最終回:最後の決断
『念願の夢が叶い、甲子園出場を果たした天龍高校は、残念ながら一回戦敗退で幕を閉じてしまった。やはりエース和田隼人の存在が大きい。彼がいなければ、天龍高校とは言えない。もし彼の腕が壊れていなければ、甲子園のスターあるいは怪物と言われプロをも注目する選手となっただろう。だが、それは叶わなかった。しかし、彼らはまだ二年生。まだ来年ある。エースがいなくても才能溢れる選手が揃っている天龍に、みな期待が膨らむことだろう』
森本さんが書いた雑誌にはこう書かれてあった。
宿泊施設で電気も点けず、月の光だけで俊介はそれを見ていた。そしてふっと外を眺めながら息をつく。
強豪猛虎学園を倒し、夢の聖地へと登りついた。だが、残念ながら結果は知っての通り。
隼人がどれだけみんなの心の支えであり、いつも引っ張ってきたかがうなずける。
俊介はそっと中を見渡した。今この大きな部屋にみんないる。
だが、2人だけいなかった。
隼人と縁。
2人はさっき一緒に外に出かけた。鬼塚監督も知っている。
今、2人は大きな決断の狭間に立たされている。これからどうするか。
それは、あの2人にしかわからなかった。
甲子園一回戦。今年もここだと思われた猛虎学園を倒した天龍高校の期待は大きかった。
だが、それは呆気なく崩され敗退。
もちろん、隼人は出ていない。
肩には包帯が巻かれ、首から提げている布に腕をまかせ、ベンチで縁と一緒に応援していた。
先発を任された翔一は最後まで頑張ったが打線につかまり大量得点を奪われた。
俊介たちも最後まで諦めずに戦った。だが、最後には届かなかった。
中でも翔一は大泣きするほど悔しかったようだ。
試合が終わったあと、隼人と縁は甲子園のベンチにいた。
グラウンドも、スタンドにも誰もいない。静けさだけが残っていた。
二人はベンチに座りながらグラウンドを眺めていた。
「隼人さん……」
縁からそっと口を開いた。優しく、心に届く、温かな声。
隼人はうつむいた。
「縁、悪いな。甲子園、もっと頑張りたかった……」
縁はゆっくりと首をふった。
「いいですよ。ここにこられただけで、私は満足です。……とうとう夢が、約束が叶って。私は嬉しいです」
隼人は顔を上げると縁を見た。そして前に向き直り、うなずいた。
「ああ。やっと約束が果たせた」
隼人はそっと右腕に触れた。もうここには来られない。最初で最後の約束だった。
「隼人さん」
隼人は縁のほうをむいた。そのときだ。
「っ……」
縁がいきなり隼人に顔を近づけキスしたのだ。
柔らかい唇が重なり合い、熱が伝わってくる。
縁はそっと離した。頬は赤みをおびて、目は綺麗に隼人を捉えていた。そして可愛く笑みを浮かべた。
「ご褒美です。私を、ここに連れてきた。それに……」
縁はうつむいてもじもじするとそっと口を開いた。
「わ、私たち……も、もう恋人同士ですよね?」
「縁……」
縁はあのときの言葉を覚えていたようだ。決勝の最終回の目前で、隼人が縁に言った言葉を。
隼人は縁の肩を掴んだ。
「隼人さん……」
縁は目を閉じた。隼人も目を閉じる。そしてそっと再び口付けを交わした。
2人は甲子園から出た。そして宿泊施設に帰ろうとしたとき、目の前には鬼塚監督と知らない二人の男性と女性が立っていた。
隼人たちに気づいた鬼塚監督たちは近づいてきた。そして一人の男性が縁に抱きついた。
「おお、優香。会いたかったぞ」
「え?」
縁はいきなりそんなことを言われて抱きついてきたので戸惑っていた。
「優香。こんなに大きくなって。心配したんだからね」
女性のほうはハンカチで涙を拭きながら縁の頭を撫でていた。
「え、えと、あ、あの、どちら様ですか?」
縁に抱きついていた男性はそっと離れると笑みを浮かべた。
「そうだな。長年会っていなかったから、わからんだろうな」
そこで隼人は気づいた。どこかで見たことがあるような気がしたのだ。
「あ、あの、もしかして、高野連の会長さんでは?」
「ああ、そうだよ。自己紹介が遅れたね。私は上杉幸一。こちらは妻の早苗」
早苗という女性は丁寧に頭を下げた。
「なんで高野連の会長がここに?」
それを鬼塚監督が教えてくれた。
「俺は上杉さんの知り合いでな。昔、俺が猛虎学園の野球部に所属していたとき、上杉さんが俺たちの監督でな。ま、そういう関係で、ここに連れてきた。……最連寺、いや、本名は上杉優香。目の前にいる2人が、お前の本当の親だ」
「え?」
縁は驚きの表情になると、ゆっくりと自分の親を見た。
「私の……お父さんとお母さん……」
「そうだよ。長いこと会えなくてすまなかったな」
「これからはずっと一緒だからね」
2人は再び縁に抱きついた。
その隣で隼人は焦っていた。
もしかして、縁とは、ここでお別れ……。
それから5人は近くのレストランで食事をした。そしてこれからどうするか話しをした。
「最連寺。これからどうするかはお前が決めるんだ。記憶喪失になって、何も覚えていなかったお前を助けてくれた最連寺家に住むか、それとも本当の親である上杉家に戻るか。全てはお前次第だ」
鬼塚監督に言われ、考え込む縁。
「わ、私は……」
困っている縁を見て幸一さんは優しい言葉をかけた。
「別にすぐに決めろとは言わん。ゆっくり焦らず決めるといい。だが私たちにしては、実の子とやっと会えてまた離れ離れになるのは惜しい。こっちに戻ってきて欲しいんだが」
「ええ。こっちに戻ってくれば、きっと幸せになるわ」
2人の親は縁を見つめる。縁は困り果て、何度も隼人のほうを見ていた。
そこで縁の親は隼人に気づいた。
「そういえば、君は誰なんだい? 試合には出ていなかったな」
それを鬼塚監督が説明した。
「こちらは和田隼人。天龍高校のエースで、腕を壊しまして。娘さんの幼なじみで、最初に助けたのも彼です。そしてここに連れてきたのも。彼がいなければ、娘さんと会うことはできなかったですよ」
「それは、それは、本当にありがとう。何かお礼をしないとな」
「いえ、そんな……」
隼人は遠慮して手を振る。そして縁を見た。
縁はうつむいて悩んでいた。これからどうするか。それは縁の心で決まる。隼人とこれから一緒にいるのかどうかも。
答えが出ないので、鬼塚監督が2人を見て言った。
「俺たちは明日帰る予定だ。勝てばもっといたがな。しょうがない。最連寺。明日の正午までに結論を出すんだ。俺たちと一緒にバスに乗って帰るか。それともここに残って上杉さんの元に来るか。それまでじっくり考えるといい」
そういって一次その場を解散した。
隼人と縁は頭を下げるとその場を後にし、宿泊施設に戻ってきた。
そしてさっきあったことをみんなに伝えた。
「ま、マジかよ……」
直人は心底びっくりした表情になっていた。
「最連寺の親ってすごいな……」
真治は驚くところが違う。
「おもしろい冗談とも思えないな」
龍也は冗談と思っていたらしい。
「で、でも、残りますよね。ずっと一緒ですよね?」
勇気は慌てて縁に訊いた。
「てか、最連寺って記憶喪失だったの?」
広和は意外なところを突いてきた。
一年生4人は驚いて言葉が出ないようだった。
「ちょ、ちょっと縁ちゃん。本当にどうするの?」
灯が縁の手を握って訊いてくる。
「私も、どうしたらいいのかわからなくて……」
「隼人、ちょっとこい」
俊介に言われ、隼人は一緒に部屋を出た。
廊下に出ると、扉を閉めて俊介は言った。
「いいのか? お前は最連寺があっちにいって」
しかし、隼人は黙ったままである。
「このままじゃ、最連寺は行ってしまうぜ? 二度と会えなくなるかもしれないぞ」
それでも隼人は黙ったままだった。
「おい、隼人!」
俊介は隼人の体を揺すって訊いてくる。
そこで隼人は声を上げた。
「うるさい! 黙れ!」
隼人は左手を振り回して俊介を離した。
俊介はその場に倒れた。隼人はどっと壁に背をもたれた。
「隼人……」
「俺だって……俺だってわからないんだ。どうしたらいいか、わからないんだ」
隼人はその場に座り込むと、うつむいたまま口を開いた。
「俺、縁のことが好きだ。離れたくない。これからも、ずっと一緒にいたい。やっとしょうじきなれて、やっと告白できて、やっとお互い新しい道を進んだんだ」
そこで隼人は左手を額につけて泣き出した。
「でも……あいつのこと考えたら、ここにいたほうがいいじゃねーか。俺のわがままで、……あいつを困らせたくない。苦しめさせたくない。……俺は、縁に幸せになってほしいんだ」
隼人は腕で顔を追おうと泣きだした。
「隼人……」
俊介がそっと呟く。
その様子を、壁際で縁たちは聞いていた。
「縁ちゃん……どうするの?」
灯が訊く。縁も黙ってしまった。
「縁ちゃん、わかってるよね? あんたは私から隼人くんを奪ったんだよ。あなたは私から勝ったんだよ」
「ま、マジで?」
真治が驚く。
灯は真治たちをキッと睨みつけた。
「ちょっと黙ってて!」
「はい……」
真治たちを少し遠ざけ、灯は縁に向き直った。
「縁ちゃん、自分の心にしょうじきになって。いい? これは親とかは関係ないわ。今縁ちゃんが選ぶのは……」
灯ははっきりと言った。
「大好きな人と離れるか離れないかよ」
「離れるか……離れないか……」
縁はそっと呟いた。
隼人はすでに恋人同士である。それに自分は隼人のことが好きだし愛している。
普通に選んでいいなら隼人を取る。離れたくない。片時も別れたくない。
でも、やっと自分の両親に会えた。本物の、会いたかった両親に。
自分はどっちを取ればいいのだろうか。混乱して頭がおかしくなりそうだった。
夕食を食べ終え、隼人と俊介はロビーの近くにある大きなソファに座っていた。
遠くには縁と灯が同じように座っている。
さっき、俊介と灯は話し合った。2人は離れてはいけない。くっつけるべきだと。
だから、お互い協力してそうさせようとしている。
他のみんなのことは龍也に任せて邪魔にならないようにした。龍也はすぐにわかってくれた。
「隼人。お前はしょうじきになるんだ。お前はどうなってほしい?」
俊介は隼人の正面に座って真剣に話した。
「……そりゃ、縁とは離れたくない。でも」
「お前は本気でそう思ってるんだな? 本気で最連寺と一緒にいたいんだな?」
俊介が鋭く真剣な目つきで迫ってくる。
「……あ、ああ」
「なら、お前の心は決まってるじゃないか。最連寺を説得して、一緒にいてくれと頼め」
「そ、そんなことできるはずないだろ! そもそも、甲子園目指してたのは縁のためなんだ。約束したとき、縁は甲子園にいけば自分のことについてわかりそうだって言った。それは当たっていた。目の前には本当の親がいるんだ。せっかく会えた家族を、俺のわがままでまた別れさせていいのかよ」
「それでも、お前がそれ以上に最連寺を幸せにしてあげればいいんだ。なんなら結婚してもいい」
「いや、それは無理だろ。俺まだ17だし」
「なら次は結婚の約束でもしろ。結婚してなくてもよく同棲する人はいるだろ? 高校卒業したら結婚しますって言え」
「そんな無茶な。お前、人事だと思ってそんなこと言ってんだろ」
「俺は真剣だ!」
俊介はいきおいよく立ち上がって隼人に言った。
「俊介……」
「隼人。俺は2人が幸せになってほしい。せっかくここまできて、離れ離れってないだろ。どこの恋愛ドラマだよ。そんなの悲しすぎるぜ」
「で、でもよ……」
「きっと最連寺も同じ気持ちだ。あいつも隼人と一緒にいたいと思ってる。だから答えが出ないんだ。お前も男なら、最連寺を助けてやれ!」
たしかに俊介の言うとおりだ。全ての言葉が重く心に響いてくる。
隼人はそっと縁のほうを見た。
「縁ちゃん。もう一度聞かせて。縁ちゃんは、隼人くんのことが好きなの?」
灯が真剣な表情で縁に問い掛けた。
縁はうつむきながらそっと口を開いた。
「……好きです」
「だったら一緒にいればいいじゃない。このまま離れていいの?」
「……嫌です。でも、せっかく会えた私の両親に何て言えば……」
「今の気持ちをそのままぶつけるの。そしたら両親だって何も言えないわよ」
「でも、そんなこと言っても隼人さんが何て言うか……」
「隼人くんも縁ちゃんが好きって言ったんでしょ? だったら助けてくれるわよ」
縁はうつむいてしまった。
「でも、隼人さん何も言いませんでした……」
「隼人くんも戸惑ってるのよ。聞いたでしょ? 縁ちゃんのことを考えたら自分のわがままで苦しめたくないって。それなら、本心は一緒にいたいってことよ」
「……たしかに聞きました。でも、隼人さんはそんなことして喜ばないと思います」
「なんで? 好きな人と一緒にいられるのに嫌なんて言う人いないでしょ?」
縁はそっと笑みを浮かべた。
「隼人さんは優しいですから。無理してでも、私を両親と一緒にしようとします」
「それは……確かにそうかもしれない。でも、私は納得できない。愛し合っている2人は、一緒にいるべきだよ」
灯は少し涙目になっていた。
そんな灯を見て縁はそっと手を握った。
「ありがとうございます、灯さん。こんなにも心配してくれる友達ができて嬉しいです。だから……だから、隼人さんをお願いしますね」
縁は最後満面の笑顔で言った。
「縁ちゃん……」
「今日の夜、答えを出します。……隼人さんと話し合って」
灯はそっとうなずいた。そして俊介のほうを見る。
二人は目が合い、うなずくと立ち上がった。
隼人と縁は暗い中、外に出て行った。
俊介と灯はその後ろを見届けた。
「そっちはどうだった?」
灯は首を振った。
「もしかしたらダメかも。縁ちゃん優しすぎるし……。私にもわからない」
「俺も何とか説得したけど……。やっぱり、最後はあの2人だな」
すると、灯は再びソファに座った。
「私、ここで2人を待ってる。縁ちゃんと最後かもしれないもん。できるだけ、話したいし……」
俊介はうなずいた。
「わかった。監督には俺が全部言っとく。じゃ、おやすみ」
「おやすみ……」
俊介は一目出入り口を見ると静かにその場を後にした。
隼人と縁は夜道を歩いていた。
雲が無く、満面の星と満月が照らしていた。静かな空気に包まれ、一言も話さずただ歩いていく。
どちらもこれからどうするか考えていた。何を言えばいいのか。何から話せばいいのか。お互い顔をそむけ、気まずそうにしていた。
「え、えと、隼人さん、俊介さんと何話してたんですか?」
「え、いや、その……ゆ、縁は灯と何話してたんだ?」
「え、えと、い、いろいろと……」
そして沈黙が始まる。言いたいことは山ほどある。だが、それをうまく口にできなかった。
縁はそっと隼人を見た。隼人は縁のほうを見ないようにしている。
縁は頬を赤くすると、そっと手を握った。
「ゆ、縁……?」
縁は無言のまま手を繋ぎ歩いていく。隼人も頬を赤く染めながら手を握り返した。
「隼人さん……」
2人は一つの橋の上で立ち止まった。下では星や月が反射して映り、きらきらと輝いていた。
「綺麗ですね」
「ああ」
縁はそっと隼人から手を離すと左腕に抱きついた。
「隼人さん、ごめんなさい」
縁はぎゅっと腕を抱きしめた。そして意を決し、口を開いた。
「私……お父さんとお母さんの元にいきます」
そこで隼人は強く唇を噛み締めた。心の動揺を必死に抑える。
「前のお父さんとお母さんにはとても感謝してます。ここまで優しく、本当の親のように接してくれて。とても嬉しかったです。でも、これ以上迷惑をかけるわけにはいきません。……仕方ないです」
縁は星を見上げながら呟いた。
「いつか、きっと会えます。離れても、いつかきっと……。私たちの心は繋がっていますから」
「縁!」
隼人は縁を抱きしめた。右腕が痛くても、両手でぎゅっと抱きしめた。
「隼人さん……?」
「俺……俺……縁のこと好きだ。大好きだ。離れたくない。これからもずっと、一緒にいたい」
隼人は大粒の涙を流しながら自分の心をしょうじきに言った。
「俺、幸せにするから。お前を、絶対に幸せにするから。本当の親がいなくても、寂しい想いさせないから……。だから……だから……」
縁もそっと腕を上げると抱きしめた。そして涙を流しながら笑みを浮かべた。
「ずるいですよ、隼人さん。私が言いたかった台詞、全部言って。……私だって……私だって、隼人さんと離れたくありません。ずっと、ずっと……一緒に幸せになりたいです」
「縁……」
2人は見つめ合った。そしてゆっくりと顔を近づけ、口付けを交わした。
その姿を、月の光が祝福するように照らしていた。
次の日。縁は午前中に荷物をまとめ、ロビーの前にいた。
施設の前では大きな車が止まり、中から縁の両親が出てきた。
「それで、答えは出たかな」
幸一さんが問いかける。縁はそっとうなずいた。
「はい。……一緒に住むことにしました。これから、よろしくお願いします」
それを聞いて2人は縁に抱きついた。
「ありがとう。本当に……」
縁もそっと抱き返した。
「はい。お父さん、お母さん」
目の前には家族が嬉しそうに抱き合っていた。
隼人はその光景をじっと見ていた。
「よかったのか。お前は」
鬼塚監督が言葉をかける。
「よかったんですよ。これで……」
隼人はうつむくと、その場をあとにして部屋に戻った。
部屋に戻るとみんなから質問攻めにあった。
「おい、隼人。最連寺これからどうなるんだ?」
真っ先に真治が聞いてくる。
「本当に行っちゃったの?」
広和が残念そうに言う。
「先輩止めなくていいんですか?」
翔一が言う。
「隼人くんは、それでいいんですか?」
勇気が後ろから言ってくる。
「……いいんだ。これで、よかったんだ」
隼人は潤んできた目を拭くと、みんなから離れた。
「隼人……」
「隼人くん……」
その様子を俊介と灯が心配した目で見ていた。
縁は荷物を車に入れてもらっていた。
そのとき、鬼塚監督が話し掛けてきた。
「最連寺。いや、上杉優香か。お前はこれでよかったんだな」
縁は少し戸惑い、そして曖昧にそっとうなずいた。
すると、鬼塚監督は一枚の封筒を差し出した。
「寂しくなったとき、これを開けろ。きっと力になる」
そういって鬼塚監督は幸一さんたちに一言いって施設に戻った。
縁と両親は家に向かって車を走らせていた。そして数分して大きな家へと着いた。
「ここがお前の家だ。ささ、入って入って」
幸一に促され、縁はおどおどしながら中に入った。
綺麗な家で、広く高級感があった。そして自分の部屋を紹介され中に入る。縁はベッドに座ると重いため息を吐いた。
夕食の時間になり、3人は大きな机を囲み、食事を始めた。だが、縁はいっこうに手をつけなかった。
「ええと、前は最連寺縁と言われてたんだな。これからは、お前の名前は上杉優香だ」
「はい……」
「そんなにかしこまらなくていいんだよ。私たちは家族なんだからね」
「はい……」
縁はそっと外を眺めた。知らない両親。一緒にいてもつまらなかった。頭の中では隼人のことばかり考えてしまう。
「隼人さん……」
そのとき、幸一はそっと口を開いた。
「優香。いや、今は縁、と言っておこう。縁は、隼人くんのことが好きかな?」
縁ははっきりとうなずいた。
「はい。とっても……」
「では、なぜ好きなのかな?」
「え?」
縁は考えた。なぜ自分は隼人が好きなのだろうか。自然と好きになったから。それとも何か理由が?
幸一は優しく笑みを浮かべ、パイプを吸いながら口を開いた。
「私はね、妻の早苗を本当に愛している。いつも一緒にいると落ち着くし、なにより料理がうまくおいしい。優しく、強く、自慢の妻だよ」
「もうあなた。子供の前でそんなこと」
「いやいや、本当だとも。それにね、縁。私はね、早苗と一緒にいると一番こう思うんだ。……心の支えになっていると」
「心の支え……?」
「そうだ。愛し合っているものは、お互いを支え合わなければならない。それは歳など関係ない。どんなに若かろうと、どんなに歳をとっていようと。なにより、そんな人と巡り合えたことを幸運に思える。だからね、縁。親はね、そんな人を自分の子には見つけてもらいたいのだ」
縁は膝の上でぎゅっと拳を握った。そしてぽろぽろと涙を流す。
自分の心の支えとなっているのは、この世でただ一人しかいない。
「縁。もう一度考えてくれ。あの男と一緒にいたいと思わないかね? 私たちはかまわないんだよ。そりゃ、一緒にいてくれたらこの上なく嬉しく思う。でも、悲しんでる娘は、見たくはないんだ」
そこで縁は顔を抑えた。
「ごめんなさい。お父さん、お母さん。私……隼人さんと離れたくないです」
縁は席を立つと急いで部屋に入った。そしてベッドに倒れて声を上げて泣いた。
「隼人さん……隼人さん……」
そのとき、鬼塚監督の言葉を思い出した。あの封筒。
縁は封筒を取り出し、中を確信した。それを見た縁は一度驚いた表情になると、笑みを浮かべながら抱きしめた。
「ありがとうございます……」
隼人はコーチとして天龍高校にいた。腕は治療中である。
早く治れば来年には間に合うかもしれない。だが、その可能性は低い。
それでも隼人は治そうと思った。治してもう一度甲子園に行く。そして縁に会う。
そのために隼人は努力を積み重ねてきた。
今日も練習が終わったあと、ランニングをする。神龍神社に向かって走っていく。
腕は使ってはだめだが、走ったり体にあまり負担をかけないのならばいいそうだ。
隼人はゆっくりと走っていく。
そして神龍神社に着いた。目の前には今日もずっしりと立っている大木がある。
だが、そこには先客がいた。
隼人は何気なく歩いて近づいていく。そこで隼人は目を疑った。
そこにはいるはずのない人が立っていたのだ。
「ゆ、縁……」
その人物はゆっくりと振り返った。そして嬉しそうに小さく笑みを浮かべて隼人を見る。
「待ってましたよ」
「で、でも、お前、何でここに?」
縁はゆっくりと隼人に近づいた。そして幅が縮まると言った。
「会いに来たんです。隼人さんに、会いたくて」
縁は目を閉じると自分の胸を抑えてそっと口を開いた。
「隼人さんは、私の心の支えです」
「心の支え?」
「はい。私は隼人さんがいるから、これまで頑張ってこれました。そばにいて、助けてくれて、愛してくれて。そんな隼人さんが私、好きです」
「縁……」
「今度は、私が隼人さんの心の支えになります。これからも、よろしくお願いしますね」
そこで縁は満面の笑みを見せた。
「縁!」
隼人は強く抱きしめた。
「ありがと……。ありがと……。本当にありがと……」
縁も優しく抱き返した。
「お礼なら鬼塚監督に行ってください。別れた直前、鬼塚監督はくれたんです。チケットを」
「あの鬼監督も、たまには良いことするな」
「ふふ、たまにですね」
2人は見つめ合った。
「縁。これから俺は、お前を一生愛して、幸せにすることを約束する」
「はい。私も隼人さんを愛し、全力でサポートすることを約束します」
2人は微笑み会う。そして静かに目を閉じ、そっと口付けを交わした。