歓迎会
フックス邸のエントランスホールを抜け、正面玄関の扉を開けると、外はすっかり夜の帳が下りた世界。
ここは少し小高い場所に位置しているため、温かな光に包まれた国境の街がよく見渡せる。
今日は週末ということもあり、いつにも増して行き交う人々の流れが賑やかさを増し、どこの店も多くの客で活気付いているようだ。
そこは一見して平和そのものの世界。
しかし、多種多様な人々が出入りをする以上、大なり小なり問題は起こるものだ。
故にそれらを排除すべく、国境警備兵と街の衛兵、そして帝都から派遣される帝国騎士団が目を光らせているわけだが、だからこそ違和感を持たざる得ないのは先程の賊の存在。
辺境伯へ謁見するにはあまりにも不相応な男にも関わらず、それを平然と招き入れたアドラーと執事。
あの男もまた例の計画とやらに関与をしている可能性は大いにあるのだが、憶測の域を出ない以上、こちらからは事を起こせない。
「あー……分からん」
さすがに疲れ果てた頭では何も浮かばない。
ルーカスは頭をガシガシと掻きながら独りごちると、「はぁ」と深い溜め息を漏らし、愛馬を迎えに屋敷の厩舎へ向かった。
「シルヴァーノ、待たせたな」
ルーカスが厩舎に入り呼びかけるや否や、すぐさま反応を示したのは、一番手前に繋がれた一頭の茶褐色の雄馬。
シルヴァーノと呼ばれたその馬は、「ブルルッ」と一声鳴くと、近付いたルーカスの顔に甘えるように頭を擦り寄せた。
騎士団時代では共に戦場を駆け抜け、フェルネ村では妻と娘を背に乗せ走り、人懐っこく甘えん坊だが怖いもの知らずの一面も持ち合わせる長年の心強いパートナー。
ルーカスは目元を緩めながらシルヴァーノと共に厩舎を出ると、鐙に足を掛けひらりと跨り、温かな明かりが灯る街とは反対側の暗い夜道へ向かい走り出した。
視線の先には、遠く微かに映るフェルネ村の温かな灯り。
その灯りを見据えながら、ルーカスは無意識に唇をぐっと結んだ。
これからのことを考えるだけで気が重く、不安ばかりが募り、溜め息が漏れ出る。
穏やかな日々が変わっていくことはもちろん、護衛騎士を何人配備しようが、愛おしい家族の身に危険が及ばないとは言い切れない。
(一昔前の俺だったら、何も考えずに着々と任務を遂行したのだろうが……)
バターブロンドの髪をなびかせながら、「はぁ」と軽く息を吐き、雲一つない晴れた夜空をふと見上げる。
そこは宝石のようにキラキラと瞬く星々が夜空一面に散りばめられ、煌々と輝く白銀の月が、まるで暗く落ち込んだ心を照らしてくれているようだ。
ルーカスは脳裏に浮かんだ家族の笑顔に目元を緩ませると、視線を戻し、気持ちの赴くまま前傾姿勢を取った。
今はただただ愛おしい妻と娘に早く会いたい。
会って思い切り抱き締めたい。
ルーカスは益々募る気持ちを抑えることなくシルヴァーノを加速させると、月夜の道をフェルネ村へ向かい疾走した。
(許可をしたとは言え、どうしたものか)
時計が午後六時半を指し、そろそろ空腹を感じ始める頃。
どういうわけかフィオナから部屋で独り待機を命じられていたカイは、仕方なしに本棚から小説を手に取っては、パラパラとページを捲っていた。
本来であれば自宅の中であろうと護衛対象から目を離すべきではないのだが、フィオナがあまりにも必死に懇願をするものだから、根気負けをしてしまい今に至るのだ。
無論そうは言っても、何も策を講じずにただ了承したわけではなく、絶対的な自信がある故に今こうしているわけなのだが。
(それに、リビングにはリルがいる)
あの賢い獣は、もし異変が起これば何よりもまずフィオナ達を守ろうとするだろう。
カイは扉越しに時折聞こえ漏れる親子の楽しそうな会話に耳を澄ましながら、手に持っていた本を棚へ戻した。
「ん?」
その時、ふと目に留まったのは本棚に置かれた美しいアンティークの宝石箱。
その技巧を凝らした細工の美しさに見覚えがあるカイは、宝石箱をそっと手に取ると、懐かし気に目を細めた。
(使っていてくれたんだな……)
この宝石箱は、かつてジークフリートが騎士団の任務で遠征に行った際、たまたま立ち寄った町のアンティークショップで見かけたものだ。
その細工の美しさとデザイン性に惹かれ、迷うことなく購入をし、フィオナへ贈ったものなのだが、どうやら傷ひとつなく新品同様の状態を見るに、とても大切にしてくれているのだろう。
蓋を開けると、美しい旋律がゆったりと流れ始め、中にはジークフリートからの手紙が何通も折り重なり保管されていた。
「これ以上、待たせるなよ……ジークフリート」
カイは消え入るような声でぽつりと呟くと、そっと宝石箱の蓋を閉じた。
(カイ、喜んでくれるかな……)
時計の針が午後七時を指す頃、リビングでは食欲をそそる匂いがふわりと漂い、早速お腹の虫が鳴き始める。
思いの外準備に手間取ってしまい待たせてしまったけれど、きっとカイなら喜んでくれる。
何故なら今夜は彼のサプライズ歓迎会。
急遽決めたこととは言え、やるからには思い切りもてなしたい。
けれど、その準備を内密に進めることがこれほどまでに大変だとは思いもしなかった。
そもそも彼は護衛騎士として此処へ来ているわけで、常に行動を共にすることが大前提なのだからそれは仕方ない。
とは言え、その中でも特に大変だったのが夕食の買い出しと、その後。
さすがにテーブルセッティングから見られてしまっては意味がない。
ならばどう誤魔化そうかと必死に頭を捻るも、これと言って良い案が思い浮かぶはずもなく、結局は部屋で待機というお願いをする他なかったのだけれど。
(まさかそのお願いをちゃんと聞いてくれるなんてね)
フィオナは「ふふっ」と頬を緩ませると、期待を胸に、部屋で独り待ちくたびれているだろう本日の主役を迎えに行った。
「これは……」
ダイニングへ来るや否や、カイは目を見張り感嘆の吐息を漏らした。
ダイニングテーブル敷かれた美しいロイヤルブルーのクロス、各席には丁寧に磨かれたシルバーのカトラリーとワイングラスとテーブルナプキン。
卓上に揃えられたそのどれもが洗練された一級品で、ルーカスとマリーが特別な日に通っていた帝都のリストランテと同じものだそうだ。
そしてこれら全ての調度品を、閣下が二人の結婚祝いにと帝都の職人に作らせ贈ってくれたというのだから驚きだ。
「凄いな」
そして何よりカイを驚かせたのは、母渾身の料理の数々。
フェルネ村特産の牛ほほ肉を使った赤ワイン煮込みと、オニオンスープ。
生ハムのサラダに、村のベーカリーで一番人気のパン・ド・カンパーニュと、茸のクリームパスタ。
そのどれもが食欲をそそる香りと湯気を立たせ、思わずごくんと生唾を飲み込んでしまう。
ちなみに食後のデザートには、季節のフルーツシャーベットとガトーショコラの生クリーム添えも用意されているけれど、それはまた後ほど。
「まるでリストランテのフルコースだな。今日は誰かの誕生日か何かか?」
カイは驚き目を見張ったまま、「自分も何か手配をすべきだったか」とフィオナに問い掛けた。
「うぅん、違うよ!実はね……今夜はなんと、カイの歓迎会なんだよ~!いえ~い!ようこそ~!」
声を弾ませ盛大に拍手をすると、キッチンで洗いものをしていたマリーも手を止め、同じように笑みを浮かべながら拍手を送った。
パチパチと歓待の温かな音が鳴り響き、途端、ダイニングには朗らかな空気が流れ始める。
「歓迎会?俺の?」
驚きつつ、どこか気恥ずかしそうにフィオナを見つめるカイの様子に、どうやらサプライズは無事成功したらしい。
フィオナは満足気に笑みを浮かべ頷くと、やったねと、母へ目配せをした。
「フィオナがね、どうしても貴方の歓迎会をしてあげたいって」
「フィオナが?」
「えぇ、それもサプライズで。ほら、お買い物の時に、お肉とお魚はどちらが好みか聞いたでしょ?あの時も内心はハラハラしてたのよ?」
「そうでしたか」
「それに、帰ってからが本当の勝負だったから、貴方をどうやってダイニングから遠ざけようか本当に悩んだわ。ね?」
マリーは可笑しそうに笑みをこぼすと、二人の会話に耳を傾けるフィオナに視線を向けた。
「俺も帰宅早々、フィオナから部屋にいて欲しいと頼まれた時は正直焦りましたが、まさかその全てが俺の為だったとは微塵も気付きませんでした」
「ふふっ、なら成功ってことね。……さぁ、お料理が温かいうちに始めましょう。フィオナ、主役を席に案内してあげて?」
「はーい!じゃあ、主役のカイはここに座ってね!」
フィオナは明るく返事をすると、爛々と目を輝かせながらダイニングチェアを引き、カイに向かい微笑んだ。
「ありがとう」
カイは照れくさそうに腰の剣を手に持ち替えると、促されるまま着席をし、目の前に並べられた豪華な料理に再び感嘆の吐息を漏らした。
(良かった。とっても喜んでくれてるみたい。後はリルにもご飯を準備してって……あれ?)
無事大役を終え胸を撫で下ろしたフィオナは、リビングのソファを見つめるや否や、きょとんと動きを止めた。
その視線の先には、ゴロンと仰向けの状態で心地良さげにすやすやと寝息を立てているリルの姿。
カイを呼ぶまでの間は一切眠ることなく、ソファの上で微動だにせず一部始終を見つめていたはずなのに、ついに待ちくたびれてしまったのだろうか。
せっかく薄味で作られたリル専用プレートも用意していたのだけれど、あんなにも気持ちよさそうに寝入っていては起こすのも忍びない。
(目が覚めたら一緒に食べようね)
フィオナは頬を緩めながら視線を戻すと、カイの隣の席にゆっくりと腰を下ろした。
「なぁ、フィオナも一緒に作ってくれたのか?」
着席するや否や、不意にカイが問い掛ける。
「私?」
「あぁ」
「私は……」
言いかけて、ふと言葉を詰まらせる。
そういえばテーブルセッティングを整えたのは自分だけれど、料理に関してはほぼ母任せだ。
強いて言うならパンを切り分け、サラダを盛り付け、出来上がった料理をテーブルに並べたくらい。
「パン……。サラダ……?」
料理を見つめながらぽつりと答えると、間を置かず隣から「そうか」とカイの返事が聞こえてくる。
「ならパンとサラダを初めに頂こうかな」
「どうして?」
「フィオナが作ってくれたから」
「え?」
どういう意味かと目で訴えるも、その答えを聞く間もな今度はマリーがキッチンから食前酒についてカイに尋ねたため、会話はそこで一旦中断。
二人が飲酒についてやりとりをする中、フィオナは先程の会話の意味を一人悶々と考えてみた。
(もしかして、ジークフリート様の婚約者なら料理ができて当たり前とか?手始めにその腕前を確認したいってこと?)
そういえば二人は兄弟のように仲が良いと言っていた。
彼が今回専属に任命された背景に、実はフィオナの家事能力の調査が含まれていたのだとしたら。
出会った瞬間に気を失い、睡眠中には大きな寝言。
そしてここにきて露呈した家事能力の皆無。
このままでは『病弱で家事力もなく、寝言だけは人一倍うるさい村娘』と報告をされかねない。
「申し訳ございません」
不意に耳に届いたカイの声に、フィオナははっと我に返る。
「任務中の飲酒は控えておりますので、お気持ちだけありがたく頂きます」
「あ、そうね。それじゃあまた機会があれば一緒に飲みましょう」
「えぇ、是非」
一通り会話を終えたカイは軽く頭を下げると、持ち替えていた剣をテーブルにゴトッと立てかけた。
「カイ、あのね!」
「ん?」
こちらに視線を向けたカイを真剣な眼差しで見つめ、胸の前で両手をぎゅっと握り締める。
「私、誰にも恥じないような立派なお嫁さんになるから、今日のことはジークフリート様には内緒にしててね!」
「?」
呆気に取られるカイを他所に、フィオナは決意を新たに意気込むと、いただきますと思い切り両手を合わせた。