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ストライク  作者: ライト
16/38

八回表:初の練習試合と救世主

天龍高校オーダー表 1番センター真治 2番セカンド広和 3番ショート龍也 4番キャッチャー俊介 5番ピッチャー佐藤 6番ファースト勇気 7番サード田中 8番ライト高橋 9番レフト中村

 練習試合当日。


空は晴々としていて最高の試合日よりだ。


グラウンドの周りにある応援席にはすでにたくさんの生徒や保護者、先生達までいる。


ある意味有名なった野球部はやはり人気がある。


それもそのはず、あれだけの事件や騒動を起こしたのだから無理もないのかもしれない。


 隼人たちは試合開始時間よりもずっと早く来て、ベースや白線、テントや椅子などの準備を行っていた。


全て龍也の指示で動くことでスムーズに動き早く終わった。


 そして校門から今日の対戦相手である、私立飛龍高校の野球部員たちが乗っているバスが入ってきた。


ここは私立だが、進学校として有名であり、あまり部活に精を出していないらしい。スポーツで体を動かす程度の考えのようだ。


 バスから飛龍の監督が降りてくると、寺田先生は挨拶をした。


「ようこそお越しくださいました。私は天龍高校野球部の寺田純一です。今日はよろしくお願いします」


 そう言って姿勢よく頭を下げた。


それに答えて、あっちの監督も挨拶した。


「私は飛龍高校野球部監督神村と申します。こちらこそよろしくお願いします」


 両校の監督は握手をした。


それと一緒に主将同士も挨拶した。


「飛龍高校野球部主将の大川です。わざわざお誘いいただき誠にありがとうございます。今日は正々堂々よろしくお願いします」


「天龍高校野球部主将の池谷です。今日はよろしくお願いします」


 それぞれ挨拶が終わるとさっそく試合の準備を行った。


 両校のアップが終わり、それぞれのベンチ前に集合した。


審判4名が中央に集まり各校のキャプテンを呼びつけ先功を決める。


それと一緒にオーダー用紙も交換した。


その中には直人の名前も入ってあった。隼人が勝手に書いたのだ。


じゃんけんの結果、どうやらこっちが先功に決まったらしい。


 隼人たちは俊介が戻ってくると、寺田先生の前に集まった。


「それではオーダーを発表する。一番センター風間、二番セカンド高杉、三番ショート大野、四番キャッチャー池谷、五番ピッチャー佐藤、六番ファースト西田、七番サード田中、八番ライト高橋、九番レフト中村」


 オーダーを言い終わったあと、寺田先生は改めてみんなを見渡して口を開いた。


「いいか。私たちはついこの間部ができたばかりだ。だからうまくいかなかったり、失敗したりもするだろう。しかし、失敗したら直せばいい。今日はいろいろなところを学ぶんだ。だからと言って、負けていいとは言わない。やるからには勝つ気でやるぞ」


「はい!」


「そして、和田」


「はい」


 隼人は一歩前に出た。


「今回、お前は途中から出させる。いつでも出られるように準備しておけよ」


「はい」


 佐藤はリトル時代にピッチャーの経験があるらしく、その実力を見るために先発が佐藤になったのだ。


すると、俊介が耳元に囁いてきた。


「佐藤の奴、多分すぐに疲れて終わるぜ。お前の出番はすぐだからな。いじけんなよ」


「わかってるよ。それまで軽くキャッチボールでもしてるよ」


 寺田先生は一つ咳払いをした。


それを聞いて二人は先生に注目した。


「よし、行って来い!」


「おおっ!」


 全員が威勢良く返事をした。


「ところで、俊介。飛龍高校ってどんなチームなんだ? 特徴とか知ってる?」


 真治の質問に、俊介は固まってしまった。


それを見た龍也は代わりに答えてくれた。


「飛龍高校野球部は、どちらかというと攻撃が強い。守備は苦手なようだ。少しエラーが多いな。だが、打線を繋ぐのがうまく、小さなヒットを大きくする力がある。用心することだな」


「へ〜」


 真治たちは感心するかのように聞いていた。


「よし、円陣組むぞ。みんな輪になれ」


 俊介が真ん中に立ちそれを中心に輪になり中腰になった。


俊介は目が閉じると、みんなも同じように目を閉じた。縁もベンチの中で目を閉じた。先生も。


「今日の試合が天龍高校野球部の初陣だ。これに勝ってこれからに勢いをつけるぞ。練習試合でもこれからに繋がる大事な試合だ。………」


 辺りが静かになった。集中している証拠だ。心を落ち着かせ動揺を消している。


そして、俊介がおもいっきり叫んだ。


「勝つのは俺たちだ! 行くぞ!」


「おおおお!」


「両選手集合!」


 審判の声を合図に、選手たちは中央に一列に並んだ。


目の前には飛龍高校の選手が並んでいる。


どちらも負けない、自分達が勝つという熱い視線を送っていた。


「只今より、天龍高校対飛龍高校の練習試合を始めます。礼!」


「お願いします!」


 みんな一斉に頭を下げると、天龍高校はベンチに、飛龍高校はグラウンドにそれぞれの守備位置に着いた。


そのとき、周りから大きな歓声が響いた。見てくれている人たちは懸命に応援してくれている。


その中には、あの直人の姿もあった。


座り込み静かにじっと見ていた。


実は、隼人は前日直人に試合があることを伝えたのだ。すでに知っていたが、来るように頼んだ。試合に出なくても見に来て欲しいと。


ユニフォームもちゃんと無理やり渡した。


直人は隼人の勢いに負けしぶしぶ了承したのだ。


「プレイボール!」


 主審が片手を上げた。


とうとう試合が開始された。


飛龍高校はいつでも来ていいような体勢になった。さすが野球部。その体形には貫禄があった。


「お、お願いします!」


 真治は左バッターボックスに入った。


真治は右投げ左打ちなのだ。


真治はバットを握ると構えた。


その姿はあきらかに緊張している。がちがちになり、肩や腕に力が入っていた。


相手投手は、腕を上げるとキャッチャーのミットめがけ投げ、右腕をおもいっきり振るう。


真治はバットを振らず見送った。


「ストライク!」


 主審が大きく叫ぶ。


真治は聞こえていないのか、軽く素振りもせず、バッターボックスの中に入っていた。


「あいつ、緊張しすぎだろ」


 俊介は小さく笑いを押し殺すかのようにして口を抑えた。


「しょうがないだろ。初めての試合は誰だってそうさ」


 隼人はじっと相手投手を見ながら言った。


結局、真治は一度もバットを振るうことなく三振で終わった。


「こ、これがプレッシャーってやつか……」


「ただたんに、緊張して体が動かないだけだろ」


 真治の言葉に龍也が答えた。


広和も真治と同じように緊張しており、カウント2ストライク2ボール。次の球でめちゃくちゃなスイングをしてバットに当てたが、ぼてぼてのショートごろに終わった。


「打てよ、龍也!」


 俊介の声に答え、龍也は笑みを浮かべると小さく拳を見せた。


龍也は真治と同じ右投げ左打ちで左バッターボックスに入った。


そして初球、甘いスライダーを打ち、打球は右中間を抜けた。


龍也はらくらくツーベース。そこで右腕を上げてガッツポーズをした。


「よっしゃー! いいぞ、龍也!」


「よくやった!」


 ベンチにいる真治と広和は歓声を送った。


それに負けずと周りにいる生徒たちも歓声を送る。応援席からは割れんばかりの音でお祭り騒ぎだった。


「お願いします!」


 四番の俊介はバットを軽く回して右バッターボックスの中に入る。


ふーと息を吐き、相手投手を睨むように視線に捕らえた。


そして、甘く入ったカーブを振りぬく。


綺麗な金属音がグラウンド全体に広がった。


ボールは高く上がった。そして、左中間を越えて落ちた。


その瞬間歓声が最高潮に上がった。生徒たちは立ち上がり拍手を送る。


龍也は三塁を蹴ってホームに向かう。


レフトが捕って中継に入っているショートに投げ、ショートはすかさずホームに投げるが遅かった。


龍也はすでにホームベースを踏んでいた。その間に俊介はツーベース。


そこで大きく俊介はガッツポーズをして吠えた。


天龍高校初得点だった。


「よっしゃ! 1点目!」


「初得点だ!」


「ナイバッチー!」


 真治と広和は元気良くはしゃぎ回った。いつのまにか緊張が解れているようだった。


ベンチに戻った龍也は全員とハイタッチした。


そして次の五番佐藤は、サードゴロで終わった。


縁は点数盤の一回表の所に白く大きく1と書いた。


「よし、この調子だ。気を引き締めて守って来い!」


 寺田先生の言葉に全員がうなずいた。


隼人は一人シャドーピッチングをしながら相手投手のことを考えていた。


オーダー用紙によると、相手は二年生。三年生がいないので二年生が出ることになる。


球速は自分よりも下。おそらく125キロくらい。変化球は、龍也に見せたスライダーと俊介に投げたカーブ。


どちらもそんなに曲がらない。コントロールもまあまあ。これなら大丈夫だろうと思った。


「みなさん、頑張ってください!」


 縁はベンチで応援していた。ちゃんとスコアブックに記録もしてある。


「来い、佐藤! おもいっきり投げろ!」


 佐藤は独特のフォームで俊介めがけておもいっきり投げた。


しかし、ストライクがなかなか入らず連続のフォアボール。たまに入っても打たれてヒットを許してしまい、この回いっきに3点も取られた。


龍也の好プレーでなんとか抑え、ようやく攻撃が終えた。


「おい、佐藤。お前大丈夫か? もう交代するか?」


 ベンチに座っている佐藤はたった一回で息が上がっていた。


しかし、佐藤は頑として首を振って否定した。


昔野球のクラブチームに入っていたというプライドがあるのだろう。


「いいか、あまり力んだりするな。バックがいるんだから安心して投げろ。どんどん打たせて行け」


 俊介がアドバイスするが、3点も取られてしまい、佐藤は頭に血が上って聞こえていないようだった。


 次の回からも、佐藤は打たれてしまい、合計4点も取られてしまった。


しかも、サードの田中やレフトの高橋のエラーにより佐藤は怒りに満ちていた。


「お前ら何エラーしてんだよ! あれくらい取れよ!」


 佐藤はグラブを椅子に叩きつけながら二人にむかって怒鳴った。


「なんだよ。お前もぼこすか打たれてんだろ。八つ当たりすんなよ」


 田中は佐藤の口の利き方に多少なり怒りを覚えたようだった。


「お前らがちゃんとすればいいんだろうが!」


「なんだと!」


「お、おい、お前ら試合中だぞ。ケンカはやめろよ」


 俊介が割って入ってなんとかケンカは起きずに済んだ。


しかし、今の状況はかなり厳しかった。


3‐7。


俊介や龍也のバットで何とか2点とったが4点差をどうひっくり返すか。これ以上の失点は許されないだろう。


残りはあと5回。この5回でなんとかするしかない。


「隼人。次から行くぞ」


「ああ」


 縁と軽くキャッチボールをしていた隼人はうなずいた。とうとう隼人の出番である。


さすがに佐藤も文句は言わなかった。


すると、田中がぼそっと笑みを浮かべながら呟いた。


「しょせんその程度だろうな」


 それを聞いた佐藤は、怒りに身を任せて田中に向かってその場にあった硬球を投げつけた。


ボールは田中の頭に当たり、田中は頭を抑えて倒れた。


「痛てっ!」


 田中は頭を抑えながら痛みに耐えていた。


抑えているところから赤い血が出始めた。おそらく切ったのだろう。


「おい、大丈夫か?」


 龍也や真治が田中の元にかけよった。


「てめえ、何してんだよ!」


 俊介が怒り声を上げたが、佐藤はすでにその場におらず、荷物をまとめて帰ってしまっていた。


「クソッ! なんだよ、あいつ」


 田中はすぐに縁により治療したが試合には出られそうにもなかった。


「おい、どうする? 佐藤は帰ったし、田中が出られないんじゃ、あと一人足りないぞ」


 真治が俊介に問い掛けた。


「どうするって言われても、部員はもういない。……仕方ない。諦めるか」


「はっ?」


 俊介の言葉にみんなは納得できないようだった。


「棄権する。もうこれしかない。これは俺の責任だ。チームをまとめることができなかった俺のせいだ。……あっちの監督に言ってくるよ」


 俊介はベンチを出ようと足を向けた。


そのときだった。


「ま、待ってください!」


 縁が突然口を開いた。


みんな縁に注目した。


「縁?」


 隼人は疑問の表情で縁を見ていた。


そして信じられないことを言った。


「わ、私が出ます」


「はああ!」


 全員が一斉に驚いた。


 俊介と先生は事情をすべて審判と相手監督に説明した。


本当は許可できないが、特別に許可してくれた。


飛龍高校の監督は龍也の頼みで何とか聞いてくれたが、余裕の表情で大声で笑っていた。


「おい、縁。本当に大丈夫か?」


 隼人試合に出る準備をしている縁に心配そうに話し掛けた。


すでに縁はユニフォームに着替えている。


「大丈夫です。なんとかやってみます。何もせずに終わりたくありません。できるだけやってみましょう」


 隼人はそっとうなずいた。


「できるだけカバーするからな。無理すんなよ」


「はい。ありがとうございます。隼人さんも、とうとう高校デビューですね。頑張ってください」


 縁は笑みを浮かべるとベンチを飛び出しサードに向かって走っていった。


たしかに隼人はこの試合が高校では初めてだった。


しかし、そんなに嬉しそうにしておらず浮かない顔をしていた。


なぜなら、事前にある作戦を行うように言われているからだ。


「プレイボール!」


 審判が手を上げ、試合が再開された。


そこで回りからどよめきが走った。


それはそうだろう。何でマネージャーの縁が出ているのだろうか。みんな疑問に思っているはずだ。


そんな光景を見て直人は腹を抱えて笑った。


「なんだよ、あれ。あいつの幼なじみが試合に出てるよ。あいつにサードができるのかよ」


「何がおもしろいの?」


 直人は笑いながら隣を見た。


そこには光が立っていた。


肩には何が入っているのか大きなバックが提げられてある。


「なんだ、光も来たのか。見ろよ、サードに女が出ているんだぜ。おかしいぜ」


 光は直人が指すサードに目をやった。


たしかに、そこには髪が長く、青いリボンを着けた女子生徒が守備の体形を取っていた。


しかし、光は笑わなかった。


「別に、女の人が野球をしてもおかしくないよ」


 それを聞いて直人は笑うのを止めた。そして試合に集中した。


光も直人の隣に座ると試合を観戦した。


 隼人はサードを意識しながらマウンドに立っていた。そして、俊介に目を向ける。


どうにかしてサードに来ないようにしよう。


それがわかったのか、俊介はアウトコースに構えた。


隼人はうなずくと、アウトコースめがけて投げた。


しかし、相手バッターはうまく打ちボールはサード方向へ飛んでいった。


「クソ!」


 ボールは三塁線に転がる。


隼人はすぐにボールを捕りに行こうとする。


しかし、それよりも早く縁がボールを掴んだ。


そしてすぐにボールを一塁へ。


ボールはワンバウンドして勇気のファーストミットの中に収まる。


審判は右腕を上げた。


「アウト!」


 そこで周りから歓声が起こった。


隼人たちはぼうぜんと縁を見ていた。


「さ、ワンアウトです。次も油断せず守りましょう」


 縁は走って自分の守備位置に戻った。


さすが縁だ。長年だてに野球に付き合ってきたわけではない。


自分の力量もちゃんと分かっている。


だから、無理せずワンバウンドで投げたのだ。


隼人は少なからず安堵した。


そしてこの回、なんとか0点に抑えた。


「やるじゃねーか、最連寺。なかなか上手いぞ」


「うん。選手としてやっていけるんじゃないの?」


 真治や広和たちは縁を褒めまくった。


縁は照れ笑いを浮かべながら軽くお礼を言った。


「ありがとうございます。足を引っ張らないように頑張りますね」


 そして、次は六番の勇気からの打席。


勇気はおもいっきりバットを振ったが少しも当たらず三振で終わった。


次は七番の縁だ。


相手ピッチャーは余裕の笑みを浮かべていた。


「へへ、女が相手なら余裕だぜ」


 ピッチャーは遊んでいるかのように軽く投げた。


それを縁はジャストミートし、ボールはピッチャーの後ろを抜きセンター前に。


そこでまた歓声が沸き起こった。


「ナイスバッティング!」


「ナイス最連寺!」


 縁は一塁で笑みを浮かべてベンチに向かってガッツポーズした。


回りにいる観客や生徒たちも大きな歓声を送る。


一塁コーチャーに着いている隼人は縁に話し掛けた。


「ナイスバッティング、縁」


「はい、ありがとうございます」


 隼人は小声で縁の耳元に囁いた。


「どうする? 盗塁してみるか?」


 縁は一度ピッチャーを見ると、小さく首を振った。


「さっきは相手も油断しましたが、次は無いと思います。八番の高橋さんを信じましょう」


 縁はそう言って無理せず小さなリードを取った。


しかし、高橋も中村もゴロで終わり、追加点は得られなかった。


 そして7回表まで0点が並ぶ。


両校ともなかなかうまく打線が繋がらない。天龍高校はあと一歩でホームを踏むことが出来ない。


そのまま差は4点。


そこで最悪な事態が起きた。縁が疲れ始めたのだ。やはりあまり激しい運動をしていないせいか、ずっと守るのはきつい。


それを見てか、飛龍高校のバッターはバントを繰り返す。


「クソ! またか!」


 隼人は急いで取りに行く。縁も一緒にボールを取りに行く。


飛龍高校はなかなかバントが上手く、三塁線にうまく転がる。


疲れている縁がふらついた足取りでボールを拾うが、疲れて球速は遅く、内野安打が続く。


隼人たち内野陣はいったんタイムを取り、マウンドに集まった。


「クソ! サードばかり狙いやがって」


 広和や勇気は悔しそうにしていた。


「仕方ない。これも作戦の一つだ。相手の弱点をつくのは当たり前だ」


 龍也はそう言うが、少しは悔しいようで飛龍高校のベンチをじっと見ていた。


飛龍の部員はにやにやと笑みを浮かべていた。


「できるだけ縁をカバーするんだ。縁はもう走らなくていい。その場でボールが来るのを待つんだ」


 隼人は全員に指示した。


縁は申し訳なさそうな表情をしていた。


「あ、あの、龍也くんがサードに着いたらどうですか? それのほうが」


 勇気が恐る恐る発言する。


それを俊介が首を振って否定した。


「そしたらショートに打たれて簡単にヒットを許してしまう。それに、これは自分の守備の練習を目的にしているんだ。守備の交代はできるだけ避けたほうがいいんだけど」


 隼人たちは考えた。


これからどう対処すればいいのか。


隼人が取ってファーストに投げるしかない。


しかし、相手はなかなかすぐにはバントしない。追い込まれてからバントをするから何度も前に出れば体力がすぐに落ちてしまう。


 その様子を直人はじっと見ていた。


自分ならあんなバント、簡単に処理することができる。体力だってあるから簡単にはさせない。


直人は体がうずくのがわかった。やはり体は正直である。心は否定しても野球はしたいようだ。


しかし、それはもうできない。今野球をするわけにはいかない。


部活をすることは光の面倒が見られなくなるということだ。これは仕方ないことだ。そう、仕方ないこと。


直人はそうやって何度も湧き上がる心を抑え言い聞かせてきた。


本当はしたい。野球をしたい。大好きな野球を投げ出したくない。


直人は顔を自分の腕の中にうずめた。気持ちを落ち着かせるために。


すると、隣にいる光がそっと呟いた。


「お兄ちゃん……」


 その声を聞いて直人は顔を上げると光を見た。


光は試合を見ながら口を開いた。


「ごめんね。お兄ちゃん。私、わかってた。お兄ちゃんが野球したいって。野球、やりたいでしょ?」


「え?」


「私のわがままでできないんでしょ? 本当にごめんね、お兄ちゃん。でもね、野球していいんだよ。ご飯作るのも掃除をするのも私がする。お母さんやお父さんがいなくても平気だよ」


「でも、光……」


「それにね、野球をしてるお兄ちゃんかっこいいもん。ずっと見ていたい、私の自慢のお兄ちゃん。もう一度、その姿を見たい。だからね、お兄ちゃん」


 そういって光は直人に満面の笑顔を見せた。


「いつまでも、かっこいいお兄ちゃんでいてね」


 直人はその笑顔に釘付けになった。


いつからだろうか。光が笑わなくなったのは。


お母さんが死んで、毎日のように泣いている光を見て、自分がしっかりしないといけないと思って、一生懸命なぐさめ世話をしてきた。


それから光は少しずつ元気を取り戻した。お母さんがなくなったことを受け入れた。


それでも、本当の笑顔を見ることはなかった。


その笑顔が今自分の目の前にある。自分が野球をすることで、またその表情を見ることができるなら。


 そのとき、乾いた金属音が耳に響いた。


直人と光はグラウンドに目を向ける。速い打球を広和が腕を伸ばすがあと少しで届かず、今の状況は最悪だった。


ノーアウト満塁。


4点差あるのにここで打たれたら終わりだ。


隼人はぎゅっと拳に力を入れた。


「このまま負けるのかよ……」


 そこで、直人はすっと立ち上がった。


「お兄ちゃん?」


「光。オレがこの状況を救ったら、……どう思う?」


 光は静かにうなずくと笑みを浮かべた。


「かっこいいよ」


 直人は口元を緩ませる。そしてある場所へ走ろうとした。


「待って、お兄ちゃん!」


 直人は後ろを振り返った。


光は鞄からあるものを取り出すと直人に差し出した。


「はい、これ。頑張ってね。お兄ちゃん」


 そこには天龍高校野球部のユニフォームがあった。


家に置いて来て、着ることなど少しも考えなかったのに。


直人は笑みを浮かべるとユニフォームを受け取った。


 隼人たちは再びマウンドに集まり、この状況をどうするかを考えていた。


「どうする? このままじゃ、追加点許してしまうぜ」


 広和はおろそろと周りを見渡した。


飛龍のベンチは余裕の笑みを浮かべている。監督だけは大声で満足そうに笑っていた。


観客席も、勝利を諦めたのか、まったく応援も何も聞こえない。


「やっぱり、やるしかないぜ」


 隼人は俊介を見た。しかし、俊介は首を振った。


「ダメだ。これはチーム全体で戦う試合だ。たしかに勝ちたい。でも、真治や広和、勇気たちの経験を積む目的もあるんだ。隼人はそのままでいてくれ。何とかして抑えよう」


 その意見に龍也はうなずいた。


「縁、大丈夫か?」


 隼人は膝に手を着いている縁に問い掛けた。


「だ、大丈夫です。……まだやれます」


 無理して元気を出そうとしているのがわかる。だが、やはり縁はもう限界だ。もうこれ以上は……。


 そのとき、ベンチのほうから声で聞こえた。


「選手交代!」


 寺田先生がベンチから出ると声を上げながら手を上げていた。


隼人たちはベンチに注目した。


もう控えはいないはず、それなのに誰が?


 その選手はゆっくりとベンチから出てきた。そしてマウンドに向かって歩いてくる。


その姿を見て、隼人はおもわず声を上げた。


「直人!」


 名前を呼ばれたその選手は、顔を上げると笑みを浮かべながら口を開いた。


「まったく。見てられないな。オレが代わりにやってやるよ。名三塁手として」

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