十一回裏:力の発揮
地獄の合宿が始まり、早くも残り三日となった。
二日後には再びフェリーに乗って帰るのだ。事実上はあと二日となる。
鬼塚監督は多少この合宿で自分の目標に到達でき満足していた。
全員諦めず、最後まであの地獄の個人メニューをこなした。この意味はとてつもなく大きい。
真治は最後にはパワーリストをもっと重くできた他、音でどの方向にボールが飛んでいるかも得とくした。
広和はあらゆる状況を理解し、どこの方向でもバントができるようになった。
直人はどの場所にでも打てる完璧なバットコントロールを手に入れた。
龍也はどんなボールでも俊敏に取れるようになり、鉄壁の守備を完成させた。
勇気はバットの芯に当たるようになり、バッティングは随分良くなった。
俊介はどんなボールでも捕れるようになった。あらゆるコース、失投までも捕り、絶対に後ろに反らさない。ボールの数字は全部当てられるまでになった。
隼人はコントロールと体力をつけ、150キロ台のボールをものにした。
今の訓練に慣れたのか、みな余裕の表情すら浮かびあげている。
鬼塚監督も笑みを浮かべた。
これなら、勝てるかもしれない。鬼塚監督は最後の練習に移った。
最後の練習日。
鬼塚監督は全体練習や個人メニューをさせず、みんなである学校に訪れた。
それはこの島にある唯一の高校。南海高校だ。今からこの野球部と試合をするそうだ。
「いいか、今日は自分の力を思う存分発揮するんだ。あの地獄の特訓の成果を見せろ!」
「はい!」
全員は元気よく返事をする。鬼塚監督はうなずくと、相手監督のところに挨拶をしに行った。
みなそれぞれアップを始めたとき、縁が隼人に近づいた。
「隼人さん、頑張ってくださいね。絶対、勝ってくださいね」
縁は明るい笑みを浮かべて歓声を送る。隼人は拳を作りながらうなずいた。
「ああ。この力で、俺は甲子園に行く。どんな相手だろうと倒してやる」
縁はそっと隼人の手を掴んだ。
「縁?」
縁は隼人の手を両手で優しく包み、眼を閉じて言った。
「最後まで、隼人さんに力を貸してください」
そしてそっと目を開くと隼人を見て笑みを浮かべた。
「おまじないです。頑張ってください」
そして隼人からもらったボールを見せた。甲子園と書かれた硬球。隼人はうなずいた。
「俺、約束守るから」
「はい」
隼人と俊介はブルペンで投球練習を始めた。軽く肩を慣らす感じで投げていく。俊介のミットからはパンッという快音が響いていた。
真治はパワーリストを外し、足を軽く動かした。そして心を落ち着かせ、耳を澄ませた。木々のざわめき、風の音、鳥のさえずり。どれも気持ちよく入ってくる。
広和はあの鬼塚監督からもらったプリントを見直していた。百枚以上あるプリントの束。それは全て頭の中にあった。
直人は軽く素振りをしてフォームを見ていた。九分割にしたスイングを綺麗な音を鳴らし振っていく。
龍也は相手データを取ろうとノートにその準備をする。そしてグラウンドの状態を観察した。石の量、土の整備状態、広さ、滑りやすさ、全て確認していく。
勇気はバットを脇に挟み、手で持つとその上でボールを芯に当てて何度も弾ませた。うまく芯に当たり、ボールは真上に飛ぶ。
みな、準備万端だった。
鬼塚監督は戻ってくるとマネージャー2人を呼んだ。
「今回は人数がいないから2人も出ることになる」
「え?」
「で、でも、私野球経験なんてないですよ。足手まといになるんじゃ」
灯は手を振って逃れようとする。それを見て鬼塚監督は笑みを浮かべた。
「心配するな。お前らのところにボールは飛んでこない。来たとしても、風間が捕る。お前らは守備のときはつっ立ってて、攻撃はおもいっきりバットを振ればいい」
縁と灯は言っていることが理解できず、首をかしげて鬼塚監督を見ていた。
試合の準備が整い、南海高校との練習試合が始まった。
隼人たちは鬼塚監督の元に集合した。
「オーダーを発表する。一番センター風間。二番セカンド高杉。三番サード刹那。四番キャッチャー池谷。五番ピッチャー和田。六番ショート大野。七番ファースト西田。八番ライト最連寺。九番レフト天川。以上だ」
「よし、声出しやろうぜ」
すると、縁と灯が気まずそうになった。
「あっ、さすがに2人は恥ずかしいか」
俊介は気を使うと2人はうなずいた。
そこで俊介は声出しを辞めて瞑想にした。みんなで輪になり、その場に座ると目を閉じた。
「いいか、思い出すんだ。俺たちが耐えて来たあの合宿を。あれほどの練習をしたのはそういない。俺たちは、強くなった」
そこで全員目を開けた。そして俊介のほうを見る。
「勝つのは、俺たちだ! いくぞ!」
「選手整列!」
主審が呼び、選手たちは中央に集まった。
「只今より、天龍高校対南海高校の試合を始めます。礼!」
「お願いします!」
一斉に頭を下げるとベンチに戻った。天龍高校からの攻撃である。
「行け! 真治!」
「打ってけ!」
真治は軽くバットを振り、数回ジャンプすると左打席に入った。そして構える。
相手ピッチャーは右腕を振るい、おもいっきり投げた。
「ストライク!」
主審が吠える。
南海高校の投手はなかなか速いボールを投げる。コントロールもいい。だが、あの150キロよりは遅かった。
カキンッ
真治は次のボールでバットを振るい当てた。打球は地面に当たり跳ね上がる。
「おりゃ!」
真治は一塁向かっておもいっきり走った。その姿見て全員が驚いた。
「速い!」
真治はあっという間に一塁まで走り抜き、内野安打で出塁した。
「いいぞ、真治!」
「ナイスラン!」
ベンチから歓声が上がる。真治は信じられず、足をじっと見た。
「オレ、めっちゃ速くなってる」
次は広和だ。
広和は今の状況を考えていた。ノーアウト一塁。そこに真治なら、やることは1つ。
広和は真治に向かってバットでメットを叩く動作を見せた。それを見て真治は笑みを浮かべる。
「へへ、いいのかよ」
ベンチのほうではあのサインがわからず、疑問に思っていた。
「あのサインなんだ?」
「あんなのあったっけ?」
俊介と直人が首をかしげる。
鬼塚監督は何も指示せず自分で考えてプレーしろと言ったのだ。何も口を出さない。サインもないと。
そこで龍也が言った。
「あれは2人だけのサインだ」
「2人だけの?」
俊介は呟くと試合を見た。
相手投手はランナーを気にしながら足を上げた。その瞬間真治は走り出した。
「盗塁だ!」
直人が言う。
広和はボールを良く見てバットを振らず見送る。
相手キャッチャーは急いでボールを二塁へ送球した。
だが、真治は楽々盗塁を決めた。起き上がるとガッツポーズした。
「よし!」
「いいぞ、真治!」
「ナイス盗塁!」
相手投手は少し焦り出した。
「くそ」
それを広和は見逃さなかった。
次のボールで、広和はバントの構えをした。相手投手は前に出てくる。広和は相手投手の足元にプッシュバントした。
「うまい!」
直人は褒める。
ボールはピッチャーの後ろに抜ける。その間に広和はダッシュした。そして内野安打で進出。
真治は三塁へ。広和は笑みを浮かべた。
「おし!」
「ナイスバント!」
「ナイス広和!」
次は三番の刹那。
刹那はバットを軽く振り、右打席に入った。そして相手投手を睨みつける。
相手投手は直人にむかってカーブを投げた。直人はそれを苦もなく打った。
カキンッ
打球はセカンドの頭を超え、ライト前に落ちた。
その間に真治がホームイン。広和は二塁、直人は一塁で止まった。1点目獲得。
「ナイスバッティング、直人!」
「おかえり、真治」
「おう」
真治はベンチにいるみんなにハイタッチした。
次は四番の俊介。
「よっしゃ! 一発でかいのいくぜ!」
俊介は気合を入れて右打席に入る。
「打てよ、俊介!」
隼人は後ろから声をかけた。
「まかせろ!」
しかし、力の入りすぎでぼてぼてのゴロ。ランナーが進塁しただけで終わった。
「く、くそ。打ち損じた」
俊介はとぼとぼと戻ってきた。
「ドンマイ、俊介」
隼人は俊介の肩に手を置くと右打席に入った。
相手投手のボールを見るため、ぎりぎりまでバットを振らなかった。球速はせいぜい135キロ前後。変化球はカーブと少し曲がるスライダーの2つ。コントロールが一番よく、ちゃんとミットのところにボールが来る。
隼人は2ストライク3ボールで、次のボールを打った。打球はピッチャーの横を通り、センターに転がった。
三塁にいた広和が還って来る。これで2点目。
「よし! いいぞ、隼人!」
「ナイスバッティングです、隼人さん」
隼人は軽く腕を上げた。
次は六番の龍也。
龍也は左打席に入る前にじっとグラウンドを見た。そしてショート側のグラウンド状況が悪いのに気づいた。
龍也は笑みを浮かべると打席に入る。そして、甘く入ったカーブを叩きつけた。ボールはショート側に転がった。
「ああ、まずい!」
俊介が声を上げる。そのときだった。
ボールは小石に当たり、ショートが捕ろうとしたときにイレギュラーバウンドした。
ショートの上を超え、後ろに転がる。その間に直人と隼人が戻ってきた。これで4点。
「すげぇ、あれ狙ったのか?」
俊介が興奮して言う。
「だったらすごいな。よくグラウンドの状況を観察している」
直人は水分補給をしながら言った。
龍也は不敵に笑った。
「ふふ、狙い通りだな」
そして次は七番の勇気。
勇気は大きく息を吐くと左打席に入った。
「勇気、打てよ!」
「自信持て!」
勇気は緊張していなかった。今までと違い、自身に満ち溢れていた。
あの練習通りすれば、自分にも出来るんだ。力が無くても、ボールは飛ぶ。
勇気はボールを良く見てバットの芯にボールを当てて飛ばした。
カキンッ
一番の快音が響く。打球はセカンドとファーストの間を抜け、そのままセンターとライトの間を抜けた。
龍也は俊足を生かしてホームイン。これで5点目。
「よし! いいぞ、勇気!」
「ナイスバッティング!」
勇気は一塁で嬉しそうにガッツポーズした。
自分でも、やればできる。
次は八番の縁。
縁はぎゅっとバットを掴むと右打席に入った。
「頑張れ、縁!」
隼人が声をかける。しかし、残念ながらセカンドゴロで終わった。
「すみません」
縁がヘルメットを外して謝る。
「いいよ、縁。次頑張ろうぜ」
「はい」
縁は元気よく返事した。
ラストバッター、九番の灯はバットにかすりもせず、三振で終わった。
「おし! 守るぞ!」
「おおっ!」
みんなは一斉にグラウンドに出た。
「縁、無理すんなよ」
ベンチから出ながら縁に声をかける。
「大丈夫です。できることはします。隼人さんも、頑張ってください」
「おう」
すると、後ろからいきなり灯が抱きついてきた。
「ねぇ、ねぇ、私は? 私は何したらいいの?」
「お、お前はレフトでボールが来たら真治に来たといえ」
「は〜い」
そういって灯はレフトに走っていった。
隼人はマウンドに立つとロージンを着け硬球を握った。
早く試したかった。自分の新しい力はどこまで通用するのか。それを考えると体がうずく。
隼人は手を上げると次に手を胸に、足を上げる。そして前に出すと、おもいっきり腕を振るった。右手から放たれる剛速球が襲い掛かる。
バァァァァンッ
ミットから凄まじい音が響いた。南海高校の選手は唖然と見ていた。驚いて開いた口がふさがらない。
「な、なんだよ、あいつの球」
「あんなの打てるわけない」
「天龍高校なんて聞いたことないぞ。何者なんだよ、あいつら」
隼人は次も剛速球を放つ。俊介は苦もなくすべてのボールをうまく捕る。
隼人は笑みを浮かべた。
練習の成果が出ている。コントロールもついた。150キロ台も出ている。これなら大丈夫だ。
俊介も成果が出て喜んでいた。
ボールがはっきりと見える。まるでスローモーションのように感じ、どこにくるかすぐにわかる。こんなにも自分の力が向上しているとは思わなかった。
隼人はこの回、三者三振であっという間に終わらせた。
「おい、隼人。こっちにも打たせてくれ。練習の成果を見たいんだ」
「僕のところも頼む。これでは隼人一人が目立ってしまう」
「ああ、悪い悪い。もう少し本気で投げさせてくれ。後で打たせるピッチングするから」
それから隼人は三回まで打者全員を三振で終わらせた。これで九連続三振だ。
「隼人、お前すげぇな。完璧だぜ」
「ああ、全部150キロ台だ。これならいける」
隼人はベンチに戻ってくると縁が話し掛けた。
「隼人さん、絶好調ですね。ナイスピッチングです」
「ありがと、縁。やっぱ嬉しいな。自分が成長してるって。それだけで、めっちゃわくわくするんだ」
その言葉に全員がうなずいた。
「さて、俺も打つかな」
四回表。俊介はストレートを狙い、ホームランを打った。打球が高く上がり、フェンスの先へと超えた。
「いや〜、やっぱりホームランは気持ちいいな。会心の一撃だぜ」
それからもどんどん点をとっていく。その攻撃力は以前と比べたらまったく違う。すでに六回で10点を超えている。
隼人は四回以降から打たせるピッチングをしていた。コントロールを重視に、相手打者に打たせる。
鋭い打球を龍也は飛びついてダイビングキャッチで捕る。
相手のバントを直人は反射神経と瞬発力で処理する。
セカンドに来たボールをすばやく広和はキャッチし、一塁へ送球。
勇気は柔らかい体を生かし伸ばして捕る。
外野に打った打球は、真治が簡単に捕っていく。ライトやレフトのボールだと思うが、真治は音が聞こえた瞬間走り出し、広い守備範囲で落とすことなく捕っていく。
攻撃力だけじゃない。守備力までも、とてつもなくレベルアップしていた。
鬼塚監督はそっと笑みを浮かべた。
「よくやったな。全員」
最後は隼人が三振を捕り、天龍高校の勝利で終わった。
「おし! 勝ったぞ!」
「すげぇ、オレら。完全試合だぜ」
「15点もとったぞ。俺たち強くなってる!」
「ふふ、なかなかいい試合だった」
「ああ、自分の力が思う存分発揮できたな」
みな十分に満足していた。天龍高校野球部は生まれ変わった。新しく、一回りも二回りも大きく強くなった。
「ありがとうございました!」
隼人たちは礼を言うと合宿所へ走って戻っていった。南海高校の野球部はぐったりとしていた。
合宿所に戻ってくると、みんなは帰る準備をした。明日は再びフェリーに乗って帰るのだ。
「ああ、なんか今日で終わりって思うとあっという間だったな」
俊介がバックに道具を積みながら呟いた。
「そうだな。けっこう楽しかったな」
直人が服を積めながら答える。
「オレはもう帰って早く寝たい」
真治は大の字になって寝転がった。
「僕は学校の宿題しないとな〜」
広和は重いため息を吐いた。
「ぼ、僕も終わってませんでした」
勇気も心配そうに呟く。
「まったく。宿題を提出しなかったら部活はできないんだぞ」
龍也はさっきの試合をノートにまとめていた。
「隼人さん、ユニフォーム乾きましたよ」
洗濯をしていた縁が隼人のユニフォームを持ってきた。
「ありがと、縁。……いろいろサポート、ありがとな。けっこう助かったぜ」
隼人はユニフォームを受け取ると言った。縁は頬を赤く染めながら笑みを浮かべた。
「いいえ、お役に立ててよかったです」
すると、後ろからまた灯が抱きついた。
「ねぇ、私は? 私も頑張ったよ」
「ああ、灯もありがとな」
「うんうん」
そして灯はそっと縁を見た。
縁は恐れることなく、灯を普通に見ていた。
それを見て灯は少し残念そうな顔になった。
「さて、私も帰る準備するかな」
灯は隼人から手を離すと帰る準備を始めた。
「隼人さん」
縁が口を開いた。
「忘れないでください。私は、いつも隼人さんのそばにいます」
そういって縁も帰る準備を始めた。
隼人は今の言葉を聞いてドキドキしていた。
「こ、告白かと思った……」
隼人は胸を抑えながらユニフォームを鞄に直そうとした。
次の日。再びフェリー乗り場まで歩いていき、大きなフェリーに乗って島を後にした。
この合宿でみな一段と力をつけ、たくましく、そして強くなった。
野球部は今、新しい一歩を踏み出した。