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トリガー

 夕刻に差しかかり、西の空が美しいグラデーションに染まり始める頃。

ポツポツと温かな光を灯し始める街灯と、次第に賑やかさを増す人々の流れ。

国境検問所から一番近い場所に位置するここ辺境の街は、古くから貿易と交易の要の街として栄えており、このように夕刻時になると、多種多様な人々が長旅の疲れを癒そうと立ち寄るのだ。

宿屋に併設をされたバルでビール片手に呑み比べを始める屈強な男達。

新鮮な山の幸を使用した料理が振る舞われるトラットリアで舌を唸らせる商人。

街一番のパン屋では大きな紙袋を抱えた旅人が退店し、その前を今にも落ちてしまいそうな大量の積み荷を載せた馬車が通り過ぎて行く。

どこもかしこもわいわいと活気付き、温かな雰囲気が溢れるこの辺境の街。

しかしその治安が日々守られているのは、偏に国境警備隊と帝国から派遣される帝国騎士団、彼らの尽力に他ならない。








「まったく、帝都の奴等ときたら!都合の良いときだけ私に頼りおって!……あぁ、もうこんな時間じゃないかっ!くそっ!あれもこれも全て奴らのせいだ忌々しい!」


 部屋の主であるアドラー・フックス辺境伯は、執務室から外に響き渡る怒声で愚痴を喚き散らすと、仕上げとばかりに執務机の上で山積みにされていた書類を思いきり床へばら撒いた。

  

「フックス公……本日はもうお休みになられては如何ですか?」


 また始まった。

毎度のことだが、こんなに息巻いて疲れないのだろうか。

護衛として執務室の入り口で待機をしていたルーカスは、一通りアドラーの機嫌が落ち着くまで静観を続けると、折を見てようやく口を開いた。

従事し始めた当初、アドラーの癇癪持ちには手を焼かされたものだが、五年も経てば日常茶飯事。

そして裏を返せば、感情に身を任せるこの男は心の内に入り込めさえすれば存外扱いやすく、今では自分を最側近のように常に傍に置くようになったのだ。


「俺でよければ話を聞きますよ?」


 主人の暴走に眉ひとつ動かすことなく、ルーカスはおもむろに膝を突くと、ふかふかの絨毯の上にばら撒かれた書類を黙々と拾い始めた。


「はぁ……。もうやってられん」


 アドラーはその様子を一瞥し、大きく溜め息を吐くと、本革張りの執務椅子をギッと回し、大きな窓から茜色に染まる街並みを眺め始めた。

 

「……辺境伯とはなんて割の合わない役職だろうか……。命を賭して国境を護り、誰よりもこの帝国に貢献をしているというのに、それがさも当たり前のように賞賛の一つも浴びることはない。挙句の果てに、気付けばここぞとばかりにこき使われる始末だ」


 その間、ルーカスは押し黙ったまま書類を拾い集めると、ようやく最後の一枚を手に、ゆっくり立ち上がった。


(正直、彼の言いたいことがまったく理解できないわけではない)


 ルーカスとて騎士団に所属をしていた頃、辺境の状況を全て把握していたかと問われれば、答えは否だ。

ばらばらに重ねられた書類を一旦執務机の上に置き、とんとんと端を揃える。

するとアドラーもまた平静を取り戻したのか、先程とは打って変わり落ち着いた声で心境を吐露し始めた。


「結局のところは面倒事を押し付けられているだけさ。なぁ……誰が望んで自身の命が狙われる場所へ行こうと思う?特に帝都の奴らはこの辺境で起こる現状など目もくれず、最も安全な場所で自分達の理ばかりを考えている。それこそ心地の良いぬるま湯のような生活だ」

  

「そのぬるま湯のような生活も、全ては貴方のおかげだと言うのに」


 一言添えつつ、揃えた書類を机の端に置く。

このアドラーという男、代々辺境伯の家系ながら帝国に対する不平不満は驚くものだ。

無論、ある程度は把握済みだったのだが、ここ最近目に見えて激しい。

彼の身辺で何か変化が起こった場合に備え、常に注意を払い続けてきたが、これといって心当たりはない。

ルーカスは思索に耽りつつ、いまだ外を眺めるアドラーを見据えていると、途端、椅子をくるりと回し、冷ややかな笑みを浮かべるアドラーと視線が重なった。


「そうそう聞いたぞ、ルーカス。お前、シュヴァイツァーから娘を差し出せと迫られたんだって?難儀だな」


「……はい?」


(今、何と言った?差し出す?フィオナを?)


「ふん。隠さなくてもいい。退役し、晴れて自由の身となったお前を、今度は娘を使い縛り付ける。挙句の果てに毎日護衛騎士が自宅を見張るとは。……あれは護衛と言う名の一種の監視だろ?全て君が断れないと踏んでの所業、さすがシュヴァイツァー、傲慢で狡賢く身勝手な男だ」


 次から次へと出てくるヴィクトールへの悪態に、ルーカスは呆気に取られ、目を丸くする。

一体どこからそんな根も葉もない噂が流れ出たのか。

そもそもこの婚約は双方が納得し、正式に陛下の前で認められたものだ。

あまり公にはしたくないという我々夫婦からの申し出により、一部の人間にしか伝えていないという例外的なものではあるが。

おそらく用心深いアドラーのことだ、自分を雇うにあたり身辺調査でもしたのだろう。

しかしまぁ、よくよく考えてみれば、婚約に対しぐいぐいと攻めてきたのはヴィクトール側であり、あながち間違いではないのかもしれない。

途端に『おいおい』と呆れ顔のヴィクトールが目に浮かぶが、自分と彼が仲違いしていると思わせた方が結果的に好都合なのではないか。

ルーカスは微かに息を吐くと、「そうなんですよ」と憂いを滲ませ、頷いた。


「もちろん俺は何度も断りましたよ。ですが騎士団長(グランドマスター)に物申せるのは、この世に陛下くらいですからね」


「哀れな男だルーカス。思慮深い君からすれば、さぞ胸が痛むことだろう」


「まぁ、見ての通りこのざまです」


「ふん。奴は何かと力尽くで押し通すからな。だから気が合わん」


 アドラーは吐き捨てるように悪態を吐くと、おもむろに机に両肘を突き、ルーカスをまじまじと見据えた。

背後の窓からは、茜色だった空が次第に紫へ変化し、より一層街の明かりが煌々と目立ち始める。


「ルーカス……私はな、今だから話せるが、もしかすると君はシュヴァイツァーの密偵なのではと訝しんだ時もあった」


 刹那、どくんと脈打つ鼓動。

けれどルーカスは微塵もその表情を変えることなく、口を噤んだまま目の前の男を見つめ続けた。


「しかしそれは杞憂だった。この五年間、君は本当に優秀であり真面目であり、今ではその存在が無くてはならないほどになった」


「大変有難いお言葉、感謝致します」


 一瞬肝を冷やしたが、存外悪くない流れだ。

ルーカスは胸に手を当て騎士の敬礼をすると、アドラーは満足気に頷き、ふと笑みを浮かべた。


「それに君は帝国騎士団の副団長だった男だ。多くの極秘任務を遂行してきた故に、その守秘義務を厳守することには特段慣れている。そうだろう?」


「何を仰りたいのか分りかねるのですが……」


「あぁ、申し訳ない。では単刀直入に言う。ルーカス、君を私の長きに渡る計画の協力者に推薦したい」


「…………」


 先程とは比べ物にならないほど、早鐘を打ち始める鼓動。

ルーカスは無意識に姿勢を正すと、おもむろに両手を背後に回し、ぐっと力強く組む。

そしてこの瞬間から自分が発する一言一句、表情と態度、声色を含むその全てが怪しまれないよう平静を装う。

 

「計画の協力者?それはどういう――」


「旦那様、約束のお客様がお見えです」


 しかしこれからという時に、突如来客を告げるノック音と共に執事の声が廊下から聞こえ、アドラーはすぐさまルーカスから扉へ視線を移した。


「あぁ、分かった。だがもう少しだけ待ってくれ」


「かしこまりました」


 返事と共に執事の足音が遠くなると、アドラーは執務室の大時計を一瞥し、再びルーカスへ視線を戻した。


「時間だ、ルーカス。先程の話の続きだが、君の返事も含めまた改めて話そう。……無論、今の件は全て他言無用だ」


「……心得ております」


 ルーカスの言葉にアドラーは小さく頷くと、「もう帰っていいよ」と机の端に重ねられた書類を片付け始めた。

確かにこれ以上、この件に対し踏み込むにはあまりにも時期尚早だ。

とは言え、ようやくアドラーの信頼を掴み、進み始めた事態。

もしもこの場に誰も居なければ、小さくガッツポーズくらいはしてしまいそうだ。

そう、心の中で逸る気持ちをなんとか抑えた込んだルーカスは、丁寧に一礼し、扉へ向かい踵を返した。


「あー……それから」


「はい?」


 不意に呼び止められ、振り向く。

すると、どういうわけか先程とは一変した気難しい面持ちで、引き出しに施錠を掛けるアドラーが目にうつる。


「君のところの護衛騎士なんだがな」


 アドラーはそう口を開くと、執務机を指でトントンと打ち鳴らし始めた。


「どうやらフックス家の護衛に奇襲をかけたらしいんだよ」


「奇襲……ですか?」


「まったく。シュヴァイツァーは主人がああいう輩だからか血の気が多くてかなわん。以後気をつけるよう十分言い聞かせといてくれ」 


(あの冷静で優秀なシュヴァイツァーの騎士が、奇襲だと?いやいや、ありえん)


「それは……ご無礼を働き申し訳ございませんでした」


 どうも腑に落ちないと心の中で怪訝に思いつつも、今は謝罪が優先だろう。

ルーカスはすぐさま姿勢を正すと、騎士の礼をおこなう。

しかしアドラーは目を合わせることなく、ふんと鼻を鳴らすと、執務机の電話で執事に連絡を取り始めた。

本音を言えば詳細を問いたいところではあるが、また書類をばら撒かれでもしたら面倒だ。

ルーカスは微かに溜め息をもらすと、再び一礼をし、早々に執務室を後にした。

 









 長い廊下を歩いていると、ほどなくして主に呼ばれたであろう執事が一人の男性客と歩いて来るのが見えた。

先代からフックス家に仕え、アドラーを幼少期から知るというこの老執事は物腰が柔らかく、ルーカスを見るや否やすぐさま傍へ駆け寄り、皺だらけの目元を細め、穏やかなしわがれ声と共に一礼をした。


「これはこれは、ベルンシュタイン卿。本日も任務、大変お疲れ様でした」


「ありがとうございます。本日は少し早いのですが、お先に失礼させていただきます」


 この執事のことを存外気に入っているせいか、彼の前では無条件で頬が緩む。

けれどルーカスは、執事の背後からゆっくりとこちらへ歩み寄る客人を見るや否や、思わず目を見張った。

その男は薄汚れた衣類に泥だらけの靴、髪はボサボサで強烈な体臭が漂い、誰がどう見ても辺境伯の客人というには相応しくない身なりだったからだ。

加えて男はギラギラとした視線を放ち、体臭に交じり微かな鉄と血の匂いを感じさせる。

それは戦場で常に漂っていたものと同じであり、ルーカスの体の奥底からは、ぞわっとした不快な感情が込み上げてきた。


(この男……)


 ルーカスは表情を微塵も崩すことなくその男に一礼をすると、すれ違いざまに背後へ回り込み、その両腕を掴み、背中に押し付け、自身の体重で一気に床へ押し倒した。

それは誰もが気取ることのできない一瞬の出来事。

執事もまた声を発する間もなく起きた異変に、ただただ驚愕の表情を浮かべ、眼下でうつ伏せになる男とルーカスを見下ろすばかりだった。

 

「ぐわっ!?いてててて!あぁ?なんだテメェ!いってぇなこら、離しやがれっ!!」


「貴様、刃物を隠し持っているな」


「……っ!?うお、待て待て!これは護身用だって!俺はフックスさんに用があって来ただけだ!おい、執事さんよ!黙ってないでさっさとこの男をどうにかしてくれ!」


 男は力任せにバタバタと暴れながら懸命に執事を呼ぶも、ルーカスの鋭い眼光と圧に当てられたのか、執事はその場から微動だにできずにいた。

その間もルーカスは力を緩めることなく押さえ続けていると、騒ぎを聞きつけたのか、他の使用人達が何事だと次第に集まり始めた。


「暴れるな。大人しくしろ。お前が執事を脅し、屋敷に侵入した賊の可能性も否定できん。まずはフックス公の判断を仰いでからだ」


「はぁ?そんなわけねぇだろっ!いだだだだっ!!」


「少し黙ってろ」


(拘束するより失神させた方が良かったか)


 ルーカスは男の腕をぐいっとひねりつつ、執事にアドラーを呼ぶよう声を掛ける。

周囲では徐々に集まる使用人達と共に混乱が膨らんでいき、ついには悲鳴までもが飛び交い始めた。


「べ、ベルンシュタイン卿……。その方は正真正銘、旦那様のお客様です……」


 雑踏の声に紛れるように、執事の弱々しい釈明が入る。


「そうだ!いいかげん離せ馬鹿野郎がっ!あだだだだ!」


「はぁ?お前みたいな来客があってたまるか」


「ルーカス、待て待て!」


 焦燥に駆られた聞き覚えのある声にルーカスがはっと顔を上げると、守られるように数名の使用人達に囲まれたアドラーが、執務室から慌てて小走りでこちらへ来る様子が見て取れた。


「いやぁ……はぁ……。まさか鉢合わせるとは……。すまないルーカス、彼はれっきとした私の客人だ。離してやってくれ……はぁ……」


「……!それは申し訳ない。失礼をした」


 ルーカスは目を見張り、すぐさま謝罪をすると、腕の力を緩め、男の背から離れた。

見れば押さえつけた男の手首には赤黒い痣が残っており、

咄嗟のこととはいえ、随分と力加減を誤ってしまったと自省する。


「本当に、申し訳なかった」


 謝罪を述べ、倒れ込んだままの男に手を差し出す。

しかしその手はパシッという音と共に激しく振り払われると、男はルーカスの前でゆらりと立ち上がり、ブツブツと悪態を吐きながら乱れた衣類を整え始めた。

その間も怒りを抑えられないのか歯を食いしばり、ふーふーと荒い呼吸を繰り返し、ルーカスを睨みつけている。


「止めておけ。お前が敵う相手じゃない。そもそもお前がそんな身なりだから勘違いをされるんだ。ほら、以前買ってやった一張羅はどうした。ん?次からはきちんと風呂に入り、それを身に付けてから来るんだ。いいな?」


「……あぁ」


 アドラーが慣れた様子で窘めると、男は大きく息を吐きながら頷き、やがて執事に促されるように執務室の方へと歩いて行った。


「皆、騒がせてしまい申し訳なかった。もう大丈夫だ。各自持ち場へ戻ってくれ」


 アドラーが声を張り、パンパンと手を鳴らすと、周囲の使用人達は皆首を傾げながらも素直に持ち場へ戻って行った。


「ルーカス。此度は私の配慮が足らず申し訳なかった。彼は見ての通り私の客人なんだが……まぁ、あの身なりだと怪しまない方がおかしいか。それにしても相変わらずの腕前だな。うん、なんとも心強い」


 アドラーはルーカスの肩にぽんと手を置くと、「ご苦労様」と一言労いの言葉をかけ、何事もなかったかのように踵を返す。


「……お疲れ様でした」


 釈然としない一騒動に、ルーカスは怪訝な面持ちのまま一礼をすると、執務室へ戻る主人の背をじっと見送った。


(あれは客人などではない。戦闘慣れしている賊だ)


 ならば何故、そのような者が平然と辺境伯邸を出入りできているのか。

彼もまた先程聞きそびれた長きにわたる計画とやらに関係しているのか。

とは言え、これ以上の詮索はこちらとしても危うい。


(どちらにせよ、今は閣下に報告をすることが先決だな)


 ルーカスは人知れず吐息を漏らすと、やがて踵を返し、その場を後にした。

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