十回裏:地獄の冬合宿
隼人たち、天龍野球部はフェリーから降りて南の島へと足を踏み入れた。
島は冬だというのに十分に温かく、野球のできる環境は整っていた。
港から辺りを見回してみたが、大きな山々に囲まれ、田舎という雰囲気が出ていた。コンビニやビル、ゲームセンターなどは見当たらない。
ここからどうするのだろうか。
「いいか、お前ら。今から歩いていくぞ」
鬼塚監督が声を上げる。そしてびっと遠くのほうを指した。
「あっちのほうに今から住むことになる施設がある。いくぞ」
「ちょっと待ってくださいよ、監督」
俊介が少し慌てて言った。
「なんだ」
「歩いていくって、何キロ歩くんですか? あっちって、何も見えませんよ。タクシーとかバスとかないんですか?」
「あるわけないだろ。それに、あったとしても乗らん。さっさと行かないと、今日することができなくなるぞ」
そういって鬼塚監督は先に行ってしまった。
「行こうぜ」
隼人はそういうと鞄を持って鬼塚監督のあとに続いた。その後ろをみんなはついて行く。
先の見えない道沿いを何キロも歩いていく。朝に着いたので、太陽が時間が経つに連れて昇って行く。
島をただぐるぐる回っているようで、ただと歩いているだけだと暗示にかかりそうだった。何10分も歩いているのに、さっきから車は一台も通らない。人ともすれ違わない。ここは無人島と思ってしまう。
「縁、大丈夫か」
疲れている縁に隼人は声をかけた。
「は、はい。大丈夫です。まだ、頑張れます」
そう言って縁は笑顔を見せる。
「頑張れよ。きつくなったら、俺が荷物持ってあげるから」
「はい。ありがとうございます」
途中から海沿いを歩いていたが、方向転換して中の方へと歩いていく。
その中にようやくコンビニが見えた。少なからずみんな安堵する。コンビニにしてはなかなか大きく、さまざまなものが売ってそうだ。
「マネージャーの2人はここからの道沿いを覚えておけ」
「は、はい」
縁と灯は返事をした。
それを聞いた鬼塚監督は再び歩き出した。
それからまた数分歩き、ようやく1つの大きなグラウンドと施設が見えた。そこで鬼塚監督は立ち止まった。
そのとき、すでに太陽は高く昇っていた。
「ここが今日から泊まるところだ」
鬼塚監督は鍵を開けて中に入っていく。それに続いて隼人たちも入っていった。すでに疲れてしまっている。
中は公民館のような感じで、少し大きな広間、隣に台所やシャワールームやトイレもある。押入れの中には布団もあった。しかし、どこも汚く掃除をしなければいけない。
「今からここの掃除だ。池谷と大野は布団担当だ。埃被っていると思うから叩いてこい。シーツとかは洗え」
「はい」
2人はさっそく押入れから布団を出し始めた。
「和田と刹那はこの広間の掃除だ。箒で掃いて、雑巾で綺麗に拭け」
「はい」
2人は掃除棚から箒を取り出すと始めた。
「高杉と西田はトイレとお風呂掃除だ」
「え〜、トイレ掃除かよ」
広和は不満そうな顔をしてとぼとぼ行った。
「風間、お前は洗濯ができるように紐をこの広間の上にかけろ。そのあと台所の掃除だ」
「任せてください」
真治はそう言ってロープを探し出した。
「マネージャー2人はさっきの店で買出しだ。こいつらの飯を作ってもらう」
鬼塚監督は鞄からお金を取り出すと縁に渡した。
「わかりました」
「じゃあね、隼人くん。掃除頑張ってね」
「あ、ああ」
灯は手を振りながら行った。縁も小さく手を振る。隼人も笑みを浮かべて振り返した。
それから掃除を終え、昼食にしては遅い食事をし、みんなは練習着に着替え、隣にあるグラウンドに出た。
「いいか、お前ら。今から練習を始める。その前に、一言いっておこう」
鬼塚監督は咳払いをすると話し始めた。
「ここは昔、猛虎学園の合宿場として使われていた。ここで鍛えた選手たちは見事甲子園にいった」
「へ〜」
みんな少し驚いた表情になって聞いていた。
「でも、勝手に使っていいんですか?」
真治が言った。
「この前の練習試合のときに許可を貰ってきた。今ではあそこは立派なドームもあるしな」
隼人は辺りを見渡した。ここで強くなってやる。そして、甲子園に行く。
「いいか! 今からするトレーニングをすれば絶対に強くなる。全員気合入れろ!」
「おおっ!」
全員が声を上げ、地獄の練習が始まった。
今日はもう時間がないのでボールは使わず体を動かす。
まず最初はランニング十キロ。ダッシュやベースラン、タイヤ引きをそれぞれ五十本。そのあとスクワット、もも上げ、腹筋、背筋、腕立てを各三百回。
隼人たちは倒れそうになるのをこらえこなしていく。もし、鬼塚監督が来たから始めた練習をしなかったらついてこれなかった。もしかしたらそのことを考えてさせていたのかもしれない。
全てをやり終えるころにはすでに陽は沈んでいた。
「みなさん、夕飯が出来ましたよ」
「たくさん食べてね」
みんなの前には縁と灯が作ったカレーがあった。しかし、誰一人手をつけようとしない。
「ど、どうかしたんですか?」
「早く食べなさいよ。ね、隼人くん。あっ、食べさせてほしいんだね」
そう言って灯は嬉しそうにカレーを隼人の口に運ぼうとする。
「ま、待て、灯。食べないんじゃない。食べれないんだ」
「え?」
みんながうなずいた。
さっきのハードの練習で、食欲がなくなったのだ。それほどきつい練習だった。
それを見た鬼塚監督は一人カレーを食べている。そしてぼそっと言った。
「飯を残した者は練習前にダッシュ百本してもらう」
「うっ」
全員は鬼塚監督の言葉に反応した。そしてゆっくりとだが、カレーを口へと運び消費していく。
夕食が終わるとシャワーを浴び就寝となった。窓から流れる風が涼しく、みんな泥のように眠っていた。
そんな中、隼人は起きていた。そして、立ち上がると外に出た。
その様子を鬼塚監督は見ていた。
隼人は外に出ると夜空を眺めた。満面に輝く星が綺麗だった。
隼人はタオルを握るとシャドーピッチングをした。
そのとき、後ろから声が聞こえた。
「隼人さん」
そこには縁がいた。
「眠れないのですか?」
「ああ」
縁は隼人の隣に立つと同じように星を眺めた。
「綺麗ですね」
「ああ」
縁はちらっと隼人を見た。そして少しもじもじしながら口を開いた。
「あ、あの隼人さん」
「ん?」
隼人は星から目を離し、縁を見た。
「え、えと、頑張ってくださいね。全力でサポートしますし、応援してますから」
「ああ、ありがとう」
そういって再び隼人は星を眺めた。その表情は悲しげな目をしていた。恐れのまじった瞳。
「隼人さん、どうかしたんですか?」
「え? い、いや、別に」
縁はそっと笑みを浮かべた。
「私には分かるんですよ。隼人さん、何か隠してます。言ってください。ちゃんと聞きますから」
隼人は少し考え込むとそっと口を開いた。
「怖いんだ」
「え?」
「今俺は絶対にあの榎本には勝てない。だから、もしかしたら縁を甲子園に連れて行けないんじゃないかって。そう思うと、不安で。いつも眠れなくて……」
隼人はタオルをぎゅっと掴んだ。
そんな隼人を見て、縁はそっと隼人の手を握った。
「縁?」
「大丈夫です。隼人さんなら、きっと大丈夫です。私は信じてます。隼人さんならやってくれると」
そう言って縁は可愛らしい笑顔を浮かべ隼人を見た。
隼人は頬を赤く染めながら小さくうなずいた。
「合宿、頑張りましょう。きっと隼人さんを強くします。さ、早く寝ましょう」
「ああ」
隼人と縁は中に戻っていった。
その様子を、鬼塚監督はタバコを吸いながら隠れて見ていた。
次の日から本格的に合宿モードに入っていく。
午前6時起床。朝のランニングのあと朝食。そのあとは2時間宿題をする。そして10時から練習が始まる。
鬼塚監督は体力や筋力を徹底的に鍛え上げた。ボールには触らせず、そればかりする。
昨日のようなメニューと少し付け足す。これを四日間行った。おかげで筋肉痛になりそうできつかった。
そして今日からようやくボールを使えるようになった。
最初はまた前回と同じようなメニューをしてそのあと、倉庫にある道具を出してノックやバッティング練習をする。遠投などもして、ようやく練習が終わる。
これを四日間して、この合宿に来てから早くも一週間が経った。
そして次の日、鬼塚監督は新しいメニューを出した。
「お前らようやく俺の目標の体になったな。最初に会ったときはへなちょこだったがな」
「たしかにそうだな。俺腹筋割れちゃったよ」
真治はお腹を擦る。
「うん。僕も。それに腕の筋肉もついた」
勇気は腕にぐっと力を入れる。たしかにあんなによぼよぼだった勇気の腕が引き締まっていた。
「いいか。これで終わりじゃないぞ。今から一枚のプリントを配る。それぞれの個人メニューだ」
「え?」
全員は鬼塚監督から自分だけのメニューを受け取る。
「前半は全員での全体練習。後半からその個人メニューをやってもらう。手を抜いたりするなよ。それをクリアすれば上手くなるんだから」
全員自分のメニューに目を走らせていた。そして全て把握すると嫌そうな顔になる。
「おしっ、個人練習始めろ!」
それぞれ自分のメニューを見ながら始めた。
「ええと、オレは……」
真治は足にパワーリストをつけてレフトからライトまでのダッシュ百本。そしてベースランをまた百本。そのあとウェイトトレーニングをゆっくり二十回を三セット。それから遠投を30球して、最後に百メートルのタイムを計る。一番下に、パワーリストはこれからずっと外すなと書いてあった。
「これずっとつけるのかよ……」
真治は重いため息を吐くとダッシュを始めた。
「うんと、僕は……」
広和はダッシュ百本と反復横跳びを全力で五回。そしてどこに来るかわからないボールを反射神経で取る。これを50球。そしてピッチングマシーンを150キロに設定し、それをバントでサードとファースト側に交互で転がす。そのあと素振りを二百回。これで終わりだ。
「こ、こんなに……。150キロをバントなんてできるかな?」
広和はぶつぶつ文句言いながら始めた。
「さて、オレは……」
直人は足にパワーリストをつけダッシュ、ベースラン百回と反復横跳びを三セットする。そして150キロのピッチングマシーンでバッティング練習。最後にノック百本して終わりだ。
「へん、やってやるぜ」
直人は気合を入れて始めた。
「僕は何かな」
龍也は直人のメニューと同じで、あと遠投もあった。
「ふっ、楽勝だな」
そういって余裕の表情で始めた。
「ぼ、ぼくは……」
勇気はランニングをして、ダッシュ百本。そのあと素振り、トスバッティング、ティーバッティングをそれぞれ百回。そのあと的当てを50球して、ピッチングマシーンのボールを捕って終わりだ。
「で、できるかな……」
勇気は不安そうに紙を見ながら始めた。
「げ、なんだこれ」
俊介のメニューは、龍也と同じようなメニューである。あと二塁への送球の練習を三十本。二塁ベースは十メートルくらい下げろと書かれてある。そしてピッチングマシーンの150キロを捕る。
「殺す気かよ、あの鬼監督」
「さて、俺は何かな」
隼人も始めようとしたときだった。
「和田! こっちにこい」
隼人は鬼塚監督に呼ばれた。
「お前にはまず自分の力量を知ってもらう」
「え?」
「投げてみろ」
鬼塚監督に言われ、隼人はマウンドに上がった。
目の前にあるホームベースの後ろにはネットが立てられてある。鬼塚監督の手にはスピードガンが握られていた。
「よし、おもいっきり投げろ」
隼人はふっと息を吐いた。
そういえば、マウンドから投げるのは久しぶりだった。鬼塚監督が来てから一球も投げていない。
隼人はボールを握り、おもいっきり投げた。
「あっ!」
ガシャンッ!
ボールはとんでもないところに飛んでいった。ネットの中に入らず、その上を越えて後ろのフェンスに当たった。
「な、なんで……」
隼人は自分の手を見た。そして驚いた表情になっていた。
コントロールが定まらないこともある。それよりも、自分の球の球速に驚いていた。
「な、なんだよ、今の球」
その様子を、俊介や縁、灯は見ていた。
俊介は150キロのボールを捕るという意味が今わかった。
「そういうことかよ」
縁はそっと隼人に近づいた。あんなスピードのあるボールを見たことなかったからだ。
「隼人さん……」
隼人は恐る恐る縁を見た。
「縁……、今の俺の球……」
「わかったか?」
鬼塚監督が近づいてきた。
「お前は毎日投げ込みをして腕に疲労や負担が溜まっていたんだ。そのせいで本来の球速がまったく出ない。だが、その腕を休ませ、毎日筋力トレーニングしたからこうなった」
鬼塚監督はさっき計ったスピードガンにメーターを見せた。
「なっ!」
「す、すごい」
なんと隼人の球速は155キロも出ていたのだ。
「お前ほどの球を投げるやつは全国にもいないだろう。あの榎本も、マックス145だ。お前は、球速だけなら誰にも負けない」
隼人は嫌に緊張していた。心から歓喜がわき起こり、心臓が激しく鼓動していた。
これなら、このスピードがあれば、甲子園にいける。
隼人はそう確信していた。だが、鬼塚監督は話し続けた。
「たしかにお前の球は速くなった。だが、その分コントロールがだめだ。それに、何度も全力投球もできないだろう。そうだな、150キロ台を出せるのは連続で5球くらいか」
「ご、5球?」
「だが、今からこのメニューをやり遂げればお前はとんでもない怪物になる」
隼人は自分の個人メニューを見た。
ランニング全力疾走で1キロ。そのあとウェイトトレーニング。そして次から投球練習。最初にシャドーピッチング。そのあと実際にボールを投げ、全力で10球投げたあと、グラウンドの周りをダッシュで5周。そのあとすぐにまた10球投げる。それを十回繰り返す。
隼人はごくっと唾を飲み込むと笑みを浮かべた。
「やってる……。これで、俺が強くなるなら」
隼人はすぐさまランニングを始めた。その姿を縁が見る。
それぞれの練習が始まり、レベルアップへの道のりを歩き始めた。