第十章
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「あれは本当にあったことだったのかしら・・・」
いずみはそう呟いた。
もう高校生の姿ではない。彼女は十四年後の姿に戻っていた。駅の外の長い木製ベンチに座りながら、晴れた秋の空を見上げた。優しい風が流れ、彼女の髪をやさしくなびかせている。時計の針は朝の九時を指していた。
「本当にあったことですよ。いずみ先輩」
いずみの横に座っている佐川はそう答えた。隣に吉野が座っているのが見える。佐川は落ちている白い小さな欠片を拾った。
「それは・・・?」
いずみはそれをじっと見ながら質問した。吉野は驚いたように言った。
「あのとき、むらっちが持ってきたレゴの魔方陣の欠片じゃないか!」
「多分そう・・・ここでタイムスリップは確かに起きたのよ。あのレゴの立体魔方陣を使ってね」
ふいに吉野は立ち上がり、落ちている幾つかのレゴの破片を拾った。それほど多くは落ちてはいなかったが、駅の前の広場には不自然にその破片は散らばっている。彼はその風景を眺め見た。彼の表情は重く、硬かった。複雑な思いが込み上げてきた。
自分では消化出来ない・・・。
秋の雲がゆっくりを風に流されてゆく。小さい白い鳥が数羽、羽ばたいて元の場所に戻り、また羽ばたいて戻るの繰り返しを数回繰り返した後、お互いを追うようにどこか違う場所に飛んでいってしまった。
もう戻っては来ないだろうと思った、
終わったのだ。そして僕は・・・。
そう思った瞬間、吉野の持っていた白いレゴの破片が弾け、細かい光の粒となって跳ね、消えた。
「な!」
何が起きているんだ・・・。
「え、何?」
いずみの声が聞こえた。
そして、それを機に下に落ちているレゴの破片が次々弾け始め、それは無数の光の粒となって跳ねながら消えていった。不思議な光景だとしか表現のしようがない。いずみたちはその光が跳ねている風景に目を奪われ、それが終わるまで目を逸らすことなく見ていた。
何も誰も言葉を発しなかった。いずみはしばらく光が跳ねた場所を見ていたが、やがて我を取り戻し、吉野の奥にいる村田を覗き見た。そして視線を正面に戻し、見上げ、秋の空を見つめながら言った。
「私達はどうやってあの過去から脱出できたのかしら・・・?」
いずみは誰となしに聞いた。
佐川は呟くように口を開いた。
「山内君が・・・」
「え?」
佐川はぼろぼろになっても尚、自分達を守ってくれた山内を思い出した。知っておきたかった。
「山内君があたし達を未来に帰らせてくれたの?」
その佐川の言葉に村田が反応した。首を横に振り、彼はそれに答えた。
「違うと思う。前園が魔方陣を展開させて、僕らを未来に送り返したんだと思っている」
「えっ、どうして?」
佐川は驚いて言った。
「あいつ、敵だったのに」
「鉄骨が落ちた直後、奴の意識の中で僕は奴と話をしたんだ。奴は自分の姉に会えたと言っていた。それがきっかけだったんだろうけど、奴は自分を縛るものを断ち切るができたと言っていたんだ。表情も憑き物が取れたかのように穏やかだったよ」
いずみは空を見上げたまま、呟くように言った。
「・・・自分自身の呪縛から解き放されて、前園君はわたし達を未来に返してくれたんだ」
佐川が反応して答えた。
「でも、それって身勝手な話よね」
そして椅子に座りながら背伸びをした。
「散々人を巻き込んだ挙句、自分だけ救いがあったなんてさ」
「そうだな・・・けど、数百年の間、抜けられなかったループから抜け出すことができたんだ。よかったんじゃないのか」
「まあ、そうだけどさ。あたしも今回の一件で自分を見つめ直すことができた訳だし、それに少し成長したと思ってる。マイナス面だけじゃなかったのは事実なんだけど」
佐川もそう言って空を見上げた。吉野は会話に入ってこないのが気になっていた。彼の表情は暗く、硬いままだった。ずみは視線を足元に落とし、呟いた。
「だけど何百年も人を憎み続けることなんて本当にできたのかしら・・・」
村田は少し考えるような仕草をしてから、口を開いた。
「前園自身も自分を縛る呪縛から、開放されたがっていたと思いますよ。実際そんなことも言っていましたし、自分のやっていることは理に適っていないと言っていましたからね」
「でも分かっていても、自分からはそのループから逃げ出せないままだった。人間とは本当に弱いものだな」
吉野の声だった。それまで黙っていた吉野は辛そうな表情を浮かべていた。自分と前園を重ね合わせているのではないかといずみは思った。
「結局、前園君は・・・いったいどうなってしまったの?」
そう言った瞬間、彼女はあの鉄骨が落ちた瞬間を思い出した。恐ろしい風景だった。
だけど吉野君は無事だった・・・。
不思議な出来事だと思った。
「奴の意識の中で、奴は別れの言葉を僕に言っていました。僕らが自分自身を縛るものから開放されることを祈っていると言って・・・」
「・・・死んでしまったの?」
いずみの問いに村田は黙って頷いた。それ以上はいずみは何も言葉にしなかった。青く透き通るような空が広がっている。雲一つなく、暑くもなく、気持ちの良い天気だった。優しい風がまた流れた。
踏み出さないといけない・・・。
「自分を縛るもの・・・か」
吉野はそう呟いた。前園の最後の言葉とされる言葉を何回も思い返した。彼は唇を噛み、覚悟を決めるように何回か浅く頷いた。そして佐川を見て言った。
「佐川は・・・未来に帰ってきて良かったと思っているのか?」
「あたし?」
彼女は不意をつかれて驚いた表情をした。
「あんなに未来に帰るのを嫌がっていたじゃないか」
「そうね・・・でもそれは分からないわ」
「分からない?」
「だって、これからじゃないの? それを決めるのは」
吉野ははっとした表情を見せた。
「あたしに足りないものも分かったし」
「・・・?」
「あたしは自分をいつもかばっていた。自分を否定することを極端に恐れてね。自分の今おかれている環境が自分に因るものだとは考えることができなかった。月並みの言葉だけどあたしは逃げていたんだ。先輩が言っていたようにね。それが自分を前に進めることを阻害していたんだわ」
大きく深呼吸をした。
「大丈夫、あたしはそれを認めた。前に進める!」
佐川はそう言って笑った。微かだが駅のホームから電車の発車のベルが鳴っているのが聞こえる。電車がゆっくりと動き出すのが見えた。それを吉野は無意識に追っていた。
「そうか・・・佐川は凄いな」
吉野はそう呟いた。しばらくの沈黙の時間が流れてから、いずみの声が聞こえた。
「私は・・・大人になって私の自信の殆どを失っていた」
村田ははっとした。
「弁護士になって事務所で働き始めてから、私は嫌がらせを受け、陰口を叩かれ、いじめられ続けた。社会人にもなっているのにね。本当、馬鹿みたい。初めは受け流していたわ。でも本当に怖いのは、それを受け流してゆくうちに私の自信は少しずつ削られ、自分が本当に駄目な人間のように思えてきたことだったの」
彼女の長い髪が秋の風に揺れている。
「そうなってはもう一人では抜け出せないわ。弁護士事務所という小さい世界で、考えはどんどん限定的になっていった・・・」
村田はいずみを見つめた。彼女の表情はしっかりしている。大丈夫だと思った。高校のときの彼女が戻っていると感じた。
「でも、高校の自分に戻って、昔の自分を思い出した。自分を信頼していたときの自分、自分に自信のあったときの自分をね。どうしてそんな自分を忘れてしまったのか本当に不思議だし、怖いと思った」
少し間を置いてから言葉を続けた。
「私、あの弁護士事務所を辞めるわ」
いずみはそう言った。
「正直、少し悔しいけど、あの場所では私は前に進めないし、成長も望めないから」
そして確認するように言った。
「私は前に進むために弁護士事務所を辞める」
村田は頷いた。
ほっとしていたのかもしれない。心が緩んだのだろう。
「僕はときどき考えるんだ」
その言葉に反応して、いずみは彼を見た。
「もし急に死を迎えることになったとき、僕の人生は充実していたと果たして思えるのかと」
「・・・」
「残念ながら、今のままではそう思うことはまずない。僕は夢に対して何も追うこともなく、就職に強いというだけで理系を選び、大学院まで行った。リスクを避け、安定を求めて選択をしていたんだ・・・」
「でもそれが悪いこととは言いきれないわ」
「だが、自分の人生が誇れるものだったかと言われるとそうではないよ。忙しさに追われ、疲れ、神経を削られ、今じゃ仕事が楽しいなんてとても思えない。まだ入社したてのときの方が、やる気や情熱があった」
そう言って苦笑した。
「そして安定を求めて選んだ会社は今やリストラを行い、社員は削ろうとしている。皮肉なものだと思う」
村田は黙り込んでしばらく下を向いていた。そして空を見上げ、跳ねるように立ち上がった。
「まあ、そんな感じさ。僕は明確な目的もなしに人生を過ごしていたんだ。それがいいってことはないよね」
振り返り、三人を見た。いずみと目が合った。
「僕は自分の人生を死ぬ間際に素晴らしいものだったと思えるようにする。そのためにこれから何をやるべきなのか、何をすべきなのか、考えてゆくことにするよ」
そう彼は言った。いずみが頷いているのが見えた。
駅のアナウンスが遠くで聞こえる。続いて列車が入線するときの警告音が聞こえた。そして吉野が口を開いた。
「次は俺の番だな・・・」
そう言うと彼は静かに木製の長椅子から立ち上がった。
「俺は・・・」
そう言った瞬間に吉野の顔が歪んだ。そして頭を抱えた。手が震え、顔が青ざめている。
佐川は息を呑んだ。
「吉野先輩・・・」
佐川は思い出していた。保育園に来ていた彼の姿を。
娘も奥さんももうこの世にいないのに・・・。
そう思っても保育園の人間は皆、吉野に合わせて娘呼び出すふりをし、引き渡す芝居を続けていた。どう接することがいいのか誰も分からなかった。誰も知らなかったのだ。
「あああ!」
吉野は頭を抱えたまま膝をつき、地面についた。パニックを起こし掛けていた。手の震えがひどくなっている。まずいといずみは思った。
「吉野君!」
その瞬間に吉野の視界の端で倒れる人影が目に入った。吉野は驚いてその方向を見た。村田が自分の胸を押さえ、倒れていた。
「村田君!」
いずみの叫び声が聞こえた。悲鳴に似た悲痛な叫びだった。
「むらっち!」
吉野は瞬間的に我を取り戻した。何が起きているのかすぐに理解した。
むらっちは心臓発作を起こしているのだ!
吉野はとっさに携帯を取り出し救急に電話を掛け始めた。
「AEDを駅から借りてくる!」
佐川がそう言って、駅の改札に向かって走ってゆく。村田のかすれた声が聞こえた。
「なんで今・・・」
そう聞こえた。
心臓から出る血液の量が極端に不安定になっている。そして針で刺されるような痛みを感じていた。過去に経験した発作が再び彼を襲っているのだ。
「村田君!」
いずみは叫んだ。
「・・・」
村田はもう返事をすることができなかった。意識が遠のいてゆく。
駄目かもしれない・・・。
「いずみ先輩・・・僕はあなたを・・・」
そういった直後、村田は凄まじい痛みで彼は顔を歪ました。
「村田君! 村田君! 私だって!」
いずみはとっさに心臓マッサージをしはじめた。村田のみぞおちに体重を掛け、心臓に圧力を周期的に掛けた。やったことがないことだったが、そんなことは言っていられない。冷たい汗が頬をつたって流れ落ちた。彼女の長い髪は垂れ下がり、マッサージの度に揺れる。
「村田君! 村田君!」
村田の意識はもうない。彼女は必死だった。焦りを感じていた。その焦りはいずみを更に焦らせる。
「戻ってきて! 戻ってきて!」
いずみは力の限り叫んだ。もう彼を失いたくなかった。その一心だった。
数人の駅員と共に佐川が走ってくる。一人の駅員の手にAEDが文字の入った箱があった。
静かな場所だ。
目を開けると病室のベッドに横たわっていた。部屋には窓からの陽の光りが入り込み、今が夜でも夕方でもないことが分かる。
村田は窓に目をやった。雲がゆっくり動いているのが見え、彼は少しの時間、それを眺めていた。がたっと窓と反対方向から音がした。その方向に目をやるといずみが椅子に座って寝ている姿が見えた。その姿を見て彼は何故自分がここにいるのかが理解できた。
心臓の発作で病院に担ぎ込まれたのか・・・。
そう思った。
しばらくして、いずみは何かの気配に気づいたかのようにゆっくり目をあけた。
「あ・・・村田君」
「僕は・・・」
「昨日救急車でこの病院に運ばれて、すぐに緊急手術になって・・・目が覚めてくれて良かった」
そう言って彼女は笑った。
「みんなは・・・?」
「仕事だけど、夜に来るって言っていたわ」
「そうか・・・」
村田は天井に視線を戻した。
「私は仕事を辞めてきた。今日の午前中に事務所でそれを言ったら少し驚いていたけど、引き止められずに簡単に受理されたわ。有給をフルに取って、その間に次の事務所を探すつもりよ」
「そうか・・・それがいい」
村田はそう言った。
「吉野君は・・・今度、病院の精神科に行ってみるって言っていたわ。自分でも薄々感じていたみたい・・・もう家族はいないって。でもどうにもならなかった」
「・・・」
視線を窓の外に向け、そして村田は呟くように言った。
「二年前、交通事故で突然、奥さんと二歳の娘さんが死んだんだ。僕が葬式に行ったとき、落ち込む姿は可哀想で見ていられなかった。可愛い娘だっていつも自慢しててさ・・・確かにあの悲しみを耐えられる人間なんて、この世にいる訳がないよな・・・」
ぼんやり雲の動きを眺めた後、思い出すように言葉を続けた。
「すぐに異変が起き始めたよ。三ヶ月後の正月の年賀状が来て家族は皆元気とか書いてあるんだ。何か変だと思っていたけど、僕は結局何もしなかった。多分みんなそうだったんだ・・・そう感じていながらも何もしなかった。電話しても娘の話ばかりでさ・・・保育園にも迎えに行っていると言っていたよ」
村田はそう言った。
「僕は彼が傷付くのを恐れて、結局真実を伝えられなかったんだ。後悔も反省もしているよ」
「でも可愛そう過ぎる。私が同じような境遇にあったら果たして耐えられるのかしら・・・」
「・・・無理だと思う。僕も含めてね」
そして視線をいずみに戻し、ぽつりと付け加えた。
「少しずつ、いい方に向かって行けばいいさ」
いずみはその言葉に強く頷いた。外で突風が吹き、窓ガラスを叩くような激しい音がしばらく鳴り続けた。
会話が途切れた。
何を話していいのか分からず、会話の糸口を探していた。そういうときはかえって糸口は見つからなくなる。視線を逸らし、お互い何も話さない時間が過ぎていった。
「人の死・・・か」
突然、いずみのそう呟く声が聞こえた。彼女の言葉が続く。
「私の姉は・・・私が高校を卒業してからすぐに亡くなったの」
「えっ?」
村田は驚いた。初耳だったのだ。
「とても聡明で優しい綺麗な人だった・・・」
いずみは口を閉じ、深い溜息を吐いた。そして下を向き、床を見て呟いた。
「自殺だったわ・・・ある日突然ビルから飛び降りて・・・」
村田ははっとした。直接会ったことはなかったが、いずみを通してその存在は知っていた。仲の良い兄弟だったはずだ。何でも話せると言っていた。
「どうして・・・」
いずみの顔は泣きそうになっていた。彼女は首を大きく横に振った。
「分からないわ・・・遺書は見つからなかったし、前の日だって本当にいつもの元気な姉だったのに・・・」
そう言って目頭に溜まった涙をそっと手で拭った。
「姉のことがあったとき、とても正常ではいられなかった。姉が辛かったことを気づかず、見過ごしていた自分を責め続けていた。姉を助けられなかった自分を責めたわ・・・混乱して、何をどうすればいいのか分からなかった」
「だから突然、連絡しないでってメールしてきたんだね」
村田は思い出すように言った。それが二人が分かれるきっかけだったのだ。
「・・・ごめんなさい。村田君のことが嫌いになったとかじゃないの、もうどうしようもなく心が不安定になって・・・自分でもどうしてあんなことしたのか・・・」
いずみの頬から涙がこぼれた。村田は半身を起こして、いずみの手を取った。
「僕の方こそ、謝らなければいけない。苦しんでいたなんて知らず、それを察することも出来なかった・・・彼氏失格だったよね」
「ううん」
いずみは首を強く振り、それを否定した。
「私がいけなかった。相談すればよかった。でも誰も頼っちゃ駄目だって・・・それをしたら姉がかわいそうだって」
「・・・」
「私は過去に縛られているままだった。私の中にはあのときのショックと混乱がまだ残っているわ・・・」
いずみは声を上げて泣き始めた。もう涙が止まらなかった。村田の手を強く握った。
「あのまま過去に残っていれば、姉さんを救えたのかもしれない。でもそれに失敗したら、私はもう生きてはいけないわ。もうあの過去をもう一度経験はできなかった・・・」
村田はそれを聞いた瞬間、いずみを自分の胸に強く引き寄せ、抱きしめた。
彼女の姉の自殺が、彼女の自信を奪うきっかけだったんだ・・・そして彼女の弁護士事務所はその自信のないいずみをいじめの対象にして、彼女の自信を根こそぎ取っていったんだ・・・。
心の奥底から湧き出る感情を抑え切れなかった。
「これから僕はいずみ先輩の支えになる。駄目だと言っても支えになり続ける! 僕はあなたが好きなのだから!」
「!」
村田の言葉にいずみは顔を上げ、驚いたように彼の顔を見た。だが彼女はしっかりと頷いた。
「・・・」
いずみ唇が動いた。
「え?」
「もう私を・・・」
彼女から言葉が発せられた。
「もう私を離さないで・・・」
いずみはそう言うと村田の唇と自分の唇を重ねた。
突然のことだった。付き合っていたときもしたことがない。何が起きたのか理解できなかったが、すぐに彼の心の中はいずみへの気持ちで覆われていった。そして強く彼女を抱きしめた。
「もう離さない。もう離れない!」
村田はそう強く誓った。
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