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本庄と真綾と三人で会うのは、何時振りだろう?
二年生になってからは、一度も三人だけという事は無かったから五カ月近くは経っている。一時は三人でお茶をしたり、真綾の家に行ったりと頻繁に会っていたというのに、三人の関係性が変わってしまった所為も、もちろん有るのだが向こうは、こうやって誘って来てくれる訳なのだから、主にせりかの気持ちの問題が大きかった所為なのは間違いなかった。
一年生の時に三人で会っていて平気でいられたのは、やはり二人の言う通り従兄妹でしかなかったと言う関係のふたりの主張通りに、真綾を甘やかす本庄が本当の意味で甘やかな雰囲気が無く、二人の邪魔になってしまうと一切思わせなかった為だろうと今にして思えばそう思う。そうで無ければ、いくら好きな人と一緒の時間を過ごせても、多少は居た堪れないものになっていた筈だろう。その時のせりかには、気配り上手な本庄が、自分を居辛くさせない様にしてくれて、真綾もよく解らないが、せりかの事を好いていてくれていた為、穏やかな時間を過ごせたのだとばかり思っていた。
関係は二人とも友達という肩書きは変わらないのに、それ以外が変化し過ぎてしまって、せりかは二人と会う事に少し緊張して来てしまった。真綾に今迄と同じ態度でいられるだろうか?
真綾に対してあんなに嫉妬した気持ちが虚無のものだと知った時には、申し訳なさと虚脱感が襲ってきたが、直ぐに玲人の恋人になってしまった真綾に対して、何も負の感情が会って浮かばないか不安になった。本庄の言う通り、真綾も辛かったのだろうと言う事は理解している。しかし、理性を飛び越えて怒りの感情を彼女に向けてしまわない保証は何処にも無かった。だからこそ今迄、玲人からの誘いを素気無く断っていたのだが、本庄には少し妬いていると思われた様だが、滅多に無い本庄の見当違いだったのだと、こうして三人で会う事になってせりかも自分の気持ちを自覚した。
会う約束をした今日は土曜日で、その上夏休み中な為、中華街はとても混雑していたが、その中でも一、二を争う店に本庄が予約を入れてしまっていて、さっと待つ事も無く入れてしまった手際の良さは、流石としか言い様が無く、いつも通りに穏やかに微笑む本庄と和やかに話す真綾を見たら、せりかは一人相撲を取ってしまっていた様な気分になってしまって完全に毒気を抜かれてしまった。
「せりかさんお久しぶり!高坂君から話は良く聞いてるんだけど、夏休み入ってから会えなかったから、今日は付きあってくれてすっごく嬉しいわ!」
「ううん。中華街に行こうって四月に約束したままになってたのが気になってたし、こうやってまた三人で会えると何だか感慨深いものが有るわね…」
「お嬢さんは、随分年寄りくさい事を言うんだね」
「だって、何だかこの組み合わせって久しぶりだし、なんて言っていいのか解らないし、適切な言葉が見つからないけど、とても懐かしい感じがするのよ」
真綾は内心ではせりかの言葉に泣きそうになったが、此処で泣いてしまっては今迄の苦労が水の泡になってしまうと思い、堪えて、つとめて明るく話し出した。
「高坂君にいくら言ってもせりかさんが全然釣れないんだもの。綾人に頼んで正解だったわ♪」
「お前、高坂がエサじゃ釣れないみたいな言い方って失礼だろう?殆んど押し掛け女房もどきで彼女になったのに、椎名さんだって大事な幼馴染の彼をそんな風に言われたら気分を悪くするだろう?!大体真綾が…」
やはりまだ、玲人の事で多少真綾に妬いているのだと誤解されているのだろう。本庄はかなり本気で真綾を叱っているので慌ててせりかは口を挟んだ。
「あのね、気を使ってくれなくても全然大丈夫だから!この間の事は、本当に見当違いなのよ。せんせいにはとっても珍しい事だけどね」
「そうか…。お嬢さんは予想外な人だから、外れるのは珍しくも無いけど、気を悪くしないでくれるなら、見当違いで良かったよ」
「ふたりにしか通じない話をされると妬けるんですけど!」
真綾が頬を膨らませて可愛らしく抗議をした内容が、まさに二人にしか通じない話に通じていたので、少し可笑しくなったが、せりかが「大した事じゃ無いんだけど話すと本庄君の分析も入って長くなっちゃうから…」と言うと本庄が少しわざとらしく嘆かわしい溜息を吐いた。
「そうね!綾人の理屈っぽい話は、今日はせっかくせりかさんも居るんだからとばす事にした方が良さそうね。ウーロン茶は温かいのでいいかしら?」
「ええ。もちろん!」
中華料理を食べるのに冷たいウーロン茶では油が分解にされないと聞いた事があるせりかは、夏でも中華の時はホットのものにしている。美容だけの問題では無く健康にもその方が良いと信じているからだ。
真綾は本庄には何も聞かずに、三人分のお茶を流れる様な綺麗な所作で丁寧に目の前に置いてくれた。
「有難う。真綾さん」
「エビ餃子と小籠包が来たから、頂きましょうか?」
「そうだな。熱いから気を付けて」
そう言った本庄は通りかかった店員さんにお冷を頼んでいた。何処までも気が回るものだと何だか感心を通り越して、この年齢で今迄どうやったらこういう風に成れるのだろうと考えてしまう。
「相変わらずそういうトコ完璧だよね~!玲人が苦労する筈だわ…」
「どういう意味で?」
解っていて聞いて来る本庄に多分真綾の前で玲人の援護をさせてくれる気が有るのだろうとあたりを付けてせりかは言葉を続けた。
「真綾さんからしたら、せんせいのこういう自然な気配りが普通なのかもしれないから、もしも比べられると少し不憫かしらって思うのよ。本庄君レベルのエスコートをしてくれる人なんて、同年代では皆無だわ」
「橘君はけっこう慣れてそうに見えるけど、違うの?」
真綾も結構痛いところを突いてくる。実際、比べれば本庄の方が大分上だろうが、求めている範囲以上の気配り等は、橘も文句の付けようが無い。というか本庄とは別の意味でどうしてかと考えたく無い結論から来る帰結だとは思う。
「橘君も、少し特殊例だから置いておいて欲しいんだけど、私が言いたいのは玲人に対して真綾さんが不満を持って無いか心配になってるだけなのよ!」
「高坂君に不満なんて無いって言いたいけど、すごくモテるのにあまり女の人に対して慣れてない感じなのよね。せりかさんと一緒の時も自分の方に合わせさせるのかしら?って思うとそれは駄目じゃ無いかって思ったから、思う事は言う事にしているの。せりかさんは高坂君を甘やかし過ぎだと思うわ」
真綾の言い分は、ある意味とても正しいと言えた。玲人の天真爛漫さにせりかが、仕方が無いかと折れていたのが普通になっていて、既にこちらが折れているという認識すら無くなっていた。
せりかが黙ると、真綾は慌てて、「気を悪くしたらごめんなさい!」と言うのを首を振って違うと答えた。
「玲人も家族の様な私と一緒に居たんじゃ、女性に対する気配りが根本的に出来て無いのは、真綾さんが矯正してくれて良いと思うけど、本庄くんと同レベルは逆立ちしても無理だと思うから、其処は大分、点を甘くしてあげて欲しいの。玲人には、私の知る限り真綾さんが初めて付き合う事になった人なのね。だから慣れてないのは仕方が無いし、それはそれで少し羨ましい部分でもあるのよね」
「お嬢さん、それは、俺や橘に対して思う所があるって言われてる気がして耳が痛いんだけど…」
「少なくとも橘君には思うところは一杯だし、本庄君に対しては、思う資格が無いだけで、正直今迄何も思わなかった訳じゃなかったわ。ただ真綾さんに解って貰いたいだけで、せんせい達の美点を責める気はさらさら無いのよ?玲人に対して私も無意識に合わせてきてしまったのが、私は平気だけど他の女性が気になる部分があるのだって真綾さんのお蔭で解ったから、煮ても焼いても好きにしてくれていいって気分だけど、そこは裏を返せば、良い事だと思えるっていう部分なんだっていう事を真綾さんに言いたかったのよ」
「まあ、せりかさんの言う通り考えてみればそういう事が以前に無いって事は、比べられる対象が居ないって事だから気分的には楽だし、嫌な事を思わなくて済むっていう事なのよね~」
ちらりと嫌味っぽい視線を真綾が投げて来たのに本庄が苦笑すると、せりかが「少し理不尽な方向に話が行ってしまってごめんなさい」と言ったのを本庄は軽く笑って「構わないよ」と言うとせりかは少しほっとした顔を見せた。
以前付き合っていた真綾はともかく、せりかに本庄の以前の女性関係に言及する権利など欠片も無い。しかし色々思う所はあれど、兄弟の様に育ってきた玲人が本庄と比べられて貶しめられるのは到底許せるものでは無かった。
「橘君とは、そういう事が気になりつつもお付き合いは続いているんでしょう?一度せりかさんに聞いて見たかったんだけど、何故橘君と付き合う事にしたの?」
「橘君と付き合うのにどうしてか?って聞いてくるクラスメイトは居ないと思ってたわ。真綾さんだって橘君とは一年生の時から一緒なんだもの。疑問に思う余地の無い位出来た人だと思うし、付き合いだしてからも印象はあまり変わらないけど、真綾さんから見た彼は付き合う理由が見つからない様な人に映ってしまってるの?」
「そんな事はないわ。完璧過ぎて胡散臭いくらいだわ!」
それを言ったら本庄も似たようなものだ。玲人はそう思うと可愛げがある方だよなぁと思う。
真綾が玲人を選んだのは、聞く余地も無い。せりかはそう思っていたが、真綾からするとせりかの彼氏は胡散臭いという評価らしい。何だかおかしくなって笑ってしまうと、向かいにいた本庄もやはり友人の素顔を思って可笑しかった様で笑い出していた。笑いながら「橘に真綾が言ってた事をバラそうかなぁ?」と本庄がからかうと真綾は少し顔色を変えたが「別に言ってもいいわ」と開き直った。
「多分言わない方がいいんじゃないかしら?」
いろんな意味でとばっちりが来ないとも限らないので自分の為と真綾の為に本庄に口止めした。しかし真綾はせりかの説明に納得がいかないようで、「やっぱり全然わからないわ」というので、少し掘り下げた説明をした。他者がいれば恥しいが、この二人には色々と相談に乗ってきて貰っていて、正直なところを話す事はあまり抵抗は無いのだから、最初からはっきりと言ってしまっても良かったのだけれど、改めて聞かれると、今迄理由等深く聞かれた事も無かったので、自分でもあまり分らなかったが、そうも言えないのでたった今思い付いた事を言葉に乗せた。
「橘君は、今から思うとずっと委員が同じ事もあって一緒にいる機会が多かったじゃない?付き合う前も、周りにはそう認識されていた位隣にいたのは、彼に利用されてるんじゃ無いかって思ってたんだけど、どちらかと言うと玲人のファンから守ってくれていた様に思うのよ。今もそんな事は彼は言わないけど、そうやって振り返ると彼がそっと私を想っていてくれた事を思うと結構響く所があったし、彼に必要とされる存在で有りたいと友達の頃から思っていたけど、付き合い始めた時に彼は、常に別れても親友だからって言ってくれてたの。彼にとっても私の存在がどういう形であれ必要だと思ってくれる事が伝わって来て嬉しかったけど、それは友情だと思っていたから、彼に本当の意味で好意を持ったのは付き合い始めた後だと思うから、付き合い始めた理由は本当のところは彼とお互いに利益になるような契約を持ちかけられたからなんだけど、それは流石にみんなに言うのはちょっとマズイし、後付けの理由を言う訳にもいかないから、去年の事を知ってる真綾さんが不可解に思うのは無理無いのに、一般向けな答えをしてしまって申し訳無かったと思うわ」
「せりかさんは、やっぱり橘君に良い様に言いくるめられて付き合い始めたのね!」
「真綾!それは今となっては時効だっていうのは解るだろう?!今の椎名さんは始めはどうあれ、橘に確たる好意があるんだから、真綾がその事で橘を非難出来る権利は無いのも判るだろう?」
真綾を宥めながらも、付き合い始めた時に止めなかった事を後悔するような内容のせりかの告白には本庄も愕然としたが、だからと言って判断を誤った時迄、時間が戻る訳では無い。真綾も本庄の為を思って出てしまう言葉なのは充分解るが、せりかの彼氏である橘に対して、軽口以上の悪意ある、もの言いをするのは流石に失礼が過ぎる。
「騙されたっていう所は多少は有るから、真綾さんの言う事も当たってるから言ってくれて良いんだけど、橘君には何を言った所でこっちが敵う相手じゃ無いわよ!真綾さんだってせんせいと長年一緒にいれば解るでしょう?似たようなものよ」
「橘とそういう事で比べられるのは酷くなーい?」
「悪いけど、橘君より、せんせいのが性質が悪いって玲人にだって判るくらいなのよ?長い間、近くにいた私にそれが判らないとは、まさか思ってないでしょう?」
「お嬢さんも結構いう様になったね!高坂には最近は、疎まれているし、そう思われる要素が一杯だから仕方が無いけど、椎名さんにはそう思われない努力はしたつもりだったんだけどね」
「綾人も、努力で隠しきれるものでも無いのは、本当は判っているんでしょう?今から煙に巻こうとしたって無理だけど、実際はせりかさんが思うよりも厄介な人だから、そういう所を見せない努力は少しは実っているんじゃないのかしら?」
「真綾!そういう俺の努力を踏み躙るような事を言い出さないでくれよ…」
「だって綾人に迄せりかさんを騙す様な事、して欲しくないんだもの」
「あのね、真綾さん!みんなに趣味が悪いって散々言われちゃうけど、私自身は橘君にしてもせんせいにしても、そういう黒い部分は意外と嫌いじゃ無いのよ。むしろ清廉潔白な人だったら、親しい付き合いは出来て無いと思うわ。私自体、結構猫被りな人間なんだもの。多分、類友って感じなのよ!」
「でも橘君に嘘を付かれた事には怒りは湧かないの?付き合っていく上で信頼関係が築けないと思うわ」
「あ~…。橘君は今迄で嘘は言われて無いのよね~!相手がうわてなんだけど、言わないでいた事は有るんだけど、嘘は付かれて無いし、結局結果オーライにしちゃう人だから怒る気になれないのよね~」
「せりかさんって橘君にも甘いのね~。優し過ぎなのは分っていたけど心配になっちゃうわ!」
真綾はそう言うが、せりかは真綾にだって甘いし、本庄には、彼氏にだって申し訳なくなるくらい甘い。これで橘に甘くなかったら、いくら橘でも少しグレてしまうだろうと思う。
「そんな事無いわ。一昨日、中学からの友達と会ったら、今の私って周りに合わせて良い子に成り過ぎなんじゃないかって気が付いたから、多分真綾さんが思う私は少し無理をしている『わたし』だと思うわ」
「お嬢さんは、自分に厳し過ぎだよ!人間多面性が有って当たり前なのに、今迄見せなかった部分があったからって、今迄の椎名さんが全部まやかしや虚像では無いのに、完璧主義の気が少し有るのかなぁ?」
「物事の中間は無いのかって言われた事があるから、完璧主義というよりは極端なのかもしれないわね…」
一昨日から、少し悩みぎみだった自己嫌悪をこうも簡単に吹き飛ばしてくれる本庄は、やはりせりかにとって特別な存在なのだと思う。しかし、そう思ってしまう事は橘に対して裏切っている様に思えて、吹き飛んだ悩みは新たな悩みにすり替わってしまった。
「せりかさんは可愛いんだから、何をしたって大丈夫よ!無理をして良い子のせりかさんが好きな訳じゃ私は無いわよ!」
「真綾は言う事が飛躍し過ぎだよ。可愛いからって何でも許されるって、それは余りにも論理的におかしいだろう?」
「有難う。真綾さんと本庄君は、二人の方が従兄妹揃ってどうしてって位、私に甘過ぎなんだもの」
「それは私達がせりかさんの事が大好きだからよ!ねえ綾人?」
同性の友人でも気恥かしく成る様な告白に便乗しても良いものか逡巡するが肯定の言葉しか許される状況でも無いので、「そうだね。俺も椎名さんが好きだよ」とドサクサに紛れて初めて気持ちを言葉に乗せてしまった。
彼女は虚を突かれた様な表情を一瞬見せたので、失敗したかなぁ!と少し後悔しかかったが、彼女の中で今の言葉が友人としての好きだという意味だと租借された様で、暫くの沈黙のあとに「二人とも有難う…」と頬を染めて、かなり照れくさい様子だったが、応えてくれた。
飲茶の後に、どこかに寄ろうか?という話になったが、せりかは今日は玲人もいないから、暗くなる前に帰ると言い出したので、少し早い時間だったが、お開きとなった。
本庄がこちらで勝手に予約して付き合ってもらったのだからと言って飲茶代を払ってくれようとするのを、せりかは頑なに断った。
学生の内に奢る奢らないの話は、あまり好ましく無いと母親にこの間の和食の話をした時に言われたそうだ。ちゃんと掛かる金額をきっちりと持たされて、その上この間のお礼の品まで待たされて来ていた。
「クッキーなんだけど、お家の方か、今お世話になっている会社の方と一緒に食べてね!」
そうにっこりと渡されると断り様も無く、せりかの真面目なところは、節度のある、常識的な母親によるところが大きいのだなと本庄は思った。
「ありがとう。会社に持っていって皆にお茶の時間に出す事にするよ。今は女の人の多い部署にいるから多分喜ばれると思う」
「そうなんだ。良かった!それで真綾さんに何も無いのは寂しいかと思ってこっちはお粗末で悪いんだけど、私が昨日焼いたクッキーなの。レモンのクッキーなんだけど、貰ってくれる?」
「わぁ!嬉しい。有難う!!」
真綾は本当に嬉しそうにラッピングされたクッキーを大事そうに抱えた。
「お嬢さん、俺も手作りクッキーの方が嬉しかったのに!」
お世辞で言ってくれているのだろうと軽く笑って流されてしまったが、勿論本気の言葉だった。
「ずっと前に、文化祭の準備の時にハンカチを貸してくれたのを覚えてる?」
クッキーから何故ハンカチの話が出てくるのか?相変わらず藪から棒だなぁ!と思いながらも頷くと、せりかはその時にクッキーを焼いて洗ったハンカチと返そうとしたのを高坂に止められたのだと語った。
「それでね、あの時の詳細な状況は思い出すと、今は恥しいけど、私の無防備さを、まだ付き合いの浅いせんせいが遠回しに指摘してくれたじゃ無い?玲人はその時にせんせいに感謝しろって言ったんだけど、手作りのお菓子なんて渡したら、たぶんその人からお目玉喰らうって言われて、その時には深く考えなくていつも飲んでる銘柄の缶コーヒーをお礼に渡したんだよね」
「ああ。あれは高坂の指示なのかなぁとは思っていたけど、それで今回俺にクッキーをくれない理由に繋がるわけだ!」
「今は渡しても怒られないとは思ったけど、それでもその時の事が浮かんじゃったから、買ったものだけにしちゃったのよ。絶対そっちの方が美味しいのは間違いないしね!」
せりかは邪気無く言うが、真綾から少し分けて貰おうかと真綾を見るとせりかの見えないところで袋を後ろ手に持ち、「絶対一枚も譲ってあげません!」という身内にしか判らないポーズを取った。
せりかにこれ以上お礼を催促する様な事は出来ないし、真綾は意地が悪い。自分だけがせりかに特別扱いされた事が多分嬉しいのだろうが…思いやりは無いのか!と内心思ってしまうが、せりかの件に関して真綾に優しさを求めるのは流石に筋違いであろうと諦めた。
遠い未来に、せりかが自分の為に作ってくれたものを食べたいと、せりかと友達の今の幸せが壊れる未来を望んでしまう自分は、やはり今はこのクッキーを口にしない方がいいのだろうと本庄は思った。




