十一回表:それぞれの試練
隼人たちは鬼塚監督から指示されたそれぞれのメニューをこなしていく。
全体練習のあとの個人メニューはきついが、これが今の自分のすべき練習だと自然とわかる。
克服しないといけない弱点、向上を目指す長所を鍛え上げ、それぞれの目標に少しでも近づける。
自分の目標があるからこそ、たとえきつく、苦しい練習でも耐えることができる。
強く、上手く、一番になりたい。
みな、その心意気を持って、己の限界と戦っていた。
今日も個人メニューをする。鬼塚監督はその姿を見て、腕を組みながら考えていた。
今のままでは大抵の高校となら通用する。だが、猛虎学園や、準優勝の青龍高校、他の強豪相手には通用するかわからない。この上を行かなければ。
各選手もポジションと打順は決めてある。あとはそれをどう上手く絡ませるか。
鬼塚監督は次のステップに取り掛かった。
まずは一番センターの真治。
真治は足を速く動かし、全速力で走っていく。
足首のパワーリストの負担は大きく、筋肉痛になったりしたが、それでも真治は走り続けた。
そんな真治に鬼塚監督は近づいた。
「風間。お前のポジションはセンターだ。今度入る1年がレフトとライトに入る予定だが、そいつらが上手いとは限らん。そこで、足の速いお前ができるだけカバーするんだ」
「でも、ライン際とかに打たれたら……」
「フライくらい捕れるようにはする。お前はその自慢の足と反射神経で守備範囲を広げるんだ」
「ど、どうやってですか?」
「音だ」
「音?」
「ボールがバットに当たる音を聞き分けろ。ボールが飛んできて見えてから追うんじゃない。金属音を聞き、飛んでくる方向を予測するんだ。ライト、センター、レフトとそれぞれ聞こえる音は違う。聞こえた瞬間、走り出せ。最後のメニューでするぞ。俺が打つ。どの方向に飛んできているか鍛えるんだ」
「は、はい」
真治は返事をすると自分の練習に戻った。
鬼塚監督は次に向かった。
次は二番セカンドの広和。
広和は反復横跳びで俊敏さを鍛え、それから150キロのボールを打つバント練習をしていた。
そこで鬼塚監督が近づいた。
「高杉、次から最後にこれをやれ」
「え?」
鬼塚監督はプリントの束を広和に渡した。それにはあらゆるバッターの場面が書いてある。
「これ、なんですか?」
「練習の最後に、お前はそれぞれのプリントを見て自分がバッターのとき、どう判断するか考えて下に答えを書け。一日10枚だ。終わったものは俺のところにもってこい」
「は、はい……」
広和は一枚一枚プリントを捲って見ていた。
鬼塚監督はその場から去った。
次は三番サードの直人。
直人は150キロのボールでバッティング練習していた。最初のときは、うまく前に飛ばず、空振りも多かった。直人は悔しがっていた。
だが、今ではうまく芯に当たるようになり、快音が響いて前に飛んでいく。
そのときに、鬼塚監督が近づいた。
「刹那、やっと150キロに慣れたか」
「はい。まぁ、なんとか。変化球も混ぜていますが、バットに当てるくらいはできます」
鬼塚監督はうなずいた。
「なら、次からは一塁、二塁、三塁、レフト、センター、ライトという順に打ち分けろ」
「え? コースや球種関係無しにですか?」
「そうだ。バットコントロールをつけて守備の穴に打てば完璧だ」
直人はそっと笑みを浮かべた。
「おもしろそうだ」
そういってバットを構えた。
鬼塚監督も笑みを浮かべると次に向かった。
次は六番ショートの龍也。
龍也はピッチングマシーンのボールの出るところを下向きにしてノックをしていた。
鋭い打球が飛んでくる。それを苦もなく龍也は捕ると、ファーストに投げ後ろにネットに入れる。
そのときに鬼塚監督が近づいた。
「大野。次から打球を2個にしろ」
「2個ですか?」
「ああ。ピッチングマシーンを二台にして、二球目は少し遅れて飛んでくる。すばやく二球目も捕球するんだ」
「はい。わかりました」
「そして、そのあとは2球とも同じタイミングにセットしろ。どちらかに青い印がある。どっちに印があるかを見極めてそのボールだけを捕球するんだ」
龍也はなるほどといった感じにうなずいた。
「なかなかいい練習ですね」
そういって龍也マシーンの準備を始めた。
次は7番ファーストの勇気。
勇気は素振りを百本したあと、トスバッティング百本、そして今はティーバッティング百本している。
しかし、なかなか芯に当たらずうまくボールは飛ばない。
そのときに鬼塚監督が近づいた。
「西田。お前はこれからこれもやれ」
そういって鬼塚監督があるものを渡した。
「バドミントン、ですか?」
「そうだ。この箱に羽が百個ある。百個すべて十メートル以上飛ばせ。ラケットの芯に当たらなければ、羽は飛ばんぞ。素振りと同じ要領で降るんだ。それように少し長めのラケットにしてある」
「わ、わかりました」
勇気はさっそくバドミントンで練習を始めた。
次は四番キャッチャーの俊介。
俊介は150キロのボールを捕る練習をしていた。しかし、5球に1球はこぼしてしまう。
「いって〜。こんなの痛すぎて捕りたくねーな。おっと、変なこと言ってしまった。でも、このスピードできわどいコース捕れんのか?」
そのとき鬼塚監督が近づいてきた。
「池谷。お前はボールに数字を書け」
「数字?」
「ボールを捕るとき、よく見てボールに書いてある数字を読み取るんだ。これができればボールをよく見ていることだ」
「マジですか? じゃあ、どんなボールでも取れますね」
「ああ。そのとおりだ」
「おし! やるぞ!」
俊介はボールを持って来るとペンで書き始めた。
鬼塚監督はそれを見届けて立ち去った。
最後に五番ピッチャーの隼人だ。
隼人はピッチング練習をしていた。近くでは縁がスピードガンで球速を測っている。灯も隣で見ていた。
「150キロ。10球です。5週走ってください」
縁に言われたとおり、隼人はグローブをその場に置くと全力疾走でグラウンドの周りを走り始めた。
隼人のコントロールは以前と比べて戻ってきていた。今ではストライクゾーンの中に入るようになり、体力もついて、10球に8球は150キロ以上を出せるようになった。
隼人が戻ってくると、鬼塚監督が近づいてきた。
「和田、次からストライクゾーンを4分割にして、左上、右上、左下、右下とわけて投げろ。それ用のフレームがある」
「わかりました」
隼人は言われたとおり、ストライクゾーンのフレームをホームベースの後ろに置くとピッチング練習を再開した。
その様子を、縁と灯は見ていた。
「隼人くんすごいよね。あんな球、誰も打てないよ」
灯は自分のことのように嬉しそうに言った。
「そうですね。でも、もっとコントロールをつけて、あの球を自分のものにしなければ。今のままでは、猛虎学園や甲子園に出場するチームはバットに当てるくらいはできるでしょう」
縁の説明に、灯はつまらなそうにうなずいた。
「ふ〜ん。……ねぇ、縁ちゃん。縁ちゃんは、隼人くんのこと、好きなの?」
縁は口を閉じて黙った。
言っていいのだろうか。たしかに好きである。だが、灯は何というだろうか。
その先が怖く感じていた。
「わ、私と隼人さんは幼なじみなだけですよ。恋愛感情とかは」
「へぇ〜」
灯は腕を後ろで組みながら空を眺めた。そしてそっと呟いた。
「うそつき」
そこで縁は金縛りにあったように体が動かなくなった。
やはり灯は知っている。自分の感情を。隼人に対する想いを。
「おい、マネージャー!」
鬼塚監督が大声で呼んだ。
「は、はい!」
「そろそろ夕飯を作れ! 練習終わるぞ!」
「はい!」
2人は大きく返事すると走っていった。
台所で夕食を作っている。今日は暑いのでソーメンだ。
縁がメンを鍋で茹でているとき、灯が口を開いた。
「ねぇ、縁ちゃんは、隼人くんの好きな人知ってる?」
「え?」
いきなりそんなこというものだから戸惑ってしまった。
たしか、隼人に好きな人はいないはず。
「し、知りませんよ」
縁は無理に笑みを作って答える。灯も笑みを浮かべた。
「私、知ってるよ。この前のフェリーに乗ってるとき、隼人くんが私の部屋に来て言ったの。私のこと、……好きって」
そこで縁は手にしていた箸を落とした。
縁はショックを受けた。
隼人が灯に告白した? 信じられない。いや、信じたくない。そんなこと、あるはずない。そんなこと……。
「それでね、そのあとはお互いに抱き合って、あんなことやこんなことまでしたの。もう最高〜」
縁は自分の手が震えるのがわかった。胸が締め付けられ、息苦しく感じる。
そんな縁を見て、灯が声をかけた。
「縁ちゃん、大丈夫? 気分悪いの?」
縁はぎゅっと手を握ると笑みを浮かべた。
「い、いえ、大丈夫ですよ。ちょっと気分が悪くて……」
そういって縁は台所を後にした。
その様子を見て、灯はそっと笑みを浮かべた。
「絶対渡さないからね」
縁は外に出た。
玄関の前に出ると立ち止まり、その場に座り込むと手で顔を覆った。
信じたくない言葉が頭の中で響いていた。灯の言葉。それが怖く感じる。
なにより、隼人を灯にとられて悔しかった。自分の心がぎゅうと締め付けられる。
失恋がこんなにも苦しく、悲しいものとは知らなかった。目から大粒の涙が流れていく。
そのとき声が聞こえた。
「縁?」
縁はそっと顔を上げた。
そこには隼人が立っていた。肩をアイシングして、タオルで汗を拭いている。
「ん?」
隼人は縁を見て気づいた。眼が赤い。泣いていた?
「ゆ、縁、どうかしたのか? どっか痛いところでもあるのか?」
隼人はしゃがみ込むと縁背中をさすった。縁は無言のままうつむいてしまった。
「縁……」
隼人はしょうじき戸惑っていた。
今まで縁がこんな風に落ち込んだのは一回しかない。あの、隼人が野球を辞めるといったときだけ。
他に思い当たることはない。こういう場合、どうしたらいいのかわからない。
「ゆ、縁、ほら、中に入ろう」
そのとき、縁がそっと口を開いた。
「隼人さん、しょうじきに答えてください」
縁はうつむいていた顔を少し上げた。
「フェリーに乗っていた日、灯さんの部屋に行きましたか?」
「え?」
隼人は予想外の質問に焦った。
なぜ今そんなことを? いや、何で知っているのだろうか。普通に考えれば灯がいったとなる。
それよりも、しょうじきに言うべきだろか。でも、すでにばれている。なら、しょうじきにいうしかない。
「あ、ああ。飯食ったあと、灯の部屋に入った。
縁はぎゅっと自分の服を掴むと次の質問をした。
「では、……そこで何をしましたか?」
「うっ」
さすがにそれは言えなかった。
あんなこと、いくら縁だろうと、誰にもいえない。
「え、えと、その……、まぁ、ちょっと話しをしたくらいだ。べ、別に、そんなこと縁には関係ないだろ」
それを聞いて縁はショックを受けた。
自分には関係ないこと。つまり、私は邪魔ものということだろうか。そう思うと目の奥が熱く感じた。
縁は再び顔を伏せた。
「ゆ、縁?」
縁は隼人の手を振り払うと立ち上がって走ってしまった。
「お、おい!」
縁はがむしゃらに走った。
その場から一刻も離れ、少しでも隼人の顔を見たくなかった。
そのとき、石に躓いて転んでしまった。
「あっ」
縁は激しく地面に倒れた。そしてそのまま、拳を握り涙が落ちていく。
「隼人さん……」
縁はその場で一人、暗くなっても泣き叫んでいた。
時刻は10時になった。
練習を終え、みな夕食の準備をした。みんなの前にはソーメンがある。
だが、まだ誰一人手をつけずじっと座っていた。
縁の姿がないのだ。
みんな心配そうな表情をしていた。
「何かあったんじゃないか? 遅すぎるぜ」
真治が口を開いた。
「ああ、ちょっと心配だな」
俊介が答える。
「おい、灯。どこにいったか知らないか?」
直人が灯に言う。
「ううん。私は知らないよ」
灯は首を振った。
「女がこんな夜遅くまで外に出るのは危険だ。誘拐された可能性もある。よくわからない島だからな」
龍也が腕を組んで言った。
「ゆ、誘拐? おいおい、探しにいったほうがいいんじゃないか?」
広和が慌てて言う。
「そうですね。それが言いと思います」
勇気も賛成した。
「よし、行こう」
俊介が言ったとき、鬼塚監督が口を開いた。
「まて、池谷。こんな外灯もない暗い中、お前らが探しに行ったって、次はお前らが迷子になるだけだ。3人でいい。俺とあと2人で探せばいいだろう。誰が行く?」
そこで隼人は真っ先に手を上げた。
「俺、行きます」
隼人は気になった。
縁のあの行動。もしかしたら、自分のせいでこうなったかもしれない。
多少の責任を感じている。なにより、縁が心配で一刻でも早く助けにいきたい。
その姿を灯は見て、少し悔しい想いをしていた。
「隼人くん……」
「よし、いいだろう。あと、真治。お前も来い。暗いから気をつけながら走り回れ」
「また走るんですか……」
真治は少しがっかりしていた。
「池谷は全員をまとめ、11時には寝ておけ。明日からもいつも通り練習をする。こっちは心配するな」
「はい」
3人はそれぞれ懐中電灯を持つと、外に飛び出し探し出した。
隼人は真っ先に外に出ると走り回った。
早く会って無事を確認したい。何も起こらず、いつも通りでいてほしい。
隼人は願いながら走っていった。
「縁! 縁、どこだ!」
隼人は大声を出し、縁を探す。
やはり島のせいか、外灯は無く見えにくい。懐中電灯が無ければ何も見えないだろう。
「おい、縁! 返事しろ!」
そのとき、人影が見えた。道路の端で座っている。
隼人はそこを懐中電灯で照らした。
そこに縁がいた。
「縁!」
「隼人さん……」
縁は地面に座り込み、足を抑えていた。足は怪我したのか、血が出ていた痕があった。
「お前、怪我したのか……」
隼人はしゃがみ込むと縁の足に触れようとした。
「触らないでください!」
縁は隼人の手を叩いた。
「縁……」
「私のことは、ほっといてください……」
縁は隼人から顔をそむけた。
隼人はもう一度縁の足に触れた。
「やめてください! やめてください、隼人さん!」
それでも隼人は止めず、自分の服を歯でちぎると縁の足に巻いた。
「隼人さん……。どうして、どうして、来たんですか……?」
「……心配だったから」
縁はそっと隼人のほうを向いた。
隼人はうつむきながら話した。
「縁、何かあるなら言ってくれ。俺、縁の悲しむ姿、見たくない。俺たち、ずっと一緒だったろ? 何かあるなら話してくれ。俺、できることなら何でもするから」
隼人の目から一筋の涙が流れ光った。
縁をそれを見てうつむいてしまった。
「ご、ごめんなさい。……そ、その、そんなつもりじゃ……」
隼人は縁に背を向けた。
「隼人さん?」
「おんぶしてやるよ。それじゃ歩けないだろ? 早く帰ろうぜ」
そう言って笑みを見せる。
縁も涙を拭くと笑みを浮かべた。
「はい」
そういって隼人の背中につかまる。
隼人は立ち上がると歩き出した。
縁は片手に懐中電灯を持ち前を照らした。
「隼人さん、星が綺麗ですね」
2人は夜空を見上げた。
「この前も見たけどな。でも、綺麗だな」
縁はあらためて隼人を見た。
大きな背中。いつのまにかこんなに大きくなっていた。幼いころは同じくらいだったのに。
縁は片手で背中に触れた。
「ん? なんかついてたか?」
「いえ、なんでもありません」
そういって軽く笑った。
隼人はふっと息を吐いた。
元に戻ってよかった。
すると、縁が隼人を強く抱きしめて囁いた。
「隼人さん。隼人さんは、誰が好きなんですか?」
「え? い、いきなりなんだよ」
「私にことは好きですか?」
「え、い、いや、えと、その……」
「好き、ですか?」
縁は知りたかった。
隼人が自分のことをどう思っているのか。どうしても気になった。
隼人は顔真っ赤にしながら言った。
「お、俺、好きかどうかわからないけど、一番そばにいて欲しいと思ってる。なんていうか、離れて欲しくない。ずっと、一緒にいて……甲子園にいきたい」
縁は頬を赤く染めると隼人の背中の中に顔をうずめた。
それだけで十分だった。
「ありがとうございます、隼人さん」
2人はゆっくりと合宿所まで歩いていった。