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神様に愛された私たち  作者: シルヴィア


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22/24

木漏れ日の下で

 澄んだ浅葱色の空の中に、ぽつぽつと浮かぶわたあめのような雲。

空高く、ゆっくりと弧を描くように舞い飛ぶトンビ達は、伸び伸びと鳴き声を響かせている。

辿り着いた小高い丘からは、穏やかな風になびく海原のような草原が見渡せ、遠く望める国境山脈は、春霞のせいかうっすらと朧げだ。


「気持ちの良い場所だな」


 春に芽吹いたばかりの萌黄色の葉を大きく広げ、ほどよい木陰が広がる大樹の根元。

そこにピクニックシートを広げ、バスケットを置いたカイは、爽やかな風に身を委ねながら大きく伸びをした。

今日は春うららかな陽気というよりは初夏のような暖かさ。

けれど日差しが遮られたこの場所は日向よりも涼やかで、先程までの汗ばんだ体は、ゆるやかにその熱を冷ましていく。


「ここがね、私の一番好きな場所なの」 


 フィオナは丘から見渡せる村の美しい景色を眺めながら目元を緩めると、シートの上にゆっくりと腰を下ろした。

地面といえど草の上は存外座りが心地が良く、加えて眺めの良いこの場所は、いつだって長居をしたくなる。

本来であれば心の赴くままに旋律を奏でているところだけど、さすがに今日はお預け。

フィオナは隣でカイが腰を下ろす所作を見届けると、バスケットから手拭きと水筒、ピクニックカップを二つ取り出した。

今日はこれからますます気温が上がるだろうと、氷を多めに入れてきた水筒からは、カランカランと涼しげな音が聞こえてくる。


(それにしても……)


 手を拭き、水筒からアイスティーを注ぐ間、ふと脳裏によみがえったのは先程までの出来事。

信じられないことに此処へ辿り着くまで、つまりこの小高い丘を登り終えるまで、カイはフィオナを抱き上げたまま一度も降ろしてはくれなかったのだ。

もちろん気恥ずかしくて何度も降ろして欲しいと懇願をしたけれど、彼はかぶりを振りつつ心配だからの一点張り。

いくら専属護衛騎士だからといって、少々過保護過ぎやしないだろうか。

自分がジークフリートの婚約者だから特別なのだろうか。

そう、自問自答している間の極度の緊張と動悸の激しさといったら、一種のめまいを覚えたほどだ。

けれど、そんな自分の慌ただしい感情など微塵も気付かないであろうカイは、なんとも涼し気な表情で、息一つ切らしてはいなかったけれど。


「はい、どうぞ」


 カイに向かい、手拭きとアイスティーが淹れられたカップを差し出す。

すると彼は柔らかな笑みを浮かべ、「ありがとう」と受け取ると、相も変わらず綺麗な所作で皮手袋を外し、丁寧に手を拭き始めた。

さすがは厳しい訓練を経て、様々な環境に耐えうる体を持つ騎士と言うべきか。

この初夏のような陽気の中、詰襟の制服を着用し、今しがた自分を抱き上げたまま丘を登ってきたとは思えない落ち着きようだ。

その一方で、ただ運ばれてきただけの自分は額にじんわりと汗を滲ませ、すぐにでも冷えたアイスティーを一気に飲み干したい気分だと言うのに。


「はぁ……」


「……どうした。暑いのか?」


「え?」


「顔が赤い」


 カップを手に、気遣わし気にこちらを見つめるカイと、ふと目が合う。

確かに言われてみれば、体が熱い。

けれどこれは陽気のせいではなく、先程までの出来事を思い返したせい。

とはいえ、そのことを素直に伝えられるわけもなく、フィオナは「大丈夫だよ」と軽く目元を緩めると、カイにアイスティーを飲むよう促した。

その刹那、大きな手のひらが目の前に近づいたかと思えば、ひんやりとした感触が額に優しく触れる。


「熱は、ないみたいだな」


 穏やかな声で、ほっと安堵の吐息を漏らしたカイと、手のひら越しに視線が重なり合う。

吸い込まれるような深紫色の瞳は優しく細められ、滑らかな黒髪は時折吹く風にふわりとなびいている。

きっとカイにとっては何気ない気遣い。

けれど、まだ異性との触れ合いをよく知らないフィオナにとって、不意に見せる彼の優しさは、どう反応すればいいのか分からなくなる。

だから今もこうして、言葉を呑み込み、ただただ翠玉色の瞳を見張ることしかできないでいる。


「疲れたんだろ、ほら」


 その胸の内を知ってか知らずか、カイはゆっくりと額から手を離すと、おもむろにカップを差し出した。


「え、でも、カイの方が……」


「俺は慣れているから大丈夫だ」


「でも」


「いいから」


「……うん。ありがとう」


 ここまで言われたのなら、受け取らないわけにはいかない。

フィオナはふわりと頬をほころばせると、両手でカップを受け取り、ゆっくりと口元へ運んだ。


「美味しい……」


 よく冷えたアイスティーは火照った体にすっと染み渡り、自然と吐息が漏れる。

その上、先程から吹き抜ける涼やかな風も相まって、とても気持ちが良い。 


「少しは気分、良くなったか?」


 やや間を置いて、再びカイが気遣わし気にこちらを見つめる。


(本当は、カイの方が疲れているはずなのに……)


 フィオナは笑みを浮かべ「うん」と頷くと、今しがた飲んだカップを傍らに置き、もう一つ用意をしたカップにすぐさまアイスティーを注いだ。


「はい。今度はちゃんとカイが飲んでね」


「あぁ、ありがとう」


 カイは可笑しそうにカップを受け取ると、言われた通りにゆっくりと喉を潤し始めた。

その様子を見つめつつ、ようやっとフィオナも安堵の吐息を漏らすと、ふと頭に浮かんだのは、バスケットに所狭しと詰め込まれた手土産の存在。

マドレーヌ、ディアマン、フィナンシェ、フロランタン、パウンドケーキと種類を上げればきりがなく、バスケットに入れる際にはどれを持ち出すのか迷いに迷い、挙句、そのまま詰め込んできたのだ。

今思えば、甘いものには疎いと話していたカイのことだから、店員に勧められるまま購入をしたのかもしれない。

途端、自然と頬が緩む。


「ねぇ、お菓子も一緒に……」


 そう、フィオナが口を開いた矢先、突如カイの大きく広い背中が視界を遮る。


「カイ?どうし――」


「静かに。このまま俺の背後から顔を出すな」


 カイは体勢を低く保ちつつ、フィオナを背に庇うと、ぴりっと緊張をはらんだ声色で注意を促すと共に、即座に皮手袋を装着した。

するとものの数秒で、数頭の馬が疾走する爪音が、遠く離れた場所から聞こえ始める。

視界が遮られ、突然の出来事に上手く状況が掴めないでいるものの、その蹄の音は遠乗りのような穏やかなものではなく、まるで地響きのように物々しい。


「フィオナ、急いでこの場から離れるぞ」


「え?」


「このままゆっくりと背後へ下がれ。荷物をまとめ次第、転移を使う」


「ちょっと待って、何があったの?」


「いいから、早く」


「……っ」


 これまでの優しい声色とは打って変わり、やや厳しく、焦りを滲ませた言葉遣い。

フィオナもこの尋常ではないカイの様子にぐっと言葉を呑み込むと、言われた通り、広げた荷物を急いでバスケットに詰め込む。

その間も、カイは押し黙ったまま一切背後を振り向くことなく、一心に前方を注視し続けている。


「終わったよ」


 低い体勢のままバスケットを抱え、小声で呼びかける。

するとカイは素早く立ち上がり、背後で座り込むフィオナを軽々と抱き上げると、瞬く間に転移の陣を足元に浮かび上がらせた。

有無を言わさず再びお姫様抱っこの状態。

けれど今はそんなことを言っている場合ではない。


「大丈夫だ」


 たった一言、カイが囁くように言葉を紡ぐと、やがて二人の体は眩い光に包まれて、その場から跡形もなく消えていった。 

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