突然の来訪者②
(お会いするのは、何年ぶりだろうか)
嫌がるリルを部屋に残し、ようやっと玄関へ赴く。
しかしいざこの場に立つと、扉の向こうで待つ人物に対し、無意識に背筋が伸び、鼓動が早くなる。
決して会いたくないわけではないのだが、いかんせん長らく身に付いた癖というのか、緊張をしてしまう。
ルーカスは早鐘を打つ鼓動を抑えようと、何度も深呼吸をおこなうと、タイミングを計ったように呼び鈴が鳴り響いた。
刹那、頭で考えるよりも先に体が動き、ドアノブに手を掛ける。
「今開けます!」
やや緊張をはらんだ声で応え、もう一度深く息を吐くと、ゆっくりと扉を開く。
途端、明るい陽光が差し込み、反射的に目を細めた先で待っていたのは、満面の笑みを浮かべながら悠然と立つ大柄な男。
ルーカスよりも一回りは大きいであろう体躯と、顔には無数の傷痕。
燃えるような紅玉色の髪は、春の爽やかな風になびき、ルーカスを見つめる黄金色の双眼は、微かに威圧感を放っている。
しかしその重圧とは相反して男が両手に抱えているのは、今にも落としてしまいそうな数の可愛らしいラッピングの手荷物。
「はははっ!久しいな、我が友よ!」
開口一番、男は辺りに響き渡るような豪快な声で挨拶をおこなうと、最後に満面の笑みを浮かべた。
「ご無沙汰しております、閣下。変わらずお元気そうで何よりです」
ルーカスはすぐさま片手を胸の前に、もう片手を背後に添えると、深々と頭を下げ、騎士の礼をおこなった。
本来であれば退役をしたルーカスには不要な所作なのだが、やはりここでも長年の癖というのは驚くほど身に沁みついており、特に彼の前ではそれが顕著に表れる。
「あぁ。お前も息災のようで何よりだ。……ほら、お前達家族に土産だ」
ルーカスが姿勢を正すと、閣下と呼ばれた男は喜色満面に頷き、手荷物を軽く持ち上げてみせた。
やはりこの可愛いらしいプレゼントの数々は、我が家への贈り物で間違いないようだ。
(それにしてもちょっと……いや、かなり多くないか)
心の中で疑問が浮かぶも、それを表に出してしまえば折角の心遣いを台無しにし、また不敬にあたる。
故にルーカスは微塵も表情を変えることなく、謝意を伝えるために、再び敬礼をおこなった。
「いつも気を遣わせてしまい申し訳ございません。閣下の選ぶ手土産は、我々の趣味嗜好を熟知した素晴らしいものばかりですので、実を言うと、毎回楽しみにしているんですよ」
「わっははは!そうかそうか!ならば今回も期待に添えていると思うぞ?」
「えぇ。後程、ゆっくりと拝見いたします」
ルーカスは目元を緩めると、客人にいつまでも手土産を持たせたままというわけにもいかず、その全てを受け取ろうとした。
しかし閣下と呼ばれた男は即座にかぶりを振ると、その半分の量をルーカスに差し出した。
何を遠慮することがあるのだろうかと疑問に思いつつも、言われるがままに手を差し出す。
途端、ずしんと腕にのしかかる想像を超えた重み。
(お、重い……。一体、何を選んでくださったのだ……)
手にして気付いたのだが、どうやら数というよりも質量の問題だったらしい。
しかしながらよくぞここまで一人で運んできたなと、しみじみ感心すらしてしまう。
元来サービス精神旺盛な性格は百も承知だったのだが、会う度に数も品質も、今回は質量も格段に向上しているように思う。
「お心遣い、感謝いたします。それでは立ち話もなんですし、どうぞ中へお入り下さい」
ルーカスは微かに震える腕で笑みを浮かべると、そろそろ準備は終えただろうかと思いつつ、満足気に頷く男を中へ招き入れた。
男の名は、《ヴィクトール・シュヴァイツァー》。
帝国が誇る軍事力全ての指揮権を任された、リヒテンヴェルト帝国騎士団の現総長であり、世界でも稀有な存在とされるソードマスターランク保持者である。
特に戦場における彼の采配は見事なものであり、その武勲の多くを側近として常に見届けてきたルーカスにとって、ヴィクトールこそ騎士としての師、憧れの象徴そのものであった。
また圧倒的なオーラと存在感もさることながら、その燃えるような赤髪と黄金色の双眼に睨まれたら最後、生きては帰れないとさえ言われ、故に彼の戦場での二つ名は≪生きる英雄≫。
「先程は驚かせてすまなかった。マリーとフィオナは大丈夫だったか?いや、しかしあれはいつまで経っても慣れんもんだ。わっははは!」
「いいかげん皇室騎士団長に何か策を講じてもらっては如何ですか?」
「それがな、ルーカス。私だって何度もマティアスに頼んだんだぞ?だがな、あいつ何と言ったと思う?『これ以上僕にはどうすることもできません』だぞ?ったく」
途端、ルーカスはその光景が容易に目に浮かぶと、ふと可笑しさが込み上げ、微かに肩を揺らした。
「あぁ、確かに彼ならそう言いそうですね」
「だろ?まぁ、あいつも歳だな。年々私に対し遠慮がなくなってきている。昔はもう少し可愛げがあったものを」
背後でやれやれと息を漏らすヴィクトールの様子に、懐かしい騎士団時代の記憶が脳裏を掠め、胸がじんと熱くなる。
もう二度と戻ることはできない場所。
それでも騎士団の仲間達は、今も変わらず帝国の為に戦い続けているのだろう。
「それにだ!この間、オリヴァーの奴がな?……あぁ、マリー!久しいな!」
「ご無沙汰しております閣下。お元気にされていましたか?」
明るい声でキッチンから顔を出し、二人を迎えたマリーは、すぐさまヴィクトールの傍へ歩み寄ると、スカートの裾を持ち、綺麗なカーテシーで挨拶をおこなった。
「相変わらず君の所作は美しいな」
感嘆の吐息と共に賞賛を紡ぐヴィクトールに向かい、マリーはふわりと笑みを浮かべる。
「えぇ。なんと言っても私の親友直伝ですもの。ほら貴方、閣下をお待たせしては失礼だわ」
「あぁ」
ルーカスはすぐさまヴィクトールと自分が持っていた土産をリビングの端に丁重に置くと、流れるような所作でダイニングチェアを引いた。
「そう慌てるな。なにも今日は公務で訪れたわけじゃない」
ヴィクトールは可笑しそうに頬を緩めると、ゆっくりと腰を下ろした。
その時タイミングよくケトルが鳴り、マリーが一礼をし慌ててキッチンへ戻ったので、ルーカスもそのまま対面の椅子に腰を下ろした。
「なぁ、ルーカス。マリーはああ見えて強いのか?」
不意にヴィクトールがこそりと小声で囁く。
「……えぇ、まったく敵う気はしないですね。閣下の奥様はどうでしたか?」
「同じだな。だがな、夫が妻の尻に敷かれる家庭は、なんだかんだで上手く回るらしいぞ」
「と言うことは、閣下も……」
「あぁ。それはもう、ぺちゃんこだったぞ」
その言葉にルーカスは思わず咳き込むと、キッチンで機嫌よく準備を整える妻を一瞥した。
テーブルの上に用意をされた紅茶からは芳ばしい香りと湯気が立ち上り、シフォンケーキの甘い香りがふわりとダイニングを包み込む。
ヴィクトールは目の前に置かれたスイーツをしばらく目で堪能すると、やがて頬を緩め、『見事だ』と称賛の言葉を述べた。
「こうして茶会の席に着くと、妻とマリーが仲良く中庭で語り合う姿がつい昨日のことように思い起こされるな……」
どこか遠くに思いを馳せるようにヴィクトールが呟くと、マリーはルーカスの隣に立ったまま、ぎゅっとトレーを抱き締めた。
そっと視線だけを向けると、瞳にうっすらと涙を滲ませている。
「閣下……。アリーシアを……奥様を亡くされてから、あれからもう五年の時が流れましたね……」
心なしか震えて聞こえたその言葉に、ヴィクトールはゆっくりと瞬きをし、息を吐くように、そうだなと呟いた。
「マリー……。ふと何気ない時に晩年の妻の姿を思い出すことがあるんだがな。……そんな時、君が妻の親友で本当に良かったと、しみじみ思うことがあってな……」
「……っ!アリーシアはこれまでもこれからも、私の一番の親友です!」
今にも淡いピンクの瞳から涙が零れ落ちそうになりながら、けれどもその表情はとても穏やかで。
ふわりと笑顔をほころばせ、気丈に振舞う妻の背に、ルーカスはそっと手を添えた。
「あー……すまない。なんやかんや言って私も歳だな。仲睦まじいお前達を見ていると安堵する一方で、少々心寂しく思ってしまう。……せっかくの茶会なのに申し訳ない」
頭を軽く下げるヴィクトールに、マリーは慌てて首を横に振ると、やや間を置いて、そういえば、と切り出した。
「閣下のご子息方はお元気にされていますか?確か最後に会ったのは、五年前、でしたよね?」
「あぁ、二人共元気にしているよ。上が十六の歳で、下が……おや?」
不意にヴィクトールは何かに気付いたのか言葉を止めると、キッチンの端から大人達の様子をおずおずと覗き見るフィオナと視線を重ねた。
「さぁ、そこの隅で我々をずっと覗いていた小さなお嬢さん。そろそろこちらへ来て、その可愛い顔をよく見せてはくれないだろうか?」
「なんで分かったの?」
姿が見えないと思っていた娘は、どうやら恥ずかしかったのか、これまでキッチンに隠れ様子を伺っていたらしい。
しかし不意に声をかけられ驚いたのか、目を丸くしたフィオナはすぐさまキッチンから走ってくるや否や、今度はマリーの背後に逃げるように隠れてしまった。
(まぁ、突然こんな大柄な男が現れたら、誰だって驚くだろうな)
その愛らしい様子にルーカスはふっと頬を緩めると、妻の背後でこちらをちらちらと覗く娘に手招きをした。
「どこへ行っていたかと思えば、何をしていたんだ?」
「え~とねぇ、かくれんぼ」
「かくれんぼ?」
側へ来た娘の両手を握り締めながら、首を傾げる。
すると間を置くことなく、ヴィクトールの豪快な笑い声がダイニング中に響き渡った。
「はははっ!ではこの場合、私が鬼ということかな!」
「だって、とっても強そうなんだもん……」
「あぁ、その通り。私はとっても強いぞ!」
フィオナと視線を合わせるように体を屈め、自信に満ち溢れた言葉とは裏腹に、声色はとても穏やか。
その所作に安心をしたのか、フィオナはルーカスと視線を重ね合わせると、えへへ、とはにかんだ。
一瞬にしてふんわりと和やかな雰囲気がダイニングを包み込む。
「ほら、フィオナ。いつものご挨拶をしてみせて?」
マリーはそっと目尻に溜まった涙を拭うと、フィオナの背にそっと手を添え、優しく囁いた。
いつものご挨拶。
それはマリーが、親友でありヴィクトールの妻である亡き夫人から受け継ぎ、やがてフィオナが受け継いだ、令嬢がおこなう美しい礼儀作法のこと。
その言葉にフィオナは姿勢を正すと、そっとスカートの端を持ち、足を曲げ、美しく可憐なカーテシーを披露した。
「は、初めまして閣下。ルーカスとマリーの娘、フィオナ・ベルンシュタインと、も、申します…」
緊張で時折声を詰まらせながらも、教わった通りに見事なカーテシーをお披露目する。
その可愛らしく優雅な所作に、ヴィクトールは思わず目を見張り、うんうん、と何度も頷いた。
「なんと美しいカーテシーか。さすがはマリー、よく教育が行き届いている。……フィオナ。君は先程『初めまして』と言っていたが、実は君がお母さんのお腹の中にいた頃、すでに私達は会っているんだよ?」
「お腹の中?」
「あぁ。と言っても分かるわけないか。……そういえば今年で何歳になるのかな?」
「えっと、七歳です」
「そうか、七歳か。うんうん。……どうだフィオナ。私の息子と婚約をする気はないか?」
「え?」
途端、和やかな空気に包まれていたはずのダイニングは、水を打ったようにしんと静まり返った。