十四回表:準々決勝朱雀高校
二回戦を突破した天龍高校の名は上がり、雑誌や新聞でも取り上げられた。生徒たちも歓声を送ってくる。
野球部は部室でその喜びを感じていた。
「やばい! やばいぞオレら! このまま優勝できるんじゃね?」
「これでベスト8だよ! すごすぎる!」
真治や広和、勇気に翔一ははしゃぎ回っていた。
「雑誌もすごいよな。『今大会注目の天龍高校。その勢いのある力をどこまで続かせるか』写真まであるぜ」
「こっちは、『最速豪腕エース和田隼人を有する天龍高校。ダークホースはどこまで食らいつくか』ほんと隼人の記事ばっかりだな」
直人や俊介は記事を見て喜んでいた。
「隼人さん、すごいですね。『ノーヒットノーランの大挙と二試合合計奪三振数25個の怪物現わる』次も頑張ってくださいね」
縁は隣にいる隼人に話し掛けた。
だが、隼人は口を閉ざし、次の対戦相手である第三シード校の朱雀高校の記事ばかりをじっと見ていた。
その様子を見て俊介が声を掛けた。
「なんだ隼人、そんなに朱雀高校が気になるのか?」
「あ、ああ、……ちょっとな」
隼人は朱雀高校のオーダーを見ていた。
それに気づいた縁も覗く。そこで縁は小さく声を上げた。
「あっ」
その様子を見て龍也は少し納得した表情になった。
「そうか、……最連寺も隼人と同じ中学だったな」
「あ、はい。その、次の相手が……」
隼人は雑誌を置くと立ち上がった。
「ちょっと走ってくる」
そういって隼人は部室を後にした。
「隼人のやつどうしたんだ?」
直人が口を開いた。
「ま、説明してやろう。次の対戦相手朱雀高校についてだ。隼人にとっては少しつらい戦いだろう」
龍也は全員を集めると、ホワイトボードに書き出した。
「最連寺さんは知ってると思うが、この一番ショートの藤野、二番ライトの川島、三番レフトの原田、四番ファーストの有馬、五番サードの新山、そして六番セカンドの真中。彼らは全員二年生でスタメンメンバーだ。みな守備もバッティングもうまい。中学のころ、県の選抜メンバーに選ばれてはいないが、全国大会に出場している経験を持っている。これで分かった人はいるかな?」
しかし、みなわかっていないようだ。お互い顔を見合わせて疑問を浮かべている。
答えを縁が言った。
「彼らは、……隼人さんの中学時代のチームメイトです」
「ええ?」
縁の言葉に全員が驚いた。
そのころ隼人はグラウンドの周りをずっと走っていた。
しかし、まったく集中できない。頭の中はあいつらのことばかり考えていた。
隼人は中学時代、西条を加えた彼らの悪質な行為により決勝で敗れた。そう、わざと負けるという行為だ。
隼人の練習が厳しく、チームワークを考えない行動にみんなは腹をたてていたのだ。
それまでずっと一緒に戦ってきた仲間たち。それが次の対戦相手。あんなことがあったせいか、動揺も焦りも隠すことができない。
相手の弱点は知っているがそれは相手も同じである。隼人は怖くなった。
ここで、負けるかもしれない……。
そしてとうとう準々決勝である。スタンドにはすでに大勢の観客達がいた。
隼人の活躍ぶりや、第三シード校の力を見たいのだろう。
朱雀高校はシードなのでまだ一試合しかしていない。初戦にもかかわらず、緊張のないプレーで完封勝利をしていたのだ。
「隼人さん、大丈夫ですか?」
ベンチの中で椅子に座っている隼人に縁が心配そうに話し掛けた。
「あ、ああ、大丈夫。大丈夫だ……」
隼人はぎゅっと胸元を掴んだ。
本当に大丈夫だろうか。あいつらの前で平静を保っていられるだろうか。
そのとき、あっちのほうで歓声が上がった。どうやら対戦相手の朱雀高校が来たようだ。みなグラウンドに一礼し入ってくる。
隼人はそっと顔を上げた。
「っ……」
そこには確かに知っている顔があった。赤い帽子を被り、朱雀高校のユニフォームを着ている。
だが、それは紛れも無く中学時代の仲間たち。
心の中では否定していた。だが、その望みは綺麗に打ち砕かれ現実を見せられた。
「隼人、肩作ろうぜ」
俊介が隼人に近づく。
「あ、ああ……」
隼人はグローブを掴むと重い足取りでブルペンにむかった。
朱雀高校のメンバーは準備をし、アップを始めようとしていた。
そのとき、一人がブルペンにいる隼人の姿に気づいた。
「あっ、あそこにいるの、隼人だぜ」
「え、マジ? 久しぶりだな」
「やっぱあいつすげぇよな。雑誌に載ってるしよ」
「でもなんで猛虎学園にいかなかったんだ? 推薦きてたろ? 天龍高校なんて知らないし」
すると、一人の選手は声を上げた。
「やめろ、お前ら! あいつがしたこと忘れたのか!」
「有馬……」
有馬は睨みつけるような目で隼人を見た。
「あいつのせいでどんな目にあったか。おれたちは屈辱を受けたんだ。今日でぶっつぶしてやる!」
有馬はバットを掴むと素振りを始めた。
俊介は隼人のボールを受けていく。だが満足できなかった。
正直いってやばすぎる。ボールにまったく力がはいっていない。
緊張、いや、恐怖のせいだ。裏切りは誰でも怖い。奥底に沈めたあのときの恐れが甦ったんだ。
隼人は軽く投げるだけで息が上がっていた。投げるたびに重く感じる。腕も振れていない。まったくダメだ。球速も140キロがやっと。コントロールもめちゃくちゃだ。こんな状態で試合に出られるのだろうか。
その様子を見て、鬼塚監督は考え込んだ。
あいつに任せていいだろうか。朱雀高校の打線を考えれば翔一に投げさせても難しい。だが、今のままでは隼人のほうがダメだ。交代も考えなければ。
そしてそんな状態で試合が始まってしまった。
「只今より、天龍高校対朱雀高校の試合を始めます。礼!」
「お願いします!」
隼人はずっと視線を下にして、目の前の対戦相手と目を合わせないようにしていた。そして一度も顔を見ずそこから立ち去った。
有馬だけはずっと隼人を睨んでいた。
「プレイボール!」
試合が始まった。まずは朱雀高校からの攻撃である。一番ショートの藤野が左打席にたつ。
隼人はマウンドでうつむいていた。
ちゃんと投げられるだろうか。150キロ台のボールを投げられるだろうか。
隼人は顔を上げると俊介のミットめがけて投げた。ボールは内角低め。
「ストライク!」
主審の声を聞いて隼人は安堵した。
よし、何とか投げられる。あとはどこまで持つかだ。
俊介はボールを掴み、隼人に投げ返すと焦った。
まずい。要求したとこにこない。さっきは慎重にいくために外させたが入ってしまった。
周りが見えていない。このままでは打たれる。球速も140キロ前後。まったく出ていない。
俊介はアウトコースに構える。ボール球だ。隼人はそこめがけて投げる。
それを藤野は打った。
カキンッ!
打球は内野の頭を超えレフト前に落ちた。
「ナイスバッティング、藤野!」
「よっしゃ、続け!」
隼人は汗を拭って悔しそうに打球を見ていた。
簡単に打たれてしまった。藤野は足が速い。出させてはいけないのに。
隼人はセットポジションに入った。そしてミットめがけ投げる。
そのとき藤野が走り出した。
「クソ!」
隼人はそこで力んだ。ボールはベースの手前で落ちた。ワンバウンドしたボールを俊介が体で受け止める。
俊介はすぐに投げようとするが、その間に藤野が盗塁を決めていた。
俊介はタイムをとって隼人に近づいた。
「隼人、落ち着け。まだ初回だ。これで終わりじゃない」
しかし、隼人は聞こえているのか肩で息し、うつむいている。
「いいか、ランナーは気にせず俺のミットだけを見ろ。まだお前は力を出してないぞ」
俊介は隼人の肩に軽くミットを当てて戻っていった。
隼人は自分でもわかるほど動揺していた。
牽制しようと思った。だが、できなかった。あいつらの顔を見るだけで怖い。
何を考えているか。どんなに怨んでいるか。バッターもできるだけ見ないようにしている。
自分でもわかっている、このままでは負けるということを。
隼人は言われた通り俊介のミットだけ見て投げた。
二番ライトの川島は左打席に入って、隼人の球をバントした。
隼人は慌てて取りに行こうとした。しかし、ボールは暴投してファーストの上を飛んでいった。
ライトすぐに捕球する。信一がすぐに返球して何とか点は与えずに済んだ。だが、藤野は三塁までいった。
そのとき直人が話しかけた。
「隼人、バント処理は俺にまかせろ。お前はピッチングだけに集中するんだ」
「あ、ああ……」
そして次は三番レフトの原田が右打席に入る。原田は隼人の甘いボールを打った。しかし、浅いセンターフライで終わる。
ようやくアウト一つ目だ。隼人は安堵する。
そして四番ファーストの有馬がきた。有馬はじっと隼人を睨みつけ右打席でバットをかまえる。
隼人はその視線を感じていた。
怨んでいる。怒っている。あんなことしたから。
隼人は投げた。だがあまりに力のないボールだった。それを有馬が打った。
カキンッ!
鋭い打球がレフト方向へ。ランナーは一斉に走り出す。
だが、その打球を龍也が飛びついて捕った。
「なに!」
そしてサードの直人に投げる。ダブルプレーでピンチを回避した。
「ナイスプレー、龍也!」
真治が声を上げて走ってくる。
隼人は汗を拭きながら肩で息し、ベンチに歩いていった。
「ちっ! ラッキーなやつだ」
有馬は隼人を睨んで呟いた。
「なぁ、有馬。そんなに怒らなくても」
「うるせ! おら、いくぞ!」
そして天龍高校の攻撃。オーダーは変えていない。
一番の真治はストレートを叩いた。しかし、難しい打球をショートが取りアウト。
二番の広和はサードゴロ。
三番の直人は惜しくもショートライナーであっという間に終わった。
「いくぞ、隼人!」
俊介に言われ隼人はマウンドに上がる。だが、隼人はすでに尋常じゃない汗をかいていた。
俊介は隼人を見て軽く舌打ちをした。
二回表ですでに疲れが出ている。フォームもめちゃくちゃだ。体でなく腕や肩で投げている。だから思ったとおりに投げられない。ここは打たせて捕るしかない。
五番サードの新山が右打席に入る。
俊介は内角に構えた。狙いどおり内角にきた。新山はそのボールを打ちサードゴロ。
続く六番セカンドの真中をショートゴロで終わらせる。
これで中学時代のメンバーは終わった。残り3人は知らない相手。これなら大丈夫のはずだ。
俊介の考えは当たっていた。隼人は相手が元チームメイトではないと気づくと、さっきよりもずいぶんリラックスして投げた。そして七番を三振で終わらせた。
そしてそのまま4回までお互い0点が続く。五回朱雀高校の攻撃で七番から始める。
3人は隼人には関係ない人だ。この回は3人で終わらせられる。
だが、すでに疲労がやばい隼人は膝に手をつくほど疲れていた。
それでも隼人は投げる。力の無いボールがミットに収まる。
判定はボール。そしてフルカウントでゴロで終わる。そして次は2ストライク2ボールでセンターフライ。
明らかに球数が予定よりも多い。すでに60球を越えている。このままではすぐに100球を越えてしまう。
そして最悪なことが起きた。とうとうコントロールもなくなり九番をフォアボールで出してしまう。
俊介は舌打ちした。出したくないのに出てしまった。
隼人は膝に手をつき息を整える。そこでそっと顔を上げた。目の前には一番の藤野。ここから精神的苦痛が襲い掛かる。
隼人はさっきよりも疲労が重くなった気がした。
「はぁ……、はぁ……」
汗がぽたぽたと地面に落ちる。体が震えた。目の前には元チームメイト。抑えることができるのだろうか。
隼人は一塁に牽制する。少しでも打者から意識を反らしたかった。
それでも変わらないことに気づく。重く圧し掛かってくる重圧は苦しかった。
「クソ!」
隼人はおもいっきり腕を振るって投げた。
そこで俊介は目を疑った。構えたのはアウトコース。だがボールはど真ん中だ。
カキン!
打球は内野を越えライトへ。一塁ランナーは三塁でストップ。藤野は一塁。
隼人は自分に言い聞かせた。
ツーアウトだ。あとアウト一つだ。大丈夫。抑えられる。
そのとき俊介が隼人に近づいた。そして胸元を掴み、顔を上げさせた。
「お前はいつまで怖がってんだ!」
俊介の声がグラウンドに響く。客席からも、マウンドの姿を見てどよめきが怒っていた。
「俊介……」
「そんなにあいつらが怖いか! 元仲間が怖いか! お前はそんなに臆病者だったのか!」
俊介の行動に観客たちがざわつき始めた。天龍高校のメンバーや朱雀高校のベンチも。
「逃げんな! 立ち向かえ! お前は一人じゃねーだろ! 周りには、お前を助ける仲間がいるだろ!」
そのとき主審がマウンドに近づいた。
「ちょ、ちょっときみ、何しているんだ」
主審を見た俊介は笑顔になった。
「あ、すみません。今終わりました」
俊介は主審と一緒に戻っていく。
隼人は帽子を被りなおし、そっと息を吐いた。そしてポケットの中のお守りを取り出した。
そうだ。今は一人じゃない。怖がる必要はないじゃないか。こんなにも、頼りになる仲間が自分にはいるじゃないか。
隼人はそっとベンチに目を向けた。そこにはあの硬球を握りしめて心配そうな表情で縁が見ていた。
「隼人さん……」
隼人はそっと口元を緩ませた。
そうだった。あいつだけは、あのときも変わらずそばにいた。あいつだけは、いつもそばにいた。
中学のころ、大会が終わって引退し、クラスでもどこでも一人だった自分には、変わらず縁だけはそばにいた。
どんなときも、つらいときでも、悲しく、苦しいときでも、あいつだけは一緒にいた。
隼人はお守りを大切にしまうと、白球をおもいっきり投げた。球は轟音を鳴らし、球威のあるボールが俊介のミットに収まった。
バァァァァンッ
隼人はふっと息を吐き、バッターを睨みつけた。球速は150キロ。ここで本領発揮した。
「打てるもんなら打ってみろよ」
そして次の球も剛速球を放る。その隙に一塁ランナーの藤野が走った。
俊介はボールを掴むとすかさず二塁へ送球。合宿で鍛えた球が二塁へ一直線に向かう。
鋭い送球を龍也が掴みタッチ。二塁審は手を上げた。
「アウト!」
そこで歓声が起きた。
「すげぇ球だな。あんな送球初めて見たぜ!」
「ああ、めちゃくちゃ速かったぞ!」
観客たちも大いに騒いだ。
隼人は俊介を見た。俊介はマスクを外すとにやっと笑った。
そして0点に抑えた天龍高校は、四番俊介からの攻撃。俊介は特大のソロホームランを掲げた。バックボードに当たるセンターへの本塁打。
俊介は腕を上げ悠々とベースを回った。
「ナイス、俊介!」
「お前すげぇぞ!」
1‐0で天龍高校リード。息を吹き返した隼人は甦った剛速球で三振を奪っていく。
二連続三振を奪い、次は四番有馬。有馬はバットを構えると隼人を睨みつけた。
隼人は余裕の表情で右腕を振るい剛速球を投げる。
バァァァァンッ
凄まじい音がミットから響く。俊介は顔をしかめたが嬉しくもあった。
「ナイスボール、隼人!」
俊介からの返球を隼人は受け取る。
有馬は隼人のボールを見て恐怖を覚えた。
さっきまで何てことないボールだったのに、いきなり球威が上がり襲い掛かってくる。巨大なボールに立ち向かっているようだ。
「クソ!」
有馬はバットを握り締めた。隼人は次も剛速球を投げた。
有馬は逃げずにバットを振る。しかし、空を切っただけでまったく当たらない。
「いくぜ、有馬」
隼人は最後のボールを投げた。有馬もおもいっきりバットを振る。だが聞こえるのはミットに収まる音だけ。
これで三者連続三振だ。そしてさっきの球速は155キロ。最高速を出した。それを見た観客たちは大きな歓声を上げた。
「それだ! それが見たかった!」
「やっぱあいつすげぇ!」
「このまま全員三振にしてしまえ!」
そして八回で真治が盗塁を決め、広和がバントを成功させ、直人や龍也がタイムリーを打つなど打線が爆発。一挙4点を奪い、5‐0となった。
そして最終回。朱雀高校最後の攻撃である。バッターは一番の藤野から。
「打て、藤野!」
「何としてでも出ろ!」
藤野がバットを構える。
隼人は疲れが溜まりしんどかった。しかし関係ない。打たれてもバックにいる仲間が捕ってくれる。
自分はただ、おもいっきり投げるだけでいい。
隼人は150キロ台のボールを出し三振を奪った。
「よし!」
隼人がガッツポーズをする。もう怖くない。恐れも何もない。
俊介も同じだった。やっと調子上げやがって。
鬼塚監督もうなずく。これでいい。
「頑張って、隼人くん!」
灯がベンチから声をかける。
「こっちに打たせろ!」
「三振ばかりじゃおもしろくないぞ!」
「いつでも変わりますよ! つーか暇だから代われ!」
バックからも声が聞こえる。
隼人は嬉しかった。今思い、感謝した。最高の仲間に巡り合えたことを。
隼人は二番の川島におもいっきり投げた。
そのときだった。
「うっ!」
隼人は腕に異変を感じた。
なんだ、今の違和感は。腕に一瞬痛みが走った。電気が通ったようなビリッとした感じ。
そのまま力の無いボールを投げてしまった。
カキンッ
ボールはセンター前へ。川島は一塁でガッツポーズした。
隼人はそっと腕に触れた。
なんだ、今の感じ。今までこんなことなかったのに、突然痛みが。
隼人は腕をさする。
それに気づいた俊介がマウンドに上がった。
「隼人、どうかしたか?」
「あ、いや、なんでもない。大丈夫だ」
「そうか。あと2人だ。ビシッといくぞ!」
「おう!」
そして三番の原田に投げる。
痛みはなかった。隼人は安心する。ただの偶然。何もないのだ。
そして変わらず剛速球を投げ三振を奪った。これで8奪三振。
そしてラストバッターは四番の有馬だ。
「負けるか」
有馬はバットを構え、隼人を睨みつけた。
隼人は有馬むかって剛速球を投げる。
そこでまた異変が起きた。
またあの痛みだ。ボールは球威が落ち真ん中へ。
それを有馬が打つ。だがレフトへのファールだ。
隼人は大きく息を吐いた。そして腕をさする。
だが気にせず投げた。次も痛みは無い。隼人は少し心配だったが気にしなかった。
「隼人さん、頑張ってください!」
縁の応援が聞こえる。隼人は縁に向かってうなずいた。
そしてラスト1球。渾身の一球を投げた。
ボールは有馬に打たれ高く上がった。隼人が腕を上げる。落ちてきたボールを隼人が掴んだ。
「アウト! アウト! ゲームセット!」
主審が手を高く上げた。そこで隼人が一番に吠えた。
「よっしゃー!」
「勝ったぞ!」
「シード校に勝った!」
天龍高校のメンバーは大いに盛り上がる。そしてスタンドの観客たちも。
「5‐0で、天龍高校の勝ち。礼!」
「ありがとうございました!」
隼人はベンチに戻ろうとした。
そのとき、後ろから声がかけられた。
「隼人!」
隼人は後ろを振り返った。
そこには隼人の中学時代のメンバー6人が立っていた。有馬だけは怖そうに睨んでいる。
「あ、あのさ、隼人。……あ、あんなことして悪かったな」
「ご、ごめん!」
有馬を覗いたみんなが頭を下げた。有馬もしぶしぶ頭を下げる。
隼人は笑みを浮かべると笑った。
「いいよ、別に。俺こそ悪かったし。お前らが許してくれるなら、俺はかまわないよ」
「そ、そうか。よかった」
「本当は西条と一緒に謝りたかったけどな」
「いいよ。西条も、きっとどこかで見てるさ」
「頑張れよ、隼人。お前なら、きっと甲子園いけるぜ」
「ああ」
隼人は軽く左手を振ってベンチに戻った。
そして手を下ろすと右腕を握った。今痛くはない。でも、あれは何だったんだろうか。重くのしかかるような痛み。
「隼人さん、腕がどうかしたんですか?」
縁が心配した表情で言ってくる。
「あ、いや、大丈夫。ちょっとね」
隼人は笑って誤魔化した。
だが、鬼塚監督だけはその痛みの正体を知っていた。
今日の試合を見ていた川端と森本は記者室にいた。
「隼人くん、今日もすごかったですね。今日の試合も無失点。三振数は8個で、合計33個。完全に怪物ですね。要チェックですよ」
川端は浮かれて今日の記録を見ていた。
「森本さんも、タバコばかりでなく仕事してくださいよ。今から取材しに行きましょう」
森本はふうっとタバコを吐くと今日の記録を見た。
「ま、たしかに怪物だな。こっちも良い記事書けて嬉しいね。でも、おれはこっちのほうが気になるね」
森本はペンを取り出すとある人物に赤丸をつけた。それは監督の鬼塚鉄次だった。
「天龍高校の鬼塚鉄次さんですか? たしかに、新チームをここまで鍛え上げたのですからなかなかすごいですね。僕取材にいきましょうか?」
「新人がいきがってんじゃ〜よ。鬼塚に目をつけたのはおれだ。取材はおれがいく」
森本は懐から再びタバコを出しくわえた。
「この男がなぜここにいるのか気になってね。……元高野連のお偉いさんが」