月夜に香る薔薇
「ディアドラ! グレース王女主催の晩餐会の招待状が来ています。出席で良いですか!?」
入室、即用件。
黒髪黒瞳に長身で、凛々しい眉に涼やかな目元、すんなりした鼻筋にかたちのよい唇。衆目を惹きつける容姿に侯爵の肩書まであるレイモンド・ランズバーンは、黙って立っていれば掛け値なしの美丈夫である。
黙っていれば。
(こう……。忙しない方なんですよね……)
今日は実に紳士らしいジャケットにシルクのシャツ、ベストと「侯爵風」の身なりで現れたが、いつも以上に慌ただしい。
花柄の布張りカウチソファに腰かけて本を開いていたディアドラは、柘榴石の瞳で目の前に迫ってきた侯爵を見上げる。
「レイはご存知だと思うのですが、わたくしそういった催しものに、これまで縁がありませんでした。ですので、何かとわからないことも多いかと思いますし、あなたに恥をかかせてしまうのではないかと……」
王国の末の姫というやんごとなき身分にありながら、ディアドラはあまり人前に出たことがない。幼少時に足を痛めて以来、十年以上の長きに渡ってひきこもり生活をしてきた。
そんな自分と、国の要である侯爵が婚約に至ったのは、何かの間違いではないかと今でも思っている。
とにもかくにも顔合わせをと言われて侯爵家を訪ねてきて以来、早三日。友好的な態度で手厚くもてなされているが、まだ油断はしていない。
夫婦のように揃って人前に出て、お披露目をした後の婚約破棄ともなれば、互いに無傷では済まない。
自分は元のひきこもりに戻ればいいだけだが、レイはそういうわけにはいかないのではないか、と。
しかし、黒い瞳を少年のように輝かせたレイは、ディアドラの戸惑いも心配も吹き飛ばすかのように底抜けに明るく言った。
「恥なら一緒にかきましょう! 大丈夫、ディアドラひとりに辛い思いはさせません。こう見えて私はひとに後ろ指さされるような逸話をたくさん持っているんです。まあ、言ってみれは『変人』という類ですね。その方面ではもう落としようがないほど評判落としているので怖いものなんかありませんよ」
ふふっ、となぜか不敵な笑みまで添えて。
ディアドラは得意満面のレイを、少しだけ緊張した面持ちで見つめた。
(困ったわ……。わたくし、あまり男性と接したことがないせいかもしれないけれど、こういう時なんて言えばいいのかわからない……)
評判が地の底というのは、どう控え目に考えても不名誉な告白のような気がするのだが、レイを見ていると何故だかその確信が揺らぐ。もしかして、自分には想像もつかないレトリックをもって、気の利いたことを言っているのだろうか。
そうなのかも、しれない。
「たしかに、わたくしがあなたに会う前に聞いた噂話のようなものは……。『女嫌い』『偏屈』『頑固』という。ええ、そうですね。『変人』の類だったと思います」
瞬きをしながら、切々と言うと、レイは大仰に頷いていた。
「わかります。そうでしょう、私の噂なんか散々です。世間では言いたい放題ですが、それもまた仕方ないことです。正直言えばどうでもいいというか」
ぼそっと呟いた瞬間、珍しく眉を寄せて難しい険しい表情をしていたが、それも一瞬のこと。
すぐににこっと笑みを浮かべる。
「いまみたいな表情でずーっとやり過ごしてきたんですよ。人付き合い。主に縁談」
「二十九歳ですものね、その年齢までかわし続けるのはさぞや苦労だったとは。侯爵ですし」
個人の裁量で「絶対に結婚なんかしない!」と言える身分ではないはず。跳ね除けるには並大抵の変人ぶりでは無理だったと想像はつく。
レイはこほん、と軽く咳ばらいをしてから「もしよろしければ、隣に座ってもよろしいでしょうか」と申し出てきた。
ディアドラの隣は、ひと一人が座るには十分な空きがある。
「どうぞ。わたくしからすすめるべきでした。気が利かなくて申し訳ありません」
「いえいえいえいえ、謝らないで。ありがとう」
ジャケットの裾を払って腰を下ろし、改めてディアドラを見つめてくる。
どことなく照れたような笑顔。十一歳も上の男性に照れられる覚えはなくて、ディアドラとしても反応に困る。
ええと……と気後れしながら声をかけたところで、はあ、と溜息をつかれてしまった。
レイはそのまま目を閉ざし、感極まった様子で呟く。
「今でも夢みたいです。こうしてあなたが私の隣にいるなんて。幸せです……」
噛みしめられている。
(どうしましょう、本当に困る……。そこまで好かれるようなこと、何一つしていないのに)
出会い頭から、レイはまっすぐに好意をぶつけてきた。
人違いではないかと、危ぶむほど。
この出会いが何かの間違い・勘違いだと判明したあと、このひとはどれほどがっかりするのだろうと、心の底からハラハラした。
今でもそのハラハラは続いているのに、レイのディアドラを見る目に変化はない。それどころか、顔を合わせるたびに愛が増し増しに加算されていく気配があって、対応に苦慮している。
あなたが好きなのは、わたくしではないのではないでしょうか?
変人と名高いと本人は言うが、それでも、これまで彼に近づいた女性は多いだろう。身分や財産だけではなく、低い美声も魅力的な容姿もさることながら、何より彼を彼たらしめるこの表情。忙しなさを感じさせるほどくるくると変わって、瞳がきらきらと輝く。
――とにかく優秀な男だし、性格も良い。本人にその気があればもう五百回は結婚している。
ディアドラの兄のエドワードは、レイと寄宿学校時代からの友人同士。
今回の婚約には一役買っているらしいが、その兄が力強く断言していた。
(五百回は盛り過ぎだと思いますけど、「モテ」たのは確実ですよね)
その、国きっての「独身貴族」が満を持して妻にと望んだのが、血筋こそ申し分ないとはいえ、婚約時点では顔も合わせたことがない、十歳以上年の離れたひきこもり姫。
社交界という、噂話が盛大な尾ひれをつけて稲妻のように駆け巡る場においては、いま沸騰中の話題であるのは間違いない。
そんな時勢がわかっていながら、わざわざ出かけるなど、餌食になりに行くようなものではないだろうか。
(しかもよりにもよってグレース王女)
姉である。他国に嫁いでいたが、色々あってこの度出戻ってきた、ディアドラとはたいそう折り合いの悪い姉である。
「晩餐会、本当に、自信がなくて」
どうにか逃げられないものかと、小声で言ってみたが、レイは唇の端を吊り上げてにっと笑い、ディアドラの顔を覗き込んできた。
「自信なんか放っておいても増えません。場数をこなしましょう。大丈夫、私がついている」
「こんな見栄えのしない年下の小娘で、その、本当に良いのでしょうか」
卑屈だな、という自覚はあるが、とても目の前の相手と釣り合う気がしない。膝の上で指を組み合わせてもぞもぞとしていると、レイに穏やかに声をかけられた。
「あなたを妻にと望んだのは私です。王宮から引きずり出したのは申し訳ないのですが、今後は侯爵夫人として振舞って頂くことになるわけです。残念ながら、『私の横で笑っていてくれればそれで』と言うわけにはいきません。であるならば、早めに人付き合いにも慣れてしまいましょう」
微笑みはいつも通りの優しさに溢れていたが。
(何一つ譲歩はしてくれていませんね……!)
婚約を決めたときの強引さはそのままに、彼はどんどんディアドラを今までとは違った世界に連れて行こうとしている。
荒療治にもほどがあると言いたい。けれど、その確信に満ちた笑顔を見ていると、自分にも何かできそうな気がしてくるから不思議だ。
何故彼が選んだのが自分なのだろうと、謎は謎のまま依然としてあるのだが。
* * *
引きこもりなので、ろくなドレスを持っていません。
「侯爵家の威信にかけて誂えましょう」
正直に告げたところ、レイは即座に手を打ってたくさんのお針子を集めて、ディアドラのドレスを仕立てるように依頼した。
あまり首や肩から胸が露出しないデザインで、裾は足がもつれないようにして欲しいという願いを伝えた以外はすべてお任せ。あっという間に晩餐会をはじめとしたお呼ばれ用のドレスが仕上がってくる。
女嫌いで偏屈と言われ続けたレイモンド・ランズバーンは、着々と自分のパートナーのお披露目の準備を進めていた。
彼は本気であり、冗談ではなく結婚するのだ、というのがディアドラにもよく伝わってきた。
何かとうまくいかなかった場合は王宮に帰る手筈だったが、侯爵家での滞在は続いている。
「最近少し忙しくしていまして。あまり時間を作れなくてすみません」
三日ほど顔を合わせていなかったある日の夜、いつも通り慌ただしく部屋を訪ねてきたレイは、開口一番そう言った。
言い終えてから、ディアドラがすでにシルクの寝間着姿であることに気付いて、動揺を露わにする。
「あの、よこしまな気持ちがあって来たわけではないんです。こんな時間に来ておいて、自分でもどうかと思うんですが。ああ……、しまったな。すみません」
片手で額をおさえて、前髪をぐしゃぐしゃにしながら詫びてきた。ドアの前に立ち尽くしたまま、固まってしまっている。
何をもってよこしまと言うかは婚約している間柄である以上難しいところであるが、ディアドラとレイはまだキスの一つもしたことがない。結婚すると盛り上がっている割に、接触をもったのは数えるほど。それも、足の悪いディアドラをレイがエスコートする形がほとんどで、肌に触れるようなものではない。
「お会いできてわたくしも良かったです。ドレスが仕上がってきています。どうもありがとうございます。そのお礼を早く言いたくて。まさかここまでして頂くことになるとは……」
暖炉の前に立って、瀟洒なガラス細工のオルゴールを眺めていたディアドラは、慎重にドアの方へと体ごと向き直る。
足のこともあり、政略の駒にすらならないと厄介者扱いを受けてきた身である。社交的でもない上に、格別若いわけでもなく、女性としての魅力があるとも思えない。そんな自分との結婚を侯爵が決断した以上、せめて王家から持参金の類があったと思いたいが、こうも派手にお金を使わせているのを目の当たりにすると、かえってマイナスになっているのではと心苦しい。
「そこはあなたが気にすることではありません。私の服も一緒に仕立てているんです。連れ立って出るときは、なるべく揃いの意匠でと考えていまして」
レイにはさらりと言われるが、ディアドラとしては返答に困る。
「わたくしも、何か返したいという気持ちでいっぱいなのですが。思いつきません。何をすればあなたの喜びになりますか。男の方がわたくしに何を望んでいるのか、よくわからなくて」
ほっそりとした杖を手に、ゆっくりと部屋を横切ってレイの元へ歩み寄ろうとすると、気付いたレイが大股に距離を詰めてディアドラの正面に立つ。
手を伸ばせば届く距離で見つめ合いながら、参ったな、と小さく呟いた。
「返したいとか、喜ばせたいとか、望んでいるものとか……。もちろん、何もないわけではありません。この期に及んで急いではいませんが、あなたと身も心も結ばれたいとは思っていますし、かなうことなら子どもも生んで欲しいと……」
言いかけて、はっとしたように口をつぐんだ。
杖を握る手に力を込めながら、ディアドラはしっかりと頷く。
「正当な要求であると思います。侯爵家に嫁ぐ以上、子どもを望まれるのは当然ですし、わたくしも出来ることならもちろん。そういった先々のことも考えた場合、社交の場に出て行くというのも覚悟は決まってきました。ただ、いまお伺いしているのはそれとは別です。ランズバーン侯爵として必要としているものというより、レイ、あなたがわたくしに願っていることを知りたいんです」
「私が……」
真意を探るように黒の瞳に見つめられて、ディアドラも見つめ返す。
「あなたの中では納得がいっているようですが、わたくしにはわからないのです。何がこの婚約の決め手なのか。この家に初めて来た日、あなたはご自分の育てた薔薇をわたくしに見せてくださいました。とてもうつくしい……。ですが、わたくし以外にも、あなたの薔薇をうつくしいと思う女性はいるはず。なぜわたくしなのでしょう。そんなに面白い反応ができていましたか?」
ここのところ抱き続けていた疑問を、堪りかねて口にする。レイは目を瞠って聞き返してきた。
「面白い反応?」
ええ、とディアドラは頷いた。
侯爵の身分にありながら、レイは庭師顔負けの技術を擁している。本人曰く「侯爵が副業」というほどに庭いじりに入れ込んでいて、特に薔薇の世話に余念がない。
ディアドラにも、真っ先に自分の薔薇園を案内してくれたほどだ。そして、日々の余白に時間が取れたときは必ずと言っていいほど、薔薇鑑賞の誘いをかけてくる。
どうも、薔薇が決め手らしい、とディアドラも気付きつつあった。
とにかく、レイは自分の手ずから育てた薔薇を見せたいようなのだ。
ディアドラとしても、見るたびに素敵だなと思い、その気持ちを伝えてはきたが、いまいち自分の語彙力や感情表現に懐疑的である。侯爵夫人が、実のところレイの専属薔薇褒め係なら、もっと詩心のある女性がいいのではないか、と気後れし始めた頃だった。
「わたくしなど、何を見ても『素敵』としか言いませんでしょう。最近詩集をたくさん読むようにしているのですけど、すぐには出てこないのです。美辞麗句が。これはレイにとっては予想外の事態ではないでしょうか。レイは、わたくしと薔薇を見て本当に楽しいですか?」
思いつめていて。
本気で思いつめていたせいで、妙な言いがかりになっている気もしたが、言わずにはいられない。
大きく目を見開いて、息も止めているのではないかというほど真剣に聞いている様子のレイであったが、ディアドラが言い終えると顔いっぱいに笑みを浮かべてみせた。
「そんなに努力をしてくださっていたなんて、嬉しい限りですよ……! 私はあなたに薔薇を見てもらえればそれで十分だったんですが。そうだ、今から行きますか? 月が出ているので明るいですよ」
「今から」
レイは即決したらしく、ベッドに歩み寄ると薄いベッドスプレッドをはぎ取って戻って来た。失礼、と声をかけてから、ディアドラをくるりとベッドスプレッドで包みこんで抱き上げる。
きょとんと目を見開いて見上げるディアドラを見下ろしながら、楽し気に言った。
「行きましょう、夜の庭へ。今晩は時間が許す限り、二人でお話をしましょう」
* * *
「実のところ、私はずーっと以前から、何度もあなたにお会いしているのです。と言ったら、どう思いますか?」
白々とした月光に照らし出された薔薇の園。
ディアドラを抱きかかえたまま、レイはゆっくりと歩きつつ話し始めた。
言われた内容を考えて、じっくりと検討してから、ディアドラは正直に告げた。
「記憶になくてごめんなさい。考えてみたんですけど、思い出せません」
あはは、とレイが軽い笑い声を上げる。耳に心地よい低音。
「謝らなくていいですよ。あなたが覚えていないのは、あなたの分まで私が覚えているからです。私とあなたは、この庭で何度も巡り合う。夢の中でね。そして、現実でも会おうと誓います。だけど、なかなかうまくいかない。お互いが近くに存在していると確信しているのに、すれ違う。そういう人生を私は何度も繰り返してきました。そして、気付いたらまたあなたと出会うところから始まる。今度こそ、と質問を変えてあなたから色々聞き出す。うまく行きかけたこともあるんですよ。あなたと婚約までこぎつけたのは今回が二度目。前回は……」
夢の中で出会う。何度も。
レイは、嘘を言っているようには見えない。それでいて、深みのある穏やかな声で語られるその出来事は、現実とは少し違う、幻想物語のようだった。
「前回はなかなか最悪でした。『少数の使用人と暮らしてきたから、派手な歓待は威圧感を与える。しかも大の男嫌いであるから、いそいそと会うなどもっての他。好色な印象を与えて嫌われるだけ』彼女をよく知るという人物から、そういう忠告を受けていて、馬鹿正直に従ったんです。そう、エドワードという男でした。家令やメイド頭などごく少数の責任者で失礼にならないようにあなたを出迎えて、『あなたの許しを得るまでは生活区域も分け、無闇に近づかないようにする』と伝えた。それがどういうわけか『冷遇及び敵対的宣言』となっていて、長いこと……本当に長いこと誤解されてあなたに近づくことができなかった。せっかく見つけて、婚約にまでこぎつけていたのに。いま思い出しても本当に悔しい。自分の間抜け具合にうんざりする」
思い出すだけで堪えたのか、本当に悔しそうに、唇をかみしめている。
見上げていたディアドラは「それで、どうなったんですか」と控え目に尋ねた。
「長い時間をかけてあなたと『和解』しました。本当に長い時間です。そして今際の際に二人で誓ったんです。『今回は時間を無駄にしすぎた。次はもっとうまくやろう』って。だけど結局、出会うまでにこんなに時間が……。あなたの足の怪我も防ぐことができなかったし」
今際の際。
レイの語るもう一つの人生がどこかにあったとして、そちらの自分は彼と最後まで添い遂げたらしい。
最後の日を迎えたのはどちらが先だったのか、聞くことはできなかったけれど。聞けば教えてくれるのかもしれないが、未来を知りたいとは思えなかった。
「足の怪我は本当に子どもの頃なんですよ。出会う前のことですから、レイが責任を感じるようなことでは……」
代わりに、過去の話をした。
「ですが。私はあなたが怪我をすることを知っていたわけですから」
固い口調でレイが言う。頬も強張っているように見える。
どうしようかしら、と思案しながらディアドラは慎重に言葉を選んで告げた。
「そうは言っても、馬にはねられて怪我をしたのなんて、ほんの一瞬の出来事でした。そばにいた誰も防げなかったんです。これはもう、きっとそういうものなんです」
離宮に出かけた折、野原で兎を追いかけていたら飛び出してきた馬にはねられてしまった。本当に、誰も何もできなかったが、命を取り留めだけでも奇跡のようなもの。
「馬にはねられた……?」
レイには不思議そうに聞き返されたが、よく覚えている出来事だけにディアドラは手短に状況を説明した。その上で、尋ねた。
「兄から聞いていませんでしたか」
「たしかにエドワードはそう言っていたが、私が『あなた』から聞いたときは……」
言いかけて、口をつぐむ。
心得て、ディアドラは「『以前の私』はなんと?」と聞き返した。
レイは少し躊躇ってから「そのときはもう少し違う内容だったが、何かのきっかけであなたを取り巻く世界も変化しているらしい」と答えてその話を終えた。
二人とも話すのをやめると、薔薇の園は静まり返る。
あるか無きかの風に、甘い香りが乗って届いた。
「腕、疲れませんか」
ひっそりと月下に咲く薔薇の呼吸を邪魔しないように、ディアドラは声をひそめて尋ねる。
軽くディアドラを抱き直しながら、レイは笑いを含んだ低い声で言った。
「いいえ。心地よいです」
そのまましばらく庭を巡って、部屋に帰った。
* * *
ベッドの上にディアドラをそうっと横たえてから、レイはまるで肩の荷が下りたかのようにすっきりとした笑顔でディアドラを見下ろした。
「その……。いつか話そうと思っていたことで、信じてもらえなくても構わない……けど。私のあなたへの思いは本物で。ええと……怯えないで欲しい」
最後に付け足された一言が妙に真に迫っていて、ディアドラは堪えきれずに笑い声をたてる。
「怯えてはいないです。とても興味深かったです。あなたともっとお話をしてみたいと思いました」
自分が、このひとの運命の相手とまではまだ思い切れないけれど。
時間をかけてでも、そう思えるようになったらいいな、と。
「それは私も。ぜひ薔薇を見ながら、お茶を飲んで、美味しいものを食べて。ああ、今日は遅くまで申し訳ありません。ずいぶん長居をしてしまった」
やや長めにディアドラの顔を見下ろしてから、レイは踵を返す。
そのまま出ていくのかと見ていると、暖炉の上の飾り棚からガラス細工のオルゴールを手にして戻ってきた。
「このオルゴール、あなたが好きだったんですよ。曲が……」
ネジを巻いて、ベッドサイドの小卓に置く。
流れ出した曲に耳を傾けながら、ディアドラは笑みを浮かべて頷いた。
「ほんとだ。好きです、初めて聞くはずなのに、懐かしい」
ほっと息を吐きだしたレイは、その場を離れて椅子をひとつ持って引き返してくる。
「あなたが眠りに落ちるまで、ここでネジ巻き係をしましょう」
「侯爵なのに」
「侯爵は副業。庭の薔薇係です。それにこの仕事は、他の者には任せられません」
真面目くさって言われて、これは大変、早く寝ないととディアドラは慌てて目を閉ざす。
そのまま、少しの間考えてから、思い切って目を開けてみた。
「わたくしの勘違いでなければ……。もしかして部屋に留まる理由が必要なのですか」
うっ、とレイが胸をおさえる。痛いところを突いてしまったのかもしれない。
ややして、観念したようにちらりと視線を向けてきた。
「キスをしても良いですか?」
くすっと笑って、ディアドラはレイの黒い瞳を見つめる。
「わたくしにとっては初めてですけれど、あなたにとっては何回目ですか?」
片目を瞑って軽くディアドラを睨みつけてから、やがてふきだして、レイは笑ったまま告げた。
「はじめてですよ。最初の一回目です」
優美な所作で上体を傾けて、目を瞑ったディアドラの唇に唇を寄せた。