93高校二年生文化祭編
「えー!うちのクラスまた劇をやるの?」
せりかが驚くとクラスの女子達の熱い視線がせりかに向けられた。
「だって去年の五組のすごく羨ましかったんだもん。大変だっていうのは分ってるし、椎名さん達も今は忙しいのも分るから最低限の協力でいいからお願い!」
「最低限って…私達は確かに生徒会のお手伝いで忙しいけど、それはまだ正式な役員では無い訳だからクラス優先なのは当たり前だよ」
これは春奈から言われていた事だった。どんなに忙しくてもクラスの方を取る事、それは昨年の自分達にも先代の先輩達が散々言っていた事らしい。
普通に考えれば役員でもないのに選挙前から次期役員だと言って回る様な行為は常識的に出来ないし反感も買う結果になるからだろう。
しかし、自分はともかく橘は部活で忙しい。
それは去年もそうで遅れて踊りの練習に参加したり、昼休みに本庄や真綾に教えて貰ったりと本人は愚痴をいう方では無かったから周りには家でステップ踏んでて不気味がられていると笑い話にしていたが、今から考えるとかなりの苦労があった筈だった。
しかも劇をやりたいって何もせりかに直接言う必要は無い。クラスの話し合いの時に言えばいい話を「お願い」される事から推測される事は一つしか思い当たらない。
「橘君に主役やって欲しいなら本人に言って欲しいんだけど…私も言うの怖いし……」
「せりかちゃんが怖いなら他はみんな怖いわよ!」
なんだかんだ言っても橘の絶対零度の視線に晒されそうなのは長く居る所為か分って来ているらしい。あの人、女の子の前じゃ優しい顔じゃなかったっけ?分厚い猫も被りものが少しずれてきてるのかしら?!
「大丈夫よ。にっこり笑って断られるだけだから私が言っても変わらないわよ」
「そこを何とか、裏技使って何とか成らない?」
「無理無理。私の知る限り玲人にでも言わせた方がいいか、本庄君がこっちに付いてくれるなら作戦考えて貰えば?」
あくまで人まかせな言い方だが、去年の方が奇跡なのよ!とは、なんとなくばれていそうでも、はっきりとは言えない。
荒井絵美香が去年同様、脚本をもう書ききっていて話しだけでも聞いて?と言われればクラス委員でもあるせりかは無碍にも出来ないので話を聞く事になった。
「今年は源氏物語をやりたいの!だってぴったりな人材の宝庫なのよ?玲人くんはライバル役の頭の中将がぴったりだし、本庄君には帝役をやって貰いたいし、更科さんが紫の君でしょう?もう頭の中でぴったりな人達が集まってるから脚本書いてクラスの女子に回してたらみんな盛り上がっちゃって、衣裳もクラスの手芸部の子が部活で話したら、作りたいって言ってそれを展示物のメインにする案が浮上してるのよ。もちろん着る時はこっちに渡してくれる筈だけどね」
せりか達が目の回りそうな忙しさの中、じわじわと外堀を埋められていたらしい。せりかは構わないが、この流れだと源氏の君は彼しかいないだろう。
「よかったら脚本見せて貰ってもいい?シンデレラと違って源氏物語って学祭で出来る範囲の内容だったかしら?際どいシーンは許可が下りないんじゃ無いの?」
パラパラと脚本をめくるとそれっぽい場面は幾つも出て来る。光源氏といったら数々の姫君と浮き名を流して義理のお母さんに恋焦がれて結局子供まで作っちゃうっていう今の時代からすれば道徳的に有り得ない話だ。
「劇をやるにしても、かぐや姫とかの方が差し障りがなくて良いんじゃ無いの?帝もいるし、紫ちゃんがかぐや姫でぴったりじゃ無いの?」
「かぐや姫なら椎名さんにやって貰いたいわね。イメージ的に更科さんよりも合うわ」
橘か自分が主役となるという究極の選択である。「うーん」と唸って居ると荒井がこそっとせりかにだけ聞こえるように『相手役は橘君が嫌がりそうな人にしないし、照明で影で演出するから、そこは心配しないで』と言ってきた。荒井絵美香は一年生から同じクラスなだけの事はあって橘が女子との過度な接触が苦手だと分っている様だ。
「じゃあ、彼を説得するだけなのね?でも部活が今は忙しくて…秋の県大会で良い所まで来てるみたいなの。もしも優勝できたら全国大会だから主役はキツイと思うのよ。玲人も同様だけどこの位の出番なら玲人は大丈夫だと思うけど」
「光源氏は委員長ありきのものだから、無理ならかぐや姫にしちゃおうかしら?」
それは大分嫌だけど、無理なスケジュールの橘を矢面にも立たせられないので頷こうとしたら、橘が「何の話?」と全部分っている顔で入って来て脚本を見ながら「本当にこれをやるの?」と驚きを見せたが、生徒会で承認を受けられたらやっても良いと言った。
「部活でクラスに迷惑今年も掛けちゃうのは悪いから、出来る限りの事はするからごめんね」
「ううん。サッカー部の事は学校中が応援してるし頑張ってね!セリフは橘君なら楽勝の範囲だし、普段の練習は代役立ててやるから練習はでてこれる時だけで大丈夫だし、昼休みとかに各場面の共演者の方から読み合わせに行くようにするから、最後のリハーサルだけ出て貰えば良い位の気持ちだから、悪いんだけどお願いしても良い?」
拝むように言う荒井に「こっちこそ何でもかんでも荒井さん任せでごめんね」と悪そうに橘がするのを、皆が返って申し訳なさそうに橘を見つめた。
少し湿っぽくなってきたのでせりかが「とりあえずは生徒会の許可取らないとね」と言うと皆で明日から始動という話になった。それにしても他の男子抜きで話しを進めていいのかな?と思うが橘と本庄でどうにか根回しするだろう。
昼休みに春奈に一緒にお昼ご飯を誘われたので、沙耶と共に生徒会室まで来た。一応見て貰えたらと脚本も預かって来ていた。
誘われたからには春奈から話したい事があるのではないかと思い、お弁当を開いてから彼女が話し出すのを待った。
「昨日の話なんだけど本庄君から何か聞いてる?」
「いいえ。彼には、はぐらかされてしまって。何か言い辛い事なら別に話されなくても…」
そうは言ったが話すつもりが有るから呼んだんだろうと思う。実際あのままでは見た事実は本庄が春奈に触れて、春奈が顔を赤くしながら何故か謝罪したという事しか分らない。本庄の側から見ればかなり不利な状況をせりか達友人達に誤解させたままにするのは、春奈からすれば申し訳ないと考えて呼ばれたのだと思う。
少し話し辛そうにしながらも、本庄があまりにもよくやってくれる分、春奈からすると少し可愛げがないので、せりかと良い感じに話していたのをからかうついでに、「自分と付き合わないか」と誘ったらしい。
せりかと沙耶は息を吞んだ。春奈から誘われるというのがどれだけ威力絶大か本人が分らない筈も無い。
「本気なんですか?」
沙耶が聞くが、冗談で言ったとしたらかなり罪作りだと思う。
「軽蔑しないで欲しいんだけど、どういう反応するか見たかったのよ。普段落ち着き過ぎで全然可愛く無いんだもの…」
「先輩、それは流石に酷だと思いますよ?本気にしたら本庄君が可哀想です!!」
せりかが批難すると沙耶も頷くが、春奈は靡かないのは分かりきった上での軽口だったとあまり悪びれた様子はなかった。春奈に靡かないって滅多に居ないんじゃないのかな?と思わなくも無いが、彼女にはどういう理由でかは分らないが、確信があったらしい。
「『彼氏のいるせりかちゃんは諦めて私と付き合わない?』って言ったのよあの時」
せりかと一緒に橘の練習する姿を見ていただけなので、せりかを諦めての下りは春奈の冗談にしてもその後に続く言葉はシャレになって無い。
せりかは少し座った目で「それで本庄君は何て言ったんですか?」と聞いた。言い辛いなら言わなくてもなんて言葉は遠くに放り投げて先輩相手に詰問口調だった。
大事な友人を傷付けられて黙ってはいられない!まして本庄はせりか達に連れて来られて生徒会にいるのだ。
「そうしたら余裕の笑みで『良いですよ。このプラチナの鎖をくれた社会人の彼氏と別れてくれるなら』って言って首元の鎖に触れられたから、私の方が焦っちゃって見事に返り討ちにあってしまったの。伊藤君が居ない所で良かったわ。そんな事が知れたら大変だもの」
「しゃ、社会人の彼氏が居るんですか?」
「ええ。六つ上なんだけど、中学の時に来てくれてた家庭教師なの。その時彼は大学生だったけど今は社会人二年目なのよ」
「なんだか先輩らしい感じはしますよね」
せりかがそう言うと沙耶も同意の言葉を紡ぐ。
「うん。そうだね。春奈先輩は同じ年の男の子なんて相手にしなさそう。伊藤先輩だってなんだかんだ言って春奈先輩の事好きそうなのに軽くあしらってるって感じですもんね。何だかいつも切なくなって来ちゃうんです~。報われなさすぎて!」
「沙耶ちゃん、伊藤君のあれは、自分に靡かない女が珍しいから執着してるだけよ。可哀想とか思う必要全然無いから!!」
「そうそう。それはあまり思わなくていいんじゃないの?」
「せりかちゃんまで伊藤先輩に冷たいのね?」
「せりかちゃんも全然靡かないクチだから、結構最初の方は絡まれて大変だったのよ。まだ付き合って無かった橘君が庇って結構な嫌味応酬な時期があって、それはそれで面白かったのよ」
あれは橘も分っていて皆の期待に応えていただけなのだが、やはり面白がっていたのか!
「伊藤先輩の事はいいんで、本庄君との事を話して下さい」
「彼がどうしてそれが分ったのかは分らないけど『軽い気持ちで冗談言わない方が良いですよ』って皆に聞こえない位に注意までされちゃったから反省はしてるのよ。先輩としてはかなり情けないわね。とにかくもう一度ちゃんと謝らなくちゃって思って…」
本庄の静かな注意は結構精神的にきつい。春奈も急に知られる筈もない彼氏の事を指摘された上、忠告に近い注意をされたのだから、かなりショックを受けたんだろうと言う事は分かった。こんなに弱気な春奈を見るのは初めてだった。それにこうして本庄が何も言わない事を見越して彼が私達に悪い印象を持たれないように真実をわざわざ話してくれている事自体は純粋に好感が持てた。
脚本の件は春奈も落ち込んでいるので、授業が終わってまたここにお手伝いにきた時に他の先輩も含めて聞いて見る事にした。
春奈と別れて、教室に戻って沙耶と一緒に本庄のところに行くと橘と一緒に居たので、橘には源氏の君の件は保留と言ったら、「やっぱり駄目だったの?」と少し糠喜びをさせてしまったので謝りながら昨日からの一件を橘に話した。春奈のプライバシーの問題はあるが、橘も次期会長な以上知らないでいて良い筈は無い。本庄をあの場所に連れて行ったのは橘も同じだからだ。
「あの会長ならそれ位はやりそうだけど、本庄になら、まあ良いけど流石に涼にはやらないで貰いたいから反省してくれてるなら却って良かったんじゃないの?本人の為にもなるし」
「俺には良いけどって涼君と差が激しくなーい?」
「お前と涼じゃ比較にならないよ。返り討ちにしたんだろう?本人は気が付かれないと思ってるかもしれないけど、高校生でプラチナのネックレスってせめてホワイトゴールドとかシルバーのにしとけば良いのにって思ってたから本庄が言いたくなる気持ちは分るけどね」
「彼氏がわざと牽制で掛けさせてるんじゃ無いの?」
「そうかもしれないけど、それでも外した方がいいよ。先生とか特に大人の女性が見れば、すぐに大人の男が買ったって判る。彼女の印象が悪くなったら進路にもひびくだろう?お前は、これ以上言わなくていいから俺が若宮会長に話すよ。彼女には恩もあるしね」
「あの、二人は見ただけでホワイトゴールドかプラチナか分るの?それでなんで年の離れた彼氏まで行き着くの?親が買ってくれた物かもしれないじゃない」
「お嬢さんは金と偽物の見分けは付くでしょう?」
「それは付くよ。光り方と重量感が何と無く違うよね」
「プラチナも独特の質感があってそれと同じ感じなんだよ。それで、プラチナって以前より大分高騰してるから今は結構高い。その代わりにホワイトゴールドが売り場に多くなってる。真綾の指輪見た時だってあのカジュアルな店にはプラチナの物は置いてなかった。高校生の彼女に贈ろうとしたら大学生の彼氏だったにしても十八金ので十分な筈なんだ。それと椎名さんや石原さんは親から買って貰ったネックレスを見えない様に制服の中に着けて学校に来る?普通は来ないよね」
「それでせんせいと橘君は春奈先輩に社会人彼氏がいると想像が付いてたわけね!」
「理由を聞けば、石原さんだってそう思うでしょう?」
「結論から聞けば納得だけど、鎖ひとつで其処まで見越すのが怖いんですけど!」
「そんな事言ったって橘だって直ぐに気付いたんだろう?俺だけ怖がらないでよ」
「いや、俺も本庄は怖いから石原さんも本能的に俺より怖いの当たり前だよ」
「本庄君だと、これ位は普通でしょう?橘君も沙耶ちゃんに乗っかってかわいい事を言わないの!」
「お嬢さんってやっぱり最強!!橘は俺の事を大袈裟に言って、自分も同じ事を言ったのを煙に巻こうとするんだから酷いよなぁ」
「そうなのよ。大抵の事で平然としてるのに、これ位で怖いなんて、ほんの小指位思ってるのを広げて言い過ぎよ」
「そうそう!そういうの上手いよな。感心するよ」
「嘘は言ってないけどね♪」
「橘の場合は嘘じゃなくとも誤差の範囲じゃ無いからね。石原さんも橘に気を付けてね」
「本庄君も話のすり替えが上手いのは分ったわ。両方気を付けなくちゃね」
そう言って沙耶が笑うと二人とも苦笑いしたが、沙耶は何気に橘には甘い気がする。今の話の流れで本庄に流されてしまわないのは、かなりすごいとせりかは思った。
そうして部活前に橘は、春奈に不利に成る様な事は好ましくないからやめた方がいいと思う事を、橘にしては先輩相手の所為か丁寧に話した。春奈は今迄の疑問が腑に落ちた表情をした。お礼を言いながらその場で外して大事そうに鞄の中の小袋に入れた。それから本庄と橘に悪フザケをよく考えず軽々しくしてしまった事を詫びていた。橘が「気にしないで下さい。本庄なら大丈夫ですから」と言ったら本庄が「お前が言うなよ!」と突っ込んでいた。あんなに真剣に謝る先輩を前にボケツッコミが出来る二人の神経が図太いとは思ったが、二人なりに春奈にあまり重く受け止めないで欲しかったんだろうと思う。特に以前からの付き合いの深い橘は、そういう考えだったからこそ自らが来て話したかったのだろう。
そうしてせりかが脚本を出して、『これって認められますか?駄目ですよねぇ』と仕事に入る前に見て貰うと、タイミングの所為か「この位なら大丈夫じゃ無いの?源氏物語なんて子供は見にこないものね」と百合や書記の先輩方にも見せてくれてあっさり許可が下りた。うちのクラスは第三希望までの物を決まったから出さなくとも良いと言われた。
橘のみ少し渋い顔をしたが、あまり生徒会にもクラスにも貢献出来ない以上、出来る事はしなくてはいけないという彼にしては殊勝な考えを話してから練習に行ってしまったので、少し疲れているのでは無いかと心配になって本庄と沙耶に言ったら、本庄は軽く笑ったが、沙耶には可哀想な子を見る様な目で見られてしまった。まったく沙耶は橘に甘いと思い本庄に言ってみると、少しだけ目を瞠ったが、「お嬢さんが厳し過ぎだよ」と優しい笑顔で宥められた
拍手メッセージ有難うございます。とても励みになります。続きを待って下さる方の存在は此方にもとても有難いです。
今回はお陰様ですぐに続きが書けました(*^^)v
個人的にお返事しても良い場合はFC2サービスでのお返事もして来ましたが、サイトでのお返事も考えています。一応お返事NGな方は明記して下さると助かります。




