七回裏:野球部結成と旧友の事情
体育祭が終わり、部活を再開した隼人たちはいつも以上に気合いを入れて練習に取り組んだ。
他の部活動との話し合いの結果、グラウンドの半分を使わせてくれることになった。
すでに野球部のためのフェンスなどはあった。しばらくの間はグラウンド整備ばかりしていた。綺麗に整備しなければ怪我をしてしまうからである。
そしてベースの間隔もメジャーで計るなど、準備を進めていく。
あと必要なのは部員だけである。あと3人入れば部が結成できるのだ。
隼人たちはこれからどうやって部員を集めるか考えていた。
しかし、そんな必要はなくなった。
「ほ、本当か?」
昼休み。一組の教室で嬉しいことがあった。
前に野球の体験で募集した4人が野球部入ってもいいと言ったのだ。
その言葉に俊介は驚いていた。
「うん。うちの野球部けっこうおもしろそうだし」
「今ではけっこう有名だからな。いろんな意味で」
「最初はあまりやる気しなかったけど、せっかくだしやろうかなって」
俊介はあまりの嬉しさに涙を流していた。
「うんうん。お前らマジで感謝するぜ。よし、さっそく寺田先生に報告だ!」
そう言って俊介は勢いよく走って寺田先生のもとに行った。
「よかったですね。とうとう野球部結成ですね」
縁と隼人はその様子を席に着きながら見ていた。
「ああ。これでとうとう甲子園目指せるぜ」
隼人は湧きだった気持ちで笑みを浮かべた。
これで条件は揃った。あとは練習して力をつけるだけだ。
新メンバーの佐藤、田中、高橋、中村が加わり、あらためて野球同好会から部へと変わった。
そんな中、俊介はやはり一番に喜んでいた。
「ああ〜、とうとう野球部だ〜。頑張ってきたかいがあったな〜」
練習着に着替えながら、俊介は同じことを何度も呟いていた。
「おい、俊介。部を作って終わりじゃないんだぞ。これからもっと練習して頑張らないと」
野球部の部室はまだないので、体育倉庫の前で準備をしていた真治がそう言ったが今の俊介には耳に入っていなかった。
「まあ、しょうがないだろう。浮かれる気持ちはわかる。ここまで苦労したんだからな」
龍也はスパイクの紐を結びながら軽く鼻でフッと笑った。
「それで、その新メンバーはどこに言ったんだ?」
「道具はそれぞれ家にあるらしいから、明日から参加するって言ってましたよ」
広和の質問に、勇気はファーストミットを掴みながら答えた。
「おい、俊介。早く練習始めようぜ。時間は限られているんだ。やることは山ほどあるんだからな」
すでに準備ができて硬球を握っている隼人は俊介向かって多少怒っている感じに言った。
「ああ、わかってるよ。それじゃあ、今日も気合入れて始めるぞ!」
今の野球部は幸運に恵まれていた。
新メンバーが加入し、部が結成した中、いいことがまた続いたのだ。
休日の練習を夕方、日が暮れるころまで行った。
道具を倉庫の中に片付け、その前にみんなが集まっているときに龍也が全員に発表した。
「みんな聞いてくれ。今日は重大な報告がある」
龍也が全員を自分に注目させた。
みんな何事かと思って龍也を見ていた。
龍也は一つ咳払いをするとみんなにはっきりと言った。
「来月、第二土曜日。私立飛龍高校との練習試合が決まった!」
「おお〜〜〜〜!」
みんなが一斉に驚いた。真治と広和は急に立ち上がるほどだった。
「それ本当か龍也!」
俊介はキャプテンのくせに知らなかったようだ。
「まさしく本当だ。僕の父が校長と知り合いなんだ。父にお願いして頼んだら引き受けてくれてね。それに、ここはいつも毎回1、2回戦で負けるチーム。今の僕達にはぴったりの相手だ。場所はここ、時間は10時試合開始。あと、最連寺さんは放送部の如月さんにこのことを伝え放送してくれるように頼んでくれ。応援は少しでも多くいたほうがいい。ある意味僕らはちょっとした有名人だからな。もしかしたらまた部員が増える可能性もある。詳しいことは先生から聞きたまえ」
「はい、わかりました」
みんなに飲み物を配っていた縁は笑顔で返事をした。
「試合か。なんか緊張するな」
真治が言うと、広和や勇気はうなずいた。
「うん。なんかドキドキする」
「ぼ、僕も」
それを聞き、龍也は笑みを浮かんだ。
「その気持ちは良いことだ。それはいわゆる自信がついた証だからな。あれほどの練習をし、自分は力がついてうまくなっているという気持ちの現れだ。3人とも失敗してもいいから勉強するんだな」
「おう!」
真治たちは元気よく返事した。
「試合か」
隼人はぼそっと呟いた。
高校生なって初めての試合だ。硬球を使った試合。
そう思うだけでわくわくした。体が震えるほど嬉しかった。
湧きだった気持ちをどう抑えようか。あのマウンドで投げる。そしてバッターから三振を奪う。
その光景が頭の中で何度も繰り返されて行く。
隼人は口元を緩ませた。
やっと野球部らしくなってきた。
「隼人さん。頑張ってくださいね」
縁が冷たいお茶渡しながら、いつものように応援してきた。
隼人は力強くうなずいた。
「ああ。絶対勝ってやるよ」
練習を終え、隼人は縁と途中で別れて家に入ったときだった。
隼人は今日もトレーニングウェアに着替えると、大木のある神龍神社にむかった。
外は薄暗くなっていたが気にしなかった。
いつものペースとリズムで走っていく。さすがに練習のあとのランニングは少しきつかったが、これも甲子園に行くためと思えば苦にならない。
そしていつもどおり大木のところに着いた。
しかし、すでに先客がいた。
そこで隼人は驚いた。そこには直人がいたのだ。
「直人……」
隼人は呟くと、直人は振り返って隼人を見た。
「あれ? 隼人じゃねーか。何してんだよ。もう暗くなるぞ」
「お前こそ何してんだよ」
「オレか? オレはランニングだよ。やっぱり習慣は直らないな。走らないとうずうずする」
それを聞いて隼人はそっと笑みを浮かべた。
やはりこいつもスポーツが大好きなやつだ。
「お前もか。でも、野球はしないんだろ。他の部に入るのか?」
その質問に直人は首を振った。
「いや、オレはどの部にも入らないよ」
「じゃあ、なんで走ってんだよ」
隼人の質問に直人が考え込んでいるとき、後ろから声が聞こえた。
「お兄ちゃ〜ん!」
二人は声のした方向に振り向くと、そこには小さな女の子がいた。こっちに向かって走って来る。
「あっ、光?」
「お兄ちゃん!」
小さな女の子は走りながら勢いよく直人に抱きついた。
「光、何でお前ここに来たんだよ」
「だって、お兄ちゃんが遅かったから。もう日が暮れちゃったよ」
いつのまにか、陽が沈んでしまい辺りは暗闇に包まれていた。
近くにある電灯だけが隼人たちを照らしている。
「おい、直人。お前、妹がいたのか?」
隼人は少し驚きながら直人に問い掛けた。
「え、ああ、言ってなかったな。こいつはオレの妹の光だ。光、この人はお兄ちゃんの友達の隼人だよ。前にも話したことあるだろ? すごく野球がうまいんだ」
光は小学3年生くらいで、背が小さくショートカットの髪だった。直人とよく似ている可愛らしい子だ。
光は直人から離れると隼人に行儀よくお辞儀をした。
「こんばんは」
「ああ、こんばんは」
光は隼人にある質問をした。
「お兄ちゃん、野球好き?」
「え?」
隼人は突然の質問に困ってしまった。
それを直人はフォローした。
「光は野球が大好きなんだ。だからそんな質問したんだよ」
隼人は納得すると、光と同じ目線にしゃがみ込んで答えた。
「うん。大好きだよ」
それを聞いた光は嬉しそうに笑みを浮かべた。そして直人のところに戻った。
「お兄ちゃん、早く帰ってご飯食べよ。今日は何作るの? 天国のお母さんの大好きなシチューがいいな」
そこで隼人は少し疑問を抱いた。いや、聞いてはいけないことを聞いたかもしれない。
「直人、お前のお母さん……」
その質問に直人は困った表情になってしまった。
「光、悪いけどちょっと待っててくれるか?」
「うん」
光は素直にうなずくと近くにあったベンチに座った。
その間に、直人は隼人に向き直り口を開いた。
「ああ、さっきのことは他の人に内緒な。頼む」
そう言って直人は手を合わせて軽く頭を下げてきた。
「いや、それはいいけど、お前が炊事やら掃除やらしているのか?」
「ああ、まあな。だから部活なんてできないんだよ。俺が光の面倒見ないといけないんだ。親父はいつも遅いし。……お袋は、去年交通事故で死んだんだ。だからここに引っ越して来たんだ」
直人は元気のないため息を吐くとそっと夜空を見上げた。
「頑張れよ、隼人。甲子園、きっといいところだぜ。オレは行けないけど、お前なら行ける。……やっぱり、野球って楽しいからな」
直人は光のもとに向かうと、手を繋ぎながら帰っていった。
隼人はその後ろ姿をずっと見ていた。
直人の家庭状況を初めて知った。そういう理由なら部活ができないのもうなずける。
でも、直人の表情はまだ野球を続けたいという未練が残っていた。
自然とそう分かった。
隼人は大木に手を触れた。そしてそっと考えた。
「野球って、やりたいやつがやるべきスポーツじゃないのか……」
隼人は直人に同情した。
やはり直人は野球がしたいはず。なのにできない。
運がないだけで運命はまったく変わってしまう。
隼人は大木から手を離しランニングを再開した。
今日の練習を終え、放課後縁と一緒に帰っているときだった。
「隼人さん、せっかくの練習なのに、なんだかいきいきとしていませんでしたね。何かありましたか?」
「いや、何でもない。ちょっと考えごとしてたんだ。悪いな」
実は言うと、隼人の頭の中では直人のことでいっぱいだった。
直人にはあんな家庭状況である。ならば野球なんてする時間はない。それはわかってる。
でも、直人はすばらしい才能がある。それを潰してもいいのだろうか。
それに、直人は野球をしたがっているようにも見える。
「あっ、隼人さん。あの子誰ですか?」
縁は先の方にいる小さな女の子を指した。
女の子は校門の前に座り込み、地面に絵を書いていた。
その女の子は、昨夜会った直人の妹の光だった。
隼人は光に近寄るとそっと声をかけた。
「こんにちは、光ちゃん」
隼人の存在に気づいた光は、そっと顔を上げると立ち上がった。
「あっ、隼人お兄ちゃん」
光は隼人だとわかると嬉しそうであり、どこか安心したかのような笑顔を浮かべた。
「隼人さん。この子誰ですか?」
縁は首をかしげていた。そういえば、縁は光とは初めて会うことになる。
「ああ、紹介するよ。この子は直人の妹の光ちゃんだ」
「直人さんって、あの直人さんですか?」
縁は直人のことは知っていた。何度か話したことがあるのだ。
縁は光と同じ視線になるように腰を降ろすと、満面の笑顔で挨拶をした。
「こんにちは、光ちゃん。最連寺縁です。よろしくお願いします」
「うん。こちらこそよろしく」
光も元気よく、縁に負けないくらいの笑顔で返事をした。
「それで、直人に用があるのか? 直人ならもう帰ったと思うけど」
隼人も縁と同じようにその場にしゃがみ込むと光に問い掛けた。
光はその質問に対し首を横に振った。
「違うの。用があるのは隼人お兄ちゃんに」
「俺に?」
隼人は何が何だかわからず、首をかしげてしまった。
「うん。ちょっといい? 大事な話があるの」
隼人は縁に向き直った。
縁は邪魔してはいけないということで、先に帰ってしまい、隼人と光は近くの公園に立ちより、2人はベンチに座った。
「それで、俺に何か用なの?」
「うん」
光は隼人に向き直ると口を開いた。
「教えてくれない? 何で直人お兄ちゃん、野球しなくなったの?」
「え?」
そこで隼人はある仮定が頭の中で浮かんだ。
もしかして、直人のやつ妹に野球をしていない理由を言っていないのだろうか。
「それは……」
そこで隼人は声を出すのを止めた。
ここで言っていいのだろうか。直人が言っていないのなら、何か理由や考えがあるのかも知れない。下手に全てを打ち明けないほうがいいかも。
「ねえ、正直に話してよ」
光は本当に答えを求めている。
隼人はどうしたらいいのかわからず、仕方なく誤魔化した。
「ごめん。理由はよくわからない。でも、心配することないよ。あいつなりに何か考えがあるんだよ」
それを聞くと、光はうつむいてしまった。
そして、少ししてから話し始めた。
「お兄ちゃん、中学のころはすごく楽しそうに野球をしてた。守るのがすごく上手くて、どんな速いボールが来ても捕ってた。バッターでも、一年生から四番で、すごく活躍してた。それに、県の代表にも選ばれた。お兄ちゃん、すごく喜んでた。たくさんの強い人たちと戦える。そう言って喜んでた。いろんな学校からも、声がかかって嬉しそうだった。私もすごく嬉しかった。まるで、自分のことのような感じがして。学校でも、教室ではその話ばかり。お兄ちゃんすごいね。かっこいいね。上手だねって言われて。自慢のお兄ちゃんだった。……でも、お母さんが死んでから変わった感じがした。大好きな野球も見なくなったし、道具も押入れに入れたまま。たまに押し入れから取り出して、一緒にキャッチボールしようって言ってもすぐに戻して掃除をする。お父さんは何もいわないけど、私はわかった。お兄ちゃん、野球辞めたんだって。何で辞めたのかな? 私、もう一度あのかっこいい姿見たい」
そう言って、光は顔を覆い隠した。
隼人はその話を聞いて確信した。
やはり直人は野球からの未練が残っている。あいつも野球はしたいんだ。
「ねえ、隼人お兄ちゃん。私の願い、叶えてくれる? もう一度、お兄ちゃんが活躍するところ見てみたい」
光の目は赤くなっていた。
こんなにも直人のことを想っているようだ。
隼人はそっと笑みを浮かべると頭を優しく撫でた。
「大丈夫。きっと戻ってくるよ。元気出して」
「……うん」
光は小さく返事をした。
すでに辺りは暗くなっていた。隼人は光を途中まで送ると、ある方法を思い付いた。
次の日の放課後、隼人は二組のもとに向かい、直人に会いに行った。
すぐに帰ろうと鞄に教科書を入れている直人を捕まえた。
「なんだよ。オレに何かようか?」
直人は隼人の言葉に耳を傾けながら帰る準備をしている。
隼人はあるものを引っ張り出すと、直人の前に出した。
それを見た直人は驚きで固まってしまった。
「隼人、お前……」
直人の目の前には入部届があった。
すでに希望部活名なども書かれてあり、残るは名前と印鑑だけだった。
「直人、お前は野球がしたいはずだ。だったら入れ。お前は野球をするべきだ」
それを聞いた直人は可笑しそうに笑った。
「何言ってんだよ、隼人。この前言ったろ? オレはそんな時間ないって。オレは野球なんてやらない。辞めたんだ。そろそろ帰らないとな。じゃあな」
そう言って直人は教室から出ようとした。
それを隼人は肩を掴んで止めた。
「お前、本当にそれでいいのか? お前は後悔しないんだな?」
隼人は真剣な目を直人に向けていた。直人も隼人の目を背けることなく見ていた。
そして、乱暴に入部届を奪うと、低い声で呟いた。
「オレだって野球はやりてーよ。中学で県の選抜に選ばれて、家族全員で応援されて、どんどん野球が楽しくなって……。でも、もうできないんだ。神様は、オレから野球を奪ったんだよ」
直人は入部届に名前を書いて鞄から印鑑を出して押した。
そして、乱暴に隼人の胸に押し付けた。
「ほらよ。幽霊部員としてなら入ってやる。たしか人数足りなかったよな。これで少しは貢献できたろ。……もうこれ以上野球の話しはしないでくれ」
直人はうつむきながら教室から出て行った。
隼人は直人の入部届を掴むと自分も教室を後にした。
これで、直人も試合に参加できるようになった。
初の練習試合まで残り数日となった。
恵の放送のおかげか、学校ではその話で持ちきりだった。廊下や外を歩くたびにその話を聞いたり、声援をかけられる。
やはりある意味有名である。しかし、応援されるのは悪くなかった。
天龍高校の野球部である以上、その名に恥じない試合をしようと思う。
練習にも熱が入った。今までに以上にきついトレーニングをしたり、レベルの上がったノックやバッティング練習も行った。
隼人の球も、変化球のスライダーはまだ甘いところばかりだが、自慢のストレートとコントロールはなかなかの調子だった。
新しく入ってきた、佐藤、田中、高橋、中村もなかなかの動きをしていた。
佐藤は幼いころリトルの経験があるらしい。田中は小、中と野球部に入っていたとのことだ。高橋、中村は野球経験はないが、運動真剣はまあまあ良く、いないよりはましな存在だった。
この四人は仲が良くいつも一緒にいるメンバーのようだ。これならチームワークは大丈夫だろう。
龍也は相手の高校についてのデータをまとめたり、今できるとこなどを的確に教えてくれた。
縁はいつものようにサポートしてくれた。人数が増えた分、少し大変になったが。
そのみんなの様子を、直人は遠くからじっと見ていた。
練習が終わったとき、縁は大きなダンボール箱を持ってきた。
「皆さん、天龍高校のユニフォームが出来ましたよ」
その声でみんなが飛びついた。
縁は順番にユニフォームを渡して行く。
綺麗で真っ白なユニフォームだった。胸の部分に漢字で『天龍高校』と書かれてある。白い帽子にはTとRのイニシャルが書かれてあった。背番号もすでに着けられてある。
そして、ダンボールの中にはもう一枚あった。
おそらく、これは直人の分だろう。
隼人は前もって直人の分も注文するように縁に頼んだのだ。
隼人はそっとそのユニフォームを手にした。
「直人さん。来てくれるでしょうか」
縁は少し心配した表情をしていた。
「多分来ないよ、あいつは。でも、いつでも来れるように準備しておいて損はないだろ」
「そうですね」
隼人は直人の分のユニフォームをバッグの中に直した。
「なかなかかっこいいな。やっぱユニフォームだといい感じがする」
真治はさっそく背番号8が着いたユニフォームに着替えていた。
「これいいですね。本当に野球部って感じがします」
勇気は大事そうに3が着いたユニフォームを持っていた。
「よっしゃ。今度の試合。絶対勝つぞ!」
俊介の言葉に全員が歓声を上げた。
そして、とうとう練習試合の日が訪れた。