表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/23

夢の中で  

 深く、深く、落ちていく―――。



 微睡む意識の中、柔らかな風が甘い香りを乗せ、ふわりと頬を撫でる。

ゆらゆらと、瞼越しに感じる眩い光に睫毛を震わせ瞳を開けば、そこに映るのは大樹の隙間から差し込む温かな木漏れ日。


(……ここは……)


 まだぼんやりと寝ぼけ眼のまま、フィオナはゆっくりと体を起こすと、途端、目の前に広がる景色に息を呑んだ。

見渡す限り地表を覆い尽くす満開の花々と、その上を優雅に舞い踊る幾千もの花びら。

辺りには浅霧のような雲がゆるやかに漂い、とてもこの世のものとは思えないほど幻想的で美しい。

甘やかな風に誘われ空を見上げれば、そこには雲一つなく、淡い藍色がどこまでも続いている。


「……私、いつの間にか寝ちゃってたみたい……」


 フィオナは独りごちると、ふぁぁと欠伸をし、うんと背伸びをした。

つい先程まで脳裏をかすめていた小さな違和感は、いつとはなしに消え去り、今はただただ目の前の景色に頬をほころばせる。

すると花畑の上を舞い踊っていた風が、途端、まるで戯れるようにフィオナの元へ幾枚もの花びらを運んでくると、次々とフィオナの髪に纏わせ始めた。

美しい艶やかなオレンジブラウンの長い髪に添えられる花びらは、まるで可憐な髪飾りのよう。

フィオナはそのうちの一枚を手に取り見つめると、傍らに置かれていた作りかけの花冠に目を落とした。

濃淡の花々で編み込まれた花冠には神聖力が宿り、微かに温かな光を放っている。

それを繊細なガラス細工のように丁寧に持ち上げると、束の間じっと見つめ、やがて小首を傾げた。


「あと何色を添えれば良いのかしら?」


 人知れず囁くように紡がれた言葉。

するとその言葉に呼応するかのように、フィオナの周りを吹き抜けていた風は、再び満開の花畑の上を吹き抜け始める。

淡い藍色を背景に、色鮮やかな花々がひらひらと風に舞う光景は、言葉では言い表すことができないほど美しく、そして神秘的だ。

その優美なひとときを目元をほころばせながら見守っていると、その風は数種類の花を乗せ、再びフィオナの元へ舞い降りた。


「わぁ……ありがとう!」


 目を輝かせながらそっと手を差し出すと、その上に数輪の花がそっと降りてくる。

フィオナは手のひらの上に舞い降りた小さな命に感謝し、ゆっくりと翠玉色の瞳を閉じると、僅かな神聖力を花々に注ぎ込んだ。


「また新たな命として、生まれ変わっておいで……」


 囁くように言葉を紡ぎ、再びゆっくりと瞳を開くと、そのまま慣れた手つきで花冠の中へ丁寧に編み込んでいく。

やがて出来上がったのは、まるで小さな花畑のような可憐な花冠。


「美しいわね……」


 目を輝かせながら満面の笑みを浮かべ、感嘆の吐息を漏らす。


「本当に飽きもせず、よくやる」


 不意に耳に届いた低く凛とした声。

はっと顔を上げると、そこには優しい笑みを浮かべながら、自分を覗き込む一人の男性の姿。


「いつから見ていたの?いたのなら声を掛けてくれれば良かったのに……」


「えらく集中をしていたからな。……それに、真剣な眼差しの君を眺めるのも、中々悪くなかった」


「……もう」


 益々目元を緩め、慈しむような笑みを浮かべる彼の視線がなんだかくすぐったくて、フィオナは思わず手元の花冠に目を落とした。

気の遠くなるような長い年月を共に過ごしてきた彼だけど、こんな風に愛おしそうに見つめられると、時折どうすればいいのか分からなくなる。

体中がじんわりと熱を帯び、トクトクと次第に早まる鼓動。

頬をピンク色に染め、俯いたまま、もじもじと意味もなく花冠に触れていると、やや間を置いて、隣で腰を下ろす気配を感じた。


「とてもよく出来ている。……本当に好きなんだな」


 感嘆の吐息と共に紡がれた賞賛の言葉に、ふと顔を上げる。

そよそよと心地の良い風になびく白銀の長い髪。

吸い込まれそうな美しい黄金色の双眼は穏やかに細められ、フィオナを包み込むように優しく見つめている。


「なんだか、改めて褒められると照れてしまうわね。……貴方も一度やってみたらいいのに」


「いや、遠慮しておくよ」


「どうして?」


「私は君のように器用ではないからな」


「別に上手に作らなくてもいいのよ?」


「きっと君を驚かせてしまう」


「ふふっ、なにそれ……」


 以前から何度か誘うも、その度にことごとく断り続ける彼。

ただ楽しんでくれれば良いのにと、フィオナは完成した色鮮やかな花冠をそのまま彼の頭に乗せてみた。

色彩豊かで、少し大きめの花弁が添えられた花冠は、彼の美しい白銀の髪によく映える。


「まるで花の妖精みたい」


 すると突然、男性はフィオナを自分の胸元へ優しく引き寄せると、その逞しい両腕の中に閉じ込めた。

頬を寄せた彼の胸元からは、トクントクンと、少しばかり早い鼓動が聞こえてくる。

常に冷静沈着で、大人びた雰囲気を漂わせている彼。

けれど二人きりの時は、こんなふうに積極的で大胆で、心のままに甘えてくる。

それは他の誰にも見せることのない、自分だけが知る彼の可愛い一面。

フィオナは途端嬉しくなり、笑顔をほころばせると、そのまま甘えるように彼の胸元に思いきり頬を寄せ、そっと瞳を閉じた。

髪に優しく触れる彼の温かな手のひらと、自分を包み込む愛おしい匂いに、心が幸せで満ち溢れる。


 こうして二人は、暫くの間言葉を交わすことなく、穏やかで甘やかな時間を過ごした。 








「私ね……面白い夢を見たの」


「夢?」


「うん。ちょっと曖昧なんだけどね、私が人間の女の子になって、優しい両親と一緒に暮らす夢」


「両親……。そうか……」


「うん。ほら、私達って人間みたいに親とか家族とかって概念がないじゃない?だからとっても新鮮で。……あ、そういえば、部屋の本棚にたくさんの書物が並んでてね、私ったらそれを時間を忘れちゃうくらい夢中で読み耽っていたの。確か……騎士の物語だったような……。ふふっ、それにしても、なかなか興味深い夢だったわ。あ、他にもね……」


 思い出すだけで心が躍り、自然と笑みがこぼれる。

フィオナはその後も、声を弾ませ、夢の中の出来事を次々と語り続けた。

その間、男性は一度も言葉を挟むことなく、けれど時折相槌は打ちつつ聞き続けた。

やがて話が終わるや否や、男性はおもむろに自分の頭から花冠を外すと、フィオナの頭にふわりと乗せ換えた。


「それはなんというか、複雑だな」


「複雑?どうして?……あ、ちょっと動かないでね」


 小首を傾げながら男性を見つめていた矢先、花びらが数枚、彼の髪に取り残されていることに気付き、そっと手を伸ばす。

すると男性は何を思ったのか、不意にフィオナの伸ばした手を引き寄せると、同時に腰を抱き、優しく触れるような口づけを落とした。


「ん……」


「……その夢の中に私は?」


 触れた唇が離れた瞬間に紡がれたのは、甘い吐息と少しばかり嫉妬を滲ませた声。

その拗ねたような口調と表情は、正直に言うと、とても可愛い。

そこで微かに悪戯心を抱いたフィオナは、目元を緩めると、彼の黄金色の双眼を見つめ返し、その頬にふわりと手を伸ばした。


「知りたい?」


「あぁ」


「えっと……どうだったかしら?」


「おい」


 苦笑をしながらも、その優しい眼差しには慈しみと愛情が込められていることを知っている。

だからその優しさに甘えて、少しばかり調子に乗ってしまったのかもしれない。


「そういえば……」


「ん?」


「名前は忘れちゃったけど……。その子、えっと私?には、結婚の約束をした人がいたみたいなんだけど……」


「は?」


 先程までの雰囲気から一変。

途端に男性は不機嫌そうに眉をひそめると、押し黙ったまま視線だけをふいと逸らした。


(あ、ちょっと言い過ぎちゃったかしら……)


 自省し、慌てて言い足そうと口を開いた矢先、彼の逞しい両腕がフィオナの体を強く抱き締める。

刹那、頭上から聞こえたのは大きな溜め息。

これはあくまでも夢の中の話であって、現実ではない。

けれど、思いの外過剰に反応を示すその様に、フィオナは少し悪戯が過ぎたと、まるで子どもをあやすように彼の背をぽんぽんと優しく叩いた。


「ね、最後まで話を聞いて?」


 それでも彼は押し黙ったまま一向に腕の力を緩めようとしないので、フィオナは思わず可笑しくなってしまい、彼の胸元で「ふふっ」と声を出して笑ってしまった。


「大丈夫よ。だって、その相手って――――」




 





   





「……ナ。……フィオ……フィオナ。……フィオナ!?」 



(……フィオナ?……私のな……まえ……?)



 混濁する意識の中、何度も呼ばれ続ける自分の名に導かれるように、重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。

ぼんやりと目に映るのは、見慣れた自室の天井。


(ここは……私の部屋……)


「フィオナ、大丈夫?」


 間を置かず焦燥に駆られた声が耳に届き、そちらへゆっくりと視線を向けると、すぐ傍らでマリーが瞳に涙を浮かべ、身を乗り出すように様子を伺っている。


「おかあ……さん……」


「あぁ、良かった!」


 安堵の吐息とともに優しく頬に触れられ、その指先の冷たさに意識が段々と鮮明になる。


(私、新しい護衛騎士の人と……。あれ……どうしてベッドにいるんだろ……)


 途切れた記憶を思い起こすように、きょろきょろと視線だけを周囲に向ける。


(あ、そうだ)


 ふと目に留まったのは、部屋の壁際で押し黙ったまま佇むカイと、その隣で寄り添うように座り込むリルの姿。


「私……カイさんと……」


「貴方、突然気を失って倒れたのよ。覚えてない?それよりも気分は?痛い所は?」


 焦燥に駆られたように矢継ぎ早に問い掛けるマリーに、慌てて視線を戻し、ふわりと頬を緩める。


「うん、もう大丈夫」


「そう……なら良かった……」


 マリーは安堵の息を吐き、ほっと胸を撫で下ろすと、背後で心配そうに様子を伺うカイに目配せをした。


「それにしても……はぁ……本当に驚いたんだから……。あの時、カイが咄嗟に貴方を抱き止めていなければ、今頃大怪我をしていたところだったわ」


「カイさんが?」 


「そうよ?きちんとお礼を伝えなさいね。……うん、熱はないみたい」


 優しく額に触れるマリーの指先はとても冷たく、それだけでとても心配をかけたのだと反省する。

心の中で「ごめんなさい」と訴え見つめると、マリーはその気持ちを汲んでくれたのか、穏やかに微笑みながらフィオナの少し乱れた前髪を整えてくれた。


「それじゃあ、彼らも待ちくたびれているようだから……」


 マリーはおもむろに立ち上がり、背後で心配そうに様子を伺い続けるカイに向かい一度頷くと、ゆっくりとその場から離れた。

すると入れ替わるように、すぐさまカイが腰に携えた剣の音を響かせながら、ゆっくりとフィオナの元へ歩み寄る。

その傍らでは、ぴたりと寄り添うように付いてくるリルの姿。


「大丈夫か?」


 やや声のトーンを落とし、気遣わし気に問い掛けたカイは、視線を合わせるように、すぐ傍らで片膝を突いた。

その所作にマリーは目を見張り、慌てて部屋の隅に置いてあった椅子を持ってくると、カイにそこへ座るよう促す。


「あぁ、気を遣わせてしまい申し訳ございません。ありがとうございます」


 マリーに礼を述べ、剣を手に持ち替え、椅子に腰を下ろしたカイは、今度は不安気な面持ちでフィオナを見つめた。

その隣では、ベッドに両前足を置いたリルが「きゅんきゅん」と甘えるような声で鳴き始める。


「リル、心配かけてごめんね。……あの、カイさん……助けていただき、ありがとうございました」


「いや、いいんだ。それよりも本当に大丈夫か?」


「はい、もう大丈夫です。カイさんこそ大丈夫ですか?」


「俺?俺は見ての通り何ともないさ」


 カイはほっと安堵の吐息を漏らすと、深紫の瞳を穏やかに緩め、初めて出会った頃よりも更に優しい笑みを浮かべた。


「わんっ!」


 その時であった。

先程まで大人しく利口だったリルが、不意にベッドの上に乗り上がると、フィオナに覆いかぶさる体勢で懸命に体を擦り寄せ始めた。


「ちょっと、リル重たい!やめ……きゃっ!」


 ふわふわの尾を激しく左右に振りながら、顔をベロベロと舐められる。

必死に引き離そうとするも、どういうわけか一向に言うことを聞いてくれない。

「ふんふん」と温かな鼻息を浴びながら、幼獣の頃よりも随分と大きく成長をしたリルの体重はかなり重たい。

いつもよりも過剰に愛情を示す白銀の体を懸命に支えていると、突如マリーの焦燥に駆られた声と共に、リルの体がふわりと軽くなる。

涎にまみれた髪を払い、見てみると、どうやらカイが背後からリルを抱き上げてくれたようで、そこでフィオナは咳き込みながらも思い切り息を吸い込んだ。


「こら、リル!」


 間髪入れず、マリーの厳しい声が部屋に響き渡る。


「貴方はもう赤ちゃんじゃないんだから、フィオナの上には乗っちゃ駄目っていつも言っているでしょう?言うことを聞けないんだったら、今日からフィオナとは別々の部屋で寝てもらうからね!」


 まるで悪戯っ子を叱りつけるように、マリーは腰に手を当て嗜めると、すぐさまその言葉を理解したリルは、カイに抱き上げられたまま耳と尾をしゅんと垂れ下げた。

誇り高く人に慣れないはずのフェンリスヴォルフとはあまりにもかけ離れているその姿。

フィオナ達にとって日常茶飯事であるこの光景も、カイにとっては目を見張る光景だったのだろう。

けれどその驚きは、すぐさま笑いへと変わり、カイはリルを抱き上げたまま肩を揺らし始めた。


「ははっ。……いや、本当に賑やかで素敵なご家族ですね。これからの毎日が楽しみでなりません」


 その言葉にフィオナは嬉しいやら恥ずかしいやらで、思わず顔の上まで布団を引っ張り上げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ