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「橘くんからメールだ」
せりかが呟くと玲人は僅かに眉を寄せた。最近文化祭が近い為、打ち合わせメールがよく届く。自分の所にも同じ様に副委員の石原沙耶からメールや電話は来るが、どうも一組よりは、五組の方が力が入っているのか、連絡が1.5倍位はある気がする。
せりは悩みながら、返事を返すと満足した様に微笑んだ。
「なにやるんだ?五組は?」
「えー!内緒だよ。他のクラスはライバルでしょ」
「たいした事じゃないじゃん。うちだって隠す事何もないし、別に教えるのに聞こうとしないし」
「だってこっちの言わないのに聞いちゃったら悪いもん」
「だっても何も、随分他人行儀だな」
「子供っぽい事言わないの。文化祭の時に見に来てよ。そっちにも行くから♪」
楽しそうに、子供の様なワクワクした目で言われると、そっちの方がガキっぽいと言い返したい気分の玲人だったが、あまりしつこくして嫌われたくはない。ずっと幼い頃から一緒にいたが、やはり其処には見えない線が明確にひかれており、そうで無ければこんなに長く居られない部分でもあった。
玲人のクラスはありきたりだが、執事&メイド喫茶という学園祭では最近一番多いのではないかと思われる催しもので、衣裳作りや喫茶のメニューなどが、女子の担当で、店の内装が男子担当という完全分業制で、部活動もある玲人には、とても有り難い、楽さ加減だった。当日、殆んど執事役をやってくれれば、内装も指示を出してくれれば、部活優先でいいと言うクラスメイトの気配りも嬉しい。実際、この進学校の中で真剣な運動部はサッカー部だけで他は同好会要素が強く、文化祭優先といった考えでいいらしい。運動部自体も入部しているやつは少数派だった。
対してせりかは、部活動は結局見学だけで入らず、帰宅部で暇なのかと思えば、今は玲人よりも忙しい。家では色々とチクチクと縫っているし、たまにミシンが出たままになっている。もともとせりかは裁縫の類が得意である為、面倒見の良さも手伝って無理しているのではないかと不安になる。帰りも結構遅く、部活動を終えた自分よりも一時間以上遅いのだから心配になる。迎えに駅まで行くと言っても、人通りも結構あるから、心配要らないと断られてしまう。経験上、ここで過干渉な事をすると、とても距離を開けられてしまう。いつもより更に遅い時だけ、メールでどのあたりか聞き出して、コンビニに買い物があるからついでに……と言って何気なく迎えに行くが、其処まではせりかも拒否する気持ちは無い様で、『ありかとね』とすこし照れたように礼を言う。短い期間の事だし、毎日迎えに行かせてくれた方が精神的に楽なのだが、せりかには、譲れない所らしい。言わなくても玲人には、なんとなく理由が分かる。それは『彼氏の仕事』なのだ。それを玲人にして貰うのは、嫌だと言うよりも、今迄ずっとして来た線引きから越えることが、玲人の為にも、そして、自分の為にもならないと考えている様だった。
橘からも何度か送るという申し出を断っているというのを橘本人から聞いていた。せりは、変な所で頑なで真面目だ。自分はあんなに面倒見が良いのにそれは自分では意識に無い様で、自分の事は出来る事は、頼らずに、出来ない事だけ已むを得なくお願いするといったスタンスだ。玲人は、せりかのそういう面はとても気に入っていたが、最近は頼られない事が少し、寂しく感じていた。
せりかのクラスは、実は劇をやる事になっていた。なんでそんなメンドクサイ事を…と内心思う。衣裳、台本、大道具、小道具、キャスト決めに、セリフ覚えとやる事が目白押しの一番手の掛かる代物だ。しかし、多数決で『シンデレラ』をやる事になった。理由は簡単だ。リアル王子様の存在が大きい。橘忍が舞台上に立てば、それはそれは見映えのする事にクラスの殆んどの者が目を付けていた。基本、賢い人間ばかりの集まりだ。何を効果的に使うかというのに長けた者が多い。其処に橘の存在は、大きく使わなければ宝の持ち腐れであると考えられていた。学年中の有名人でもあり、客寄せにも持ってこいな訳だ。橘は基本、本当に大人な人だと思う。嫌な顔一つせずに、引き受けた。橘の性格上、王子様なんてやりたくないのは、間違いない。ここ数カ月のクラス委員のお付き合いで、周囲の創る王子様キャラに関して、たまに洩らす少し困ったような言葉を聞いているせりかは、少なからず同情してしまったが、シンデレラはせりかにやって欲しいとクラスの皆に言われた時には、その同情も何処かに飛んで行ってしまった。少し躊躇いながらも断りたい旨を示すが、皆もやるからには失敗したくないし、しっかりしていて容姿も整っているせりかが適任だというのがクラスの総意で、懇願されてはせりかも断りきれなかった。
こうしてせりかの忙しい日々が始まった。皆それぞれ得意分野に分かれて、自主的に仕事を引き受けてくれるので、クラス委員としては、なんて良いクラスだと思う。一番難しいと思われた台本作りも、元々そういう事を将来の仕事にしたいと考えているクラスメイトが、何本か案を持って来るからその中から面白く成りそうなもので行こうという安心感たっぷりの言葉をくれた。
ダンスシーンだけは大分、練習を余儀なくされた。ワルツの踊れる高校生などそう居る訳もないが、やはり、一人や二人嬢ちゃん、坊ちゃんがいて、小さい頃から嫌が応も無く叩きこまれている二人の経験者が、先生となってダンス教室をしてくれる。配役はそれを見越して運動神経の良い者が選ばれている。
最初こそ、皆、男女が身を寄せて踊るダンスに照れるわ、腰が引けるわで、見れた物では無かったが、舞台で失態を見せる事を思えばやるしかないと腹を括ったらしく、それなりに踊れる様に成るのは相当早かった。踊れる様に成ると楽しくなって来てしまい、現金なもので、あんなに最初苦戦したダンスが最近の一番の盛り上がる場へと変わって来ていた。橘が部活がある為、代役がせりかと踊ってくれるのだが、この代役はワルツの先生役の片割れの坊ちゃんが演ってくれる為、リードも巧みで本当に踊りやすい。皆から見ても優雅に見えるらしく、せりかのシンデレラ役は好評価を得ていた。これで本番に橘と上手く踊れれば、なんとか大役を果たせそうだった。
部活を終えて皆に謝りながら練習に参加する橘は、最初からワルツを踊れたのかと思う程、上手だった。それを口にすると、家でもステップを踏んでいて、毎日練習しているらしい。家族に気味悪がられていると告白すると、その場の全員が笑い崩れた。橘は天才ではなく、努力の人だとクラスの皆にも段々分かって貰えて来ている。代役の子にも昼休みに付き合って貰って、マンツーマン指導で教わっている。
皆で、一生懸命何かを創り出すと言う共同作業は、とても楽しく、特に努力を怠らないクラスの王子様が牽引役となって皆を引っ張ってくれていて、五組は一つに纏まっていた。せりかも今迄、あまり話した事のないクラスメイトとの触れ合いに心温かくなっていた。特にダンス先生の坊ちゃん、本庄綾人とはよく話す様になった。本庄は、皆から坊ちゃんとあだ名で呼ばれるのに最初はムクれていたが、皆からすると親愛と感謝の入り混じった呼び名だったので、せりかがそう説明すると、仕方無く受け入れると言った。シンデレラを多分嫌でも一生懸命やろうとするせりかの言葉は本庄には、響くものがあった。橘も相当、努力型だが、せりかもそうだというのが練習を通して本庄には分かって来ていた。
見た目も頭も申し分無くて運動神経も良く、委員の仕事もそつなくこなす二人に、クラスメイトは、多少の羨望と嫉妬の入り混じった感情があったが、文化祭の準備が始まるとそんな気持ちは綺麗さっぱり消えてしまった。どれだけ二人がいつも大変な仕事をしているか、皆の面倒をさりげなくみてくれていたかを放課後に残る事で目のあたりにしたからである。しかも軽々とこなしている訳でも無いのは見てとれた。二人の(特にせりかが)鬼気迫る迫力で、面倒事を次々と片づけていく様子には頭が下がった。皆で手伝う事を決めて、出来る限りフォローしなくては申し訳ないとほぼ全員が思った。
本庄も最初はいつも完璧な二人が、ワルツに四苦八苦するのをほんの少しだけ、小気味よく思っていたが、真摯な二人を見れば直ぐに自分の考えが愚直であった事に気付いた。改めてみれば、せりかは、手を取るのも照れて頬を染めながらも、何度も、何度もステップを踏む。自分に対しても感謝の気持ちを顕わに親愛の笑みを向けてくれる。いい意味で普通の躾の良い女の子だった。皆は、ふざけて『坊ちゃん』と本庄を呼ぶが、せりかだけは、一度もそう呼んだ事がなく、『本庄君』と呼んでくれる。直接的ではないが、ワルツが出来る事をばれてしまった所為で申し訳ないと言う様な趣旨の事を言われたので、そんな事は何でも無いと答えれば、ほっとした表情を見せた。本人はシンデレラの大役だけでも荷が重いだろうに、気遣いにも程があると少々おかしくなって笑ってしまうと、『ワルツが出来る人がいて本当に助かったと思ってとっても有り難い気持ちでいっぱいなのに笑うなんてひどい…』と本気でムクれられ、本庄は少々、困ってしまった。椎名せりかが義理難く、気さくでいて、それでいて思っていたよりも子供っぽいからだ。しかしまだ、高校一年の女の子だと思うと、今迄がどれだけ神聖視という名の偏見で見ていたかという事に、随分と自分が浅慮であったと思った。他のクラスメイトにしてもそう思っていると思う。
よく話す様になってからも、せりかは本庄の家の事などには決して触れてこない。最近見た映画の話だったり、女子だけでやっている衣裳作成の苦労話等をユーモアを交えながら、話してくれる。どちらかというと本庄は聞き役だ。本庄は笑いながら、話の途中で突っ込むと切り返しもとても見事でこちらを不快な気持ちにさせるという事がない。ダンスの時の初さから考えると男兄弟でもいるのかとこちらが踏み込んだ事を聞いてしまっても、多分、幼馴染の一組の高坂玲人の所為で、男子の鋭いツッコミに慣れてしまっているんだと思うと簡単に答えてくれた。自分の事は殆ど話さない割に、せりかに関しては、詳しくなってしまっていた。高坂が生まれた時からのお隣さんだという事や、彼女の母親がイケメン講師目当てに英会話に行っている話まで、話の流れで話してくれた。言ってしまってから要らぬ事まで話したかな?という後悔が少しみえたので、『他には、椎名さんの個人情報は流さないよ。他の男子にいろいろと聞かれるけどね』と言っておくと『流石、先生』と返された。教える立場からか、彼女はたまに先生と茶化して呼ぶ。女子はどちらかというと坊ちゃんよりもそちらの方が浸透している節もある。文化祭も終わって落ち着けば、元の名字呼びになってくれるとは思っているが…。坊ちゃんよりは何倍もましな呼ばれ方ではあった。
そうして、着々と一年五組の「シンデレラ」が完成されつつあった。




