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神様に愛された私たち  作者: シルヴィア


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24/24

黒馬の王子様

 季節は春から初夏へと移り変わり、愛らしい桃色と白色の花を纏っていた庭木の枝も、今ではすっかり鮮やかな新緑の葉に覆われている。

空を仰げば澄んだ青色の中を羊の群れのような雲が広がり、気候も少し汗ばむ日が増えたけれど、朝晩はまだ肌寒く上着が欠かせない。


 カイが専属護衛騎士として着任をし、ひと月が流れた。

専属ということもあり、カイはほぼ毎日のようにベルンシュタイン家を訪れては、フィオナとマリーの警護に当たった。

驚くべきは、ルーカスが休息日にも関わらず早朝から足を運び、二人して鍛錬を始めたことだ。

木刀から始まり、今では自身の長剣を用いて鬼気迫る表情でルーカスに挑む姿はまるで別人。

そうして午後になる頃には至る所に傷を負い、満身創痍で地面に倒れ込むのだけれど、今ではそんな彼を介抱することがフィオナの日課になりつつある。


 他にも印象深い出来事がある。

それは村の案内がてら立ち寄った本屋でのこと。

店内に入るや否や興味津々に本棚を眺め始めたカイが、あれよあれよと分厚い書籍を手に取り始めたかと思えば、ものの数分で両腕に抱えるほどの書籍の山を作り上げたのだ。

それも『地形学と地理学から見る世界の成り立ち』『世界の口承文学』『魔力と生命力』と、読むには知識が必要とされる専門書ばかり。

聞けば常日頃からシュヴァイツァー邸の書庫や、帝都の書店めぐりをするほど本が好きなのだそう。

加えて、この本屋に陳列されている書籍は滅多にお目にかかれない珍しいものばかりで、中には絶版されてしまった大変貴重なものもあるのだとか。

その喜色満面に語る様子があまりにも楽しそうだから、フィオナは興味本位に一冊開いてみるも、目の前にぱっと広がる気難しい序文だけで目を回しそうになり、「読んでみるか」との勧めを丁重に断ったのは言うまでもない。


 こうして共に過ごす日々の中で、フィオナはごく自然と、彼の趣味嗜好、そして人となりを知っていった。


 





 瑞々しい草原の香りを纏った初夏の風が吹き抜ける、ある日の午前。

今日はルーカスが休息日のため、久しぶりに夫婦水入らずの時間を過ごしてもらおうと、フィオナはカイと二人で遠乗りへ出掛けることにした。

昨日と打って変わり、今日はどんよりと厚い雲が覆う生憎の空模様。

けれど燦々と照りつける陽光の下で長い時間を過ごすよりは、幾分と涼やかで過ごしやすいだろうと気持ちを入れ替える。 

 

 フィオナは早々に朝食を食べ終えると、自室へ向かい、マリーがこの日のために見繕ってくれた乗馬用の服に袖を通した。

淡いレモンイエローの長袖ブラウスと白い乗馬キュロット、そして甘い茶褐色の革靴が初夏らしく爽やかだ。

それから髪をひとつに束ね、最後にペールピンクのリップを塗ると、鏡の前でくるりと回ってみせる。


「うん、完璧!」


 鏡に映る自分に向かい、花がほころぶような笑みを浮かべる。

それにしても遠乗りなんていつ以来だろう。

このひと月の間にカイとは様々な場所へ赴いたけれど、どういうわけか近場ばかりで、本音を言えばもう少し足を延ばしたいと思っていた。

と言うのも、ここアドラー領には、帝都で暮らすカイがこれまで見たこともないような自然豊かで開放感あふれる秘境や絶景がたくさんあるからだ。

なので、今日の目的地はフィオナがこれまで訪れた中でも選りすぐりの場所を選び、尚且つカイには経路も含め何処へ向かうのかまだ伝えていない。

つまりサプライズ、辿り着いてからのお楽しみというわけだ。


(カイ、喜んでくれるといいな)


 フィオナは胸を高鳴らせ、もう一度鏡を覗き込むと、鼻歌交じりに手ぐしで前髪を整えた。


「あっ!」


 そこで、ふと鏡越しに壁掛け時計が視界に入り、声を上げる。

余裕を持って進めていたはずの準備も、気が付けば約束の時刻まで僅か十分足らず。

フィオナは慌ててキッチンへ走ると、用意をしていたサンドイッチをラッピングペーパーで包み、冷やしておいたカモミールティーを氷と一緒に水筒に注ぐ。

それと忘れてはならないのが、キッチンカウンターに置かれたクルミとレーズンが練り込まれた全粒粉のカンパーニュ。

以前カイと村のパン屋を訪れた際、彼が「美味(うま)いな」と呟いたことを覚えていたフィオナは、今日のお礼にと、今朝開店と同時に購入をしておいたのだ。

それらを少し大きめのショルダーバックに丁寧に詰め込み、隙間に手拭きと敷物、目的地と経路が記された地図を仕舞えば完成だ。


「はぁ……間に合った」


「はは。えらく楽しそうだな」


 ショルダーバックを肩にかけ、時計を一瞥し、ほっと安堵の吐息を漏らした途端、新聞を手に、リルと共にソファで寛ぐルーカスが軽く笑い声を上げた。


「それはそうだよ。だって久しぶりの遠出なんだもん」

  

「あー……そうか。確かにここ最近忙しくて、どこにも連れて行ってやれなかったもんな。……すまん」

 

 ルーカスはバツが悪そうに読んでいた本をぱたんと閉じると、苦笑しつつ深い溜め息を吐いた。

別に父が謝る必要なんてない。

何故ならばこのひと月の間、カイが毎日のように帝都から様々な手土産を持参しては、フィオナの良き話し相手になってくれたからだ。

そのお陰で退屈をするどころか、却ってこれまで以上に楽しい毎日を過ごすことができた。

そもそも今日の遠乗りの目的はフィオナのためではなく、両親に二人の時間をゆっくりと過ごしてもらうことにある。


「だーかーら、そのために今日があるんでしょ?いい?夫婦水入らず、目一杯二人の時間を楽しんできてね?あ、お土産もよろしく!」 


「はは。あぁ、承知した。……それよりも、フィオナ。お前も十分に気を付けて行くんだぞ。今日は比較的安全なルートを選んだつもりだが、道中何が起こるか分からんからな」


「うん。自然の音には耳を傾けろ、だね」


「そうだ。……カイによろしくな」


「うん!」


 二人は互いに笑い合うと、リビングの窓から洗濯物を干すマリーの背中を見つめた。


 





「おはよう、フィオナ。準備はいいか?」


 玄関の扉を開くと、そこにはいつものように目元に優しく笑みを湛えたカイが立っていた。

今日はルーカスの休息日ということもあり、ゆったりとした白いコットン生地の長袖シャツとグレージュの厚手のズボン、黒い革のブーツと手袋というカジュアルな装いだ。

けれど腰にはしっかりと長剣が装着され、太ももにはレッグホルスター、背中には弓矢と、どういうわけか普段より装備が物々しい。


「おはよう。準備は大丈夫なんだけど……。えっと……その格好、どうしたの?」


 フィオナは思わず目を丸くすると、まじまじとカイを見つめ、言葉を詰まらせる。

これまで幾度となく遠乗りを共にしたルーカスでさえ、ここまで万全の装備は見たことがない。

もしや自分の聞き及ばないところで何か不測の事態が発生したのだろうか。

フィオナが驚きから不安へ次第に表情を曇らせると、その心の内を察したのか、カイはすぐさま自身の装備を一瞥し、「あぁ」と口元を緩めた。


「目的地が決まってない以上、全ての状況を予測した上で装備を整えることが騎士の基本だからな。ほら、備えあればってよく言うだろ」


 そこでフィオナの胸はどきりと脈打つ。


「もしかして……目的地が分からないから、その装備なの?」


「そうだ。これから向かう場所が森林なのか高原なのか、はたまた川辺なのか山岳かによって対応が異なるからな。けど、あれだろ?今日は敢えて行き先を決めずに、気ままにホーストレッキングを楽しも――」 


「あ、あの、カイ!」


「ん?」


 フィオナはカイの言葉を遮ると、申し訳ない気持ちで一杯になり、深々と頭を下げた。


「ご、ごめんなさい!本当は目的地も道も、全て決めてあるの!」


 これから向かおうとしている場所は滅多に人が訪れることなく、地元の人にもあまり知られていない、いわば秘境。

そして目的地とその経路については、ルーカスの指示の元、多少遠回りになるも比較的安全に進めるよう考慮されている。

けれど、今回フィオナの独断により何も知らされていないカイにとっては、勘所(かんどころ)が掴めず重装備になるのは当然だ。


(子供じみたこと、しちゃったな……)


 頭を下げたまま、心の中で大きな溜め息を吐く。


「フィオナ」


 やや間を置いて聞こえた、穏やかな囁き。

フィオナはそこでおずおずと顔を上げると、視線の先には、怒るわけでも呆れるわけでもなく、ただ優しく頬を緩めるカイがこちらを見つめていた。


「もしかして、俺のため?」


「……うん」


 改めて言葉にされると、なんとも子供じみていて恥ずかしい。

フィオナはぽっと頬をピンク色に染めると、伏し目がちに呟いた。


「何も知らない方が、着いた時の感動も大きくなるかなって……」


「はは。なるほどな。じゃあ、このまま行くか」


「え?」


 躊躇ない予想外の返事に、フィオナは目を見張る。


「え、このままって、行き先を知らないままってこと?いいの?ここにちゃんと印を付けた地図だって……」


 地図を取り出そうと、慌ててショルダーバックに目を落とす。

途端、頭の上に大きく温かな手がふわりと添えられ、フィオナははっと視線を戻した。


「いいよ。それに何処へ向かおうと、フィオナのことは俺が命を懸けて守ればいいだけの話だ」


 見下ろすような伏目がちの瞳は包み込むように温かく、低く凛然とした声は耳心地が良い。

そして、ぽんぽんと優しく頭を撫でられる度に、どういうわけか胸の奥がざわついて騒がしい。


「ありがとう」


「ん。……さぁ、天気が些か心配ではあるけど、そろそろ行こうか。……ちょっと待っていてくれ」


 カイはふっと柔らかな笑みを浮かべると、フィオナに背を向け、馬納屋がある家の裏手へ歩いて行った。

やがて姿が見えなくなり、一人佇むフィオナの体を、微かに湿気を含んだ涼やかな風がさっと吹き抜ける。


(私って、いつもカイに甘えてるな……)


 風で乱れた前髪を整え、心の中で独りごちると、ゆっくりと空を見上げる。

重々しい雲の隙間からは、燦然と輝く光の柱が放射状にいくつも降り注ぎ、まるで光のカーテンのように幻想的だ。


「雨……降らないといいな」


 そう願いつつ吐息を漏らすと、遠くからザッザッと複数の足音が聞こえ、振り向く。

途端、フィオナは視界に映る光景に息を呑んだ。

そこにはこれまで見たことのないような美しく艶のある漆黒の毛並み、引き締まった彫刻のような巨躯、どこか気品を感じる優雅な一頭の牡馬が、カイに伴われゆっくりとこちらへ向かい歩いてくるところであった。


「フィオナ、紹介しよう。この子の名は≪オレアンダー≫。俺が騎士になった祝いに、閣下から賜った大切な相棒だ」


 カイはフィオナの前で足を止めると、慈愛に満ちた表情でオレアンダーの鼻先をそっと撫でた。

するとその所作に呼応するように、オレアンダーもまた穏やかに「ブルル」と一声上げると、ゆるりと頭を下げる。

その仕草は馬にとって精神的な落ち着き、また相手を信頼し甘えている証拠。

幼い頃からシルヴァーノと触れ合い続けてきたフィオナもまた、幾度となく目にしたこの微笑ましい光景に、自然と頬が緩む。


「とっても仲良しなんだね」


「そうだな。長い間、苦楽を共にしてきたからな」


 カイはオレアンダーから手を離すと、鞍に取り付けられた、やや大きめのサドルバックをパチンと開いた。

おそらく本革であろう濃褐色のサドルバッグには、至る所に摩擦だろうか擦り痕と色落ちが目立ち、長年愛用していることが見て取れる。


「それにこの子は相当数の場数を踏んでいるから、大抵の場所は恐れずに走ってくれるはずだ。……ほら、荷物」


「あ、うん」


 フィオナは促されるままショルダーバッグを手渡すと、カイは慣れた手つきで丁寧に収め、間を置かず鐙に足を掛け、ひらりと軽やかに騎乗した。


「どうぞ。お嬢様」


 滑らかな漆黒の髪を風にふわりとなびかせ、吸い込まれるような深紫の瞳には優しさを湛え、片手を馬上から差し伸べる姿は、まるでおとぎ話の中に出てくる王子様のよう。


「それ、わざとやってる?」


「わざと?」


「うぅん。なんでもな~い」


 再び騒がしくなる胸の内を悟られまいと、冗談めいた口調で平静を装い、手を伸ばす。

すぐさまカイの大きく力強い手が、フィオナの小さく華奢な手をぎゅっと包み込み、そのまま軽々と引き上げられる。

けれど、ここでまさかの事態が発生。

背後に座るとばかり思っていたフィオナの体は、引き上げられるや否や、有無を言わさずカイの手綱を持つ両腕の間にすっぽりとおさまっていたのだ。


(ん?え?あれ?)


「乗り心地はどうだ?」


 途端、背後から感じる微かな息遣いに、心臓がどくんと跳ね上がる。


「のりごこち?え、あ、大変よろしいです」


「それは良かった」


 早鐘を打つ鼓動、急激な体温の上昇、それに伴い紅潮した顔、加えて片言の返事に、この時ばかりは背を向けていて良かったとフィオナは思った。


「さすがだな」


「え?」


「いや、この子は利口で聞き分けはいいけど、警戒心が強くプライドが高い。だから俺以外が騎乗すると癇癪を起すとばかり思っていたんだけど……」


 その予想だにしない言葉に、途端、フィオナはびくりと体を強張らせると、恐る恐るカイへ視線を向ける。


「あの……私……まさに今、騎乗してるんだけど……」


「あぁ。だからしっかり掴まっとけよ?いつ振り落とされるか分からないからな」


「え……嘘……」


 不安気にカイを見つめたまま、両手はしっかりと鞍のやや長めの前橋を掴む。

先程はカイの所作に鼓動が早まり、今はまた別の意味で心臓がうるさい。


「なんてな。冗談だよ。……半分は」


「冗談?って、半分は?どういうこと?」 

 

「ははは。……っと、出発するぞ。ほら、前を向いて。道案内は任せたからな」


「ねぇ、ちょっと!」


 どういう意味なのかと馬上で騒ぐフィオナを他所に、カイは楽しそうに笑い声を上げると、手綱を強く握り締め、草原の間を続く一本道に沿ってオレアンダーをゆっくりと走らせ始めた。

 

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