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ストライク  作者: ライト
35/38

十七回裏:それぞれの夢と目標

 マウンドの光景を見て誰もが息を呑んだ。いったい何が起きているのか、なぜエースが腕を抑えているのか。天龍高校のスタンドも、猛虎学園のスタンドも静まりかえって注目していた。


「ここで腕が……」


 京介は悔しそうに手の平に拳を打ちつけた。


「な、何やってんだよ、あいつ……」


 千石は思わず立ち上がるほど動揺していた。


「隼人のやつどうしたんだ?」


「すっげぇ痛そうだぞ」


「腕どうかしたのか?」


 隼人の元チームメイトの朱雀高校の選手もざわつく。


「あなた……」


「ああ。あいつ、やってしまったな……」


 隼人の両親もその姿を見ていた。


「ど、どうしたんですか、和田隼人は。腕を抑えてうずくまってますよ」


 川端は慌てて見ている。森本は椅子に深く座り、ため息を吐いた。


「ここで来たか。神様もいじわるなもんだ」


 鬼塚監督は腕を組みながら冷や汗をかいていた。とうとう、来てしまったか……。


「どうやら、来たようですね」


 七番ファーストの一鷹が呟いた。


「ああ、これで、おれたちの勝ちは決まったな」


 六番ショートキャプテンの赤織が答える。一番センターの神風は残念そうに舌打ちをした。五番ピッチャーの榎本は愕然とした表情で隼人を見ていた。四番キャッチャーの西条はじっと無表情で見ていた。


「は、隼人……」


 俊介が駆け寄る。そしてみんな集まった。その後ろから審判も来た。


「君、どうしたのかね?」


 審判が隼人に触れようとしたときだった。隼人はにやっと笑って顔を上げた。


「ははは、すみません。俺が猛虎学園を抑えたと思ったらつい嬉しくなって」


 隼人は大声で笑った。それを見てみんな安堵する。審判も安堵するが間際らしいことしないようにと注意した。


 だが、俊介だけは違った。隼人はずっと腕を抑えている。そしてあの尋常じゃない汗の量。完全に無理に笑っている。隼人は、腕を壊したんだ……。


 隼人はベンチにどさっと座った。そしてタオルを被って顔を天井に向けた。そのとき、縁が隼人の前に立った。


「みなさんも、聞いてください……」


 縁の言葉にみんな注目した。隼人はタオルを取ると縁を見た。


「……隼人さんの腕は……壊れています」


「え?」


 そこで全員が驚嘆な声を上げた。


「じゃ、い、今までどうやって投げてたんだよ。あいつら相手に腕壊して三振なんて取れるかよ」


 真治が言うと、龍也がそっと口を開いた。


「……痛み止めか」


「痛み止め?」


「神経を麻痺して痛みを和らげるんだ。まるで治ったかのように。だが、実際治っていない。その蓄積された痛みが今来たんだろう」


「つまり、痛み止めが切れた、ってことだろ」


 直人が付け加える。それを聞いてみんな隼人を見た。隼人はそんなみんなの表情を見て笑った。


「なんだよ、みんなそんな負けたような顔して。俺の腕は大丈夫だよ」


「大丈夫ではありません!」


 縁が叫んだ。


「隼人さん……お願いです。本当に、これ以上投げないでください。もう、見たくないんです。……中学最後の大会で、隼人さん泣きましたよね。あのときの隼人さんを見て、私は怖かったんです。隼人さんが傷ついて、泣いて、悔やんで、そんな姿をもう見たくないんです!」


「縁……」


「……だから、もう投げないでください。隼人さん」


 そのとき、審判がベンチに来た。


「なにしてるんですか。次のバッターは?」


「あ、オレだ」


 真治は急いで準備するとバッターボックスに向かった。


 七回表。天龍高校の攻撃。4‐0で猛虎学園のリード。天龍高校は未だノーヒット。


 真治は打席に入るとチラッと隼人を見た。あいつがそこまで頑張っているとは思わなかった。あんなにボロボロなのに、自分たちはまだ1点も取っていない。本当に情けない……。仲間なら、助けるのが当たり前だ。それに、自分には盗塁王になる夢がある。そのために、ずっと何百本も走ってきたんだ。こんなところで負けてたまるか。


「うおおおお!」


 真治は榎本のストレートを打った。鋭い打球はレフト前に転がった。真治は一塁でガッツポーズをして吠えた。天龍高校この試合初ヒットだ。


「よっしゃ~!」


「いいぞ、真治!」


 そんな真治を見て、広和は闘志をむき出した。小さくて、何もできなかった自分も、野球だけは誰にも負けたくなかった。才能がない自分に、自分にしかできないことを見つけることができた野球。自分ができるのは、すばやい反復とシミュレーション。これで、自分はチームを救うんだ。


「オレだって、いつまでも負けてそのままだと思うなよ!」


 広和も真治に続いてセンター前に打った。


「よっしゃ!」


「ナイス、広和!」


 今完全に流れは天龍にある。ここでようやく息を吹き返した。


「隼人……」


 直人は打席に入る前に隼人を見た。オレはあいつのおかげでまた野球ができた。逃げ出そうとしていたオレに、野球をしようと誘ってくれた。まだ、その恩返しはしていない。なら、この試合に勝って返してやる。オレは県選抜に選ばれた名三塁手だ。誰にも負けない。


 三番の直人は意表をつくバントをして送った。ワンアウト二、三塁。


 ここで四番俊介だ。俊介は一目見た。未だに対峙している隼人と縁。俊介はぎゅっとバットを握った。


「ピッチャーを救うのが、キャッチャーの務めだ。そうだろ、兄貴」


 俊介は気合を入れて打席に入った。榎本は疲れた目で俊介を見た。


 西条は少し焦っていた。ここで榎本の弱点が出た。榎本は体力がない。なのに、最初から飛ばす。これが悪いところだ。このままでは打たれる。


 西条は敬遠しようとした。俺たちの守備ならダブルプレーのほうが確立は高いからだ。


だが、榎本は首を振った。そして隼人を見た。あいつがあそこまで頑張っているのに、俺がここで逃げるわけにはいかない。


榎本は初球渾身の一球を投げた。そのときだ。俊介の構えが変わった。スクイズ?


 打球がピッチャー前に転がる。俊介はおもいっきり走った。


「榎本! 間に合わない! 一塁だ!」


 西条が叫ぶ。真治はスライディングしてホームに還ってきた。榎本は急いでボールを掴むと一塁に投げようとした。だが、足が崩れてしまった。投げるに投げられない。俊介は内野安打。ここで天龍高校は1点を返した。


「よっしゃ~!」


「ナイス、俊介!」


「ここでスクイズはすげぇぞ!」


 俊介は一塁で腕を突き上げた。天龍高校を応援している生徒たちも大きな歓声を送った。真治はみんなから手荒い歓迎を受け、嬉しそうに喜んでいる。


隼人はその姿を見て笑みを浮かべた。


「ふん。1点返したぜ」


「……はい」


「これで3点差。この差を守るのは他に誰がいる。俺しかいないだろ」


「それでも、隼人さんには投げて欲しくありません」


 隼人はそっと縁を見た。縁はじっと隼人を見る。心配して、悲しげな目を送る。隼人は帽子を深く被って目を見ないようにした。その目だけは、苦手なんだ……。


 そして五番の龍也が打席に入った。そして考える。榎本はずっとストレート主体のピッチングをしている。そのスタイルは変わらない。やっかいなのはチェンジアップ。その組み合わせは難しい。だが、榎本の変化球はタイミングが合わせづらいが、見えやすいのだ。速球が来ればストレートか高速スライダー。曲がればカーブ。遅ければチェンジアップ。これらに対応するにはこれしかない。


 龍也は左打席で片足を上げた。一本足打法だ。


 その姿に榎本は舌打ちをした。実は一本足打法に弱いのだ。西条はサインを出し、榎本はチェンジアップを投げてきた。


 来た! 龍也は慌てずタイミングを合わせた。足を出すと腰を回転させコンパクトに振り抜く。


カキンッ!


 打球は空高く上がった。そして外野が下がる。そして勢いがなくなり落ちてくる。ボールは外野のほうへ。センターの神風がすばやく回り込み、捕る体勢に入った。広和が走る準備に入る。そして捕った。


「ゴー!」


 真治に言われ広和はホームに向かって走った。


「そう何点も入れさせるかよ!」


 神風は強肩を活かしてバックホームした。レーザービームが西条のミットに向かって来る。


「広和!」


 広和は滑り込んだ。そしてホームに手を伸ばす。西条もボールを捕るとブロックした。そこでぶつかり合いが生じた。砂埃が立つ。誰もが判定を待った。時間がゆっくりと流れるように感じた。主審は手を大きく広げた。


「セーフ! セーフ!」


「よっしゃ~!」


「2点目~!」


 猛虎学園は悔しそうに喜んでいる天龍高校の姿を見た。


「あいつら、どこにあんな力が……」


 一鷹が呟いた。榎本はマウンドで膝に手をついて息を整えていた。その表情は絶望を味わったように動揺していた。


「やばいな……」


 キャプテンの赤織はタイムをとり、マウンドに集まった。


「落ち着け。今勢いはあっちにあるが、アウトを取れば止めることができる。たまたまラッキーが続いているだけだ。まだ2点差。おれたちなら勝てる! 王者猛虎学園は負けるわけにはいかない。あの舞台に立つまでは、日本一になるためには、負けるわけにはいかないんだ!」


 赤織の言葉に全員がうなずいた。


「よし、行くぞ! ノックは死ぬほどやったんだ。自分を信じて、あとワンアウト取りに行くぞ!」


「おう!」


 猛虎学園のナインは散っていった。西条は榎本にボールを渡すと戻っていく。榎本はボールを握り締めると歯を食いしばった。


「あんなヘボどもが……俺から点を取りやがって……」


 榎本は怒りに満ち溢れながらボールを放った。しかし、あまりに力みすぎてストライクが入らない。


 六番の勇気はじっくり見てバットを構えた。自分は隼人のおかげで仲間ができ、野球ができるようになった。いじめられて、逃げることしか知らなかった自分を、一緒に野球をしようと誘ってくれた。今僕は、チームメイトのために打つ!


 勇気は榎本の甘い球をジャストミートした。打球は高く上がっていく。そして落ちてきた。外野と内野の間。おもしろいところに向かっている。


「落ちろ!」


「落ちてくれ!」


 ボールがセンターと二塁の間で落ちようとする。だが、


「おらああ!」


 ショートの赤織が飛びついて捕った。綺麗にグラブを伸ばし捕球する。二塁審は腕を上げてアウトと叫んだ。


 これで七回表は終わった。だが、この2点は大きかった。あと少しで追いつくのだ。みんなに勢いがつき、なにより自信がついた。まだ終わりではない。自分たちの力で、あの榎本から点が取れると。


「クソ!」


 榎本はベンチに戻ってくるとグラブを椅子に叩きつけた。その様子を全員が見ている。


「榎本……」


「俺が二失点だと……。俺がヒットを打たれた……。あんなド素人チームに!」


 榎本は拳を握って椅子を殴ろうとした。そこで赤織が榎本の腕を掴んで止めた。


「落ち着け、榎本」


「あ、赤織さん……」


「お前は野球を何だと思ってる。簡単に勝てるほど、野球は甘くない。去年の甲子園で学んだはずだ。準決勝で敗れたのは、その甘さのせいだろ」


 そこで榎本は黙りこんだ。去年の甲子園準決勝。勝てば決勝に行けた。相手は初出場のチーム。誰もが猛虎学園の勝利だと確信していた。だが、そんな甘さのせいで負けてしまった。それも、榎本の甘いピッチングのせいで。


 赤織は榎本を離すと口を開いた。


「みんな聞け。おれたちはなぜこの王者猛虎学園野球部に入った。みんなそれぞれ夢、目標、意気込みがあったから入ったはずだ。試合に勝ちたい。甲子園にいきたい。日本一になりたい。そのためにこの学園を選んだ。その中でも、特待で入ったものには使命がある。この学園を日本一強いことを全国に知らしめることだ。神風、皇乃、海道、西条、榎本、一鷹、そしておれを含めた七人はそのために選出され、スタメンとして使われている。……この史上最強のチームで、日本一を取るんだ! ヒットを打たれようと、点を取られようと、勝ったものが勝者だ! 最後に笑って立っているのはおれたちだ! いくぞ!」


「おう!」


 ベンチの選手全員が返事をした。その様子を見ていた監督の秋山は、小さく笑みを浮かべた。こいつをキャプテンに選んで正解だった。やはり頼りになる。監督の自分ではなく、同じくらいの年齢で、同じ立場の人間がいうほうが、何倍も効果が現れる。それは一緒に耐え、頑張ってきたことをみんなが知っているからだ。これほど頼もしい選手は全国どこを探してもいない。悪いな、鬼塚。この試合、勝たせてもらう。


 隼人はグラブを持つと立ち上がった。そして縁を無視して通り過ぎようとする。


「……行くのですか?」


「……ああ」


「……どうやったら、隼人さんは止まるんですか? どうやったら私は悲しまなくてすむんですか?」


 縁はぎゅっと両手で拳を握りしめ涙を流した。隼人はベンチから出て呟いた。


「……ごめん、縁。俺は、止まらない」


 隼人は走ってマウンドに向かった。


 七回裏。猛虎学園の攻撃。4‐2で猛虎学園のリード。打順は一番の神風からだ。


「いや~。赤織のやつ久々にいいこと言いやがって。こりゃ、その期待に応えないとな。盗塁王として」


 神風は軽くバットを構え隼人を見る。


隼人は左手でぎゅっと右腕を握った。頼む、あと三回だ。たった三回。それだけ持ってくれ。


 隼人は大きく振りかぶっておもいっきり投げた。


「うっ!」


 腕に痛みが走った。もう痛み止めの効果が切れているのだろうか。でも、まだこのくらいの傷みなら我慢できる。


「うああっ!」


 隼人は痛みに耐え投げる。球速は148キロ。とうとう150キロ出なくなった。


「けっこう球速落ちたな。これなら楽に打てるぜ」


 神風は次のボールは打った。打球は隼人の横を抜けてセンターへ。


「くそ」


 一塁に神風が入る。大会一足が速い選手だ。盗塁の可能性は十分にある。


神風は笑みを浮かべながらリードを取っていく。隼人は神風を気にしつつ投げた。そのとき神風が走り出した。盗塁だ!


「させるかよ!」


 俊介が二塁へ送球する。綺麗に逆回転したボールが一直線に向かっていく。そのボールを龍也が取った。しかし、取ったときには神風は盗塁を決めていた。


「楽勝~。三塁も奪っちゃおうかな~」


 神風は隼人に向かってなめた口調で言ってくる。隼人はバッター集中でいくことにした。ランナーばかり気にしてもダメだ。自分のピッチングを心がける。


 今打席に入っているのは二番セカンドの皇乃。チーム一のくせもので、何をするかわからない。ヒットか、バントか、何でもそつなくこなすこいつは苦手だ。


 皇乃は最初から右打席に立ちバントの構えをしていた。ここは送るつもりだろうか。カウントはボールワン。ここでストライクを取りにいった。すると、皇乃はサードに向かってバントしてきた。


「まかせろ!」


 直人がすばやくバント処理にいく。しかし、ボールは線を越え、ファールになった。


「ちっ、ファールか」


 直人はボールを取ると隼人に投げた。そこで隼人は疑問を浮かべた。なぜ皇乃はサード側にバントしたのだろうか。直人の足の速さは海道のときにわかっているはず。ならばファースト側に送るほうが確率は高い。なのに……。


 隼人はセットポジションに立つ。腕は大丈夫だ。まだ我慢できる。吹き出る汗を拭くと、皇乃と対峙した。皇乃はまたバントの構えをしている。


 隼人はバントをさせて、ワンアウトを取るつもりで投げた。同時に直人も走り出した。そのとき、皇乃が笑みを浮かべた。それを隼人は見逃さなかった。もしかして、


「直人! いくな!」


 隼人は投げたあと叫んだ。しかし、すでに直人はバント処理に走っている。遅かった.皇乃はバントからヒッティングの構えになった。ここで直人も気づいた。バスター?


 皇乃がバスターでボールを打った。打球は直人の横を通りレフトへ。だが、すぐに気づいた龍也が飛びついて何とかキャッチできた。しかし、皇乃は内野安打で進出。神風は三塁に進塁。ノーアウト一、三塁。ここで三番サードの海道だ。


「さてと、ここで1点は欲しいよな」


 海道は打席に入る前に屈伸して体をほぐす。その間に俊介はこの状況をどうするか考えていた。試合も後半。もう1点も与えることはできない。海道は右バッターだ。隼人は右投げだから少しは打ちづらいはず。わずかの可能性でも賭けて打ち取るんだ。


 だが、俊介の考えは打ち砕かれた。海道は左打席に入った。今までずっと右で打っていたのに。


「悪いな。おれじつはスイッチヒッターでね。これは甲子園までとっておこうと思ったけど、お前らには使わないとやばいと思ってね。それに、おれ本来左だからおもいっきりいくよ」


 俊介は舌打ちした。海道の秘密はこれだったか。


 隼人は流れる汗を脱ぐって剛速球を投げた。放たれたボールは俊介のミット向かって走っていく。150キロのボールだ。渾身の一球を投げた。しかし、それを海道はいとも簡単に打った。


カキンッ!


 打球は高く上がっていく。ライト線に一直線だ。まさか、ホームラン? しかし、打球は惜しくも外れファールとなった。


「ああ~、惜しい。もう少しだったのに」


 隼人と俊介は焦った。海道はアベレージヒッターとして三番を任せられているのに、何てパワーなんだろうか。


 隼人はぐっと海道を睨み、自分が出せる力を搾り出し投げた。だが、鋭い打球になって難なく返って来る。海道の打球はまた一塁側へのファール。どこまですごいのだろうか。そして次の球で海道は打った。鋭い打球が隼人に襲い掛かる。隼人はグラブを前に出した。バチッっとした音が響き前に落ちた。ピッチャー強襲だ。


「隼人、前だ!」


 隼人は閉じていた目を開けた。そしてボールを見つけると一塁に投げようとする。しかし、海道は一塁を蹴ってしまった。神風はさすがに走っていない。


これで満塁。そして、バッターは四番の西条だ。


 西条は大きくバットを振り、右打席に入った。周りからは大きな声援が送られ、猛虎学園の応援は凄まじかった。


「西条……」


 隼人は肩で荒く息をしながら西条を見た。ここで終わるわけにはいかない。なんとかして抑えるんだ。


 ノーアウト満塁。4‐2で負けている。これ以上、点差は開かせない。流れを断ち切る。


 隼人は渾身の一球を投げた。それを西条は簡単に打った。


「え?」


 初球を打った打球は外野へと飛んでいく。真治が必死になって追っていた。


「取れ! 真治!」


「絶対取るんだ、真治!」


 打球の勢いがなくなり落ちていく。真治はグラブを伸ばす、あと少しで落ちる。目の前にはフェンス。あと少しでホームランになる。きわどいところにボールは落ちていく。


「くっそおお!」


 真治は勢いよく飛び込んだ。ボールが真治のグラブに近づいていく。真治が腕を伸ばす。しかし、ボールは地面に落ちてしまった。


「ゴー!」


 落ちた瞬間、神風、皇乃、海道は走り出した。真治はすぐに起き上がってボールを掴むと投げた。中継に入っていた龍也が取りバックホーム。


「おせえよ」


 神風はすでにホームイン。つづいて皇乃もすべり込んで2点目。そのときボールが俊介のもとに帰ってきた。海道は三塁、西条は二塁で止まる。そこで一斉に歓声が沸き起こった。


「ナイスバッティング!」


「さすが強力打線の四番!」


「いいぞ、西条!」


 西条は汗を拭きながらじっと隼人を見ていた。


 隼人は膝に手をつきながら息を整えていた。打たれた。打たれてしまった。打たれては、いけなかったのに。


 周りの歓声が耳に響き、すべてが敵に思えた。自分は今一人。孤独になった気分だった。勝つ気がしない。勝利の光も、希望も見えない。ここで終わるのだろうか。


「隼人くん……」


 灯が心配した声で呟いた。あんなにきつそうな隼人の姿を見るのは初めてだった。苦しそう。代われるなら、すぐにでも代わりたい。でも、そんな力は自分にはない。どうしたらいいのだろうか。今自分に、隼人を救う力があるのだろうか。


 縁はベンチで呆然と立ちすくんでいた。だから言ったのだ。こうなるから。あんな苦しい思いをするから止めたのに。縁はバックから隼人から貰った硬球を握り締めた。


「隼人さん……」


「隼人」


 俊介がマウンドに上がり隼人に話し掛けた。隼人はそっと顔を上げて俊介を見た。


「な、なんだよ、俺はまだ投げれるぞ……」


 隼人の目は死にかけたもの同然だった。でも、その奥ではまだ光を失っていなかった。ここまでよく頑張った。その苦しみは痛いほどわかる。ここでなにもしないキャッチャーなんて、マスクを被る資格はない。俺は天龍高校のキャプテン、池谷俊介だ。チームメイトを救ってやるんだ。


 俊介はそっと笑みを浮かべると口を開いた。


「ああ、わかってるよ。ちょっと耳かせ。今から作戦を言う。これでこの回抑えるぞ」


 俊介は最終手段を取ることを決意した。大きな賭け、試合の命運を賭けた、博打を。

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