ある冒険者パーティーの帰還
ダンジョン。
この世界の各地にある、岩と土でできた迷宮。
ごつごつとした足場の悪い道を、仄暗い松明の灯りだけを頼りに俺達4人は進んでいる。
俺の名はアラン。冒険者パーティー【ブラックライト】のリーダーだ。
剣の腕には多少自信がある。
俺達はいま、人気のないダンジョンの下層に来ていた。
冒険者が日銭を稼ぐには、ギルドでクエストを受注するか、ダンジョン探索の戦利品を売るかしかない。しかし低ランクパーティーの俺達は、報酬の割のいいクエストは受けられない。
俺達は手付かずの戦利品を求めて、何度も危険なダンジョンに潜っては日々の糧としていた。
だが、今日の目的は探索ではない。
「ここで止まれ」
俺はパーティーメンバーに足を止めるよう指示する。
「もうだいぶ奥にまで来ましたね」
「ああ。この辺でいいか」
「なにがですか?」
首を傾げるのは、このパーティーの荷物持ちの少年。
名をムノーと言う。
こんな碌に戦利品も取れないダンジョンの奥までわざわざ足を運んだ目的を知らないのは、こいつだけだ。
「ムノー、お前を【ブラックライト】から追放する」
「ええっ!?」
驚きの声をあげて固まるムノー。
その間抜けな顔を見ているだけで腹が立つ。
「よくわからないがレアスキル持ちだからと荷物持ちにしてやったのに、碌にパーティーに貢献しないお前はお荷物なんだよ」
「そんな……でもなにもこんなダンジョンの奥で」
「ダンジョンの奥だからいいんじゃねえか。おいお前ら!やれ!」
俺が合図をすると、二人の仲間がムノーを押さえつける。俺は剣を抜くと、ムノーの片脚を突き刺す。
鼓膜が破れるほどの悲鳴が、ダンジョン内にこだました。
「ギルドで悪い噂を立てられるわけにはいかない。お前はここでモンスターの餌になりな」
「そ、そんな」
このダンジョンは行方不明者が多く、戦利品も少ないため、まともな冒険者は寄りつかない。
俺達はムノーの松明の灯りを踏み消すと、荷物を奪い取ってその場を後にした。
「待って!待ってよ!置いていかないで!」
「待ってよ!待って………」
「まって……………………」
背後から俺達を呼ぶ声は、次第に聞こえなくなっていった。
────
──
それから1時間後。
俺達はダンジョン中腹のスペースに腰を落とし、休憩を取っていた。
「ッケ!あのガキ最期までウジウジしてムカつくやつだったぜ!」
戦士のバートが肩を怒らせながら悪態をつく。
「ええホントに。でももうあの寄生虫の顔を見なくて済むと思うと清々するわ」
白魔導士のミアは蠅を払うような仕草をした。
やはり皆、あの足手纏いにはうんざりしていたのだ。
俺はリーダーとしての判断の正しさを確信する。
「俺達がいつまでも低ランクだったのは、あの無能が足を引っ張っていたからだ。街に戻ったら、新しい仲間を雇おう」
「賛成〜」
「今度はマシなやつを頼むぜ!」
「さあみんな、あとひと踏ん張りだ!」
俺がそう言って立ち上がったときだった。
『……まってよぉー…まってよおー……』
パーティーに緊張が走った。
暗闇の中から、俺達を呼び止める声がしたのだ。
この声、忘れるわけもない。
ムノーだ。
「ちょっと!?あいつ着いてきてるじゃない!」
そんなはずはない。
あんな脚で松明もなく、歩きの俺達に追いつくどころか、ここまで戻って来れるわけがない。
『……まってよぉー……まってえよぉおー……』
だが、現にあいつの声はゆっくりと近づいてくる。
生存本能のなせる業なのか?
もしも追いつかれたのだとしたら拙い。
ダンジョンの出口まではあと半分ほどあるのだ。
「ッチ!殴り殺してきてやる!!」
喧嘩っ早いバートが、松明を片手に闇の中へと踏み込んでいく。
そうだ。ここで殺してしまえばいい。
なんとなく殺すのは気持ち悪いからとトドメを渋ったのが、そもそもの間違いだったのだ!
「あのガキ!どこにいやがる!」
暗闇からバートの苛立つ声が聞こえてくる。
ムノーを探しているのだ。
かなり離れてしまったが、たいしたモンスターも居ないし問題ないだろう。
だが、しばらくして──。
ぎゃあ!という悲鳴とともに、バートの持っていた松明が消えた。
「……バート……?なにがあった!バート!?」
バートからの返事はない。
その代わりに聞こえてくるのは──
『……まってよぉー…ごぼごぼ……まああってえぇよぉおー……』
声はじわじわとこちらに近づいてくる。
まるで呻き声だ。怨嗟と悲哀をはらんだ声だ。
それによく聞くと声に混じって咳き込むように、なにかを吐くような不自然な異音がしている。
アレはほんとうに、生きた人間の声なのか?
バートは、なににやられたんだ?
冷たいものが背筋をぞぞっと流れ落ちる。
ここにいては いけない
「逃げるぞ」
「えっ、でもまだバートが」
「いいから逃げるぞ!あいつもすぐに追いつくさ!」
俺はミアの手首を乱暴に掴むと、死に物狂いで走り出した。とにかく一刻も早く、ダンジョンの外へ出たかった。
『……まってよぉー……まってえよぉおー……』
おかしい。
これだけ走っているのに、距離が開かない。
俺達は走りながら重い荷物もすべて捨てた。
それでも、声はぴったりとついてくる。
違う。
僅かずつではあるが、近くなっている。
『……まってよぉー……まってえよぉおー……』
『……まってくれぇ…ごぼごぼ…まってぐれえぇえ…』
俺達を呼ぶ声は、いつの間にかふたつになっていた。
ムノーの声。そして、バートの声までもが。
俺達を追ってきていた。
「きゃあ!?」
岩に蹴躓いて、ミアが転倒した。
「ちょっと待って──痛っ──!」
どうやら足首を痛めたらしい。
「待って!アラン!ねえ待って!おいていかないで──!!」
俺が振り返ることはない。
彼女を助けることはない。
罪悪感は、とうに恐怖で上書きされていた。
俺は走った。
追い縋る声を振り払い。
恐怖を振り払い。
ただ走った。
心臓が破れるかと思った。
吐き気が込み上げ、走りながら吐いた。
そうして走って。
走って。
────逃げて。
──────逃げて。
────────逃げて。
──────────やがて光が見えた。
「でぐ、出口だ、やっ、やった、たすっ、かっ」
『まってよぉ』
俺は硬い地面に、したたかに顔を打ちつける。
目の前で火花が散った。
脚首を掴まれたのだ。
「ぎゃああああああああ!!!」
握りつぶされるような激痛が走る。
必死に抵抗するが、振り解けない。
この世のものとは思えないほどの力だ。
剣も松明も途中で落としてしまった。
力の限り蹴りつけるが、ビクともしない。
『……まってよぉー……ごぼ……まってえよぉおー……』
『……まってぐれぇ…まっでぐれえぇえ…』
『……まってぇえ…ごぼぼ……おいていかないでえ……』
「ゆ、ゆるしてくれええええっ!!俺が悪かったあああああああっ!!」
気がつくと俺は、喉が裂けるくらいに絶叫していた。
「すっすまなかったムノー!すまなかった!赦してくれ!お俺を赦してくれ!もう、つっ追放なんてしない!ダンジョンの奥に!お、置き去りなんてしないっ!役立たずなんて言わないっ!心を入れ替える!入れ替えますっ!!ごめんなさいいいいぃいぃ!!」
暗闇の中の相手に向かって、俺は、繰り返し繰り返し頭を下げる。たとえ相手の表情が見えなくても、謝り続ける。恥も外聞もなく、みっともなく泣き叫ぶ。
「だ、頼む!!バートも!!ミアも!!みっみっ、見捨てたわけじゃないんだ!!ムノーがこわかったんだ!!死にたくなかった!!ご、ごめんなさいいっ!!ひいいっ!!」
謝罪。贖罪。
それが、愚かな俺に残されたただひとつの道だった。
「じっ、自首をする!!すべて話す!!罪を償うっ!!赦してくれムノー!!俺がっ!俺がぜんぶっ間違っていましだあああああああああああっ!!」
必死になって謝罪の言葉を述べる。
顔が見えない。話が通じているかもわからない。
だが、俺は助かりたい一心で、幼な子のように謝り続けた。
『…………ごぼごぼ…………』
俺を呼ぶ声が、止んだ。
俺はじっと闇の中を見る。
「ムノー、ムノー……ゆ、ゆるして、くれるのか……?」
そのとき。
たまたま月が雲間から顔を出したのか、洞窟内が明るく照らされた。
そして、凍りついた。
「おまえ
誰なんだ──!??」
ムノーじゃない。
他の二人でもない。
顔面をずたずたに切り刻まれた女が、その長い黒髪を振り乱して、にたにたと嬉しそうに笑っていた。
『まってよぉー…まってよぉおー……ごぼごぼ……まってくれぇー……まってくれぇ…まってえぇ……まって……ごぼごぼ…』
そいつは唇から血の泡を吐き出しながら、犠牲者たちの声を真似していた。
『まってよぉー…まってよぉおー……』
『まってくれぇー……まってくれぇ…』
『まってえぇ……まって……ごぼごぼ…』
『やめてくれ……ゆるしてくれぇ……』