四回表:心と試合の準備
日曜日。
隼人は約束どおり、みんなで道具の買出しに行くために学校に向かった。
休日に私服で学校に行くのは変な感じがする。
校門の前にはすでにみんな来ていた。
「あっ、やっと来た。まったくいつも遅いな」
俊介が少し怒り気味に言った。縁や広和は笑っていた。
その後ろに白く大きなワゴン車があった。あれが先生の車のようだ。
「悪いな。でも、みんな乗れるんですか?」
「大丈夫。7人乗りだからな」
前に俊介、真ん中に真二、広和、勇気、後ろに隼人と縁が乗り、スポーツ店にむかって車が動き出した。
30分くらいしてスポーツ店に着いた。
中にはたくさんの道具があった。野球ばかりでなく、サッカーやバスケ道具などもあった。
真治と広和は中に入ると子供のようにはしゃいでグローブやスパイクを触っていた。勇気はプロ選手のポスターを見ていた。俊介と寺田先生はその他必要なものを見ていた。縁はマネージャーなのでスコアブックを見ていた。
隼人は硬球のボールに触った。軟式と違い縫い目がきれいであるがちょっとすべりやすかった。そのとき思いついた。今日俊介が来るならついでにキャッチボールでもするか。隼人はまだ持っていなかった硬球をさっそく買った。
そのあとは、真治たちのユニフォームやスパイクを選ぶのを手伝った。
買い物ほどなくして終わった。真治たちは大切そうに自分の道具を抱え持っていた。俊介はボールやスコアボード、ベースやバットなどいろいろ買っていた。
「そんなにお金持ってんのか?」
広和は驚いて俊介に聞いたが俊介は笑って答えた。
「俺の金じゃねーよ。校長がお金をくれたんだ。ぜひ、野球部を作って甲子園に行ってくれって。あの人けっこう野球好きみたいだしよ」
「これで全部だな。他に買うものはないな?」
「大丈夫です」
俊介が代表して答え、寺田先生はうなずいた。
「じゃあ、また学校に戻るぞ」
学校に着いて、真治たちは新しい道具に浮かれながら帰っていった。
縁は友達と用事があるからと言って街に行った。
隼人と俊介は道具を部室に直した。部室と言っても、体育で使う道具を入れる倉庫の中だ。
「まったく、あいつら何もせずに帰るんだからな」
俊介が怒りながらバットを運んだ。
「仕方ないだろ。あいつらも、早く新品の道具を使いたんだからな。気持ちはわかるだろ?」
隼人は最後のベースを運び終え、手を叩いた。
「それじゃあ行くか。隼人の家へ」
「ああ、飯くらいおごってやるよ」
「やりー、サンキュー隼人」
家に着くと、さっそく俊介を中に入れた。
「おじゃまします」
中に入ると、奈々子が昼食の仕度をしており、俊介の存在に気づいた。
「いらっしゃい。あれ、この子が池谷くん?」
「ああ、遊びに来たんだ」
「こんにちは」
俊介は礼儀正しく頭を下げた。
「こんにちは。よかったらお昼ご飯食べていってね」
「はい、ありがとうございます」
隼人は居間に俊介を案内した。居間には俊一が新聞を読んでいた。
「お、隼人の友達か?」
すると、俊介は突然叫び声を上げ、俊一に近づくと手を握った。
「も、もしかして、最多奪三振賞を受賞した和田俊一さんですか?」
「ああ、そうだが」
「僕大ファンなんです。お会いできて光栄です」
「そ、そうか……」
昼食時間。意気投合した俊介と俊一は野球のことばかり話していた。
「うちの親父ってそんなに有名なのか?」
「当たり前だろ。和田俊一と聞いたら知らないやつはいないだろ。あの三連続三振はかっこよかったな〜。ノーアウト満塁のピンチなのに、それに動じず、最高のピッチングをしたんだからな。俺もあのときこの球を受けたいと思ったんだ」
「よく知っているな。うん、なかなかいい子だな」
「今では、もう歳でスポーツなんてできないけどな」
昼食が終わり、隼人は俊介を自室に招きいれた。俊介は密かに俊一のサインを貰っていた。
「いや〜、驚いたぜ。まさかと思ったが、隼人のお父さんがあの和田俊一さんとは」
「そうか? 別に普通だろ」
「お前はわかっていないな。それで、ここでしかできない話ってなんだよ」
ようやく今日の目的のときがきた。
隼人は隣の家に一目見ると俊介に向き直った。
「今日はお前に相談があって呼んだんだ」
隼人は真剣な表情になって話し始めた。俊介は隼人のベッドの上に座った。
「お、おう。なんだよ」
「実はな、俺最近どうも変なんだよ」
「へ、変って?」
「こうな、いやに緊張したり、心臓が苦しくなったり、激しく鼓動したり。なんか変なんだよな。俺どうしたんだろうな。自分のことがよくわからないんだ」
それを聞いた俊介は、おかしなものを見るかのような目で首をかしげていた。
「隼人、お前って……」
「な、なんだよ……」
「お前って、正真正銘のバカ?」
それを聞いて頭にきた隼人は俊介に十の字固めをした。
「いてててって、ごめん。俺が悪かった」
一息着いて、話を戻した。
「だってよ、普通あんなこと聞いたら誰だってそう思うぜ」
「だからどういうことなんだよ」
「じゃあ、お前が緊張したり、心臓が苦しくなったり、鼓動が早くなったりするとき、一番近くには誰がいる?」
隼人は考えてみると、一人しか思い浮かばなかった。
「縁だな」
「じゃあお前は最連寺のことが好きだってことだ」
「は? お前なに言ってんだ? お前のほうがバカなんじゃないか?」
「バカはお前だ。誰でもそういう気持ちになったらその人のことが好きだっていうことなんだよ」
「でもよ、縁はただの幼なじみなだけだぜ。今までにそんなことなかったし」
「だったら今そうなったっていうことだ。恋なんて突然来るもんだんだよ」
俊介は自分の考えが正しいというように腕を組んでうなずいた。
「でもな〜」
「まあ、お前は小さいころから野球ばっかりやって、そういうこととは無縁だったんだろうな。今お前は、最連寺を一人の女として見ているんだよ」
どうも納得できなかった。やはり俊介に相談しても分からなかった。
「そう深く考えるなって。恋は逃げたりしない。いや、逃げるかな……。まあ、ゆっくり考えて、自分の気持ちに正直になることだ。もうすぐ試合だから、そっちもいいが、こっちのことも頭に入れておけよ」
「ああ」
そのあと、外に出ると二人で新しく買った硬球でキャッチボールをした。
「う〜ん、やっぱ硬球は固いな」
俊介は硬球を握る度にうなずいた。
「当たり前だろ。でも、今度の練習試合は軟式なんだろ? 中学生が相手だし」
「そうだぜ。あっ、そういや、隼人は変化球何投げれるんだっけ?」
「変化球? いや、俺変化球投げられないぜ」
「はあ? お前今までストレートだけで投げてきたのか?」
「そうだけど。たまにスローボール投げたりしたけどな」
「お前は運がいいな〜。普通カーブとかスライダーとか覚えるけどな」
「肩が壊れるから止めろって親父に言われたんだよ。まあ、これから覚えるけどな」
「じゃあ、何を覚えるんだよ」
「う〜ん、そうだな。やっぱりスライダーかな。一番投げやすそうだし」
「じゃあ、今度の練習試合が終わってから練習するか」
しばらくキャッチボールをしたあと、少し投球練習をして俊介は帰っていた。
その夜、隼人は俊介に言われたことを考えてみた。
自分が縁に恋をしている。はたして本当だろうか? そんな感情今までなかった。
隼人はチラッと隣の部屋を見た。隼人の部屋の窓からは縁の部屋が見えるのだ。今ではカーテンを閉めて明りだけが点いているのがわかる。
隼人は深く息を吐いた。もうどうでもいい。今は次の試合に集中しよう。誠は布団を被ると眠りについた。
月曜日。
今日から学校だが隼人はいつもより多く寝ることができた。
チラシ配りはなくなって今はなにもないからだ。隼人は背伸びをして余裕で準備をした。
玄関から出ると、ちょうど縁も出てきた。
「おはようございます、隼人さん」
「おはよ、縁」
せっかくだから、二人は一緒に登校することにした。隼人の気持ちも今では治まっていた。
今はそれよりも試合が大事だ。
「縁、今日の昼休み頑張れよ」
今日は放送で野球体験の募集をする日だ。
「はい、頑張ります。これで誰かが入ってきたらいいのですが」
「きっと誰か入ってきてくれるよ」
「そうですね。頑張ります」
登校時は緊張もせず昔のように元通りの日常を過ごすことができて、少なからず隼人は安心することができた。
昼休み。
隼人と縁は放送室へむかった。中には勇気とその友達らしき人がいた。しかも女の子だ。隼人はてっきり男子かと思っていたので驚いてしまった。
「はじめまして。勇気くんの友達で放送部員の如月恵です」
丁寧に頭を下げてきた恵は、勇気の友達とは思えないほどにかわいい人だった。長い髪を二つに分けて結び、綺麗な瞳が特徴的だった。
「どうも。勇気と同じ野球部員の和田隼人です。こちらが今回放送させてもらう最連寺縁」
「はじめまして。今日はよろしくお願いします」
「よろしくおねがいします。それではやり方を説明しますね。まず、この赤いボタンを押し続けたら校内に声が流れます。離すと流れません。ボリュームはこのキーで調整します。話すときはこのマイクにむかって話してください。これで、やり方は以上です。質問はありますか?」
縁は首を振って納得した。
「では、始めたいと思います。最連寺さん、この席にどうぞ」
恵が椅子を放送器具の前に出すと、縁は緊張しながらマイクの前に座った。
その間に恵は放送の準備をしていた。
「ボリュームはこれで大丈夫です。あとはボタンを押して、マイクにむかって話してください。じゃ、頑張ってね」
縁は一つ深呼吸をすると、赤いボタンを押して話し始めた。
「みなさん、こんにちは。私は野球同好会のマネージャーの最連寺縁と申します」
「おっ、始まったぞ。みんな、ちゃんと聞いてくれよ!」
教室では、昼食を食べていた俊介が、みんなにそう言って真治と広和と聞いていた。
「今週の日曜日、寺田先生の母校である桜中学と野球の練習試合が決まりました。しかし、私達野球同好会は、只今選手が5人しかいません。そこで、今から参加選手を募集したいと思います。野球に興味ある方、野球を体験してみたい方は1組の池谷俊介君のところまで来て下さい」
「池谷俊介は俺だ。やりたい人は俺のところにきてくれ!」
俊介はみんなに見えるくらいに大きく手を振って自分だとアピールした。
「場所はここ天龍高校グランド。9時30分試合開始です。見るだけでもかまいません。ぜひ、応援にきてください。これで、野球同好会からの放送を終わります」
縁はボタンから手を離すと、大きく息を吐いた。
「ど、どうでした? 失敗しましたか?」
縁は心配しながら恐る恐る隼人に聞いてきた。隼人は笑みを浮かべながら首を横に振った。
「いや、大丈夫。バッチリだったよ」
「よ、よかったです〜」
「おつかれさまでした。誰かが入ってくるといいですね」
恵が縁に微笑みながら話し掛けた。
「はい。ありがとうございました」
昼食がまだだったので、放送室で食べることにした。
すでに縁は恵と親しくなり楽しそうに会話をしていた。隼人は勇気に疑問をぶつけた。
「なあ、勇気。お前、どうやって如月さんと仲良くなったんだ?」
「はい、如月さんとは違うクラスなんですが、たまたま落ちていた放送原稿を届けて、それから仲良くなったんです。『ああ! あの有名な西田勇気くんだ!』って言って」
隼人は話を聞いて軽くうなずいた。
偶然というか、出合いというか、運命ってあるんだなと思った。
隼人と縁は放送室から出て教室へむかった。
教室に戻ったら俊介の席に来た。
「よかったぜ、最連寺! よくやった! これで絶対誰か入ってくるぞ」
「まだ、わかんねーよ。まあ、縁はほんとうによくやったけどな」
「ありがとうございます」
「お前はちゃんとそこにいて誰かこないか待ってろよ」
「分かってるって。楽しみだな〜」
俊介は自分の席に着くと、紙とペンを出して、にこにこしながら楽しそうに待っていた。
金曜日の放課後。
隼人たちは一組に集まった。すると、教室のドアが開かれ俊介と真治が走ってきた。なにか紙を持っている。
「ジャジャ〜ン! 野球をお体験したい人のリストを持ってきたぞ。その数、なんと9名!」
「9名! そんなに来たのか?」
隼人と広和は席から立ち上がり驚いた。
「と言っても、4人はマネージャー志望みたいだけどな。それも隼人目当てみたいだぞ。よかったな、隼人。お前はもてるな」
隼人は愕然とした。野球が好きだから、マネージャーをしたいということではないのか。
縁はなぜか隼人のほうをちらちらと見ていた。
「じゃあ、4人がマネージャーなら5人がやりたい人か。……ま、これでも多いほうだろう。けど、ポジションはどうするんだ?」
真治が俊介に問い掛けた。
「それなら決まった。来たときに名前としたいポジションを聞いてたんだ。ええと、5人が好きなところに入ると、残りは……ファーストとキャッチャーと外野2人だ」
「なら、ファーストは勇気、キャッチャーは俊介、外野は真治と広和でいいな」
隼人が言うと、縁が残念そうな表情になった。
「隼人さんの試合が見れないのは残念です」
「まあ、仕方ないさ。それより、3人は頑張れよ」
「お、おう……」
隼人が真治、広和、勇気に言うと、3人は自身なさそうに返事をした。
「でも、隼人も出るかもしんねーぞ。ピッチャー希望したやつは途中で疲れるだろう。そのときは隼人頼むぜ」
「分かった」
「じゃあ、隼人さんも出番があるんですね。頑張ってください」
「おう」
「じゃ、俺はこれを先生に見せに行く。隼人と俺は明日挨拶に行くから忘れんなよ。じゃあ、解散。各自、家で軽く走ったり、誰かとキャッチボールくらいはしとけよ」
「は〜い」
そういうと、俊介は先生のところへ、真治たちは家に帰っていった。
隼人は縁と一緒に俊介が帰ってくるのを待った。
「よかったですね。興味がある人がいてくれて。この方たちが、野球部に入ってくれたらいいのですが」
「そうだな。これで、大会にも出ることができる。明後日は頑張って勝ちたいな」
「隼人さんが投げたら、簡単に勝てるんじゃないですか?」
縁は笑いながら言った。
「そうかもな。中学生相手に負けられないしな」
隼人も縁に笑みを返した。誰もがこのまま順調にことが進むと思っていた。
このあと、最後の邪魔が入るとは知らずに。