“絵が上手い”という感覚について
パッと見て「好きだな」と魅力を感じる絵と「上手いけどさほど惹かれないな」と思ってさっと流し見してしまうような絵がある。後者は技術的に優れてることはわかるんだけど感性に刺さらない。技術力が低くても性癖や感性に刺さる作品はえぐいくらいガン見してしまう。
「絵というのは技術力ではないのか??」
そういう風に考え始めてから気に入った絵を意識してじっくり観察するようにしてみた。結果思ったのが、
「全体の調和が取れている」
「“好き”が伝わってくる」
「性癖が尖っている」
この中のひとつでも該当すれば誰かにとっての魅力的な絵には十分なり得る。以下、軽く説明していく。
一番目は意外だったのだが、下手に見える絵でも魅力ある絵は最低限のバランスがある。言い換えるならば画風が安定している。こういう絵は今後描き続けていれば上手くなっていくだろうという将来性も感じられるし安心して見ていられる。
二番目は「一生懸命描いたんだろうな」と感じるイラスト。ファンアートに多く見受けられる。普段絵を描かないんだろうけど一生懸命資料を見ながら描いたんだろうなと感じる絵。みじかな例でいうと小さな子供がクレヨンで描いたパパママの絵。やっぱりその人の感情というのは絵に顕著に表れるものだと思う。温もりというかそういう言葉にできないけれど絵から溢れ出しているもの。
三番目はマイナーな界隈にいる人ならよくわかると思う。例が私の性癖になってしまうのだが、虫娘やモン娘といった体の一部が異形の女の子のイラストというのはそこまで多くない。だがそれ故にそんなイラストを見つけた時は技術力云々より先に「お、お前……こんなところにいたのか…!!」と生き別れていた娘を数十年の歳月の末に見つけたような気持ちになる。要するに自分の中での需要に反して世間での供給が少ない。そういう場合は自分が生産者になるしかないパターンが非常に多い。アブノーマルな性癖を持って生まれた人特有の感覚かもしれない。
以上、現段階での考察である。正直、考え方なんて人それぞれだし自分の中でも考えてることを100%文字にできたわけじゃないからこの考察はほんのパズルの1ピースだと思っている。
ディスるわけじゃないけど、写真のように上手い絵を描く人の絵を見て「お、すご」とは思うけどその人の絵を追っかけたりはしたことがない。またそれは使う技術が違うだろうから比べること自体間違いだけど、私は絵はそういう写実性であったりリアリティよりもどれだけ自分にしか描けない絵が描けるかだと思う。いかに自分にしかできない表現ができるか。
自分自身まだまだ自分の絵には納得できないし、多分死ぬまで満足はできないけど、だからこそ一生成長していけるのかなと思う。
絵を描いてる人はいろんな思いや事情で描いてるんだろうけど、どんな理由であれ私は面白い絵やこの世界を彩るイラストが一枚でも多く世に出ればいいと思ってるよ。だから一緒に頑張ろう。