六回裏:野球で大切なこと
龍也が練習を止めてみんなが別荘に戻ってからも、隼人は一人で練習をしていた。
「クソ! なんでどいつもこいつもやる気ないんだ」
隼人は愚痴をこぼしながら走った。
太陽が沈むと、隼人はようやく練習を終え別荘に戻った。
俊介たちはテレビを見たり、トランプなどをして遊んでいた。
「……お疲れ様です。隼人さん。みんな夕食を食べ終わりましたよ」
縁の手にはサンドウィッチがあった。
しかし、隼人は
「いらない」
と言って自分の部屋に戻っていった。
みんな隼人の後ろ姿を一目見ると今していることに向き直った。
隼人はシャワーを浴び、そのあとストレッチをするとベッドに横になった。
すると、ドアがノックされ俊介が入ってきた。
「おい、隼人。今からミーティングやるぞ。お前も来いよ」
「……俺はいい。お前らだけでやれよ」
「ダメだ!」
突然俊介が叫んだ。
隼人はベッドに横になりながらそっと俊介のほうを向いた。
「勝手な行動は俺が許さない! キャプテン命令だ。お前もミーティングに参加しろ」
俊介の睨みつけるような目を見て、隼人はしぶしぶ起き上がると部屋を出た。
今日も龍也の司会のもとでミーティングを行った。
「合宿も残り4日間となった。最後まで気を抜かずに頑張ろう」
「おう」
みんなが返事した。
もちろん、隼人は黙ったままだ。
その様子を縁はそっと見ていた。
「明日の練習の午前は昨日と同じメニューで行う。午後は軽く流して終わりだ」
その意見に隼人は反発した。
「ちょっと待てよ。午後はノックとバッティング練習するぞ。今の俺らじゃまったくダメだ。今日十分休んだんだから、それくらい大丈夫だろ」
隼人の意見に、広和や勇気はうつむいてしまった。
すると、真治はぼそっと呟いた。
「……どうせ、オレたちは邪魔者だよ」
「は?」
真治は立ち上がると隼人を睨みつけた。
「しょせんオレたちはお前と比べて落ちこぼれだよ! 力も体力も才能も何もねーよ! でもな、それでも足引っ張らないように頑張ろうとしてんだよ! そんなにオレたちが使えないなら他のやつらと野球やれよ!」
「真治、お前は本気で言っているのか?」
隼人も立ち上がると真治を睨みつけた。
「ああ、本気だ。オレらは落ちこぼれのヘタレだよ! だいたい、甲子園なんて始めから無理だったんだ! そんなに行きたいならもっと強い高校に行けよ!」
「てめえ!」
隼人は拳を振り上げた。
そのときだった。
「やめろ! 二人とも!」
突然俊介が叫んだ。
真治も隼人も拳は降ろして俊介を見ていた。
「何仲間割れしてんだよ。お前ら熱くなりすぎだ。少し落ち着け」
その言葉で、二人はお互い背を向けて椅子に座った。
すると、突然縁が手を上げた。
「あ、あの、明日一日だけ、隼人さんの練習メニューは私が考えてもいいですか?」
「は?」
隼人は意味が分からず呆然とした表情で縁を見ていた。
しかし、その意見に龍也はうなずいた。
「ああ、いいだろう。明日は隼人だけ別メニューだ。あとは僕に任せてくれ」
「はい。ありがとうございます」
「おい、ちょっと待て! そんな勝手なこと」
「よし、今日のミーティングはここまでだ。ゆっくり休んで、明日に備えてくれ」
「お〜う」
龍也が隼人の言葉を無視してそう言って、みんなそれぞれ解散した。
隼人は縁に向き直った。
「縁、どういうことだ?」
「明日の練習は全て私が決めます。よろしくお願いします」
縁の表情は真剣だった。いつものように優しい表情ではなかった。
「明日は朝六時起床です。それでは、おやすみなさい」
そう言って縁は自分の部屋に戻っていってしまった。
隼人は首をかしげながら自分の部屋に戻っていった。
縁の約束どおり、朝六時に起床した。
「おはよう、縁」
「おはようございます、隼人さん」
縁の挨拶はいつものような明るく爽やかな挨拶ではなく、不機嫌そうな挨拶だった。
「それではさっそく練習を始めましょう。準備運動をして、別荘の前にいてください」
隼人は言われたとおり準備体操をして縁が来るのを待った。
すると、縁はあるものを持ってきた。
「なんで自転車なんか持っているんだ?」
縁はどこから持ってきたのか自転車を持ってきた。
「今からランニングです。さ、行きましょう」
縁は自転車をこぎ始めてグラウンドとは反対方向に走り出した。
「お、おい、縁!」
隼人はあわてて縁を追いかけた。
別荘から離れると、隼人は縁を追いながら走り続けた。
今は国道の脇を走っている。別荘地から離れ外に出たのだ。
「隼人さん、もっと早く走ってください」
そう言って縁は隼人よりも先に進んでいった。
隼人は仕方なく今までよりも早いペースで走った。
別荘から遠く離れると、縁は長い階段のある場所で止まった。
「や、やっと終わりか」
いつものペースよりもずっと早く走ったので疲れてしまった。距離もそうとうあったはずだ。
「隼人さん、次は階段登りを50回です。始めてください」
縁は冷たい目で隼人を見た。
「あ、ああ」
隼人は言われたとおり、階段の登り降りを50回した。おかげで足はぷるぷると震え出した。
「次は逆立ちで階段を登ってください。10回です」
疲れている隼人を無視して、縁は練習を始めた。隼人は言われるままにやった。
「くそ、腕が疲れた」
逆立ち登りを終えると、隼人は腕を揉みながら呟いた。
「でも、足は休めましたね。それでは、またランニングです。行きますよ」
そう言って縁は自転車をこぎ始めた。
「どれだけやるんだよ」
隼人はきつくても走り続けた。
別荘に戻ってくると、二人はグラウンドに来た。
俊介たちはそれぞれで練習をしていた。みんな一昨日とは違って楽しそうに、はつらつとした表情で練習をしていた。
「隼人さん、次は筋力トレーニングです。これをつけてやってください。回数は昨日と同じです」
縁が持ってきたのはパワーリストだった。
砂の入った重りを隼人は両手両足につけながら筋力トレーニングやダッシュなどをした。
全部を終えたときは、隼人の体は筋肉痛になった。体のふしぶしが痛む。
「ゆ、縁、ちょっと待ってくれ。いきなりこんなんじゃ体が壊れてしまう。もっと順序よくしないと」
しかし、縁は隼人の意見を無視して次のメニューに取り掛かった。
午前中の練習だけで、あの隼人が倒れてしまった。それほど縁の練習はきつかった。
「午後からはノックをします。それまで休憩を取っていてください」
冷たい口調で縁は言うと、別荘に戻っていった。
隼人は昼食を食べている間、みんな隼人とは一言も口をきかずに食べていた。
隼人は自分から話しかけることにした。
「お前ら、午前の練習はどうだったんだ?」
その質問に、誰一人答えようとはしなかった。
隼人は舌打ちをして食器を取ると、流しに入れて別荘をあとにした。
午後からも、隼人は縁による別メニューをした。
「最初に言ったとおりノックをします。私が打つので全て取ってください」
「ああ」
隼人はピッチャーマウンドの上でノックを受ける体形になった。
「いきます」
縁はバットを振るとボールを打った。打たれたボールは内野の頭を超え、外野まで飛んでいった。
「なにやってんだよ、縁。俺はここだぜ」
「何してるんですか?」
「え?」
「早く取りに行ってください」
縁の目は真剣だった。今まで見たことがない目で睨んでいる。口調もすごく冷たかった。
「何してるんですか! 早く取りに行ってください!」
突然の縁の怒声に驚き、隼人はいそいでボールを取りに言った。
「次、いきます」
縁が打った次のボールはサード方向に飛んでいった。
隼人は呆然とボールの行方を目で追っていた。
「何してるんですか。早く取りに行ってください」
それからも、縁のノックはピッチャーのところには一球も来ず、他のポジションの場所ばかり飛んでいった。これではノックではなくただの球拾いだった。
ノックが終わると、隼人は方膝を立てて息を整えようとした。
その姿を見て、縁は信じられないことを言った。
「これくらいで疲れたんですか。だらしないですね。そんなんで、本当に甲子園に連れてってくれるんですか? 隼人さんには幻滅しました」
そう言って、縁は隼人をおいて別荘に戻っていった。
その様子をみんなが見ていた。
隼人は初めて縁が怖いと思った。今までの縁ではなかった。
隼人は拳を握ると、悔しそうに地面にむかって振り落とした。
そのとき、縁の目から一筋の涙がこぼれた。
みんなで夕食を食べ終え、今日もミーティングに入った。
「さて、今日の練習はとても充実した練習を取り組めたと思う。みんなはどうだったかな?」
「めっちゃよかったぜ」
「うん。久しぶりに練習が楽しかったよ」
真治や広和は楽しそうに笑みを浮かべていた。
それを見て龍也もうなずいた。
「それはよかった。練習はやらされるよりも、自分からやるほうが効率がいいのだ。つまりやる気だな。今日の気持ちを忘れないように明日も頑張ってくれ」
「おう!」
真治たちは元気よく返事をした。
「最連寺さんは、どうだったかな?」
龍也は縁に問い掛けた。すると、縁は隼人に向き直った。
「隼人さん、今日の私の練習はどうでした?」
今でも縁の目は冷たかった。
隼人はしぶしぶ答えた。
「今までよりもきつかったよ。やらされている感じがして、本当に力がついたっていう感じがしなかった」
その意見を聞いて、縁も龍也もうなずいた。
「明日はみんな一緒に練習をする。そして、午後は特別メニューだ」
「特別メニュー?」
みんな龍也に注目した。
「ああ、今までにしたことがない練習だ。楽しみにしてくれ。じゃあ、これで解散」
龍也の一言でみな解散した。
午後になると予定どおり、龍也の言った特別メニューを行った。
「それで、なにするんだよ?」
俊介は龍也に問い掛けた。
「うむ。それは試合だ」
「は? 試合?」
みんな一斉に驚いた。
「ああ、試合だ」
「でも、人数これだけだぜ。どうやって試合なんてするんだよ」
隼人の意見に龍也は笑みを浮かべた。
「もちろん考えてある。今からチーム分けをするぞ」
龍也のチーム分けを聞いて信じられないことが起こった。
「え?」
なんと隼人対全員だった。隼人は一人でみんなの相手しなければならないのだ。
「なんだよこれ! あきらかに不公平じゃないか!」
「さ、まずは隼人の攻撃からだ。みんな守備に着いて」
龍也は隼人の意見を無視して試合を始めた。
「来い!」
隼人はバッターボックスに立つと、ピッチャーをしている龍也を見た。おかげでショートはがら空きである。
だが、そんなことは関係なかった。
「フォアボール!」
俊介はボールを掴むと大きな声で言った。
龍也は全てのボールをストライクゾーンから遠ざけて投げたのだ。
「なんだよ。これじゃ簡単に点が入るぜ」
隼人は文句言いながら一塁にむかった。
そのときにあることに気づいた。
「おい、次のバッターはどうするんだ?」
それを聞いた龍也は悪そうな笑みを浮かべた。
「あれ? 隼人のチームは次のバッターがいないな。だったら、これで攻撃は終了だな。次は僕たちの攻撃だ」
そう言って、俊介たちは攻撃の準備をし始めた。
「おい、待てよ! なんだよそれ! それじゃあ俺は点なんか入らないだろ!」
これも龍也は無視して攻撃に入った。
「おら、来い!」
真治はバッターボックスに入るとバットを握った。
「ふん。打たせなければいいんだよ」
そう言って隼人はおもいっきりボールを投げた。放たれたボールはストライクゾーンの中に入った。
しかし、ボールを捕る者はいなかった。ボールは後ろのフェンスに当たって転がった。
「チッ」
隼人は舌打ちをすると、自分でボールを捕りに行った。
カウントは2ストライクとなった。そして最後のボールを投げた。
「これで最後だ!」
次のボールもストライクゾーンの中に入った。
しかし、ボールがフェンスに当たった瞬間真治は一塁めがけて走り出した。
振り逃げだ。
「あっ!」
隼人はすぐにボールを取りに行った。ボールを掴むと、一塁に投げようとした。
しかし、すぐに投げるのを辞めた。
忘れていた。今自分は一人。キャッチャーもいなければ、ファーストもいない。セカンドも、ショートもセンターも。
真治はどんどん走っていった。そして、最後はダイヤモンドを一周してホームイン。
隼人はその様子をじっと見ていた。
「わかりましたか?」
縁が隼人に近づいた。
隼人はそっと縁を見た。
「野球は、決して一人ではできません。みんながいるから、野球ができるんです」
「縁……」
「隼人さん。野球で一番大事なことは何だと思いますか?」
縁はじっと隼人を見ていた。隼人は自分の答えを信じて言った。
「……それは努力だろ。頑張ることに意味があるんだ」
その答えに縁は首を横に振った。
「違います。一番大事なのはチームワークです。それを、隼人さんはまったくわかっていません」
「縁……。でも、俺はただ……」
「わかってます。隼人さんはチームのために、みんなが強くなるために頑張っていることを。でも、だからって無茶に練習しても意味がありません。私の練習メニューをしてそう思いませんでしたか?」
隼人はゆっくりとうなずくと、うつむきながら答えた。
「たしかに、こんな練習しても意味があるのかとは思った」
それを聞いた縁は今までのような優しい笑みを浮かべた。
「隼人さん。人にはそれぞれペースがあります。それをわかってください」
隼人はそっと顔を上げた。
そして思い出した。前にもこんなことがあった。
自分がみんなのことを考えずに、練習を厳しくしたから西条たちはあんなことをしたんだった。
隼人はみんなに向き直ると頭を下げた。
「みんな、悪かった。本当にごめん。俺、焦ってた。早くみんながうまくなって、試合に勝てるようになって、甲子園に行きたかったんだ。……本当にごめん」
すると、俊介が隼人の肩に手を置いた。
「お前が一生懸命なのは分かってるよ。そんなに落ち込むなよ。もう気にしてないから。な、みんな」
俊介がみんなに問い掛けると、真治も広和もみんなうなずいた。縁は目じりを拭きながら嬉しそうに笑みを浮かべた。
これで天龍高校野球同好会の絆はより強く頑丈になった。
この合宿で、隼人は大きなものを手に入れた。
合宿も残り二日となった。
「今日の練習は休みだ。みんな十分に休養を取ってくれ。明日の午前は軽く練習して、午後には帰る。あと、今日の夜は近くでお祭りがあるそうだ。そこに行くぞ」
「おお!」
俊介たちは元気よく返事をした。
そして、夜になった。みんなで近くの公園で催されたお祭りを楽しんだ。
「おお、いろいろあるな」
「けっこうおもしろそうだな」
「さっそくなんか食べようぜ」
俊介や真治たちははしゃぎまわっていた。龍也は合宿に来てくれた人と話しをしている。隼人と縁は一緒にまわっていた。
「合宿も明日で終わりですね。けっこう早かったですね」
「ああ。みんなこの合宿でレベルアップしたからな。龍也のおかげだな。随分と充実した練習ができたよ。基礎も基本的な動作も真治たちは身に付いた。俺も大事なことを教わった。あとは実戦練習だな」
「そうですね。少しでも多くの試合をして慣れなければなりませんね」
話ながら歩いていると、的当てが目に入った。ボールを投げて商品に当てるらしい。
隼人はお金を払ってやってみた。そして、たった一球で簡単に商品を手に入れた。
「ほら、縁」
「ありがとうございます」
縁は隼人からもらった景品を嬉しそうに受け取った。
「……隼人さん。ちょっと座りませんか?」
「ん? ああ、いいよ」
二人は近くにあったベンチに座った。
「さっきニュースで見たのですが、猛虎学園はベスト4に入って終わったみたいです。優勝は他の高校でした」
「そうか……。甲子園ベスト4はすごいな。やっぱりあいつらを倒さないと道は切り開けないな」
隼人は拳に力を入れた。
来年こそ甲子園に行きたい。みんなの力はこの合宿で十分に着いたはず。そして自分も。
今ならそこら辺の高校と試合をしてもいい勝負ができるはずだ。なにより、自分の力がどこまで通用するのか試してみたい。
「隼人さん。その、聞きたいことがあるんですけど……いいですか?」
「ん? なんだよ」
縁は頬を赤く染めながらいろいろなところを見て、なかなか言いだそうとしなかった。
そして、意を決すとそっと隼人に問い掛けた。
「隼人さんは、好きな人とかいますか?」
「え?」
突然そんなことを言われ、隼人は戸惑ってしまった。
そういえば、あのときの感情も未だにはっきりしていなかった。
「ど、どうなんですか?」
縁はさっきよりも顔を赤く染めながら答えを待っていた。
隼人は焦った。
好きな人はいないと思う。しかし、以前自分の好きな人は縁だと俊介に言われた。なら、好きな人は縁なのだろうか? でも、まだわからない。
隼人は今の自分の考えで答えた。
「多分いない。今は野球のほうが大事だしな」
その答を聞いた縁は、嬉しそうであったが悲しそうでもあった。
「縁は好きな人とかいるの?」
隼人は縁に聞くと、縁は少し考えて小さな声で呟いた。
「……います」
隼人はちょっと驚いた。
縁にも好きな人がいるとは。いや、高校生なのだから当たり前か。自分はわからないが。
でも、そんなこと知ったのは今が初めてだった。いままでそんな話したことなかったのだ。
「そいつはどんなやつなんだ?」
すると、縁は顔を真っ赤にしながら答えた。
「え、えと、その、その人は、スポーツが大好きで、熱心に頑張って、自分の目標にむかって走っていっている人です」
「へ〜、そうか」
縁はそっと隼人を見た。隼人の表情をうかがっているようだ。
しかし、隼人が平常心でいることがわかると視線を落とした。
そのとき、目の前で花火が打ち上げられた。大きな音をたてながら綺麗に夜空にはなたれている。
「わあ〜、綺麗ですね」
縁は立ち上がると花火を見上げた。
隼人はそっと縁を見た。
いつか、縁が誰かと付き合って、自分と少しずつ離れていくときがくるのだろうか。それは少し寂しい感じがした。少なからずも、今の関係が壊れないでほしいとは思った。
そのとき、後ろから声が聞こえた。
「お〜い! 隼人! 最連寺!」
俊介たちが後ろで手を振っていた。
それに気づいた二人はお互い向き直った。
「行きましょ、隼人さん」
「おう」
隼人と縁は俊介たちのもとに走っていった。
天龍高校野球同好会自由合宿全日程終了。