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諦めの悪い男

 夕刻を過ぎ、山脈の向こう側へ次第に沈んでいく夕日と茜色に染まる空。

微かに草の香を纏い吹き抜けていく風は昼間よりも冷たく、立春といえどもまだ寒い。


「今日は久しぶりにお前達と語ることができ、大変有意義な時間だった。本来ならばマリーとフィオナの帰宅を待ち帰城すべきなのだが、事は一刻を争うからな。二人にはまた改めて便りを出そう」


「ありがとうございます。俺からもそう伝えておきます」


 ルーカスはバターブロンドの髪をなびかせながら目元を緩めると、買い物へ出掛けた二人と一匹がやがて帰路に就くであろう道を眺めた。

鮮やかな夕暮れ色に染まる道には男二人の長い影が伸び、その脇に広がる草原はまるで海の水面の様にさわさわと揺らめいている。


「ここから眺める分には、あんなにも美しいのにな……」


 遠く連なる国境山脈の方角を眺めながらヴィクトールが不意に呟く。

ルーカスもまた自然と彼の視線を辿ると、目に映るのは夕焼け空を背景に次第に影が落ちる山脈と、ポツポツと温かな光が灯り始める国境の街。

日頃から見慣れているはずのこの風景も、彼のその一言に含まれる意味を汲むことによって、まったく違うものに見え始める。


「さて、ルーカス。我々は今後立場が違えど同じ任務にあたる同志だ。またよろしく頼む」


 振り向きざまにヴィクトールは片手を差し出すと、ルーカスは反射的に直立姿勢になり、その手をぐっと握り締めた。

陛下の恩義に報いることもできぬまま退役をし、その後悔の念を抱きつつ今日まで過ごしてきたルーカスにとって、今回の申し出はまたとない好機であった。


「仰せのままに」


 ルーカスは一言呟くと、感謝と忠誠の意を含めた騎士の敬礼をしようと手の力を緩めた。

しかし突如、強い力でぐいっと引き寄せられ、驚きで目を見張る間も無く黄金色の瞳に捉われる。


「ずっと気になっていたんだがな……この衣服の破れと血の痕は何だ。色からして然程時間は経っていないようだが、どういうわけかお前の肩には一切負傷した形跡が見当たらない。……まさかとは思うが、お前の身近に癒しの力を使える者がいるのか?」


「……っ」


 どくんと激しい衝撃が全身を駆け巡る。

どうにかして平静を保とうにも、次第に早鐘を打ち始める鼓動に呼吸が乱れる。

腕をぐっと掴まれたまま決して激しく責め立てられるわけでもなく、低く落ち着いた声色で問われるこの状況が返って恐怖を駆り立てる。

ルーカスはまるで金縛りにあったかのように微動だにできずに、ただただ押し黙ったまま、その鋭い双眼を見据え続けた。


「それからフィオナが抱いていた仔犬。あれはフェンリスヴォルフの幼獣だろ?フェンリスヴォルフは帝国の保護観察対象であり、一般家庭での飼育は認められていないはずだが、よもやお前がその事を知らなかったとは思えんのだが……」


 ひゅっと息が止まる。


(まさか……リルのことまで……)


 戦場において自身の心の内を隠し、戦い抜くことを常時求められてきたルーカスにとって、感情を押し殺すことなど造作もない。

けれど、家族のこととなると話は別だ。

否、そもそもこの男の前で隠し事など、初めから不可能だったのかもしれない。


(だが、それでも……)


「……確かに、あの子犬はフェンリスヴォルフの幼獣です。以前、辺境付近の森を巡回中に瀕死のあの子を見つけ、やむなく自宅へ連れ帰り、応急処置を施したことが始まりです」


「自宅へ?何故そこですぐ城に連れてこなかった」


「一刻を争う状況下で、入城の手続きをする暇はないと判断したからです。いくら俺が元副団長とはいえ既に退団をした身。すぐに城内へなど、無理を押し通すわけにもいかないでしょう?」


「それは、そうなんだが……」


「もちろん回復次第、森へ返す手筈でした。しかし俺に恩義を感じたのか、気付いた時にはすでに主従契約を結ばれた後でして……」


「ちょっと待て、お前、今なんと言った?フェンリスヴォルフと主従契約だと?」


 途端ヴィクトールは驚愕の表情で声を荒げると、やや間を置いて、口をぽかんと開けたまま握り締めていたルーカスの手を離した。

彼がここまで驚くのも無理はない。

何故ならば今紡いだ言葉は、帝国史のどこにも記されたことのない、いわば御伽話に近いものだったからだ。

もしも自分が同じことを他人から伝えられれば、まず間違いなく耳を疑うだろう。


「……はははっ!」


 不意にヴィクトールの派手な笑い声が響く。


「お前、それは建国神話の読み過ぎだろ!……いいか?彼らは賢くプライドが高く、神の遣いと崇められる神獣だ。その神獣が神聖力を持たないただの人間と契約を交わし、あまつさえ生活を共にするなど聞いたことがない。つくならもっとマシな嘘をつけ」


「困惑されるのも無理はないかと。当初、俺もかなり気が動転していました。ですが契約されたことは紛れもない事実であると受け止め、正式に我が家へ受け入れることにしたのです」


(本当はここまで話すつもりは無かったが、この人の前で下手な小細工は通用しない。ならば怪しまれない程度に端折って……)


「それからこの肩の件ですが、ちょうど回復薬を持ち歩いておりましたのですぐに処置が出来、その後すぐに閣下がお見えになったため、着替えることを失念しておりました。お恥ずかしい限りです」


 ばくばくと鳴り響く鼓動に息苦しさを感じ、握り締めた掌では尋常ではない汗が滲み出る。

それでも今この場を一歩も引いてはならない。

フィオナのこれからの未来のため、そしてリルも含め我々家族の未来のために。


 

 この世界で稀有な力とされる癒しの源【神聖力】。

その力は神からもたらされたものとされ、神聖力が発現した者は神の代弁者として帝国の保護対象となり、その身柄はすみやかに大神殿へと連れていかれる。

また大神殿での生活は最重要機密事項として帝国により厳しく管理がなされ、副団長であるルーカスでさえ知ることは叶わなかった。

ただ一部公表されているものとしては、俗世と切り離された状態、つまり身の回りの世話を担う神官以外との関わりを全て断たれ、ひたすら専門の教育を受けさせられるのだそう。

そして残された家族には、その恩恵として一生遊んで暮らせる莫大な資産が与えられるという。


 フィオナの神聖力が発現したのは七歳の時。

つまりフィオナにとってもベルンシュタイン夫妻にとっても、神聖力との付き合いはまだ浅く、なにもかもが手探りの状態であった。

とはいえ最低限の知識を持っていた夫妻にとって、力が発現した瞬間、脳裏に浮かんだのは幼い娘との別れ。

無論二人にとってそのようなこと到底容認できるものではなく、その日から現在に至るまでフィオナを守り抜こうと懸命に隠し通してきたのだ。

 

  

「それよりも閣下、そろそろ帰城されたほうがよろしいのではないですか?このような状況下で、陛下のお側を長時間離れるというのは……」


「安心しろ。皇室騎士団長を控えさせている」


「ですが何か不測の事態が起こってからでは……。こちらのことは俺に任せてください。さぁ、帰城のご準備を」


「…………」


 黄金色と翠玉色の双眼がぶつかり合い、ぴりりと空気が張り詰める。


「……ははっ」


 しかしそれも束の間。

途端にヴィクトールが可笑しそうに笑い始めると、「いやいや」と顎に手を当て、目元を緩めた。


「相変わらず強情な奴だ。お前くらいだぞ?私の圧に気圧されないのは」


「何年間、貴方の側近を務めたとお思いですか」


「確かにな。まっ、お前のことだ。悪いふうにはならんだろ。そもそも今日は任務ではなくプライベートで来ている。お前との会話はひとまず私の中に留めておくとしよう」


「……恐れ入ります」


「それにしても今日は世話になったな。マリーとフィオナにもよろしく伝えておいてくれ。……ではな。また会おう、友よ」


「はい。次からはもう少し早めにご連絡を下さると助かります」


 その言葉にヴィクトールは目を見張ると、額に手を当て、悪戯めいた表情を向けた。

何をやっているのかと呆れ顔で見つめていると、間を置かず足元に転移魔法陣が浮かび上がる。

やがて眩い光がヴィクトールの全身を包み込み、ルーカスが胸に手を当て頭を下げると同時に、突然の来訪者は帝都へと帰って行った。


「はぁ……。これからどうしたものか……」 


 長い長い緊張の果てにやっと解放をされたルーカスの体は、たちまち激しい疲労感と片頭痛を引き起こした。

冷たい夕刻の風に身を任せ、一人その場で思索に耽るも、疲労困憊(こんぱい)の頭にこれ以上名案が浮かんでくるわけがない。


「……取りあえず、二人を迎えに行くか」


 眉間を指で押さえながら大きく溜め息を吐いたルーカスは、既に薄暗くなってしまった道を、市場へ向かい歩き始めた。










「ねぇ、見て!これ全部私のだって!」


「なんだか、気を遣わせちゃったわね……」


「いいんだよ、このくらい」


 夕食を終え、和気あいあいと笑い声に包まれるベルンシュタイン家のリビング。

ここではヴィクトールからの大量のお土産を今しがた並べ終えたばかりであった。

三人の目の前に広がる所狭しと並べられたお土産は、どれも送り主のことを十分に思いやり選定された一級品ばかりであった。


 マリーには帝都で流行りの菓子店の焼き菓子の詰め合わせに高級茶葉。

皇室御用達の食器にカトラリーセット、流行を取り入れた最新の調理器具などが詰め込まれていた。

ルーカスには以前彼がよく通っていた鍛冶屋の新作の長剣と短剣・弓矢・槍などの武器一式。

自分の好みをよく捉えた素晴らしい打ち物に自然と顔が緩むルーカスだったのだが、よく見るとその中にどういうわけか釣り道具一式が紛れ込んでおり、首を傾げた。

 

「わぁぁ~見てみて!可愛い!」


 ひと際大きな声で喜ぶフィオナのお土産には、帝都で有名なブランドの子供服がこれでもかと詰め込まれており、その金額を知るマリーが思わず手で口元を覆うほどであった。

女児の服など無縁であろうヴィクトールが売り場で懸命に選んだのかと思うと、なんだか頬が緩んでしまう。

しかしその洋服の山の中にひっそりと紛れ込んでいた一通の封筒を目にした瞬間、ルーカスの表情は一変する。

まるで隠されるように同梱されていたその封筒は、すぐに開封できるように封蝋で留められておらず、差出人は言うまでもなくヴィクトールであった。


(なんだ……この妙な胸騒ぎは……)


 大抵こういう予感というものは的中することが多い。

それならばフィオナが中身を把握するよりもまず先に自分が確認をし、大した内容でなかった場合はそのまま渡そう。

幸いフィオナは洋服に夢中でまだこの封筒の存在に気付いていない。

マリーと楽しそうにお喋りをする娘を横目に、ルーカスは素早く封筒を抜き取ると、そそくさと部屋の隅に移動した。


「あれ?お父さん?なにそれ、お手紙?」


 びくっと過剰に反応をしてしまう。


「ん?いや、これは、別に大したものじゃないよ」


「あー!それ、『フィオナへ』って書いてある!お父さん勝手に読んじゃダメ―!!」


 フィオナは慌てて立ち上がると、ルーカスからさっと手紙を取り上げ、その場ですぐに開封をした。


「あっ、こら」


「だって私のお手紙なんでしょ?」


 声を弾ませながら、小さな手が取り出したのは、一枚の便箋と三枚の写真。


「この人……誰?」


 その写真に写っていたのは、白銀に輝くサラサラの短髪と、父親譲りの黄金色の瞳を持つ容姿端麗な少年。

一枚目はシュヴァイツァー邸のエントランスにて、仏頂面のまま視線を逸らし、あからさまに無理矢理撮られたであろう写真。

二枚目は図書館の窓辺に座り、本を持ったままうたた寝をしている写真。

そして三枚目は訓練場で剣を握り締め、汗を流しながら稽古に打ち込む様子を捉えた写真であった。


「この人、せっかく写真を撮ってもらってるのに全然笑ってないね。面白い人だね」



 そう言いながら笑うフィオナの背後から、マリーが写真を覗き込む。


「あら?ねぇ、ルーカス見て。この子じゃない?閣下の言っていたジークフリート君って。……最後に見たのは何才の頃だったかしら……こんなに大きくなって……」


「なっ!あぁ、くそっ!閣下の諦めの悪さを失念していた!普通、土産の中に写真を仕込むか?」


「まぁまぁ……。それよりもフィオナ。この写真の人がジークフリート君なんですって。とても格好いい人ね」


「……うん」


「マリー、余計なことを言うな。どうせ向こうから断ってくるに決まってる。ならとっととその写真を送り返せ」

 

 不機嫌を露わにルーカスがちらりと視線を向けると、そこにはどういうわけか沈黙したまま写真を一心に見つめる娘の姿。

その表情からはうまく感情を読み取ることはできないが、相手に興味を持ってしまったことには変わりない。

なんだかそれが無性に面白くないルーカスは、ふんっと鼻息荒く腕を組むと、隣で微笑むマリーにこそっと耳打ちをした。


「何度も言うが、何故フィオナなんだ。まだ七歳だぞ?彼の周りにも令嬢はたくさんいるんだろ?俺は絶対に認めないからな」


「でもほら、出会いはどうあれ、後は二人が決めることじゃない?それに貴方が言うようにまだ七歳なんだし、今すぐどうこうなるわけじゃないわよ……ね?」


「……それは、そうなんだが……」


 マリーに嗜められつつもやはり納得のいかないルーカスは、願わくばこのまま何事も起きませんようにと心の中で祈りつつ、写真を見つめ続ける娘の背をじっと見つめた。

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