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闇の継承者 前日譚

作者:内藤 亮
「もう一度言ってみろ!」
 いうや否や、皓の見事なストレートパンチが充の鳩尾みぞおちに決まった。
 上背のある皓が、しなやかに腕を使ってくりだすパンチには、十歳の子供とは思えない迫力がある。
 顔を狙わなかったのはせめてもの慈悲だ。
「やめてよ、皓」
 半泣きになった洵が、皓の腕にぶら下がって、ようやく次の一発を思いとどまらせた。
「今度やったらただじゃすまないからな」
 そう皓がすごむと、充は真っ青な顔をして一目散に逃げて行った。

「高等小学校はお前ひとりで行くんだぞ」
「うん。分かってる」
 洵はうつむいたまま答えた。
 泥だらけになった洵の教科書を拾ってやりながら、皓はため息をついた。

 洵は皓の従兄弟だ。父親同士が兄弟で、早くに両親を亡くした洵を皓の両親が引き取ったのである。それ以来、二人は兄弟のようにして育ってきた。
 エメラルドグリーンの瞳に、女のような風貌。抜けるように白い肌。皓とは同い年だが、華奢な体格のせいで、一つ二つは、年下に見える。
 一方の皓は、十にしては背が高く、外遊びばかりして日に焼けた姿が、いかにもやんちゃな少年だ。遊びでも悪戯でも、仲間を引っ張るのはいつも皓の役目だった。
 洵の特異な風貌は、親がいないせいもあって、悪ガキたちの格好の冷やかしの対象になった。もともと大人しい性格たちの洵は、悪ガキたちを怖がって皓の後ろにいつもくっついて歩く。それを面白がって、悪ガキたちがまたはやし立てる。
 今日も皓が目を離したすきに、悪ガキが洵にちょっかいを出したのである。

 尋常小学校は十歳で卒業だ。皓は、綴り方や、算術をこれ以上やるのはうんざりだったから、卒業したら、マタギのゆう爺さんの元に弟子入りすることに決めていた。教室で教科書を読むより、野山を思い切り駆け回った方が、よほどせいせいする。今はまだ勢子せこしかやらせてもらえないが、小学校を卒業したら、猟師として本格的に弟子入りさせると、ゆう爺が両親と約束してくれたのだ。
 ゆう爺の元で新しい生活が始まると思うと、皓は嬉しくてしかたがない。一つだけ気がかりなのが、洵のことだった。

「あなたたち二人を足して割ればちょうどいいのに」
 母はよくそう言って笑った。はかなげな洵を十歳で家から出すのはためらわれたから、両親はもうしばらく、手元で育てることにしたのだった。高等小学校であと四年間学ばせて、どこぞの名の通った商家にでも奉公させようと考えたのである。

 もともと勉学の好きだった洵は、高等小学校で、すぐに頭角をあらわした。当時、一般家庭の子弟で、高等小学校まで行かせてもらえる者は、少なかったから、洵は、両親に大いに感謝した。
 かっての悪ガキたちもあからさまに洵をからかうこともなくなった。子供の時代が終わった、ともいえるのだろう。 
 盆暮れ正月以外は皓に会えなくなったのは寂しかったが、この四年間は洵にとって大いに充実したものとなった。 

 今日で卒業だな・・・。
 卒業すれば、奉公へあがる者、さらに上の学校に行く者、皆、進路はばらばらだ。旧友たちと再び会うことはおそらくないだろう。
 それが分かっているから、終礼の鐘がなっても、皆なかなか家に帰ろうとしない。洵も旧友との別れを惜しみ、互いの連絡先を交換した。

 そろそろ帰るか。
 今日は卒業を祝いに、皓が家に帰ってくる。皓とは正月に会ったばかりだったが、話したいことが山のようにあった。
 卒業生の総代に選ばれたこと。かねてより行きたかった薬問屋に奉公先が決まったこと。
 両親もきっと喜んでくれるだろう。洵は弾むような足取りで家路についた。

 いつものように近道をしようと路地を曲がった途端、洵は腕をつかまれた。充が目の前に立っている。腕をつかんでいるのは、充の取り巻き連中だ。目を見開いたまま、立ちすくんでいる洵に向かって充が言った。
「今日で卒業だろ。仲直りしてから別れようと思ってな」
 充は大店の一人息子だ。贅沢な身なりをし、柔和な笑みを浮かべているさまは、早くも大店の若旦那、といった貫禄がある。
「茶屋で団子でも食べていかないか」
「うん、いいよ」
 洵は、ようやく答えた。充の取り巻きが素早く目くばせをしたのには、全く気が付かなかった。
 充と一緒に歩いているうちに、いつの間にか町外れに来ていた。
「こんなところに茶屋なんてあるのか」
「あるわけないだろ。お前、バカか」
 充の態度が豹変した。
「殴られた借りが、これでやっと返せるぜ」
 ニヤリと笑ってそう言うと、あらかじめ待たせてあったのだろう。橋のたもとに止まっていた人力車に、取り巻き連中と乗り込み、あっという間にいなくなってしまった。

 人力車の影から三人の男がゆらり、と姿を現した。どの男も荒んだ雰囲気をまとっている。さりげなく洵を取り囲み、路地裏へと巧みに誘導していく。
「これはこれは。可愛らしいお嬢さんだ」
 そう言うと、男は洵の股間にいきなり手を伸ばしてきた。
「おやおや、付いてるぞ。おまえ、男か」
 さも驚いたように言う。
「それならそれで、また違う楽しみ方もあるわなあ」
 男たちは下卑た笑みを浮かべた。
 幼い頃の恐怖が甦ってくる。誰にも話したことのない忌まわしい記憶。
 男が身体に手を伸ばしてきた瞬間、洵は自分の視線が急に低くなったような気がした。
 男の顔が凍り付く。
「ば、化け物!」
 いうやいなや、男たちは背中をみせて逃げ出した。
 洵は抑えきれない衝動を感じて、男たちの跡を追い始めた。四肢に力がみなぎっている。
 あっという間に男たちに追いつくと、大きく跳躍して、一番小柄な男に飛びかかった。
 地面に引きずり倒した男の顔が恐怖に歪んでいる。
 その途端、洵は我に返った。自分は何をしているのか。
 力をゆるめた途端、男は洵の前足を振りほどいて、脱兎のごとく逃げ出した。
 逃げ去る男の姿を見送りながら、ふと川面かわもに目をやった洵は、己の姿に慄然とした。
 その姿は人ではなかった。川面に写っているのは一匹の狼の姿だった。

 どこをどう走ったのか、全く覚えていない。気がつくと、見慣れた通りを歩いていた。このまま目の前にある四つ角を左に曲がったら、家に着いてしまう。立ち止まって逡巡しゅんじゅんしていると、聞きなれた声がする。
「あいつ、どこに行ったんだ」
--皓!
 洵の声が頭の中で響いた。
「おまえか?」
 皓は、洵をじっと見つめている。姿こそ変わっているが、エメラルドグリーンの瞳は同じ色だ。
「大丈夫だ。今そっちに行くから。動くなよ」
 いつもと変わらない皓の声を聞くと、洵は力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
「まさか、お前が二つ姿だったとはな」
  怖れる様子もなく、洵に近づいてきた。
--二つ姿?
 皓は膝をつくと、震えている洵の身体をそっと抱き寄せた。
「大丈夫だよ。まず深呼吸して。自分の姿を想像してみろ。もちろん人の姿だぜ」
 そう言って、にやりと笑った。
 言われた通りにすると、周囲の空間が歪みはじめ、地面についていた前足が人の手に戻った。
 いつの間にか元の姿に戻っていた。呆然と立ち尽くしている洵に向かって、
「まず飯だ。家に帰ろう」
 と声をかけると、皓はすたすたと歩き始めた。

「ただいま!洵見つけたよ」
 玄関まで出て、二人の帰りを待っていた父と母が、ほっとした表情をうかべた。
「心配してたのよ。こんな時間まで何をしてたの」
「えっと、その・・・」
 自分でも何が起きたのか説明できない。

 家の飯はうまいなあ、と、皓はいつもと変わらない食欲で山のような飯を平らげた。洵はといえば飯どころの話ではない。
 浮かない顔をしている洵に、
「どうした?」
 父親が問うた。
「あのさ、洵のことなんだけど」
 最初に口を開いたのは皓だった。
「二つ姿って知ってる?」
「?」
「洵は人と狼の姿の二つを持っているんだよ。そういう人のことを二つ姿っていうんだって。ゆう爺が教えてくれたんだ。ゆう爺の師匠は、二つ姿の狼と一緒に猟をして、大金持ちになったんだって」
 両親も洵も目を丸くして皓の話を聞いている。

 ある日、ゆう爺は師匠の家に皓を連れて行った。
 煉瓦造りの洋館で、びっくりするほど大きな門構えの家だった。
「師匠は大分前に亡くなってな。一人娘はどこぞの名家に嫁に行って、この家は人手に渡ってしまったが。マタギもやりようでこれくらい稼げるって見本だよ」
 そう言ってゆう爺は笑った。
 師匠と一緒に猟をした二つ姿は、そう、と言った。
「俺も何度か会ったがな。気さくないい人だったよ」
 ゆう爺はそう言った。
 二つ姿の者は、人の賢さと獣の身体能力をもつ。“そう”とゆう爺の師匠に、狩れない獲物はなかった。二人は生涯共に猟をして、財産を築いたのだった。

「その二つ姿の人って綾村あやむらの出身じゃないか?」
「そういえば。師匠がそんなこと言ってたな」
「お前の母親は綾村の出身なんだよ。その瞳は義姉ねえさんにそっくりだ」
「僕の母も二つ姿だったんですか?」
「自分のことはあまり話さない人だったから・・・。詳しいことは分からないんだ。すまんな」
「奉公に上がるのは春からでしょう。ゆう爺に会って、一度話をきいてみたら」
「そうだな。自分のことを知るいい機会かもしれん。そんな顔するな。何も心配はいらんよ。お前が狼だろうがなんだろうが、俺の息子であることに、何ら変わりはないんだから」
「ありがとう」
 洵は涙がでそうになるのをこらえて、ようやくそう言った。

 いよいよ、家を離れる時が来た。
「俺と一緒に猟師になって、稼ごうぜ」
 皓が嬉しそうに言った。
「全くおまえは。いいか、洵。猟師になるにせよ、薬問屋になるにせよ、自分で考えて結論を出すんだぞ」
「そうよ。皓の言うことなんてきかなくていいのよ」
「母さん、ひどいな。俺、そんなことしないよ」
 皓が口を尖らせた。
「長い間、お世話になりました。ありがとうございました」
 皓の両親から、どれだけの愛情を注いでもらったことだろう。いつのまにか、自分より小さくなってしまった母を見ながら洵は思った。また涙が出そうになる。
「しっかりやれよ」
 早春のまばゆい光の中、遠ざかる皓と洵の姿を、二人はいつまでも見送っていた。

 











 




 






 

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