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第六章

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 村田の前へ白い茶碗が静かに出された。目の前に座る前園と称する青い和服の男が点てたお茶だった。村田はそれを無視して取らずにいた。

「お茶は好きではありませんか? 村田君」

 前園を追って、村田はこの管理棟一階の茶道室に入った。十二畳はあるこの部屋には村田と前園以外に誰もいない。そもそもこの場は茶道部の催しがあったはずだが、茶道部の人間も、客も、その姿を見ることは出来なかった。

 おかしい・・・本当にここは文化祭中の茶道室なのだろうか・・・?

 村田の思ったことを察したのか、前園は言った。

「この部屋だけ少し時間軸を変えています。だから誰もここに来ることは出来ませんよ」

 前園の様子は愉快そうだった。

「さあ、お茶を召し上がって下さい」

 そう笑顔で前園は言った。

「・・・」 

 憮然としていたが、結局彼は促されるままに茶碗を取った。そして彼は茶碗を両手で包むように飲み、その角度を上げてゆき、それを音を立て飲み干した。彼は茶碗を畳に静かに置き、言った。

「お前、いったい誰なんだ?」

 相手は笑った。

「僕が誰だって? 僕は前園だよ。二年E組で君と同じクラスだった。それにレゴ部で同じ部活仲間でもあったね」

「ふざけるな! 前園なんて人間、元々僕達の記憶にない!」

 村田は怒鳴った。もはや怒りを抑えきれなかった。

「いったい何が目的なんだ? 僕らを過去に飛ばしたのもお前の仕業なんだろう? 今日の未明の電話も、インターネットのホームページも、全部お前のやったことなんだろ! いったい何がしたいんだ!」

 前園は笑みを浮かべ、前園の様子を静かに観察するように眺めていた。その様子に村田は自分が訳の分からないことを言っているのではないかという気がしてきた。自分の頭がおかしくなっているのではないかと不安さえ感じてきた。

 前園はくすっと笑った。

「さあ、どうだろうね」

 村田は唇を噛んだ。苛立ちを抑えることができなかった。何も情報が得られていない、はぐらかされ、ごまかされ、核心に至ることが出来ていないこの状況に彼は焦りと怒りと苛立ちを感じていた。

 前園は膝を横にずらし、村田が飲み終えた茶碗を手に取った。そして元の位置に戻り、それを湯で洗い、最後に茶巾で丁寧に湯水の跡を拭き取った。

「もう一杯如何ですか?」

 前園は少し笑いながらそう言った。

「・・・」

 村田は前園を睨みつけた。

「まあ、そんなに構えないでくれたまえ」

 前園は茶杓で抹茶を茶入れからすくい、茶色い茶碗に入れ、茶を茶筅で点て始めた。一連の動きは戸惑いもなく、優雅に行われている。

「君と会話をしてみたかったんだ。夢を諦め、平凡な会社員になった未来、妻に罵倒され一方的に離婚された情けない未来、そして会社にリストラされようとしている未来。そんな未来に君は何故帰ろうとしているのかなと思ってね」

「僕を馬鹿にしているのか?」

 怒りを押さえきれないと思った。

「いや、馬鹿になんかしていないよ。僕は本気で聞いているんだ。何故そんな未来に帰りたいと思うんだろうとね。過去からやり直せば君は違う未来を得ることが出来るというのに何故なんだろうと不思議でね」

「・・・・」

「それに君が知っている本来の未来の裏側はもっと残酷なものなんだよ」

「・・・何が言いたい?」

「元妻に異常に毛嫌いされていた君は、とは言っても単に生理的に嫌われていただけなのだろうけど、とにかく君は、その元妻に何回も殺され掛けていたんだ」

「な!」

 衝撃が体を貫いた。

 殺されかけていた? なんだそれは・・・?

 本当なのか?

 そんなにあいつは僕を憎んでいたのか?

 何かが壊れてゆく感覚を覚えた。

「自転車のブレーキが壊れていたときがあったよな? 食事の味が変だと思ったこともあったよな? 寝ているときに動く人の気配を感じたこともあったよな?」

 あった・・・。

 そうと思ったことは何回かあった。それどころか薄々分かっていた。彼女が何かをしていることを。それを何度も頭の中で否定していたのだ。

 やはり・・・あいつは・・・。

「かわいい奥さんだったのにな。それが人を殺そうとするなんて、本当に怖い世の中だ」

 前園は同情するような口調でそう言った。

 くそっ・・・。

 自分が全否定されている。言いようのない寂しい気持ちに覆われてゆく。いや既に覆われてしまっていた。自分の心が不安定になっているのが分かった。

「マンションを購入した直後だったかな? 君と元奥さんは口げんかをしたよな。レゴ部屋のことでさ。そこで君は彼女の意見を引かず、自分の意見を貫き通した。まあ僕から見た原因はそんなとこかな」

「そんなことで・・・」

「まあ、少し異常な感じもするけどな。事実はそんなところだよ」

「・・・」

「君はそんな未来を消し去りたくはないのか?」

 人が人を憎み、人が人を殺そうとする。彼女にとってその対象が僕だったなんて・・・。

 逃げたい気持ちに支配されつつあった。呼吸することもままならない。彼は混乱し、衰弱を感じていた。

「それに元奥さんは殺人の予行練習までしていたんだぞ」

「殺人の予行練習・・・?」

 村田の声は弱々しくなっていた。

「猫が毒で殺される事件があっただろう? 犬が切られ、刺されて死んだ事件があっただろう?」

「まさか・・・」

「そのまさかさ。彼女の君を殺そうとする執念は凄まじいものがあるね」

 村田は絶句した。

 自我を保つのが難しくなっていた。自分と言う人間が全否定されたのだ。それは当然のことかもしれない。自我が少しずつ失われてゆく。次第に正気を保つのが難しくなっていた。

「彼女にとって君は存在して欲しくない人間だったんだ。消えて欲しい人間だったんだ。存在する価値もない人間だったんだ」

「ああ!」

 彼は叫んだ。

 何も見たくない。何も聞きたくない!

 憎まれていた! なのに僕は彼女との離婚を避けようと努力していたんだ。けなされ、罵倒され、プライドを汚され、その中でも僕は彼女を理解しようとしていた!

「おおお!」

 パニックに陥っている。前園の口元から笑みが漏れた。

「もう一押しだな」

 彼がそう呟いたとき、鋭いノイズのような音が聞こえた。 

「なんだ?」

 前園はその表情は急に硬いものに変わった。何かを思い出しているようだった。いや、強制的に思い出させられたのだ。

「くそっ」

 それは彼の暗い記憶だった。

 多く人間が逃げ惑い、恐怖の中、助けを求め叫んでいる。建屋に火が広がってゆくのが見えた。殺された人間の遺体が地面に延々と転がっていた。それは思い出したくない残酷な記憶だった。

 前園は唇を噛んだ。

「僕はね、七歳までしか家族とは一緒に居られなかったんだ」

 突然そんなことを言った。

「十歳上の姉は僕のことをよく可愛がってくれた。父は強く、母は優しかった。一緒に住んでいた一族の人間は皆、気のいい連中で、僕とよく遊んでくれた。僕の人生の中で一番平和な時間だった」

 あの日の記憶が明確に蘇ってくる。

「だが、あの日を境に全てが根こそぎ奪われたんだ!」

 彼の顔が歪み、怒りの表情に変わった。その怒鳴り声で村田は我に帰った。

 いったい何を言っているんだ・・・。

 前園は大声で怒鳴りちらした。

「みんな死んでしまった! いや、殺されてしまったんだ!」

 彼は更に大声を上げた。

「許さない! 絶対に同じ目に・・・」

「何を言っているんだ? 死んでしまったっていうのは、いったい・・・」

 前園は村田を一瞥した。村田のパニックが収まってしまっていると思った。自分が取り乱したせいで誘導が上手く行かなかったのだと悟った。

「くそっ」

 前園は舌打ちをした。

「やつの干渉か・・・」

 前園は村田に向き直った。

「僕はね、人間という存在が嫌いなんだ。特に頭の悪い連中はね。彼らは自分のことしか考えられず、自分は正当化する。だが、残念ながらそういった人間は社会の大半だ」

「何でいきなりそんな話に・・・?」

 前園には村田の声が聞こえていないように見えた。彼の声に構わず話を続けた。

「彼らは大局を見ず、周りを見ることなく、目先の利益を追う。都合の悪いことは他人のせいにし、自分たちの責任は全く感じることはない」

「・・・」

「おまけに自分を過剰評価し、常に他人より優位に立ちたがる。僕はそんな頭の悪い連中が大嫌いなんだ。君だってそんな人間、今まで何人も見てきただろう?」

 このいきなりの質問を村田は理解できなかった。

「それがどうしたっていうんだ? そんな奴は無視すればいいじゃないか」

「君は分かっていない!」

 前園は逆上するように叫び、畳を右手の拳で叩きつけた。

「そんな連中がいかに世の理を崩し、不幸な結果をもたらしてきたのかを君は分かっていない! つまらないいじめが世の中にはびこっているのはどんな人間が原因なんだ? 会社に赤字を累積させ、会社を潰してしまった人間はいったいどういう人間なんだ? 戦争を引き起こし、多くの死を招いた不幸はいったいどういった人間の責任なんだ?」

「それは・・・」

「僕の大切な家族と一族は、そういう人間に殺されたんだよ! 僕の家族、一族は皆、殺されてしまったんだ!」

 まるで怒りにとり付かれているようだった。誰に向かって言っている言葉なのかすら分からなかった。村田はその様子に恐怖すら感じていた。

 前園は黙り込み、茶道具を見つめた。

「僕は自分のやるべきことをやるために存在している。それは絶対に遂行しなければならない。何があってもだ」

「・・・」

 何を言っているんだ・・・。

「何をしようとしているんだ・・・こんな出鱈目なことをして、何をお前はしようとしているんだ・・・?」

「僕がしようとしていること・・・」

 その前園の呟きに村田は息を飲んだ。

 そのとき「パン」と何かが切れた音がした。いやそういう気がしたのかもしれない。突然、そして村田の目の前は真っ暗になった。

 だがそれも一瞬のことだった。管理棟一階の廊下の風景が現れ、自分がそこに立っていることを認識した。少し遠く目の前に茶室の入口が見える。茶道部らしき着物の女子が二人立って、元気よく客を呼び込んでいた。

「何がどうなって・・・」

 彼は腕時計を見た。十二時五分になっていた。三十分以上、あの空間に囚われていたようだ。

 すぐ後ろの階段から急ぎ階段を降りる人間の足音が聞こえてきた。その人物は相当焦っている様子だ。村田は振り向き、階段を見上げた。足音は白い壁を何回も反射して階下に伝わってくる。

 そしてその姿を現した。

「村田君!」

「いずみ先輩!」

 いずみと村田はお互いの姿を認めると同時にそう声を発した。


 

 いずみは管理棟の階段を駆け降りていた。

 見落としていたわ・・・茶道室だけ見ていなかった。

 さっきは気にせず、通り過ぎてしまった。その存在を忘れていたんだ。まるで自分の意識が何かに干渉されたような感じだ。さっきの魔方陣によるタイムスリップだって、この意識への介入のような現象だって、おかし過ぎる・・・。

 もうすぐ一階だ。

「村田君!」

 見覚えのある姿がそこには立っていた。いずみは思わずそう叫んだ。

 それがつい五分前の出来事だった。 

 いずみと村田は武道館裏のコンクリートに座った。二人の間には炭酸のペットボトルが二本置かれ、彼らは裏門から見える風景を黙って眺めていた。時折、車が通り過ぎるのが見える。裏門に続く校内の至るところに赤い花が咲いていた。勝手に自生している彼岸花だったが、風が吹き、一斉にそれらは風になびき揺られている。

 綺麗だと思った。

 そうだ、この時期はこの光景が見れるんだった。

 村田はそう思った。それは彼の好きな光景だった。二本のペットボトルを挟んだ二人の距離は一メートル以上ある。互いに村田のあの告白を意識しているのは間違いなかった。

 突然、村田は呟くように言った。

「今さっき、僕は前園に会いました」

「えっ、前園君に!」

 いずみは驚いたように村田の顔をみた。

「前園君って・・・」

 村田は頷いた。

「やっぱり奴は僕らの過去にはいない人物です。僕達を過去に飛ばしたのは奴で間違いないと思います。でもそれ以上はよく分からなくて。それに奴は一族の人間と家族が七歳のときに殺されたといきなりというか、突然言い出して・・・」

 いずみは驚いて村田を見た。

「殺されたって・・・」

「何のことだかよくは分からないんです。だけど奴の目的と関係しているんだと思います。それもよくは分かりません」

「・・・?」

「彼との会話が突然切れて、それっきりなんです。気づいたら管理棟の一階のあの場所に僕は立っていました・・・」

「・・・」

 自分が元妻のことで混乱に陥ったことは話さなかった。見得もあったが、今はそのときではないような気がしたのだ。

「私は・・・魔方陣を見たわ」

「魔方陣?」

「そう、それで私、その魔方陣で十五分くらいだけど過去に戻ったわ」

 いずみの声は躊躇うような口調だった。今さっき経験したことが自分でも信じられなかったからだ。

「本当ですか!」

 村田は驚きを隠せなかった。

「生徒会室前の屋上に続く階段の壁にあった魔方陣を触ったら、十五分前の自分に戻っていたの・・・・でもその魔方陣は消えてしまって今は影も形もないわ」

「それって、いったい・・・」

「分からないわ」

 風が流れ込み、いずみの髪を揺らす。辺り一面に咲いている赤い彼岸花も風に揺られ、その光景に村田は安堵にも似た感覚を覚えた。

「ねえ、村田君、この世界なんだけど・・・私の記憶違いなのかもしれないけど、ちょっと本来の過去とは違う気がするの」

 いずみは考えるようにそう言った。

「僕も感じていました。ちょっとしたことが違うというか・・・この文化祭に来ている客の人数もこんなに多かった記憶はないですし」

「私のクラスの劇中でアドリブをやりすぎて劇の収拾に困ってしまう人が現れたわ。でも私の記憶ではそんなの、本来の過去では起きてはいない」

 村田は言った。

「過去が変わり始めている?」

「私もそう思うの・・・これって私達がこの過去にいるせいなのかしら・・・?」

「どうですかね・・・そう考えた方が説明は楽ですが」

 そう村田が答えたとき、赤い車が裏門を過ぎ、すぐに「バン」という音が鳴った。大きな音だった。さらに後続に黒い車が裏門の前を通り、また「バン」という音が鳴った。

「な・・・」

 村田は反射的に裏門に向かって走った。いずみもその後を追った。

 裏門の前の道路は四メートル幅の住宅街の道路だ。赤い一台目の軽自動車は電柱に衝突し、二台目の黒い普通車がそれに突っ込んでいる。一台目の車は電柱と後方の車に挟まれ、運転席が半分に押しつぶされており、運転手の無事はとても考えられなかった。

 野次馬があっという間に集まった。校舎からも多くの生徒が事故の様子を眺めに来ている。携帯で警察や消防に電話をしている姿や、運転手の安否を確認する姿が見られ、その場は騒然とした雰囲気に変わっていた。

 二台目の運転手は事故後すぐにその場にいる人間の手によって助けだされたものの、一台目は車体の歪みが激しく、この場にいる人間での救助は到底無理な状態だった。

「大丈夫か!」

 返事は返ってこない。運転手は若い女性のようだった。

「しっかりしろ! 救急がすぐに来る! 頑張れ!」

 声を張り上げ、怪我人を励まし続ける声が響いている。

 彼女は急に恐ろしくなり、呟いた。

「こんな過去、記憶にないわ・・・」

いずみは村田にしがみついた。その体は小さく震えている。村田は言った。

「少しずつ過去が変わってきている・・・」

 疑いようがない。しかも本来の過去と違った行動したことにより過去が変わっているという訳ではない。この過去自体が少しずつ形を変えていっているように思えた。

 村田は左手で自分の胸を掴んだ。

だったら僕の心臓は・・・。

「僕ら自身の未来も変わってゆくかもしれない・・・」

 いずみははっとして村田の顔を見た。

「僕の心臓は止まったとき、僕は本当に助かるのだろうか・・・もしかしたら死んで・・・」

 彼はそう呟いた。表情は強張り、真っ青だった。いずみは首を大きく横に振った。

「助かるに決まってる。そんなこと絶対に起きないわ! 第一、今の村田君の存在と矛盾することになる!」

 いずみはそう言って、強く村田にしがみ付いた。彼女は震え続けていた。

「村田君は大丈夫、大丈夫だから・・・」

 村田はそう言い続けるいずみをそっと抱きしめた。

 本当は先輩の方が怖がっているというのに・・・。

 そう思った。

 けたたましいサイレンが近づき、救急車と消防車両が同時に到着した。オレンジの救急隊員が一斉に車から降り、無駄なく動き、あっという間に事故車両の状況を確認した。そして彼らは作戦を立案し確認し、軽自動車の運転手を潰れた車両から引き出す作業を始めた。

 電動カッターの音が鳴り響き、野次馬のざわつきは止まず、救急隊員の怒号がその場に飛び交っていた。


 

 佐川が部室を出て行ってから、しばらくの時間が経っていた。部室の壁の時計は既に昼の十二時を廻っている。

 吉野は溜息をついた。考えがまとまらず混乱していた。最後に佐川が言っていた言葉が繰り返し繰り返し吉野の中で思い出された。

「俺がこの過去にいることを望んでいる?」

 訳が分からない。

 何故、佐川はそんなことを言ったんだ? 俺は娘と妻がいる未来に帰ることを望んでいる。それは娘の保育園の保母をやっているあいつなら十分分かっているはずだ。

 俺の家が上手くいっていないとでも思っているか? くそっ、あいつの考えが分からない。

 ふと壁の棚一杯に収められている透明な箱に目が止まった。色別に分けられたレゴの箱だ。レゴの貴重部品を分けた箱もある。彼はしばらくそれらの箱を眺めていたが、突然パイプ椅子から立ち上がり、レゴの箱のいくつかを取り出した。

「久しぶりに何か作ってみるか・・・」

 レゴテクニックの部材が結構ある。昔はこれで歩行可能ロボットを作ったり、搬送をひたすら行う工場ラインを作ったりしたものだ。歯車を重ね合わせ、モーターやセンサーを組み込み、それを動かしてゆくことは楽しい。

 何を作ろう・・・。

 そういえば村田はよくトリックアートのようなものを作っていたな。いずみ先輩は彫像のような作品を作っていた。佐川は・・・いつも適当なのを作っていたな。あいつは一つの種類に限定することはなかった。家を作ったり、レゴテクニックの部品で簡単な機械を作ったり、自由にやっていた。

 あいつらしい。いや、それは昔のあいつなのか・・・。

 レゴの部品を選び出した。

 レゴテクニックの歯車とか使ってトリックアートみたいのをつくろうか?

 そう思ったが、アイディアが浮かばない。吉野は苦笑して部室の中を回り始めた。さっきまでの気分の落ち込みが消えてゆくような気がしていた。

 今まで忘れていた感覚だ。 

「そうだ・・・」

 昔は気分が沈んでいるときはよくレゴを触っていろんなものを作っていたものだ。いつから俺は作ることを止めてしまったんだ。

 吉野は一つのレゴのブロックを手に取りぼんやりと見つめていた。

「・・・そうか」

 彼はそう呟いた。

「あのとき、むらっちが持ってきたレゴ製の魔方陣・・・」

 頭をかいた。

「左右逆模様で作ってみるとどうなるんだ?」

 もしかしたら、逆模様の魔方陣であれば、未来へ帰るための鍵となりうるのかもしれない。だが、見たのはほんの一瞬だったし、そんなに細かくは覚えてはいないが、駄目もとで記憶の限り作ってみよう・・・それにネックなのはあの魔方陣が多層構造だったことだ。一瞬だったが、上から一層目はなんとなく記憶にある。だが二層目と三層目はさすがに分からない・・・。

 吉野は白のブロックだけが入ったケースを机に置いた。そしてそのブロックでベースの円盤を造り始めた。

 もしかしたら三次元の魔方陣を作るためにレゴを使ったのか・・・?

 今更ながらそう思った。

 あの魔方陣は三層に別れていた。四人の人間を過去意識に飛ばすというような芸当は、絵に描いた二次元の魔方陣では出来ないということなのだろう。

「本当に過去を変えたいと思っているのは吉野先輩ですよ」

 佐川の声が聞こえたような気がした。

「あいつ・・・」

 吉野は席を離れ、窓から校舎の様子を眺めた。相変わらす大勢の生徒と外部からの客でごった返している。クラスの出しのものに沿ったTシャツを着た生徒たち、受験を考えている中学生、他校の生徒、OB、OG、近所の人で校舎は活気に満ちて、皆楽しそうだった。

 正しいと思って佐川に自分の考えを言っていたが、佐川にとってそれはただの押し付けだったのかもしれない。第一何が正しいかなんて本当はないはずだ。俺もいつの間にか凝り固まった考えしか持っていなかったのかもしれない・・・嫁さんによく怒られ、指摘されたもんだ。

 嫁に怒られている自分の姿を思い出していた。情けない反面、それに幸せを感じていたものだ。

 あのときもそうだった・・・確か、ちーちゃんが生まれてすぐのときだ。

「だからそれは間違っているって」

 吉野は妻にそう強く言った。抗議にも似た言い方だった。吉野の妻は首を横に振った。

「そんなことはないわ。ひろくんは正しいと思い込んでいる。いつもいつも、ひろくんは自分が正しいと思っている。どうしてそうなの? 正しい、正しくないは、そのとき、その場所、その人で変わってくるはずよ」

 妻が切れた。もうそうなると大勢は悪い。

「いや・・・」

「だってそうでしょう? この世界で絶対なんてないわ。私の言っていること間違っている?」

 原因は覚えていない。きっと些細なことだったんだろうと思う。

「自分の価値観を押し付けるのは貴方のよくないところだわ」

 いや、そういうお前だって・・・。

 そう思ったが口が裂けても言えない。火に油を注ぐようなものだ。

「第一、ひろくんの好きな物理だって絶対ではないわ!」

 それは無茶苦茶だと思った。

 吉野は苦笑した。

 今じゃ・・・。

 吉野はそこで考えるのを止めた。そして溜息を吐いた。

「たばこ吸いたいな・・・」

 校庭の様子を見ながら、ぽつりとそう呟いた。

「未来は確率で決まっている。だから未来の情報を教え、過去の世界で本来の過去と異なることをしても確率の範囲から逃れられず、本来の未来と何も変わることはないんだ」

 突然背後で声がした。

「・・・」

 吉野はその声に驚き、振り向いて部室を見渡した。大机とパイプ椅子が並んでいるのが見える。

 誰もいない? いや、確かに男の声が聞こえた・・・。

 入口ドアの方から人の気配がする。

 吉野はそれを確認するように部室の入口を凝視した。空間が一瞬歪んだように見えた。そしてそこにぼんやりとした人型が浮かんできたのだ。それは黒く透明な存在だった。

「な・・・」

 吉野はその異常な現象に後ずさりした。恐怖を感じざるを得ない。その黒く透明な存在は吉野の反応を見てにやりと笑ったように見えた。

「だけど君たちのように違う時間からきた異質な人間が過去に存在していたらどうなる? 確率の範囲を歪めて未来を変えることができるんじゃないだろうか?」

「お前・・・」

 恐怖で声が出ない。

「実際、君たちをこの過去の世界に割り込ませたことで、時間の流れが少しずつ変わってきているんだ。まだ確率の範囲外まで来ていないが、この動きが雪崩のように広がれば未来は変わる」

「・・・前園なのか?」

 根拠はないがその名が彼の心に浮かんだ。

「僕の名前なんでどうでもいいじゃないか。それより君は未来を変えたいと思っている一方で、それを認めていない。他の三人の誰よりも強く切望しているにも関わらずにね。本当におもしろいよ」

 突然、吉野は絶望にも似た不安と恐怖に襲われた。もう何も考えてはいけないと心が叫び始めた。

 考えてはいけない!

「君は十三年後の世界を変えたいと切望している。ずっと君は事実から目を背けているんだ」

「やめろ!」

吉野は叫んだ。そして頭を両手で抱え、床に膝をついた。

「それで君はいいのか?」

「うるさい!」

 涙が流れた。

「何を怖がっているんだ。君は君の望むような未来を作ればいいだけの話じゃないか。もっと心に正直になるべきじゃないのか?」

「やめろおおお!」

 吉野は机にあるレゴの箱を黒い透明な影に投げつけた。白いレゴの部品が宙に舞い、落下する。その様子はまるでスローモーションのように見えた。

「怖がるな。そして俺を迎え入れろ」

「おおお!」

 吉野の声が誰もいない部室に響く。悲鳴に似た叫びだったが、その声はすぐに消え、もう聞こえることはなかった。廊下には誰の姿も見えず、生徒館の賑わいと対照的に物音一つしない。誰も人がいないかのようにこの建物は静かな空間となっていた。

 寂しく、静かな空間に返っていた。

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