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本庄の見解とは?
「せりかさんと橘君は、揺るぎそうもなさそうね。なんだか幸せそうなせりかさんを見ていたら、綾人の厄介な人生に付き合う事に成らない方が彼女の為な気がしてきたわ!親戚になるのだって高坂君と結婚すれば、せりかさんのところとはほぼ親戚付き合いしてるから、そっちの方が近道だわ」
「真綾と高坂が其処までもつのかは、疑問だけど、椎名さんが今のままで良いと思っているうちは、付け込む隙はなさそうだったな…」
「私は、せりかさんは橘君の事は一回断っているのを知っているから、今、せりかさんが橘君の事を特別好きで付き合っているわけでは無いと思っていたから、今日聞いた話はショックだったわ」
本庄も、せりかの告白はショックだった。意外に橘に対する気持ちは、早くからあったものだとばかり思っていたが、緩やかに傾いて行ったものらしい。一歩一歩着実に間合いを詰めた橘に敬服するが、橘は天才肌にみえて、意外と努力家であった事を思い出す。きっと少しずつ少しずつ彼女の心に浸透していったのだろう。橘の事を話す彼女は、確たる好意を口にした。今迄はうまく行っているけど、付き合うのも初めてだし、相手の気持ちもよくわからないし、どうなのかな?という話し方だったが、真綾に聞かれたせりかは、はっきりと初めて彼への好意を自分の前で示した。
多分諦めた方が、彼女の為にもいいのだろうと思う。今日まではうっかりにでも自分がせりかに気持ちを洩らせば、彼女は揺れてしまうだろうと思っていたが、自分は大分思い上がっていたのだと思う。
第一、彼女の彼氏はあの橘なのだ。もう少し、自分よりも劣ると思えば、相手に圧力を掛けていただろうと思う。しかし今迄一緒にいた限り、彼よりも優れているのは、跡継ぎとして教育を受けた部分だけに等しい。
女性には一定の距離を置く橘は、男とは意外と気さくに話し、人心を掴むのがうまい。天性のものかと思ったが、よくよく見ていればどちらかと言うと後天的なものだ。それこそ、自分の様に特殊な教育など無かっただろうと思うが、兄貴が何代か前の生徒会長で随分と改革をしたカリスマ性のある人物だったという話だったので、よくよく兄貴の話を聞くと、少し繊細なところのある弟を鍛えたのだろうと思われるエピソードが多々あった。それに可愛がられて育って来た末子ならではの愛嬌があった。そうやって首席でほぼ全てにおいて万能な彼は、ここぞという時には頼りに成るが、普段は割合可愛らしく映る。本庄でさえ、かなりしっかりした本人の素を知っていても、女性なら母性本能が擽られるタイプだよなぁと感じ、そのうちに自分も弟の様だと少し思い始めた時は、思考を無理矢理自分で修正をかけた程だ。他のものにはそう思わせるのは容易いだろうし、心の内側にも難なくするりと入る事は簡単にやってのけるだろう。
いまだに、彼のそういう行動が作為的な物があっても、悪意は無いだろうとあたりは付けているが、何の為に人心を掴み生徒会長等と面倒な事をやろうとしているのかが判らない。
せりかに好意を彼が寄せた時も、高坂があからさまに牽制をかけてべったりひっついているのを思えば、面倒な事この上なく、その上高坂とは親友なのだから、その辺りもかなりメンドクサイ。せりかでなければならない理由が、彼にどうしてあったのかを問いただしたい位、割にあわな過ぎる相手で有った為、それまでの彼のイメージがかなり崩れた。悪意はなくとも打算的な人物であろうと見て来た為だった。せりかの事以外で予想を裏切る様な事は無かったので、この考えは現在進行形ではある。せりかに魅せられてしまった今となっては、彼が万難を排してせりかに近付くのも解らなくは無い。
一見、普通に可愛らしく見える彼女は、普通に有り得ない程、心が広過ぎる。親しい人間に程向けられるそれは、高坂には顕著だった為、自分にその視線を向けさせたいと思うのは、それに気付いた者には当然だった事だろう。
まして橘は、女性不信な上、花の様な彼に群がる蝶の様な女に周りを取り囲まれた状態だった。幸い一年の時のクラスでは、他の者の様に、橘を困らせる様な事をしたく無いといった連帯感がクラスの女子の中で出来上がっていて、非常に彼にとって有り難いクラスであったからこそ、王子役等、橘なら回避出来そうな事柄を簡単に引き受けたのだろうと思った。
しかし、相手役がせりかになった事を思うと、どこからが彼の譲歩で、どこからが彼の計画なのか、本庄にも判断が付かなかった。
せりかが、橘をよく、周りにも利益に成る様にしながら、自分の目的を達成するから、経過が引く程黒くても安心出来ると言っていたが、この時も周りに劇の成功という利益を与えながら、せりかに接近するという目的を達成していたのだろうか?しかし、そうすると、せりかにだけ利が無いから、違うか…と一瞬思ったが、よくよく考えれば、クラスの者のせりかへの嫉みの感情を皆無にさせたのだから、せりかにも大きな利益があったといえた。
こうしてよく考えても行動の意図が掴み辛い彼は、賢さからわざと掴ませない様にしているのか、そんなつもりは全く無く、自然と解りづらい人間なのか判断がつかないミステリアスな人に思える。友人になってからは主観がはいってしまって余計に解り辛い。
せりかの彼氏は自分の友人でもあり、かなりスペックの高い人間でもある。橘がせりかに思いを寄せた時よりも更に厄介な状況で、せりかを本庄が自分のものにしようとするのは、彼の中では不可能に近いと結論づけた。
しかし、不可能な中でも彼女の自分への友人としての位置は彼氏に脅かされるものでは無い様だったので、橘には悪いが、せりかが特別に思ってくれているこの位置を遠慮せずに甘受させて貰おう。そうして時が満ちた時に行動に出る事になるだろう。それは、せりかが万が一にも橘と別れた時か、卒業した後か、もしくは自分の親の会社に本当に入ってくれたら、と自分でも怖ろしくなる程先の事迄見据えてしまう。せりかが知ったら絶対近寄って来てくれなくなるよなぁ!と自嘲するが、今の自分には友人としてでも傍に居たい気持ちが強かった。せりかが反対に自分を思ってくれていた時に真綾の存在があっても、辛くなっても傍に居続けてくれていた気持ちが分かった気がしたが、反対にこんな思いで居させてしまって、やっと橘という恋人が出来たのに、それを自分に引き戻そうとするのにはかなりの罪悪感が湧いてきた。
それに対して不思議と橘に対しては罪悪感は少しも湧かなかった。今の付き合いにしても、自分の方を向いて居ない彼女の好意をえる為には周りにはとてもいえない搦め手を駆使しただろうし、周りの人間にも協力させて、じわじわとワナに追い込んでいったのだろう。
そう思うと今のところ、本庄の完敗と言えた。
しかし、再戦を挑む時には此方に勝機が見えた時になるだろう。数少ない機会を逃さない…。それまでは良き友、頼って貰える友人でいよう。割と早くにせりかの事を諦めようとした橘は、せりかのためを思ったのかもしれないが、自分だったら絶対に別れようとしたりしない。そこのいさぎよい諦めの良さは、唯一、本庄から見れば子供に見えた。絶対に譲れない女性の気持ちを尊重して別れるなど、甘ちゃんもいい所だ。もちろん友人としての見地からすれば、繊細な彼の美点だが、せりかの気持ちを慮って身を引こうとするなど、粘りが足りな過ぎて、その点はかなり彼にしてはお粗末な対応だと言えた。
多分弱い所を見せる橘に母性本能を擽られたせりかが、彼を引き止める結果になって今の状態に成ってしまったが、その時に切り捨てられるくらいの気持ちの相手と付き合いを続けるせりかは、やはり、かなり奇特な女性だろうと思う。その時に橘に対して友情よりも恋情が上回る程の感情が彼女の話を聞く限りでは、おそらく存在しては居なかっただろう。
帰り道で自分の思考の波に沈む本庄の隣に、黙って気配を消して傍にいたが、考え過ぎるところが欠点である従兄が、素直になれるせりかの様な存在は貴重であった為、それこそ逃した魚は大き過ぎて自分がもっと早くに本庄を解放してあげていれば結果は変わったのだろうか?と思うが、もしもと仕方の無い事を思うよりも、自分を支え続けてくれていた彼の為に何か出来たらと、真綾は思った。
し・か・し、せりかに貰ったクッキーは分けてはあげなかった。そこは、今迄の真綾の中で感謝の気持ちがかなり上回っても、恨み事が本庄に対してゼロではないので、決して口にしないが譲れない思いがあった。




