十七回裏:それぞれの夢と目標
マウンドの光景を見て誰もが息を呑んだ。いったい何が起きているのか、なぜエースが腕を抑えているのか。天龍高校のスタンドも、猛虎学園のスタンドも静まりかえって注目していた。
「ここで腕が……」
京介は悔しそうに手の平に拳を打ちつけた。
「な、何やってんだよ、あいつ……」
千石は思わず立ち上がるほど動揺していた。
「隼人のやつどうしたんだ?」
「すっげぇ痛そうだぞ」
「腕どうかしたのか?」
隼人の元チームメイトの朱雀高校の選手もざわつく。
「あなた……」
「ああ。あいつ、やってしまったな……」
隼人の両親もその姿を見ていた。
「ど、どうしたんですか、和田隼人は。腕を抑えてうずくまってますよ」
川端は慌てて見ている。森本は椅子に深く座り、ため息を吐いた。
「ここで来たか。神様もいじわるなもんだ」
鬼塚監督は腕を組みながら冷や汗をかいていた。とうとう、来てしまったか……。
「どうやら、来たようですね」
七番ファーストの一鷹が呟いた。
「ああ、これで、おれたちの勝ちは決まったな」
六番ショートキャプテンの赤織が答える。一番センターの神風は残念そうに舌打ちをした。五番ピッチャーの榎本は愕然とした表情で隼人を見ていた。四番キャッチャーの西条はじっと無表情で見ていた。
「は、隼人……」
俊介が駆け寄る。そしてみんな集まった。その後ろから審判も来た。
「君、どうしたのかね?」
審判が隼人に触れようとしたときだった。隼人はにやっと笑って顔を上げた。
「ははは、すみません。俺が猛虎学園を抑えたと思ったらつい嬉しくなって」
隼人は大声で笑った。それを見てみんな安堵する。審判も安堵するが間際らしいことしないようにと注意した。
だが、俊介だけは違った。隼人はずっと腕を抑えている。そしてあの尋常じゃない汗の量。完全に無理に笑っている。隼人は、腕を壊したんだ……。
隼人はベンチにどさっと座った。そしてタオルを被って顔を天井に向けた。そのとき、縁が隼人の前に立った。
「みなさんも、聞いてください……」
縁の言葉にみんな注目した。隼人はタオルを取ると縁を見た。
「……隼人さんの腕は……壊れています」
「え?」
そこで全員が驚嘆な声を上げた。
「じゃ、い、今までどうやって投げてたんだよ。あいつら相手に腕壊して三振なんて取れるかよ」
真治が言うと、龍也がそっと口を開いた。
「……痛み止めか」
「痛み止め?」
「神経を麻痺して痛みを和らげるんだ。まるで治ったかのように。だが、実際治っていない。その蓄積された痛みが今来たんだろう」
「つまり、痛み止めが切れた、ってことだろ」
直人が付け加える。それを聞いてみんな隼人を見た。隼人はそんなみんなの表情を見て笑った。
「なんだよ、みんなそんな負けたような顔して。俺の腕は大丈夫だよ」
「大丈夫ではありません!」
縁が叫んだ。
「隼人さん……お願いです。本当に、これ以上投げないでください。もう、見たくないんです。……中学最後の大会で、隼人さん泣きましたよね。あのときの隼人さんを見て、私は怖かったんです。隼人さんが傷ついて、泣いて、悔やんで、そんな姿をもう見たくないんです!」
「縁……」
「……だから、もう投げないでください。隼人さん」
そのとき、審判がベンチに来た。
「なにしてるんですか。次のバッターは?」
「あ、オレだ」
真治は急いで準備するとバッターボックスに向かった。
七回表。天龍高校の攻撃。4‐0で猛虎学園のリード。天龍高校は未だノーヒット。
真治は打席に入るとチラッと隼人を見た。あいつがそこまで頑張っているとは思わなかった。あんなにボロボロなのに、自分たちはまだ1点も取っていない。本当に情けない……。仲間なら、助けるのが当たり前だ。それに、自分には盗塁王になる夢がある。そのために、ずっと何百本も走ってきたんだ。こんなところで負けてたまるか。
「うおおおお!」
真治は榎本のストレートを打った。鋭い打球はレフト前に転がった。真治は一塁でガッツポーズをして吠えた。天龍高校この試合初ヒットだ。
「よっしゃ~!」
「いいぞ、真治!」
そんな真治を見て、広和は闘志をむき出した。小さくて、何もできなかった自分も、野球だけは誰にも負けたくなかった。才能がない自分に、自分にしかできないことを見つけることができた野球。自分ができるのは、すばやい反復とシミュレーション。これで、自分はチームを救うんだ。
「オレだって、いつまでも負けてそのままだと思うなよ!」
広和も真治に続いてセンター前に打った。
「よっしゃ!」
「ナイス、広和!」
今完全に流れは天龍にある。ここでようやく息を吹き返した。
「隼人……」
直人は打席に入る前に隼人を見た。オレはあいつのおかげでまた野球ができた。逃げ出そうとしていたオレに、野球をしようと誘ってくれた。まだ、その恩返しはしていない。なら、この試合に勝って返してやる。オレは県選抜に選ばれた名三塁手だ。誰にも負けない。
三番の直人は意表をつくバントをして送った。ワンアウト二、三塁。
ここで四番俊介だ。俊介は一目見た。未だに対峙している隼人と縁。俊介はぎゅっとバットを握った。
「ピッチャーを救うのが、キャッチャーの務めだ。そうだろ、兄貴」
俊介は気合を入れて打席に入った。榎本は疲れた目で俊介を見た。
西条は少し焦っていた。ここで榎本の弱点が出た。榎本は体力がない。なのに、最初から飛ばす。これが悪いところだ。このままでは打たれる。
西条は敬遠しようとした。俺たちの守備ならダブルプレーのほうが確立は高いからだ。
だが、榎本は首を振った。そして隼人を見た。あいつがあそこまで頑張っているのに、俺がここで逃げるわけにはいかない。
榎本は初球渾身の一球を投げた。そのときだ。俊介の構えが変わった。スクイズ?
打球がピッチャー前に転がる。俊介はおもいっきり走った。
「榎本! 間に合わない! 一塁だ!」
西条が叫ぶ。真治はスライディングしてホームに還ってきた。榎本は急いでボールを掴むと一塁に投げようとした。だが、足が崩れてしまった。投げるに投げられない。俊介は内野安打。ここで天龍高校は1点を返した。
「よっしゃ~!」
「ナイス、俊介!」
「ここでスクイズはすげぇぞ!」
俊介は一塁で腕を突き上げた。天龍高校を応援している生徒たちも大きな歓声を送った。真治はみんなから手荒い歓迎を受け、嬉しそうに喜んでいる。
隼人はその姿を見て笑みを浮かべた。
「ふん。1点返したぜ」
「……はい」
「これで3点差。この差を守るのは他に誰がいる。俺しかいないだろ」
「それでも、隼人さんには投げて欲しくありません」
隼人はそっと縁を見た。縁はじっと隼人を見る。心配して、悲しげな目を送る。隼人は帽子を深く被って目を見ないようにした。その目だけは、苦手なんだ……。
そして五番の龍也が打席に入った。そして考える。榎本はずっとストレート主体のピッチングをしている。そのスタイルは変わらない。やっかいなのはチェンジアップ。その組み合わせは難しい。だが、榎本の変化球はタイミングが合わせづらいが、見えやすいのだ。速球が来ればストレートか高速スライダー。曲がればカーブ。遅ければチェンジアップ。これらに対応するにはこれしかない。
龍也は左打席で片足を上げた。一本足打法だ。
その姿に榎本は舌打ちをした。実は一本足打法に弱いのだ。西条はサインを出し、榎本はチェンジアップを投げてきた。
来た! 龍也は慌てずタイミングを合わせた。足を出すと腰を回転させコンパクトに振り抜く。
カキンッ!
打球は空高く上がった。そして外野が下がる。そして勢いがなくなり落ちてくる。ボールは外野のほうへ。センターの神風がすばやく回り込み、捕る体勢に入った。広和が走る準備に入る。そして捕った。
「ゴー!」
真治に言われ広和はホームに向かって走った。
「そう何点も入れさせるかよ!」
神風は強肩を活かしてバックホームした。レーザービームが西条のミットに向かって来る。
「広和!」
広和は滑り込んだ。そしてホームに手を伸ばす。西条もボールを捕るとブロックした。そこでぶつかり合いが生じた。砂埃が立つ。誰もが判定を待った。時間がゆっくりと流れるように感じた。主審は手を大きく広げた。
「セーフ! セーフ!」
「よっしゃ~!」
「2点目~!」
猛虎学園は悔しそうに喜んでいる天龍高校の姿を見た。
「あいつら、どこにあんな力が……」
一鷹が呟いた。榎本はマウンドで膝に手をついて息を整えていた。その表情は絶望を味わったように動揺していた。
「やばいな……」
キャプテンの赤織はタイムをとり、マウンドに集まった。
「落ち着け。今勢いはあっちにあるが、アウトを取れば止めることができる。たまたまラッキーが続いているだけだ。まだ2点差。おれたちなら勝てる! 王者猛虎学園は負けるわけにはいかない。あの舞台に立つまでは、日本一になるためには、負けるわけにはいかないんだ!」
赤織の言葉に全員がうなずいた。
「よし、行くぞ! ノックは死ぬほどやったんだ。自分を信じて、あとワンアウト取りに行くぞ!」
「おう!」
猛虎学園のナインは散っていった。西条は榎本にボールを渡すと戻っていく。榎本はボールを握り締めると歯を食いしばった。
「あんなヘボどもが……俺から点を取りやがって……」
榎本は怒りに満ち溢れながらボールを放った。しかし、あまりに力みすぎてストライクが入らない。
六番の勇気はじっくり見てバットを構えた。自分は隼人のおかげで仲間ができ、野球ができるようになった。いじめられて、逃げることしか知らなかった自分を、一緒に野球をしようと誘ってくれた。今僕は、チームメイトのために打つ!
勇気は榎本の甘い球をジャストミートした。打球は高く上がっていく。そして落ちてきた。外野と内野の間。おもしろいところに向かっている。
「落ちろ!」
「落ちてくれ!」
ボールがセンターと二塁の間で落ちようとする。だが、
「おらああ!」
ショートの赤織が飛びついて捕った。綺麗にグラブを伸ばし捕球する。二塁審は腕を上げてアウトと叫んだ。
これで七回表は終わった。だが、この2点は大きかった。あと少しで追いつくのだ。みんなに勢いがつき、なにより自信がついた。まだ終わりではない。自分たちの力で、あの榎本から点が取れると。
「クソ!」
榎本はベンチに戻ってくるとグラブを椅子に叩きつけた。その様子を全員が見ている。
「榎本……」
「俺が二失点だと……。俺がヒットを打たれた……。あんなド素人チームに!」
榎本は拳を握って椅子を殴ろうとした。そこで赤織が榎本の腕を掴んで止めた。
「落ち着け、榎本」
「あ、赤織さん……」
「お前は野球を何だと思ってる。簡単に勝てるほど、野球は甘くない。去年の甲子園で学んだはずだ。準決勝で敗れたのは、その甘さのせいだろ」
そこで榎本は黙りこんだ。去年の甲子園準決勝。勝てば決勝に行けた。相手は初出場のチーム。誰もが猛虎学園の勝利だと確信していた。だが、そんな甘さのせいで負けてしまった。それも、榎本の甘いピッチングのせいで。
赤織は榎本を離すと口を開いた。
「みんな聞け。おれたちはなぜこの王者猛虎学園野球部に入った。みんなそれぞれ夢、目標、意気込みがあったから入ったはずだ。試合に勝ちたい。甲子園にいきたい。日本一になりたい。そのためにこの学園を選んだ。その中でも、特待で入ったものには使命がある。この学園を日本一強いことを全国に知らしめることだ。神風、皇乃、海道、西条、榎本、一鷹、そしておれを含めた七人はそのために選出され、スタメンとして使われている。……この史上最強のチームで、日本一を取るんだ! ヒットを打たれようと、点を取られようと、勝ったものが勝者だ! 最後に笑って立っているのはおれたちだ! いくぞ!」
「おう!」
ベンチの選手全員が返事をした。その様子を見ていた監督の秋山は、小さく笑みを浮かべた。こいつをキャプテンに選んで正解だった。やはり頼りになる。監督の自分ではなく、同じくらいの年齢で、同じ立場の人間がいうほうが、何倍も効果が現れる。それは一緒に耐え、頑張ってきたことをみんなが知っているからだ。これほど頼もしい選手は全国どこを探してもいない。悪いな、鬼塚。この試合、勝たせてもらう。
隼人はグラブを持つと立ち上がった。そして縁を無視して通り過ぎようとする。
「……行くのですか?」
「……ああ」
「……どうやったら、隼人さんは止まるんですか? どうやったら私は悲しまなくてすむんですか?」
縁はぎゅっと両手で拳を握りしめ涙を流した。隼人はベンチから出て呟いた。
「……ごめん、縁。俺は、止まらない」
隼人は走ってマウンドに向かった。
七回裏。猛虎学園の攻撃。4‐2で猛虎学園のリード。打順は一番の神風からだ。
「いや~。赤織のやつ久々にいいこと言いやがって。こりゃ、その期待に応えないとな。盗塁王として」
神風は軽くバットを構え隼人を見る。
隼人は左手でぎゅっと右腕を握った。頼む、あと三回だ。たった三回。それだけ持ってくれ。
隼人は大きく振りかぶっておもいっきり投げた。
「うっ!」
腕に痛みが走った。もう痛み止めの効果が切れているのだろうか。でも、まだこのくらいの傷みなら我慢できる。
「うああっ!」
隼人は痛みに耐え投げる。球速は148キロ。とうとう150キロ出なくなった。
「けっこう球速落ちたな。これなら楽に打てるぜ」
神風は次のボールは打った。打球は隼人の横を抜けてセンターへ。
「くそ」
一塁に神風が入る。大会一足が速い選手だ。盗塁の可能性は十分にある。
神風は笑みを浮かべながらリードを取っていく。隼人は神風を気にしつつ投げた。そのとき神風が走り出した。盗塁だ!
「させるかよ!」
俊介が二塁へ送球する。綺麗に逆回転したボールが一直線に向かっていく。そのボールを龍也が取った。しかし、取ったときには神風は盗塁を決めていた。
「楽勝~。三塁も奪っちゃおうかな~」
神風は隼人に向かってなめた口調で言ってくる。隼人はバッター集中でいくことにした。ランナーばかり気にしてもダメだ。自分のピッチングを心がける。
今打席に入っているのは二番セカンドの皇乃。チーム一のくせもので、何をするかわからない。ヒットか、バントか、何でもそつなくこなすこいつは苦手だ。
皇乃は最初から右打席に立ちバントの構えをしていた。ここは送るつもりだろうか。カウントはボールワン。ここでストライクを取りにいった。すると、皇乃はサードに向かってバントしてきた。
「まかせろ!」
直人がすばやくバント処理にいく。しかし、ボールは線を越え、ファールになった。
「ちっ、ファールか」
直人はボールを取ると隼人に投げた。そこで隼人は疑問を浮かべた。なぜ皇乃はサード側にバントしたのだろうか。直人の足の速さは海道のときにわかっているはず。ならばファースト側に送るほうが確率は高い。なのに……。
隼人はセットポジションに立つ。腕は大丈夫だ。まだ我慢できる。吹き出る汗を拭くと、皇乃と対峙した。皇乃はまたバントの構えをしている。
隼人はバントをさせて、ワンアウトを取るつもりで投げた。同時に直人も走り出した。そのとき、皇乃が笑みを浮かべた。それを隼人は見逃さなかった。もしかして、
「直人! いくな!」
隼人は投げたあと叫んだ。しかし、すでに直人はバント処理に走っている。遅かった.皇乃はバントからヒッティングの構えになった。ここで直人も気づいた。バスター?
皇乃がバスターでボールを打った。打球は直人の横を通りレフトへ。だが、すぐに気づいた龍也が飛びついて何とかキャッチできた。しかし、皇乃は内野安打で進出。神風は三塁に進塁。ノーアウト一、三塁。ここで三番サードの海道だ。
「さてと、ここで1点は欲しいよな」
海道は打席に入る前に屈伸して体をほぐす。その間に俊介はこの状況をどうするか考えていた。試合も後半。もう1点も与えることはできない。海道は右バッターだ。隼人は右投げだから少しは打ちづらいはず。わずかの可能性でも賭けて打ち取るんだ。
だが、俊介の考えは打ち砕かれた。海道は左打席に入った。今までずっと右で打っていたのに。
「悪いな。おれじつはスイッチヒッターでね。これは甲子園までとっておこうと思ったけど、お前らには使わないとやばいと思ってね。それに、おれ本来左だからおもいっきりいくよ」
俊介は舌打ちした。海道の秘密はこれだったか。
隼人は流れる汗を脱ぐって剛速球を投げた。放たれたボールは俊介のミット向かって走っていく。150キロのボールだ。渾身の一球を投げた。しかし、それを海道はいとも簡単に打った。
カキンッ!
打球は高く上がっていく。ライト線に一直線だ。まさか、ホームラン? しかし、打球は惜しくも外れファールとなった。
「ああ~、惜しい。もう少しだったのに」
隼人と俊介は焦った。海道はアベレージヒッターとして三番を任せられているのに、何てパワーなんだろうか。
隼人はぐっと海道を睨み、自分が出せる力を搾り出し投げた。だが、鋭い打球になって難なく返って来る。海道の打球はまた一塁側へのファール。どこまですごいのだろうか。そして次の球で海道は打った。鋭い打球が隼人に襲い掛かる。隼人はグラブを前に出した。バチッっとした音が響き前に落ちた。ピッチャー強襲だ。
「隼人、前だ!」
隼人は閉じていた目を開けた。そしてボールを見つけると一塁に投げようとする。しかし、海道は一塁を蹴ってしまった。神風はさすがに走っていない。
これで満塁。そして、バッターは四番の西条だ。
西条は大きくバットを振り、右打席に入った。周りからは大きな声援が送られ、猛虎学園の応援は凄まじかった。
「西条……」
隼人は肩で荒く息をしながら西条を見た。ここで終わるわけにはいかない。なんとかして抑えるんだ。
ノーアウト満塁。4‐2で負けている。これ以上、点差は開かせない。流れを断ち切る。
隼人は渾身の一球を投げた。それを西条は簡単に打った。
「え?」
初球を打った打球は外野へと飛んでいく。真治が必死になって追っていた。
「取れ! 真治!」
「絶対取るんだ、真治!」
打球の勢いがなくなり落ちていく。真治はグラブを伸ばす、あと少しで落ちる。目の前にはフェンス。あと少しでホームランになる。きわどいところにボールは落ちていく。
「くっそおお!」
真治は勢いよく飛び込んだ。ボールが真治のグラブに近づいていく。真治が腕を伸ばす。しかし、ボールは地面に落ちてしまった。
「ゴー!」
落ちた瞬間、神風、皇乃、海道は走り出した。真治はすぐに起き上がってボールを掴むと投げた。中継に入っていた龍也が取りバックホーム。
「おせえよ」
神風はすでにホームイン。つづいて皇乃もすべり込んで2点目。そのときボールが俊介のもとに帰ってきた。海道は三塁、西条は二塁で止まる。そこで一斉に歓声が沸き起こった。
「ナイスバッティング!」
「さすが強力打線の四番!」
「いいぞ、西条!」
西条は汗を拭きながらじっと隼人を見ていた。
隼人は膝に手をつきながら息を整えていた。打たれた。打たれてしまった。打たれては、いけなかったのに。
周りの歓声が耳に響き、すべてが敵に思えた。自分は今一人。孤独になった気分だった。勝つ気がしない。勝利の光も、希望も見えない。ここで終わるのだろうか。
「隼人くん……」
灯が心配した声で呟いた。あんなにきつそうな隼人の姿を見るのは初めてだった。苦しそう。代われるなら、すぐにでも代わりたい。でも、そんな力は自分にはない。どうしたらいいのだろうか。今自分に、隼人を救う力があるのだろうか。
縁はベンチで呆然と立ちすくんでいた。だから言ったのだ。こうなるから。あんな苦しい思いをするから止めたのに。縁はバックから隼人から貰った硬球を握り締めた。
「隼人さん……」
「隼人」
俊介がマウンドに上がり隼人に話し掛けた。隼人はそっと顔を上げて俊介を見た。
「な、なんだよ、俺はまだ投げれるぞ……」
隼人の目は死にかけたもの同然だった。でも、その奥ではまだ光を失っていなかった。ここまでよく頑張った。その苦しみは痛いほどわかる。ここでなにもしないキャッチャーなんて、マスクを被る資格はない。俺は天龍高校のキャプテン、池谷俊介だ。チームメイトを救ってやるんだ。
俊介はそっと笑みを浮かべると口を開いた。
「ああ、わかってるよ。ちょっと耳かせ。今から作戦を言う。これでこの回抑えるぞ」
俊介は最終手段を取ることを決意した。大きな賭け、試合の命運を賭けた、博打を。