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源氏物語をやれる事になった事をクラスの子達にせりかが伝えると荒井絵美香を始めとする皆から歓声があがり大変喜ばれ感謝されたが、せりか自身はあまり何もして居ないので何だかかなり後ろめたい。
主役をやってくれる彼に感謝はすべて向けられるべきだと思うのだが、周りは何故かせりかが頼んでくれたから引き受けたと思っているのはとても解せない。皆、あの場でせりかが頼めないと言って話している所に橘が不自然に話しに入って来て、部活動の為にクラスに迷惑を掛けて気に病んでるというアピールをして(本心だろうが最低限しか出来ない状況なので分って貰う為だったとせりかは考えているが)主役は引き受けるにしてもあまり練習とかに参加出来なかったり、裏方仕事を手伝えなかったりする事に対して遠まわしに理解を得る為の行動だったと思う。
彼自身、昨年よりも更に難しい両立に心を痛めているのかもしれない。
周りからは、一応話し合いの上、満場一致で決定したが、その時に主役も乗り気では無いのは皆の知るところとなったが、光の君の存在は橘以外に考えられない事を脚本担当の荒井絵美香が言い、自分が末摘花を引き受けるから、他は役は自分が指名した人は主役同様出来るだけ引き受けて欲しいと言った。
皆も何の役が来るのか少しドキドキものだが、源氏の君が橘な以上は相手役としては、あまり他の男子の様な過剰な警戒は要らないと思ったらしく(彼女であるせりかの前だし橘自身が普段からの接触がスキンシップなどが皆無な為だが)皆も文句は言わないし、裏方志向の人達はセットの事を荒井と既に打ち合わせ済みなので、話し合い時点で大体の役は決まっていた。
せりかは、かぐや姫から逃れた安堵の為、他はどんな役が来ても良いと思っていた。紫の君は真綾の様だし……後はそれ程華々しい役は無いだろうと高を括っていたが、「椎名さんは葵の上をお願いします」と言われた時にはそれがあったか!と歯噛みしたくなった。
「奥さん役が彼女って忍超ラッキ―じゃん!」
そんな能天気な事を思えるのは玲人だけだよとせりかは思ったが、意外にも橘も「そうだね。ラッキーかもね」と演技では無く嬉しそうな表情を見せた。横でクラス委員として決まった事を黒板に書いていたせりかは、皆の様子を見たが、皆も橘の反応にぽかんとした様子で静寂が流れた。惚気に近い発言は、やはりかなり意外と取られた様だった。
荒井が「そんな理由からの配役じゃないからね!」と玲人に言うと橘が「椎名さんのイメージにピッタリだよね?」と荒井に微笑んだ。久しぶりに見せる破壊的な笑顔で玲人の冷やかしや橘の意外な受け答えもチャラに成る程、荒井が目に見えて動揺してしまい、担任に、「流石は源氏の君だと言いたい所だが、今からたぶらかさんでいいから!」とジョーク混じりの軽い注意を受けると、どっとクラスが湧いて、その後は盛り上がった空気のまま様々な分担を積極的に引き受けてくれる者が多く、するすると役が決まり、今年の文化祭も良い雰囲気になりそうだとせりかは安堵した。
担任が最後に、「止めるつもりは無いんだが、中学生とかが見学で来る可能性を考えると、一般公開では無い日に上演した方が良いと思うんだが…」と言った。
せりかからすれば大賛成だし、橘も同様だろう。何より親兄弟に見られたくない。
荒井や他の皆は落胆の色を見せたが、橘が「内容にあまり制限が付かなくなって却って演出しやすいんじゃ無いのかなぁ?クオリティが下がらなくてその方が良いと思うよ。時間だけは生徒会を手伝いしてる特権を生かして一番良い時間帯ゲットして来るから、先生の助言の通り、平日上演にしない?」と言った。
「そうね。このままの形にするか、妥協するかだったら私も脚本直さない方向の方が出来ればいいわ」
発案者の荒井が言うと、皆も仕方が無いかと言う感じには成ったが、「一位を目指してたのに…」と残念がる声も少し上がった。人の少ない校内の公演日では一位は難しいだろう。
「俺は、去年の劇が一位になれた時は、それはそれで嬉しかったけど、それよりも皆で協力して頑張って満足の出来る出来だった事の方が達成感が大きかったけど、順位を拘る人の考えは否定はしないし、そうやって目指すものがはっきりしている方が頑張り甲斐があると言うのも分かるから、多数決を取ろうか?荒井さんもそれで良い?」
荒井が頷くと、挙手だと本音が言い辛いし、後の事を考えると無記名の投票の方が良いだろうと橘が言ってせりかに小さな紙を切ってくれる様に頼み、橘は自分の鞄からコンビニの袋を中の物を出してから戻ってきた。外部の公開日なら○で非公開日なら×でと言って紙を配り、袋に順に入れて貰い、軽く振ってから開票した。
読み上げて正の字を積み上げて行くと、三分の一位が○でそれ以外は×だった。やはり先生や橘や荒井に遠慮して言えなかった人が相当数は居たと言う事は、結果が同じであれ公正に多数決での決定という形を取って良かったとせりかは思った。
物語の絵巻から抜け出た様な光源氏は橘にはあまりにもぴったり過ぎて、薄黄緑色の仮縫いした衣裳に弓道部から借りた袴をはくと皆から溜息が洩れた。
早めに衣裳が欲しいと言ったのは橘だった。女性での絡みのシーンでどの位まで衣裳が抱き合っていないのを分らせない無い様に出来るか見て見たかったらしい。
同じく薄紫の着物を着た真綾相手に用意した大きな姿見を見ながら抱き締める真似をして見せる。
「どうかな?ちゃんと抱き合ってる様に見える?」と荒井に確認すると「もうちょっとだけ近めで寄り添う感じでお願い」という指示が出て、橘は真綾に断ってから、距離を詰めて囲いこんで屈んで顔を寄せた。
真綾は淡々として平気そうだったが、見ていた美久が「やり過ぎじゃ無い?」とせりかに言って来たが、角度を変えて見ると橘は真綾に少しも触れて居なかった。衣裳の布が真綾に触れているだけだった。しばらく荒井も何も言わないので橘が首を傾けて促がすと荒井は二人に抱き付かんばかりに「良い!バッチリ。イメージ通り」と興奮気味に寄って行った。少しだけ真綾の体勢を橘に凭れ掛かる様に見える様に首の角度を修正した。
「大体の雰囲気が判ったから大丈夫そうかな……次は椎名さん来てみて」
彼氏とラブシーンってどういう心境なのだろう?と他人ごとなら思うので、クラスの皆は絶対そう思っている筈だった。
しかしこれは去年のシンデレラと同じで演技なのだ、とせりかは割り切って橘に寄り添うと腰と首に手を添えて顔を近づけられれば、かなり濃厚なラブシーンだが腰も首もエアーで支えてくれて居ないのでせりかの筋肉がその無理な体勢を保っていた。橘は指一本真綾同様触れては居ない。
「これ倒れそうになったらどうするの?」
せりかが後ろに反り、筋肉がプルプルした状態で橘に尋ねるとにっこりと艶やかに微笑みながら「倒れない様に鍛えてね」と悪魔様の本性の一端を見せる言葉に皆が少しだけ引いたのが見えた。
「橘君は何気にやっぱり体育会系なのね。初めて知ったわ!」と橘のスパルタ指導にせりかがフォローを入れると皆も皇子様はサッカー部でバリバリ厳しい体育会系なのだと思い出したようだった。あまり普段はそんな雰囲気は感じられないが、涼の件といい玲人よりも橘はスパルタな面がある。他の姫君にもせりかと同じ苦行を要求するのが予想出来たので早めに理解を得ようとせりかがした事が橘にも伝わった様で、こそっと「悪いね」と囁かれた。
シンデレラの時にも思ったが、相手役の女の子の努力と協力が無ければ難しいのだと言う認識はして貰わないと成らないと考えて敢えてこうしてエアーな触れ合いをやって見せたのだが、姫君予定の女の子達は『そこまでしなくても…支えてくれた方が良いのでは?』と思わずには居られなかったが、彼女であるせりかにさえ触れない橘が、支えてくれる気が無いと言うのははっきりと判った。皆、少なくとも今日から腹筋何十回かはやらないとせりかの様に出来ない事を理解すると橘に順に体勢の確認を取りに行った。荒井と橘で相談しながらそれぞれの動きを練りながら色っぽい雰囲気を作り出そうと試行錯誤する内に、やはり皆もせりかでは無いが鍛えて貰わないと無理という事実をつき付けられた。
かなりハードな打ち合わせの後、午後からの体育の為、着替え無ければならず、見ていただけの者達でさえ僅かな疲労を感じた。
「劇ってハードだったのね~!」と驚いた様に言う子達に荒井は橘と目を見合わせてから『当たり前じゃない!』という言葉を飲み込んだ。




