九回裏:己の目標と王者の力
月が11月に変わった。
本格的に寒くなり、冬に入ったことを実感する。
日が暮れるのも早くなったから、部活の時間も縮まってしまった。公立高校は時間が決まっているので、どれだけ他より質のいい練習をするかで決まる。
新しく監督に新任した鬼塚を加え、野球部は毎日しごかれた。
「次セカンド!」
鬼塚監督は鋭い打球をセカンドに放った。
広和は懸命に追い、腕をいっぱいに伸ばすも惜しくもボールには届かずライトに抜けてしまった。そして次もセカンドへ。そして次の球も。
鬼塚監督が練習内容を決めるようになったのだが、その内容は驚くべきものばかりで地獄のようなものだった。
まずはすぐに着替えて準備体操とアップを終わらせる。それはどこも同じことである。
しかし、次からが問題だった。
そのあとはグラウンド全力疾走で30分間走る。次に一人50球の連続ノック。打球は速く、次に来るタイミングも早い。そして素振りとトスバッティングをそれぞれ300回。それからは体力作りを徹底的に行う。
寒い時期にこのメニューはきつかった。
「ああ〜。疲れた〜」
真治や広和、勇気は道具を直すと疲れて倒れた。
あれから毎日やっているがなかなか体が慣れない。最初と比べたら少しずつだがついていけているのだが。
「みなさん、お疲れ様です」
縁と灯はみんなに飲み物を配っていった。
そんなときに真治が飲み物をいっき飲みして言った。
「それにしても、あの鬼監督が来てから練習えらくきつくなったな。もしあの合宿で鍛えてなかったらオレ辞めてたかも」
「うん。僕も辞めたかも」
真治と広和はそろってうなずいた。
「たしかにきついな。でも、試合に勝ちたいならこれくらい当たり前だ。練習時間が少ない以上、短時間でこなさなければ」
龍也はタオルで汗を拭きながら言った。
「隼人くん、大丈夫? 疲れてない?」
灯はタオルを持って来ると隼人の顔を拭き始めた。
「い、いいから。自分で拭けるからしなくていい!」
隼人は慌てて灯の手から逃れようとした。
「遠慮しないでよ。本当は嬉しいでしょ」
「遠慮なんかしてないって。こっちのほうが疲れる」
隼人は灯からタオルを受け取ると自分で拭いた。
その様子を縁はそっと見ていた。
それに気付いた灯は、縁に近づくと通り過ぎる間にそっと呟いた。
「負けないからね……」
それを聞いて、縁は体がびくついたのがわかった。
今のは灯からの宣戦布告だった。
縁はぎゅっと唇を噛んだ。自分だって負けるわけにはいかない。
一番きついのは休日の練習だった。
土日は午前9時から午後6時まで。鬼塚監督の指導は容赦なく隼人たちを襲った。
「おら、あと15分」
平日と同じように準備を済ませるとすぐにグラウンドでランニングが始まる。それをトラックで使うタイヤを引きながら30分行う。
そして筋力トレーニングなどをして徹底的に筋力と体力の倍増をはかる。
午前中はそれで終わり、午後からは素振り、バッティング、ノックを中心に行う。
これも地獄だった。素振り、バッティング共に1千回以上。ノックは2時間も行い、最後には10球連続でミスなく捕らなければならず、1回でもエラーをすれば再び連続で10球捕らなければならない。
疲れているのに最悪なメニューである。
最後にはまたベースランや全速力ランニングを行いようやく終了する。
終わった直後には、みんな倒れてしまうのだ。
しかし、少しずつだが力や体力、攻撃や守備などの技術は着いてきている感じがした。
前にできなかったことができるようになっているのだ。
鬼塚監督はちゃんとわかってやっている。無駄な練習などさせていないのだ。
特に、真治や広和、勇気は自分が上手くなっていることを実感し、それなりに嬉しく楽しんでいるようだ。
そんなある日のときに、鬼塚監督は全員を集めいきなり質問してきた。
「お前らに聞く。野球はもちろんスポーツは目標がなければ続かない。そこでお前らの目標を教えてもらう。まずは風間」
「え? オレ?」
真治は少し悩むと言った。
「よし! ここはでかく、日本一足の速い選手になって盗塁王になる。これでどうだ!」
「よし。次、高杉」
真治の言葉を流し、広和に移った。
「ぼ、僕は、……バントの達人に!」
「次、刹那」
「オレは今まで通り無失策の名三塁手で、最多安打を目指す。かな」
「次、池谷」
「もちろん! 全国一のリードと盗塁阻止率。そしてホームラン王!」
「次、大野」
「僕は打点王ですかね。得点を取るのはおもしろいから」
「次は、西田」
「え、えと、僕は、……に、日本一のファーストになります!」
「最後、和田」
隼人は縁の方を一目見てから答えた。
「どんな試合でも勝つ投手になります。どんなに無様だろうと、どんなに称号や取り得がなくても、最後には勝っている投手になって、甲子園にいきたいです」
隼人は今の目標で後悔はなかった。ただ甲子園に行けばいい。約束を守ればそれでいい。三振王とか無失点王なんていう称号はいらない。試合に勝てる投手になればいいのだ。
「隼人さん……」
縁は嬉しそうに笑みを浮かべた。
鬼塚は小さく口元を緩ませた。
「よし、今日の練習はここまでだ。全員すぐに道具の片づけをしてランニングの準備だ!」
「え!」
隼人たちはすばやく道具を片付けランニングを始めた。鬼塚監督と縁、灯は後ろから自転車でついていっている。
「おら! 早く走らないと時間に間に合わないぞ!」
鬼塚監督は後ろから喝を入れた。
「だいたいどこまで行くんだよ。何キロ走らせるんだ」
真治はさっきから愚痴をこぼしてばかりいた。
「ま、監督にも考えがあるんだろ。今まで無意味な練習はさせていないからな」
直人はかなり走ってきているがまだ余裕の表情だった。
「あれ? たしかこっちって」
勇気がつぶやいた。
「ああ。この先には猛虎学園があるはずだ」
俊介が言ったとおり、隼人たちは猛虎学園に着いた。
大きな校舎がそびえ立ち、野球の王者の貫録があった。
そして周りには多くの車やバスがあった。
校舎の裏には大きなドームらしきものがあった。そこから少なからず、なにやら騒がしい声が漏れていた。
「何かやっているのか?」
「えらい騒がしいな」
真治や広和は声がする方へ耳を傾けた。
それを監督が説明してくれた。
「今日は猛虎学園と県外から来た神坂高校の練習試合があるんだ。今からそれを見に行くぞ」
そこで隼人は嫌に緊張してしまった。
今から昨年の覇者の試合が見られる。どこの試合よりも価値がある試合だ。そして、あいつもいる。
隼人は拳を握って笑みを浮かべた。
「楽しみだな。隼人」
俊介が隼人の肩に手を置きながら言った。
「ああ、来年倒すのは俺たちだけどな」
隼人たちは学園の中に入ると大きくそびえ立つ猛虎学園野球部専用ドームに向かった。
さすが私立であり王者の学園だった。他とは違ってドームがあることが一番の驚きだ。
中は広く、観客席まであり、冬にも関わらず暖かい。ナイターまであり、夜でも十分に練習ができそうだ。
すでに多くの人たちが訪れており、すでに応援の準備に入っている。
選手のみんなはアップやノックをしていた。
「さすが猛虎学園。みんなうまいな」
観客席に着いた隼人たちはそこからグラウンドを見渡した。
俊介は感心するかのように見て言った。
「すごいですね。みんなあんな難しいボールを簡単に」
勇気はただの練習だけで驚いていた。
隼人一人はピッチング練習をしている投手を見ていた。
「知ってる顔があるな」
直人が隣から話しかけた。
「ああ。実際に見るのは久しぶりだけどな」
二人は一人の投手を見ていた。猛虎学園の二年生エース。榎本雄斗だ。
バァァン!
ミットから聞こえるすさまじい音でみんなが注目し始めた。
実際に投げてる榎本は当たり前という表情をして笑みを浮かべていた。
「さて、あれを神坂高校はどう打つかな」
龍也はノートを取り出すとベンチに座り何かを書き始めた。
「なあ、神坂って強い高校なのか?」
真治が龍也の隣に座ると聞いた。龍也自分のノートのページを捲ると答えた。
「たしか、今年の甲子園出場校でベスト8に入っているチームだ。なかなかの打撃力を持っている。投手もなかなかレベルが高い」
「へえ〜」
真治は少し感心した。
「あれ? そういえば、監督はどこに行ったんだ?」
広和が言うと全員が辺りを見渡した。しかしその姿は見当たらなかった。
「たしか誰かに挨拶に行くと言ってました」
縁がそう言ったとき、ちょうど鬼塚監督が戻ってきた。
「今から試合が始まるぞ。全員座ってよく観察するんだ」
「監督どこに行ってたんですか?」
「ああ、ちょっと猛虎学園の監督に会いにな」
「ええ! じゃあ、監督って猛虎学園の監督と知り合いなんですか?」
真治が驚いて言うと、龍也が説明した。
「監督は元猛虎学園の選手で甲子園にも行ったことがあるんだ。今の猛虎学園の監督は監督の同期だぞ」
「なんでお前はそう何でも知ってるんだ」
俊介は疑問の表情を浮かべていた。
そして試合が始まった。猛虎学園からの攻撃である。
『一番、センター、神風駿斗くん』
そこで監督が真治に言った。
「風間。あいつをよく見ておけ。お前の目標となる選手だ」
神風は軽くバットを振って右打席入って構えた。
神坂のピッチャーはおもいっきり投げた。神風は初球を地面に叩きつけ、ボールが高く跳ね上がった。
「オーライ。まかせろ」
ピッチャーが取る態勢になり、取るとすぐさま一塁へ投げようとした。
しかし、ピッチャーは驚いて投げれなかった。神風はすでに一塁を蹴っていたのだ。
「ふん。楽勝だぜ」
神風は鼻でふっと笑うと余裕の笑みを浮かべた。
「なんて足だ。めちゃくちゃ速いぞ」
真治は自分の足の速さを知っているからこそ驚いていた。
『二番、セカンド、皇乃雅人くん』
「高杉。あいつを良く見ておけ」
鬼塚監督に言われたとおり、広和は皇乃をじっと見た。
皇乃は右打席に入ると初めからバントの構えをした。相手投手はバントと予想して打たせて処理しようと軽くボールを投げた。
そのときだった。一塁の神風は二塁に向かって走り始めた。
河野はすぐさまバットを戻した。その間に、神坂は楽々盗塁を決めた。
「案外楽だな」
次の球でも皇乃はバントの構えをした。
投げた瞬間、ピッチャーはすぐさま前に出てきた。
皇乃は笑みを浮かべるとバントをした。しかし、ボールはピッチャーの上を通り、後ろに転がった。
「うまい!」
神風は三塁へ。皇乃は内野安打で一塁。
「すごいコンビだな。何度も試合の中で経験している。抜群に息があっている」
直人は感心するかのように言った。
『三番、サード、海道雷鳴くん』
「刹那、お前と同格の選手だ。今のお前じゃ勝てないかもしれないぞ」
鬼塚監督の言葉に、直人はむっとなると海道を睨みつけるかのように見た。
海道は鼻歌を歌いながら左打席に入った。そして軽く肩の力を落とすと構えた。
そして、投手の甘い球をジャストミートし、レフト方向に流し打ちをした。
「簡単に点が入ったな」
俊介が呟いたそのときだった。
「おい、三塁見ろよ」
真治がそういうとみんなが三塁を注目した。
三塁ランナーの神風は塁から一歩も動いていないのだ。余裕の表情で三塁ベースの上に座っている。
「あいつバカなのか?」
広和は少し笑った。
『四番、ショート、赤織正輝くん』
「おい、大野」
「わかってます」
龍也は鬼塚監督が言わずともわかっていた。あの選手がどれだけすごいかを。
赤織はすっとバットを構えた。その姿には貫禄があり、相手投手に威圧感を与えていた。
しかし、さすが甲子園出場校である。その威圧感にも恐れず、渾身の一球を投げた。
その球を、赤織は糸も容易く打った。鋭い打球が外野へと飛ぶ。打球はライト側の壁に当たると転がった。
その間に神風、皇乃がホームイン。続いて海道もスライディングをして還ってきた。
バッターの赤織の足は速く、三塁まで走った。スリーベースヒット。
「す、すげえ」
俊介は思わず言葉が漏れた。
「強すぎる。こんなにも差があるのか」
龍也も思わず口が開く。
この回、猛虎学園は一挙に七点を奪った。
そして注目のエース、榎本雄斗の登場である。
「来たな、榎本。お前のピッチング見せてもらうぜ」
榎本はマウンドでピッチング練習を終えると、キャッチャーが近づいて言った。
「そういえば、さっき監督から聞いたんだけど、天龍高校の和田が来てるらしいぞ」
「え?」
榎本はすぐに観客席を見渡した。そして見つけた。そこには確かに東の最強ピッチャー、和田隼人がいた。
榎本はにやっと笑みを浮かべた。
「こりゃ、下手なピッチングはできないな」
神坂高校の一番が打席に入った。
榎本はその打者を睨みつけるような冷たい目を向けると右手から渾身の一球を放った。
バァァン!
ミットから凄まじい音が響いた。
「まだまだ。こんなんで驚くなよ」
榎本は一番打者を三球三振であっという間に終わらせた。続く二番も、誰にも打てそうにない剛速球を放り、簡単にストライクを奪っていく。そして三番打者も三振で終わった。
榎本はまた笑みを浮かべ、隼人のほうを一目見た。
「これが俺の力だよ。東の最強ピッチャー」
榎本はゆっくりと歩いてベンチに戻っていった。
隼人は榎本のピッチングを見て生唾をごくっと飲み込んだ。
「あいつ、偉く速い球を放れるようになったな」
直人が横から口を開いた。
「ああ。中学のころは俺のほうが速かった。だが今は互角。いや。それ以上かもしれない。こんなに成長してるなんて知らなかった」
「そして、榎本、神風、海道は今年の甲子園にレギュラーで出場し、その経験も積んでいる。皇乃や赤織もベンチに入っていた。あいつらは、才能や技術だけでなくそれ以上の経験と王者としての責任を知っている」
龍也がそう言うと、全員が口を閉ざしてしまった。
初めてわかった王者猛虎学園の実力。そして、自分達の今の力の現状とあまりに遠い力量の差。その他、全ての面で負けていることの事実。
天龍高校野球部は、練習試合に勝ってその勝利に酔い、甲子園を甘く見ていた。
目の前の敵、最大の壁を乗り越えない限り、夢の舞台に手が届くことはない。
そのことを、今はっきりと知らされた。
「隼人さん……」
縁は少し落ち込んでいる隼人を見て呟いた。
試合の結果、最後には23対0で猛虎学園の完勝だった。
神風は3つの盗塁を決め、皇乃はバントや相手投手を揺さぶり2つの四球を出させた。海道は全打数全安打。赤織は23点中15点稼ぎ、本塁打3本打っている。榎本は七回まで完全試合、それ以降はたった一本ヒットを打たれただけで完全に抑えた。
猛虎学園のナインは神坂高校に勝っても練習相手として思っていない。みな当たり前だという顔をしている。
鬼塚監督は隼人たちを見渡した。
みなこの試合を見て自分が今何をしなければならないかを知ったはず。これから冬が来るが関係ない。この間に力をつけなければ、猛虎学園に絶対に勝てない。
鬼塚監督は立ち上がると全員にむかって言った。
「今お前らは王者の力を見て驚いているだろう。あいつらがどれだけ強いか。恐らく、この新チームは歴代トップの実力を誇っていると言っても過言ではない。今のお前らでは一回コールドで終わるだろう」
誰一人口を開かない。そんなことはすでに知っている。だから何も言わないのだ。どれだけ自分たちが弱いか。その差は埋まるのだろうかと思うくらいに。
鬼塚監督は小さく笑みを浮かべるとはっきりと言った。
「この冬。天龍高校野球部は南の島で合宿をする!」
「え?」
全員が驚いた表情で顔を上げた。
「冬休み。クリスマス。お正月。こんなもののほうがいいなら来なくていい。遊んでるほうがいいならな。だが、遊んでる暇など今のお前らにはない! あいつらに勝ちたいなら、自分の目標を達成したいなら、甲子園に行きたいなら来い! 一つ言っておくが、この合宿に来れば確実に強く、そして上手くなれる。だが、一度参加したら二度と最後まで耐え抜かないといけない。途中で変えることは許さん。この合宿は、お前らに地獄の苦しさを味合わせるだろう。それでも、強くなりたいやつだけ来い!」
隼人たちは固唾を呑んで鬼塚監督を見た。
地獄の合宿とは何をするのだろうか。そんなに苦しいものなのだろうか。でも、強くなれるなら、甲子園にいけるなら、行くしかない。
「明日までに考えて来い。今日はこれで終わりだ。各自解散しろ」
そう言って鬼塚監督は行ってしまった。
隼人は縁と一緒に帰り、合宿のことを話していた。
「隼人さんは合宿どうしますか? やっぱりあまりきつすぎたら体に悪いんじゃ」
「でも縁、これで甲子園に行けるなら、俺は参加するべきだと思う」
「たしかにそうですけど……。でも、隼人さんが苦しがっているところを見たくありません」
縁は目を固く閉じた。
「縁、俺参加する」
縁は恐る恐る口を開いた。
「……大丈夫ですか?」
「絶対大丈夫だ。俺はこの地獄に耐え抜いて、縁を甲子園に連れて行く。あいつを、榎本を倒して」
縁をそっとうつむいていた顔を上げると口を開いた。
「なら、私も行きます。そして、全力で隼人さんをサポートします」
隼人はそっと笑みを浮かべた。
「ありがと、縁」
「はい」
縁は可愛らしい笑みを返した。
次の日の学校に休み時間で、隼人は俊介たちに合宿はどうするかをきいた。
「俺は参加するぜ。合宿なんておもしろすぎだろ!」
俊介はいつものように元気よく言った。
「もちろん僕も参加する。地獄など、僕の中学時代のものと比べれば楽勝だろ」
龍也は自信満々に言った。こいつはどんな合宿をしたんだろうか。
「オレは迷っているんだよな。光の世話しないといけないし。親父も出張とかあったら」
直人は本気で悩んでいた。
「そっか。まあ、無理すんなよ。仕方ないぜ」
「ああ」
俊介の言葉で、多少の安心は生まれたようで肩の荷が降りたようだ。
「オレは参加する。あの神風に勝ってやる。足なら絶対負けない!」
真治はいつになく気合が入っていた。
「僕も行くかな。あのバントの技術身につけたいし」
広和も参加するようだ。
「なんだ、全員参加じゃん」
俊介は嬉しそうにうなずいた。
「あれ? あと一人……」
広和が言うと、みんな勇気のほうを見た。勇気はまだ言っていなかった。
「勇気、お前も参加するだろ?」
俊介は気軽に勇気の肩に手を置いて言った。
しかし、勇気は口を閉ざしてうつむいていた。
「ぼ、僕、できるでしょうか……」
「え?」
「すごくきついんですよね? 地獄のような思いをするんですよね? そんな練習に、僕はついていけるのかな……」
勇気は深く肩を落とし落ち込んでしまった。
「なにを言ってるんだ、勇気。お前はあの夏の合宿も最後まで耐えたではないか。お前ならできるはずだ」
龍也は腕を組んで自身有りげに言った。
「でも、今の練習でついていけるのがやっとだし、それ以上は……」
そこで隼人は前に出ると、勇気の肩にそっと手を置いた。
「いいか、勇気。きついとか、耐えれるかとか、そんな問題じゃないんだ。やるかやらないかなんだ」
「え?」
「人がそうやってついていけるのかなって思うのは逃げてるんだ。誰だってきついのは嫌だし、苦しい思いはしたくない。それはそっちのほうが楽だからだ。俺だってそうさ。でも、俺はやるって決めた。目標があるから。甲子園にいきたいから。お前だって、日本一のファーストになるんだろ? お前も、やるという気持ちだけでやれるんだ。また、あの日々に戻っていいのか?」
隼人の言葉に、周りの全員がうなずいた。そして、勇気も。
「そうですね。やるかやらないかですよね。僕やります」
「おう」
そのとき、後ろからいきなり隼人に誰かが抱きついてきた。
「もちろん! 私も参加するよ! それで、隼人くんをいっぱいサポートするんだから!」
抱きついたのは言われるまでもなく灯だった。
「あ、ああ、わかったから離れてくれ」
これで野球部全員が参加することになった。
これから待っている地獄に耐え抜き、王者たちを倒すために。