二回裏:悲劇と勇気
今日の朝もビラ配りから始まった。今回は縁の作った新しいチラシだからうまくいくかもしれない。
そんな期待を乗せ、隼人、縁、俊介、真治、広和の五人は丁寧に配っていった。
「おはようございます。お願いします!」
「一緒に野球をして、甲子園を目指しましょう!」
いつものように一人一人丁寧に配っていき、痛くなりそうな口を何度も動かしていった。
何人かの生徒は、もううんざりという顔をしていた。
しかし、隼人たちは同じ人だろうと、粘り強く強引にでも配っていった。
今日はいつもより多く減った。減ったから部員が増えるというわけではないが見てくれるだけでも嬉しかった。
縁は相変わらず全部なくなっていた。
「最連寺はやっぱりすごいな。こんなに減ったの初めてだ。新しく作って良かったぜ」
ちょっと今までとは違うチラシを見せるだけで、多数の生徒はそれに気づき、興味本位でなのか簡単に受け取ってくれたのだ。
「いいえ、みなさんが頑張ったからですよ。これで、誰か入ってくれると嬉しいんですが」
そのとき、あの西田が来た。登校時間ぎりぎりで、一人とぼとぼと歩いている。隼人と縁は西田のところに向かった。
「おはよ、西田。ケガ大丈夫か? 前より良くなっているみたいだな」
以前会ったときと比べたら、西田の顔の腫れ具合はそんなに目立たないくらいに治まっていた。
「……お、おはようございます。あのハンカチを使ったら早く腫れがひいたんです。ほ、ほんとうにありがとうございます」
「いいえ、私も使ってくれて嬉しいです。早く完治するといいですね。あっ、これ一枚どうぞ」
縁があげたのは新しいチラシだ。西田はそれをそっと受け取った。
「まあ、考えるだけでもいいし。できれば一緒にしたいけどな。中学では部活は何をしてたんだ?」
「いえ、ぶ、部活はしてませんでした。……ぼく、なにもできませんから……」
そういって西田はそそくさと行ってしまった。隼人と縁は俊介たちのもとに戻った。
校舎の中に入る前に、西田は振り返り、隼人たちを見た。
……なんで、あの人はこんなにもぼくを誘ってくれるのだろうか。どうせ、なにもできないのに。
小学四年生のころ、自分にあだ名がついた。
ウドの大木。でかいくせになにもできないただの邪魔者という意味だ。
このあだ名がつけられたのはあの事件のときからだ。
西田とそのクラスメートである三人は、近くのスーパーに向かった。このときから西田はみんなより背が一際高かった。背が高いからというだけで、度胸だめしに万引きをしようと誘われた。
西田は正直したくなかった。悪いことだと知っていたからだ。しかし、
「一緒に来なかったら、もうお前とは一緒に遊ばない。それでもいいのか?」
と言われ、西田は仲間はずれになるのがいやで仕方なく参加した。
注意する勇気も持っていなかった。
お店の中に入り、真っ先にお菓子売り場に向かった。四人はそこで足を止めた。
「いいか? 俺が取ったらすぐに逃げるんだ。……いくぞ。……」
クラスメートの一人が、震える手を伸ばし、お菓子を一つ摘むと、さっとポケットに入れた。
そのときだった。
「君たち。そこで何をしてるんだ。今お菓子をポケットの中に入れたよね? ちょっとこっちに来なさい」
スーパーの店員がこっちに近づいてくる。その足音が大きくなるにつれて、西田の心臓も激しく脈打つ。
怖い。怒られるのは嫌だ。
西田は振り向くとその場から逃げ出した。店から出ると全力で家に向かって走った。
家に着くと、すぐに布団の中でうずくまり、ぶるぶると震えながら目を瞑った。
あの三人はどうなったのかは知らない……。
次の日の朝。
西田が教室に入ると、一斉にみんながこっちを見てきた。睨みつけてきたり、ひそひそと声を小さくして何かを話している。
すると、昨日万引きをしたクラスメートが西田に向かって言った。
「お前最低だな。万引きしたのはお前なのに、俺らのせいにして逃げ出すなんて。お前なんか絶交だ!」
西田は意味が分からなかった。
万引きをしたのはぼくじゃない。そっちだ。
「待ってよ。万引きしたのはそっちだろ。ぼくじゃない」
「逃げ出したくせにウソまでつくんだな」
一緒にスーパーに行ったもう一人が言った。
「俺知ってるぞ。お父さんが教えてくれたんだ。お前のようなデカいくせになにもできないやつを『ウドの大木』っていうんだ。この、ウドの大木!」
ウドの大木! ウドの大木! ウドの大木! ウドの大木! ウドの大木!
みんなが西田にむかって何度も言ってきた。西田は怖くなった。
みんなが悪魔に見える。振り返るとすぐに教室から出て行った。
なんで?なんで?なんでぼくはなにもしていないのにこんなこと言われるの?
それから西田はどこにいてもバカにされるようになった。毎日のようにいじめられるようにもなった。
西田の居場所はどこにもなくなった。
ぼく、……死んだほうが幸せになれるんじゃないかな……。
西田は何かを決心すると校舎の中に入っていった。
昼食時間。
隼人と縁と俊介は売店へ飲み物を買いに行き、それぞれ好きなものを買うと、階段を上って教室に戻ろうとした。
「ああ〜、腹減ったな。早く戻って食おうぜ」
俊介の腹はさっきからグーグー鳴っていた。隼人と縁は笑いながら階段を上っていった。
四階に着いたとき西田を見かけた。
「あれ? 西田じゃん。どこに行くんだ?」
隼人が指を指すと、二人はその方向を見た。
西田はなにを考えているのか、隼人たちに気づかず、ゆっくりと階段を上っていった。
天龍高校の校舎は一階が職員室など、今はいないが二階が三年生、三階が二年生、四階が一年生となっておりその上は屋上につながる。
つまり、西田は屋上に行ったことになる。
「何で屋上に行くんだ? あそこにはなんもないのに」
「別にいいじゃん。早く弁当食おうぜ」
俊介は西田のことより自分の腹のほうを優先にしていた。
しかし、縁は違った。
「隼人さん、ちょっと嫌な予感がします。私たちも屋上に行きましょう」
縁はすぐにでも行きたいように、隼人の制服を引っ張っていた。これからなにか恐ろしいことが起こることを分かっているようだ。
隼人もなにか嫌な予感はしていた。
「ちょっと行ってみるか。おい、俊介いくぞ」
「マジかよ〜。しょうがねーな」
隼人たちは西田に見つからないよう、ゆっくりと屋上に向かった。
上に着いたときには、すでに西田の姿は見えなく、屋上へ通じる扉だけが開いていた。
隼人たちは入り口からそっと屋上を見渡し、西田を探した。
西田は奥のほうにいた。周りには柵がなく西田は下を見下ろしいた。
隼人の思考はさっきから悪いほうばかり考えていた。今考えていることが本当なら大変なことになる。
すると、西田はなにかぶつぶつとつぶやくと、決心したようにそっと目を閉じた。そして、そのまま少しずつ体を傾けた。
「やばい!」
隼人は西田のもとへ走った。西田の体はすでに宙に浮いていた。時間が止まったかのように、ゆっくりと体が地面と平行になっていく。
「西田!」
「えっ?」
パシッ
間一髪だった。隼人は西田の手をぎりぎりで捕まえた。
そのとき、隼人がさっき売店で買った飲み物が落ちていった。紙パックの飲み物は、硬いアスファルトに当たった瞬間、中身が四方八方に飛び散った。
その周りに生徒たちが集まり、何人かは上を見て状況を理解したのか悲鳴をあげたりしていた。
隼人は生唾を飲み込み、早く引っ張り上げようとした。しかし、一人の力で持ち上げることはできなかった。
すると、後ろから手が飛び出してきた。俊介の手だ。
「一緒に引っ張るぞ。せーのっ!」
西田はでかい体だが二人でなんとか引っ張り上げることができた。
ハァ、…、ハァ、…、
「よかった……。なんとか助けることができた」
縁があとからきて心配そうに隼人たちを見ていた。西田は屋上のアスファルトに手をつき、俯きながら口を開いた。
「……なんで、……なんで助けたんだよ! ぼくなんか……、ぼくなんか……、死ねばよかったんだ!」
西田が叫んだ瞬間、俊介が西田の顔を殴った。
「ふざけんな! 死んでもなにもいいことねーし、なにも変わらねーよ! お前が死んで悲しむやつだっているんだ! それに俺は、命を粗末にするやつが大嫌いなんだ! 親から貰った命を何だと思ってるんだ!」
俊介が怒鳴ったあと、縁が西田に近づき、そっと肩に手を置いた。
「西田さん、まだ人生これからです。これから楽しいことがたくさんありますよ。俊介さんの言うとおりです。死んでしまったら、あなたのお父さんとお母さんが悲しみます。それに、私たちだって悲しいです。せっかく知り合えたのに、すぐにお別れなんて寂しいです。自分の命を大切にしてください」
縁が微笑むと、西田は下をむいて泣き出した。もう自殺をすることはないだろう。
そのとき、ようやく先生たちがやってきた。西田のことは先生たちにまかせ、隼人たちは屋上を後にすることにした。
すると、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「あっ! 弁当食い損ねた。午後の授業我慢できね〜よ……」
隼人たちは笑いながら教室へ戻った。
とうとう五月に入った。なのに、文化祭の出し物がいっこうに決まらない。
今日は雨ということで緊急ミーティングを開いた。また、六組だ。
今回は寺田先生も後で来て参加してくれるらしい。
「くっそー。どうする? このままじゃやばいぜ」
文化祭は25日にある。自由発表の申し込みはしたが、このままでは間に合わないかもしれない。
「いっそ、バンドでもするか?」
「野球と関係ないじゃん。そんな時間ねーよ。ギターもドラムもないし」
広和の提案は真治にあっさりと打ち消された。そのときだった。
ドカッ
「オラッ、さっさと立てよ!」
隼人たちは廊下に出た。
周りには誰もおらず、いるのは三人の人影。そこには、西田があの茶髪と坊主の不良に殴られていた。
西田の顔は鼻血が出ていて、ところどころに血が飛び散っていた。
ドカッ
また殴られた。そのとき、西田の手から縁のピンク色のハンカチが落ちた。そのハンカチを茶髪の不良が拾った。
「おっ、なんだこれ? ハンカチか? なんで女物のハンカチなんか持ってんだよ」
「ハハハッ、気持ち悪いな。超キモイ!」
すると、その場に倒れている西田がハンカチにむかって手を伸ばした。
「……か、返してください。……そ、それは、人から、……人から初めてもらった大切な物なんです。……どうか、……どうか、それだけは……」
「うるせーんだよ! オラッ!」
茶髪の不良は西田の腹を蹴った。すると、ハンカチをわざと落として坊主の不良が踏みつけた。
「あ、悪い。足が滑って踏んじゃった」
ハハハハハハハッ
二人は腹を抱え、高笑いした。
西田は坊主の不良の足をどかし、ハンカチを掴んだ。ボロボロになり汚れてしまったハンカチを見た西田は、目から涙がこぼれ、そっと抱きしめてうずくまった。
「オラッ! なにしてんだよ。このウドの大木が!」
ドカッ バシッ ドカドカ
「うっ、……うっ、うっ……」
二人はうずくまる西田をやりたい放題に蹴った。
隼人は怒りが込み上げるのがわかった。
許せない。絶対に許せない。あいつらだけは許せない。
隼人は三人のもとにむかって走り出した。そして、拳に力を込めた。
「おいっ!」
隼人が叫ぶと、二人がこっちを振り向いた。隼人は走りながら拳を上げると、坊主の不良の顔めがけておもいっきり殴った。
ドカッ
「うっ!」
鈍い音が廊下に響くと、坊主の不良は倒れ、顔を抑えながら転げ回った。
「痛ってっ、くっそ……」
「この野郎!」
茶髪の不良が隼人を殴ろうとした。坊主の不良を見下していた隼人は反応が遅れてしまった。なんとか避けようとするが間に合わない。
しかし、それより早く茶髪の不良は横から顔に拳を浴びせられその場に倒れた。
そこには俊介がいた。
「俊介……」
「お前だけいいかっこうさせねーよ」
二人は向き合いそっと微笑んだ。すると、二人の不良がふらつきながらも起き上がった。
「てめえら、……殺してやる!」
二人がいっせいに襲い掛かってきた。その時、後ろから声が聞こえた。
「お前ら! そこで何してるんだ!」
ものすごい勢いで寺田先生が走ってこっちに向かって来ていた。
「やべっ、先公だ。見つかったら大野さんが……。いくぞ!」
茶髪と坊主の不良は、慌ててその場から反対方向に向かって走って逃げ出した。
「おいっ、待て!」
寺田先生は西田をそのままにし、二人を追って行ってしまった。
「おい、大丈夫か?」
隼人は西田に肩を貸し、壁にもたれかかるようにした。そのとき、西田の顔を見て、つい目をそらしてしまった。
あいつら、いくらなんでもやりすぎだ。
西田の顔はすごいことになっていた。ところどころ青く腫れ上がり目がふさがっていた。鼻と口から血が出て、前歯が一本欠けてしまい、頭から血がしたっていた。
「だ、大丈夫ですか?」
縁が濡れたハンカチでそっと西田の顔を拭いてやった。西田は一筋の涙を流すと、腫れた目で隼人を見た。
「……また、助けてくれて、……ありがとうございます……」
「ばか、気にすんな。お前は悪くねーよ。むしろ、よくやったぜ。そのハンカチ、最後はちゃんと手から放さず守ったろ。えらいぜ」
「え? ……」
西田の手には、縁のハンカチがしっかりと握り締められていた。一度踏まれてしまったが、血は一滴もついてなかった。西田は縁に向き直り、泣きながら謝った。
「……すいません。……踏まれてしまって……」
縁は首を振って笑った。
「嬉しかったですよ。私のハンカチを大事にしてくれて。ありがとうございます」
縁が西田に微笑むと、西田は照れたのかへらへらと笑った。
「先生! こっち、早く早く!」
真治と広和が保健室の先生を連れてきた。
先生は西田の顔を見て、一瞬引きつった表情になった。
「うわっ、大丈夫? すごい腫れてるじゃない。大変。ひとまず保健室に行きましょう」
西田はゆっくりと立ち上がり、真治と広和が肩を貸してやった。
保健室に行く前に、隼人は西田を呼んだ。
「西田!」
西田は足を止めると、ゆっくりとこっちを振り返った。
「お前、野球部に入れ。一緒に野球しようぜ!」
西田は一つため息をつくと、首を横に振った。
「無理ですよ。聞きましたよね? ぼくは……ウドの大木なんです。そんなぼくが……野球なんて……できませんよ……」
隼人は西田が以前の自分のように思えた。最初からあきらめて投げない自分と最初からできないと決めつけてやらない西田。同じだった。だから西田の気持ちがわかった。だから、隼人は西田を野球部に入れたかった。
自分のことを、自分の可能性を、まだわかっていないことに気づいてほしかった。
「お前の名前は勇気だろ。最初からあきらめてなにもせずに終わる。だからなにもできないんだよ! お前は自分の可能性を自分で潰しているんだ! 勇気を持て! 今こそ勇気を持つときだ。そうだろ? 西田勇気!」
西田は隼人の言葉である記憶が甦った。前にも同じようなことを言われた。西田はそのことを思い出した。
あれは、小学一年生のときのことだ。
友達とケンカをして負けてしまい、悔しく、そして、もう一緒に遊べないという寂しさが込みあがり、一人部屋で泣いていた。
その部屋に、西田のお父さんが入ってきたのだ。体育座りをして、部屋の隅のほうで涙を流している西田を見て隣に座った。
「いいか、勇気。父さんはな、お前は誰よりも勇気があると思っている。だからお前の名前は勇気なんだ。勇気を持て。お前は強い心を持っているんだからな」
そして、勇気の心をなくした始まり。
「俺知ってるぞ。お父さんが教えてくれたんだ。お前のようなデカイくせになにもできないやつを『ウドの大木』っていうんだ。この、ウドの大木!」
小学生のころから毎日のように言われてきた。苦しかった。つらかった。悲しかった。けど、今自分を信じて誘ってくれている人がいる。一緒に野球をしようと誘ってくれている人がいる。邪魔者扱いせず、手を差し伸べている人がいる。
「……ぼくにも……、ぼくにも……、……野球が……できますか? ……」
俊介が隼人よりも真っ先に言った。
「当たり前だぜ! お前なら野球ができる! 一緒に野球やろう! 野球は誰にでもできて、誰にでも楽しめる。だからおもしろいんだ!」
すると、西田は体を震わせ、うつむきながら必死に口を動かし言った。
「……ぼく……、ぼく……野球が……したいです……。一緒に……一緒に野球をしましょう!」
西田の目から再び涙が出てきた。その涙は、傷が痛いからでもなく、いじめられて苦しいからでもない。初めて自由の可能性を信じ、勇気を出すことができた歓喜の涙だ。
隼人たちは大いに喜んだ。俊介はまたはしゃいでいた。縁なんて目にうっすらと涙を浮かべていた。真治と広和も笑っていた。
そして、隼人も西田に、いや、勇気に言った。
「一緒に野球やろう。勇気!」
こうして6人目のメンバーが入ってきた。あと4人なんてすぐだと思った。これから迫る恐ろしいことがすぐ後ろまできていることを、想像すらしなかったのだから……。