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神様に愛された私たち  作者: シルヴィア


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21/24

ある晴れた日に

 慌ただしい歓迎会から一夜が明けた翌日。

この日は朝から天候に恵まれ、すっかり春らしく暖かな陽気。

庭木の枝には春を告げる白と桃色の花が咲き乱れ、甘い香りに誘われた鳥たちがどこからともなくやってきては、チチチと嬉しそうにさえずっている。


 着任二日目のカイがベルンシュタイン家を訪れたのは、フィオナ達が朝食を食べ終えて、しばらく経った頃。

初日に予定よりも早く到着をし、困らせてしまったと自省していた彼は、今度は予定時刻ちょうどに玄関のベルを鳴らした。



「おはよう、フィオナ」


 扉を開けるとすぐさま耳に響いた、低く凛とした声。

春の暖かく穏やかな風に漆黒の髪をなびかせながら、カイは柔らかな笑みを浮かべると、胸に手を当て軽く騎士の礼をおこなった。

眩しい日差しの下、制服をぱりっと着こなし、腰にはいかにも重そうなブロードソードを携えるその凛々しい立ち姿は、それだけで様になり思わず見惚れてしまう。

きっと帝都では行き交う人々からすれ違いざまに熱い視線を送られていることだろう。

けれどカイのことだ。

そのような好奇の眼差しなど微塵も顧みることなく、颯爽と通り過ぎていくに違いない。

まだ出会って間もない間柄けれど、不思議と容易にその情景が目に浮かんだフィオナは、なんだかそれが可笑しくて、「ふふ」と声を漏らした。


「ん?どうした。今日はえらくご機嫌だな」


 その様子を不思議に感じたのか、すかさずカイが問い掛けるも、その面持ちはとても穏やかで温かい。

  

「うぅん。なんでもないよ。おはよう。今日も一日よろしくね」


 フィオナは花がほころぶように微笑むと、そっとワンピースの裾を持ち、ふわりと可憐なカーテシーで挨拶を返した。


「……」


 けれどその直後、どういうわけか不意にカイから視線を逸らされてしまう。

騎士の礼に(なら)い、フィオナなりに挨拶を返したつもりだったけれど、どこか間違えていたのだろうか。


「えっと、私の挨拶、どこかおかしかった?」


 やや不安に駆られ、小声で問い掛けると、カイはすぐさま視線を戻し、心なしか慌てた様子でかぶりを振った。


「いや、そうじゃない。そうじゃなくて、だな……」


「うん」


「その、なんというか……」


「うん」


「……」

 

 そこでカイは言葉を詰まらせると、「こほん」と一つ咳払いをし、ふと優し気に目元を緩めた。


「今、着ている……そのワンピース」


「え?」


「……よく、似合ってる……」


「……っ」


 たどたどしくも、穏やかに紡がれた賛美。

その不意に発せられた言葉に、フィオナの体はみるみるうちに熱を帯びる。


「あ、ありがとう!」


 あまりの照れ臭さ、というよりは気恥ずかしさに思わず声が上ずる。

というのも実はこのワンピース、ジークフリートからの贈り物だったので内心は飛び上がるくらい嬉しい。

蒼天のようなパウダーブルーの生地に、白い小さな花柄模様。

春らしいフレアースリーブとカシュクールの胸元に、ウエストシャーリングが女性らしい印象を感じさせる少し大人びたデザイン。

贈られてきた当初はまだ肌寒く、加えてこれまで選んだことのないデザインになかなか勇気が持てず、クローゼットに仕舞いこんだままだったのだ。


「実はこれね、ジークフリート様からのプレゼントなの」


 フィオナは頬を染めながら満面の笑みを浮かべると、カイの前でくるりと回ってみせた。

少し長めの裾が、ふわりと風になびく。

袖を通すまでは勇気が必要だったこのワンピースも、身に着けてしまえば不思議と自信が湧いてきて、少しだけ大人になれた気分になる。


「今度、着ている姿を写真に撮って、お手紙と一緒に送ろうかな。なんたってカイのお墨付きだもんね」


 以前では考えられないような言葉が、自然と溢れる。 

するとカイは春の爽やかな風に髪をなびなせながら、「あぁ」と頷くと、優しく目元を細めた。






「今日はな、昨夜の礼も兼ねて手土産を持ってきたんだ」


「手土産?」


 フィオナが視線を向けると同時に、カイは持参していた可愛らしい二種類のバッグを差し出した。

一つは白いケーキ箱が入れられたフロストバッグ、もう一つは上品なエメラルドグリーン色のペーパーバッグ。

一目でパティスリーのものとわかるそれをフィオナは反射的に受け取ると、途端、焼き菓子の芳ばしい香りとチョコレートの甘い香りが鼻孔をくすぐった。


「これ、チョコレートケーキとお菓子?」


 視線を落としたまま問い掛けると、すぐさま「さすがだな」と笑いを含んだ声が返ってくる。


「ケーキの方は確かオペラと言ったか。で、そっちは焼き菓子の詰め合わせ。……甘いもの、好きだろ?」


「うん、大好き!わざわざ買ってきてくれたの?」


 嬉しさのあまり目を爛々と輝かせ顔を上げると、カイは可笑しそうに肩を揺らした。


「はは。まぁな。ただ俺は正直そういうことに疎いから、選んだのはまた別の人間だけどな」


「別の人間?」


「閣下だよ。あの人、甘いものに目がないだろ?」


「閣下!?……あ、そっか!」


 そういえば以前、パティスリー巡りが趣味だからと、感想をしたためた手帳を見せてくれたことがあった。

丁寧に色を塗られたスイーツのイラストと、びっしりと感想が記されたそれは、もはやレシピなのではと見紛うほどの出来栄えだったと幼心に覚えている。

その彼が勧めるパティスリーならば、さぞや名の知れたお店に違いない。

フィオナは期待に胸を膨らませ、ケーキ箱の上に貼付された店名が記されているであろうシールに目を向けた。


「えっ?」


 けれど、その期待は想像を遥かに超えるもので、フィオナはそのパティスリー名を見るや否や、目を丸くする。

そこに記されていた名は【レーブ・ド・ボヌール】。

"幸せな夢"という意味を持つそのパティスリーは、帝都の一等地に店を構え、数々の賞を総なめにし、誰もが知る超有名店。

それは辺境に住むフィオナでさえ聞き覚えがあるほどだ。


「え、あの、ここ!」


 興奮気味にギフトバッグの持ち手を握り締める。


「ん?」


「ここね!いつも人が並んでて、午前中には売り切れちゃうって!なんとかって凄い賞をたくさん獲ってて、つまり、えっと、ものすっごく有名なお店なんだよ!?」


 高揚のあまり言葉がちぐはぐになってしまったけれど、とにかくこの感動と感謝を伝えたい。 

けれどその熱量とは相反して、カイは亜然とフィオナを見つめると、やや間を置いて、「あぁ」と冷静に呟いた。


「大勢並んでいたのは、そういうことか」 


「……まさか、知らなくて行ったの?」

 

「閣下が『手土産にするなら是非この店にしろ』とうるさかったからな。でもまぁ、フィオナの喜んだ顔が見られたんだ。並んだ甲斐はあったな」


 片手を腰に当て、満足気に笑みを浮かべるカイの言葉に、フィオナはぎょっと目を丸くする。


「……並んでまで買ってきてくれたの?」


「あぁ」


「わざわざ?カイ一人で?」


「いや、閣下も一緒に」


「閣下も一緒に?」


 一体どういう状況なのだろうと、驚きのあまり鸚鵡(オウム)返しになる。

けれどその時、フィオナの脳内ではパティスリーの前で列を作る多くの女性達の間に、屈強な騎士二人が並ぶ情景が鮮明に浮かび上がる。

もちろん実際に見たわけではなく、あくまで想像なのだけれど、そこで無性に笑いが込み上げてきたフィオナは、つい「ふふ」と声を漏らした。


「まさかそこまで喜んでもらえるとはな。……また買ってきてやるよ」


「え、本当?やったぁ!ありがとう!」


 勝手に想像をし笑ってしまったことは内緒にして、フィオナは喜色満面に礼を述べる。

するとカイもまた穏やかな声で「どういたしまして」と微笑んだ。



 

 


 



「今日はお天気が良い分、ちょっと暑いね」


 じっとしているだけでじわりと汗が滲むような陽気の中、フィオナはカイを連れ立ち、自宅から徒歩十分ほどの距離にそびえ立つ大樹を目指し歩いていた。

遡ること数分前、お菓子の礼と村の案内も兼ねてカイに何処へ行きたいか尋ねたところ、返って来た答えは『フィオナの一番好きな場所』。

そこですぐに思い浮かんだ場所というのが、幼少期から通い続けてきた小高い丘にそびえ立つ大樹だったのだ。

元々ベルンシュタイン家は村の外れに家を構えており、舗装されていない田舎道を少し歩けば辿り着けるその場所は、周りに家屋や人影がなく、見えるものと言えばせいぜい遠くでのんびりと草を食む牛くらい。

つまりは退屈な場所なのだけれど、神聖力が発現し、その行使について口酸っぱく言われ続けてきたフィオナにとっては、人目をはばかることなく自由に力を扱えるその場所はまさしく聖地であり、一番好きな場所なのである。


「後もうちょっとで着くから。荷物、持ってもらってごめんね」


 フィオナは額に滲んだ汗をハンカチで拭くと、隣でバスケットを持つカイに向かい気遣わし気に声を掛けた。

バスケットには手土産でいただいた焼き菓子と、アイスティーが淹れられた水筒、カップ、手拭き、大人二人分が座れる広さのピクニックシートが入っており、それほど重くはない。

けれどそれとは別に、彼は護衛のために重厚感のある大剣を携えているのだから、やはり申し訳ないと思う。


「俺は構わないが、それよりもフィオナは大丈夫なのか?疲れたなら抱き上げてやろうか?」


 カイはにやりと悪戯めいた面持ちで口元を緩めると、「ほら」と片手を差し出した。

こういう時の美男子の破壊力と言ったら質が悪い。

途端フィオナの体はぽっと熱くなり、ただでさえ燦燦と降り注ぐ日差しのせいで暑いというのに、このままでは本当にのぼせてしまいそうだ。


「え?な!大丈夫だよ!それよりも、誰も彼もそんな甘い台詞言ってると勘違いされちゃうよ!」


「失礼だな。誰もに言うわけないだろ」


 途端、カイがむっと顔をしかめる。


「え~本当に?カイは優しいから、知らないうちに修羅場になってたって経験、ない?」 


「ないない」


「ふ~ん。それじゃあ今度、ジークフリート様にお手紙で聞いてみよ~っと……わぁっ!」


 可笑しそうにカイを一瞥した矢先、不意に視界がぐらりと揺らぐ。

それが田舎道特有の小さな穴に足を取られたと気付いた時には、すでに前のめり状態。

いつもなら気を付けて歩くはずが、今日に限って注意散漫だったらしい。

倒れてしまうと咄嗟に両手を前に出し、衝撃に耐えようと、ぐっと体に力を込める。

しかしその瞬間、倒れるはずのフィオナの体は地面に触れるどころか、そのまま強い力で背後へ引き寄せられる。


「っと、大丈夫か?」


「う、うん……」


 何が起こったのか理解する間もなく、気付いた時にはすでに逞しい腕の中。

心臓がばくばくと脈打ち、呼吸が乱れるも、どうやらカイが瞬時に片腕を伸ばし抱き留めてくれたとのだと気付く。

彼の素早い判断と反射神経がなければ、今頃は派手に転び怪我を負っていたかもしれない。

フィオナは抱き寄せられた体勢のまま、微かに安堵の息を吐くと、途端、触れ合うカイの胸元からも少し早い鼓動が聞こえ始めた。


「はは。ちょっと驚いたな」


 笑いながらも「はぁ」と呼吸を整えるカイの所作に、彼もまた焦ったのだと分かり、申し訳なさでいっぱいになる。


「ご、ごめんなさい……」


「気にするな。それよりも怪我がなくて良かった」


 囁くような優しい声。

おそるおそる顔を向けると、すぐさま穏やかな深紫色の瞳に包み込まれる。

注意を促されるわけでも、冷やかされるわけでも、呆れられるわけでもない。

ただただ気遣わし気に、そして安堵の色だけを浮かべる優しい瞳。

先程までの悪戯めいた一面はどこへいってしまったのだろう。

そう思わされるほど一変した彼の雰囲気に、フィオナはただぼんやりと見つめ続けた。


「……フィオナ?」


「あ、ごめんね」


 はっと我に返り、いつまでもこのままではいけないと慌てて体を離す。

するとカイは、フィオナを支えるようにゆっくりと片腕を離すと、その場にそっと立たせてくれた。


「ありがとう」


 振り向き、ふわりと笑みを浮かべ、礼を述べる。

すると間を置かず、カイは「いいか」と持っていたバスケットを差し出してきたので、フィオナは反射的それを受け取ると、「いいよ」と頷いた。

その瞬間、カイは何を思ったのか突然その場で体を屈めると、瞬く間に両腕で軽々とフィオナを抱き上げた。


「!?」


 あれよあれよという間に、世間でいうところのお姫様抱っこ状態。


「え、ちょっと、何やってるの?」


「また躓かれたら困るだろ」


「だからって!」


「そのワンピース、気に入ってるんだろ?」


「でも、これは!」


「それに俺が抱き上げて登った方が早い」


「あ……うぅ……」


 まるで反論の余地を与えないように矢継ぎ早に交わされる会話。

加えてあまりの気恥ずかしさに言葉が見つからず、だからといって腕の中で暴れるわけにもいかない。

結局できることと言えば、顔を真っ赤に染めながら、腕の中のバスケットを強く抱き締めることくらい。

それにしてもまさか父親以外の男性から抱き上げられる日がくるなんて。

そもそもカイに対し特別な感情を抱くことはないけれど、それでもやはり胸の中は騒がしい。


(私、ジークフリート様と触れ合うどころか、まだ手すら繋いだことないのに……)

 

「ほら、行くぞ」


 フィオナの心の内を知ってか知らずか、カイは楽しそうに声を弾ませると、視線の先に見える小高い丘へ向かい颯爽と歩き始めた。

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