、ヴィクトールは湯気と甘い香りが立ち上るコーヒーをゆっくりと口に含んだ。

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