127(最終話)
夢じゃ無い。現実だと分かっているがせりかは本庄と恋人関係になった実感がいまいち湧かなかった。本庄も早く現実感が伴う事をしたいと言ったのは同じ気持ちなのかもしれないと、面映ゆい気持ちになる。
しかし、せりかの方は現実感は割と直ぐにやって来た。友人達への報告である。皆には感謝の気持ちで一杯なのだが、告白の詳細を事細かに聞かれるのは流石に恥しい。しかも此方が言葉を濁しても許してくれない。その上言ったら言ったで冷かされる。早速罰ゲームの様な目に遭っているのだが、幸せな人はこれ位で丁度良いのよ!と美久に言われてしまえば、仕方が無いと諦めるしか無い。ここで逆らっては、いけないと心の中で警鐘が鳴るのだ。
そうして真綾を含め皆に説明すると、真綾は「綾人はせりかさんに言わせるなんて情けない」と身内のダメ出しが始めった。玲人にだって真綾から言ったのだし、春奈だって橘に春奈から言ったのだから、特には本庄が酷いとは思えないのだが、真綾の中では本庄が告白してしかるべきと思っていたらしい。
「せりかさん、駄目な身内だけど、見捨てないでね。私もフォローするから!」
何だかそのフォローの方が怖いんだけど…とは、とてもじゃ無いが言えない。真綾は一連の事を、むしろ感謝していると言ってくれて今でも親しくしてくれるが、真綾に迷惑を掛けたのは間違い無いのだから、本庄は初デートは思い入れが有る様だったが、せりかは真綾に譲歩しても良いと考えていた。しかも本庄自身が真綾の邪魔をしていたのならば、むしろ初めに相手の気の済む様にさせた方が、無難では無いかと思うのだ。せりかは、いきなり二人きりは緊張するとか、思って無い…。多分…。今迄二人でお茶したり、観覧車に乗ったりしたし…と思うのだが、関係が変わっただけで彼と二人で出掛ける事を考えただけで、頬か熱く成って来る。せっかく付き合える様になったのだから、二人きりが良いと思う本庄の気持ちも分かるのだが、今回は真綾達の乱入を期待してしまっていた。
真綾も付いてくる気配全開で、せりかに「土曜日に出掛けるの?」と予想を付けて聞いてくる。本庄が黙っててくれないか、と言った意味がはっきり分かる程、本人には悪びれた様子は無く、とても楽しそうだ。せりかは、彼には悪いが九割がた受け入れてしまっているので、情報はそのまま流した。嘘はやっぱり気がひけるしと、言い訳しながら本庄に心の中で謝る。でも同時に彼の方は、全然緊張したりしないのだなと思うと少し悔しい。今迄の様にすれば良いだけと分かって居るのに…本庄本人に相談したくなってしまう自分の方が余程駄目駄目だと思うと、せめて告白は、自分から出来て良かったと思う。
それから、お礼行脚は、したい気持ちは有るのだが、春奈や百合等、上級生の教室に行くのは躊躇われるので、橘に春奈先輩にもお礼を伝えて貰いたいのだけど、と言ったら察しの良い彼は「佐々岡先輩にも?」と促がしてくれたので有り難く乗らせて頂く事にした。後は帰りに真宏と帰ってから玲人に言えば終了である。一応親にも言うべきか迷う。身内には、やはり恥しさが違い過ぎるので、もう少ししたらと思うが、おしゃれして土日に頻繁に出掛ける様になれば嫌でも分かってしまうだろう。往生際が悪いかもしれない。やっぱり心配掛けてしまった親にもきちんと話そう。
バイトが終わって、母親が迎えに来たので、歩きながら今日の事を話した。母はせりかの恋がうまく行くとは思ってなかったらしく何回も「良かったわね」と言って涙ぐんだ。こんな感傷的な母では普段無いので、驚くが、やはり口には出さなくとも、娘の苦しい恋は陰ながら心では気にしてくれていたのだと思った。真宏の店への思わぬ手伝いが母とせりかの距離を縮めてくれていた。以前ならこんなにすんなり話すのは、やはり難しかっただろうと思う。こうして迎えに来てくれたりしながらの帰り道やお店での話など、母の考え方が、せりかの母親としての見解では無く一個人としての意見などを話し合ううちに、せりかは母に対して一人の女性として見るように成って居た。勿論母親として見ないという意味では無く、それ以外の部分を垣間見る事が出来る様に成ったという感じだ。その分、関係が少し変わったのかもしれないと思う。母の方もせりかの事を同じ仕事をする同僚のような部分や、真宏の家の店での働きなどで、せりかの事を子供扱いしなく成っていた。母は、何だか寂しそうでもあり、嬉しそうな面も見せるので、せりかが思うよりも胸中は複雑なのだろう。
初デートはもう数日でクリスマスという事もあって、イルミネーションを見に行こうという事になった。昼間は本庄が譲り受けたミュージカルのチケットが有るのでそれを観賞してからと話が纏まる。同じチケットが無ければ玲人と真綾は邪魔出来ないという趣旨もあっての本庄の計画だが、少し二人の乱入を期待していたせりかは若干複雑な気持ちだったが、正直に言う程無粋では流石に無いつもりだ。
玲人といつもの様にせりかの部屋で勉強している時に話を振ったら、玲人達も初めてのクリスマスのデートは特別らしく、真綾はごねたが、自分達のイブデートを邪魔しないという協定で玲人は本庄と手を打ったらしい。ちなみに本庄は家関係の事情でイブとクリスマス当日両方とも忙しいので申し訳無いが逢えないと言われている。
「しかし性悪小舅もクリスマスに真綾と俺の邪魔をして来ないなんて、よっぽど、せりとのデートを邪魔されたく無いんだな…」
「っていうか、今迄邪魔されてたの?彼にしては随分不毛な事をしてたのね!」
「多分、本庄が俺の事を真から信用出来てなかったからだと思う」
「何故?!本庄君が玲人の事、悪く思う要素なんて何も無いわよね?」
「せりに、もしも俺の気持ちが戻ったら、真綾がどれ程傷付くかって考えたら俺とはあまり深入りさせたく無くて、今迄邪魔して悪かったって本庄に謝られたんだ。元は自分がせりに惚れた所為なんだけど、それでもせりが忍と別れても絶対に俺の気持ちが揺らがないか、とても心配だったって言ってた。真綾を大切に思う余りだったんだろうな。きっと」
「そうね。そんな事になったらって考えれば、真綾さんには、出来れば私とは全然関係無い人と付き合って欲しいと思っていたでしょうね」
「真綾は本庄が思う程、弱い奴じゃ無い。でもあいつの中の真綾は、ずっと長い間守るべき存在で、真綾もそれを当然の様に受け入れてたから、俺も、あいつが自然に真綾と離れるのを待った。せりは俺から、とうに独り立ちしたけど、それでも本庄が真綾を思う気持ちは、俺がせりを思う気持ちと似通って居て理解出来たから気が済むまで好きにさせてたんだ」
「でも、以前に玲人の気持ちは確認取ったって、言ってたくせに!」
「あいつが石橋叩きまくって渡る奴だって、せりだって知ってるだろう?」
「ええ。常に最悪の場合の想定に対処出来る様にしたいと思ってる人だものね。万が一、二度も私が関係して真綾さんを傷付けてしまったらって思ってしまったのよね」
「だろうな。でも真綾はあいつと違って割と、あっけらかんとした性格で別にせりの事を恨んだりしてないし、本庄の事は、もう決着が付いてる。たとえ俺とうまく行かないとしても、その時は『仕方なかったわね』って終わらせる様な奴なのに、どうも其処が分かってないんだよな」
「玲人と付き合って、真綾さんが変わった可能性も有るんじゃないかしら?私は反対に玲人といると心配する係になっちゃうけどね」
せりかが苦笑して言うと、玲人は少し困った顔をした。
「玲人の事、責めてないよ?私、玲人の明るくてポジティブなところ好きだし、そういう玲人に救われて来た部分も有るしね。私もこれから変われるかなぁとか思うし、これでも今回、自分から告白出来た事で少し前進出来た気がするの。応援してくれた周りの人達の影響は、かなり受けたと思う。だから玲人も真綾さんもお互いに影響しあって居るんだと思うの」
「そうか…。それでも、少なくとも確実に忍のお蔭って感じだよな。真綾がぶっ飛んだ事しようとしてたから、せりに発破掛けたんだろう?」
「……ええ。今度は自分の時みたいに周りにお膳立てされて付き合う様な事には、なって欲しく無かったみたい。私もそう思うから、背中を押してくれた橘君には、なんて言っていいか判らない位色々な意味で感謝してるのよ」
「たぶん、自分だけ幸せなのが気が咎めるんじゃねえの?」
「それは…無いとは言い切れないけど、でも…違うと思うわ。例え彼が、今、春奈先輩とお付き合いして居なかったとしても、同じ事をしてくれた様な気がするのよね」
「どうかな~?あいつだって人間なんだし、其処まで心広くなれるのか~?!やっぱり自分に気持ちの余裕有ってこそ、人の事迄おせっかい出来るんじゃねえの?」
「うん。でも、もしもの話は、意味ないわね。私は、そう思ってるし、玲人は玲人の考えになるものね。とりあえず玲人は本庄君に邪魔されなくなるんなら良かったんじゃ無い?」
「真綾は少し寂しがるかもな。なんだかんだ言って真綾はブラコンだから。まあ、実質は従兄妹だけど、真綾の両親に二人まとめて面倒見られてたみたいだから、本当に兄弟みたいに育って来たらしいからな」
「そう。じゃあ、土曜日にそう言っといてあげるわ!」
「お前、せっかく小舅が離れる気になったのに、水さすなよ!!」
玲人の渋面にせりかが笑うと、つられて玲人も軽く声を立てて笑った。「何か、俺もほんの少しだけ寂しいかもしれない」と玲人が笑いながら言うので、せりかもツボに入ってしまって治まった笑いが、ぶり返してしまい、二人でひとしきり笑い合ってしまった。
金曜日のバイトの日は、真宏に散々からかわれ、羨ましがられたので、真宏は誰か気に成る人は居ないのか相談に乗るつもりで聞けば、「これだから、幸せな人ってヤダよね~」と更に追い討ちに遭った。自分の事を話したくない方便かもしれなかったが、そう取られる事は、これから認識して行かなくてはいけないと思うと、相手から相談もされないのには下手なお節介は焼けないなと改めて思った。いつもよりもバイトの時間も足が軽やかなのは、ずーと好きだった人とのデートが明日に迫っているのだから見逃して欲しいとせりかは思うが、真宏はニコニコといつもと質の違う笑みを向けて来るので、せりかも、もう仕方が無いかと諦める事にした。これから母にも同じ生温かい視線を向けられるのかと思うと、幸せもある意味ちょっと辛い。美久達にも同じ目に遭っているので、月曜日は、どうしたら良いかと思うが、そこは恋人でも有り、人生の師匠でもある彼に相談してしまおうと決め込んだ。なんだか何でも簡単に小さい事でも話せる間柄に成れて便利!と思ってしまう。今迄ならそんなつまらない相談なんて流石に出来ないし、する気も起き無かった。やっぱり辛くても幸せだとせりかは思う。
帰り、駅迄迎えに来てくれた母は、せりかをデパートに連れて行って、品の良いドレープの効いた膝丈のベージュのワンピースと少し大人っぽい茶色のファーの付いたコートを買ってくれた。驚くせりかに「クリスマスプレゼントだから、明日来て行きなさい」と言う。随分と大奮発で、そう言われても落ち着かない。
「だって、クリスマスデートなんでしょう?おしゃれして行くのが当然じゃないの?!」
なんだか冷かされそうだと思って居たのが、せりかよりも気合いの入った母に力が抜ける。高校生には分不相応ではないかと思う事を正直に言えば、母から「相手にもよるでしょう?ミュージカルに行こうって言われてるんでしょう?それにせりかの話だと、かなり大人っぽい子みたいじゃない?普段ならともかく、今回は気合いを入れ過ぎでも周りも似た様な人達ばかりだろうから、いつもよりは頑張らないと駄目ね!」と更に気合いを注入された。
今迄クリスマスは、友達と集まるか、家族と過ごすかしかして居なかったが、世間では特別なもので有るらしい事が母の言動から分かった。
あまり、おしゃれし過ぎなのは、毎日の様に会っている相手なので照れくさいから止めようと思っていたが、どうやら考え直した方がいいらしい。母によるコーディネートは流石に色白なせりかに似合う、大人可愛いもので完璧だった。最初は気後れしてしまうせりかだったが、母から可愛い!似合う!と親馬鹿丸出しの言葉を言われて少し和んだ。鞄は薄いピンクのが良いわねぇ…とか、ブーツは去年買ったのが有ったわよね?と帰り道もテンションの高い母に、せりかは胸が締め付けられた。こんなにも無償で自分を愛してくれる存在に親なんだから当たり前とは言えど、自分がどれ程恵まれているのかと思うと涙が目にうっすらと滲んだ。
翌日、昼過ぎに家を出る時に、唯一話せて居ない父親に、なんと言ったら良いか頭を悩まして居ると母が「お友達によろしくね!」と暗に言うなと言って来たので、父親にも「行ってきます」と軽く言っただけで出て来たが、こんなにデート仕様の服じゃバレバレだと思うのだが、母からの指示は、やはり娘のせりかにとっては嘘だとしても正義だ。母がそういう風に仕向けたからには、そうした方が良いのだろうと思う。
待ち合わせの五分前に着くと、彼はもう既に予想通りそこに来て居た。仕立てが良いとせりかにも分かる紺のジャケットを羽織る彼が目に入ると、せりかにも母がやり過ぎな訳では無かったのだなと納得した。本庄も中のシャツも白だが裏地がバーバリーチェックで一見シンプルに見えるが凝ったものを着ていた。深いグリーンのストレートのボトムは、細身で背の高い彼を更にすらりと見せた。
せりかが寄って行くと気が付いた本庄がふんわりと微笑んだ。
「えっと、お待たせしてごめんなさい…」
「時間まだだし、全然待ってないよ。なんだか、やっぱりいつもよりも緊張しちゃうね」
全然緊張なんてして無いでしょう?!とツッコミを入れたくなる程、柔らかい笑みのまま、そう言ってくれるのは、せりかの緊張感を解いてくれようとしてるのだろう。そう思って苦笑すると「信じて無いでしょう?本当にすごく緊張してるから、多少の失敗は見逃してね」と笑みを消して真剣な表情で言って来た。
貴方はエスパーですか…といつも思いたくなる本庄は健在で、そう言われるとせりかも、いつもの調子が戻って来る。
「東京まで行くんでしょう?私はSUICAチャージしてあるから大丈夫だけど、本庄君は?」
「俺も大丈夫だよ。じゃあ、行こうか?」
二人で改札を通り、丁度滑り込んで来た電車に乗ると、休日の昼下がりで適当な混み具合でひとつだけ空いていた席に本庄がせりかを促して座らせた。
「別に二人で立ってても平気よ?そんなに乗らないでしょう?」
「今日は結構歩くから、休める所は休んで。それに速い分、揺れるから座ってて」
確かにいつもの通学の電車に比べると揺れるし、反対側の電車とすれ違う時には風圧でドンと衝撃も有った。吊革では無く上の金属部分を掴む本庄は、揺れも風圧にも堪えた様子は無かったが、吊革を掴んでいる人達は少し体を揺らしたのが見えた。なんだか自分だけ座っていると揺れて振られてしまった人達に悪い気がしてしまうが、休日で遊びに行く人達が多い所為か、そんな事は些事な様で、皆どこか楽しげに見える。
本庄の方に目を向けると、流れる景色を見て居たので、せりかは本庄を眺めた。少し茶色な髪は日光の光が当たって更に明るく見える。染めたりして居ないが、真綾も同じ色でいつも羨ましいと思ってしまう。せりかは手入れこそ怠らなくサラサラな髪を保っているが、見事に真っ黒だ。無い物ねだりだが、本庄達みたいに少し明るい色に憧れは有る。そして、夏は若干日焼けして居た肌も、今はかなり白い。こんなにじっくり観察出来る機会が今迄無かったが、結構男の人にしては色白な方だと思う。橘がぬける様な白さな為、一緒にいると健康的な印象だったのだが、比べる基準は既に女性の敵のような人なので論外だった。そうして、視線を下げて見えた涼しげな目元は、二重だが大き過ぎず、切れ長で理知的だ。通った鼻筋、うすい唇。全体的に品のある端正な顔立ちだと思う。それから、長く細い首と段々下に辿って行く。肩幅は背が高いからか、割と広い。胸元に目を向けると、「着いたよ」と声を掛けられて、手を差し出された。彼の手を掴んで立つと「顔に穴が空きそうだった」と本庄が笑いながら、視線をあわせた。どうやらせりかが、じっと見つめていたのに気が付いていたらしい。
数日前なら出来なかった事だが、今は、それをしても許される立場にいるという事実は、くすぐったいが、とても嬉しい。取られた手をそのままに階段を降りると、広い構内を出口の方に向かって歩く。人混みを避けるようにせりかを庇って半歩先を歩く本庄を見て、『玲人は大変だな』と思った。高校生の男の子で此処迄レディファーストが染みついた人は、滅多に居ない。少なくともせりか達の学校には居ない。真綾に至らないと思われて居るのでは無いかと玲人の事が心配になって来てしまった。
せりかが少しブルーな気持ちに成って居るのに気が付いてしまった様で、本庄は繋いだ手を離した。ちょっとびっくりしたので、「どうしたの?」とせりかが問うと、再び手を取って人混みを歩き出した。目当ての出口に辿りつくと、手を離しながら「もしかして不快にさせたかと思ってヒヤヒヤした」と手をひらひらさせたので、どうやら嫌だと誤解させてしまったらしい。そもそも嫌なら、手を差し出された時から、やんわり断ると思うのだが、しかし玲人の事を思ってブルーになっていたと迄は、このエスパーせんせいにも流石に読めないだろうと思った。
「玲人の事考えちゃって……それだけなの。不快だなんて、そんな事有り得ないから。変な誤解をさせてしまってごめんなさい」
「高坂と真綾の事が心配なの?真綾だって、彼は、彼だって分かってると思うよ。親族と同じ事を他人に望むのは、お門違いだって解ってるから心配しなくても大丈夫だよ」
「うん。そうだよね。玲人も優しいところは有るから、人混みを庇って前を歩いてくれたりはするけど、歩くのが早くて、付いて行くのが小走りになっちゃうのよね」
「お嬢さんにはそうでも、真綾には違うかもしれないよ?そう考えたら、ちょっとは妬けない?」
面白そうに本庄が言うのにせりかが首を振ると、本庄は少し意外そうな顔をした。
「私よりも真綾さんを大事にしてる玲人は、そう有るのが当然の姿だと思うわ」
「椎名さんはやっぱり考え方が大人だね。実際は真綾が小さいから追いつけなくて、高坂が直ぐに気付いてゆっくり歩いてくれる様になったらしいけど」
「そういえば、玲人と協定結んだんですってね。でも玲人も貴方が居ないと、少し寂しいらしいわよ」
そう言うと本庄は「高坂って変わってるね」と笑った。
劇場に着くと真ん中辺りの前列三番目というとても良い席で、せりかが驚くと、本庄は、付き合いの貰いものだからと言って買ったパンフレットをせりかに見せ、出演者や物語の内容を語り始めた。物語は、せりかも知っているくらい有名な映画にもなったもので、俳優陣もよくテレビにも出て来る人達で、舞台やミュージカルを主にやっている人達では無く、せりかにも楽しめそうな初心者向けのものを選んでくれた事が何と無く伺い知れた。彼らしい配慮だなとせりかは思いつつ、周りを見渡すと、男女の組み合わせが多く母の言っていた通り、皆とてもおしゃれをしていて、せりかなど全然地味な方だ。洋服は背伸びした分、アクセサリー類は一切して来なかったので、結構シンプルな仕上がりになった。服に合わせて軽く化粧はしたが、本当に軽めだ。周りはパールやら貴金属の音がじゃらじゃらと歩くと鳴りそうに見える人達が沢山いて少し驚いた。
「どうかした?」
きょろきょろと周りを見渡すせりかに本庄が話しかけて来た。
「何だか、周りのお客さん達も華やかだなと思って見てたの」
「ああ、今日はクリスマスが近いからかもね。普段はもっとカジュアルな雰囲気なんだけどね。でもバレエの公演とかは、今日よりも、もっとすごい事になってるよ。今度チケットが手に入ったら行って見る?それこそお客さん達見てるだけで楽しめるよ」
「もしかして、真綾さんがバレエを習ってたの?」
「うん。小学生くらい迄だけどね。俺も社交ダンスは真綾と一緒に嫌々だけど習ってたけどね」
「お蔭でシンデレラでお世話になったものね。バレエも機会があれば見てみたいけど」
「じゃあ、今度バレエのチケットが来たら、真綾達よりも俺に優先して貰おうかな」
「それは真綾さんに悪いんじゃないかしら?」
「一回くらいこちらに譲って貰っても平気だよ。流石に付き合わされる回数が多いと高坂も気の毒だしね。俺は嫌いじゃないけど、高坂はちょっと苦手じゃないかと思うんだよね」
「玲人もよく断らないものね。案外苦手じゃないのかもしれないわ」
「真綾が高坂が一回寝ちゃったんで、悪いから今度から綾人と行くって言ったら、苦手じゃないからって言われて、真綾も悩み処らしいけどね。女の子の友達と行くって言えば、高坂も無理しないのに真綾も気が付かないっていうか、高坂が何も気にしない性格だって思い込んでるっていうか。今迄は誤解させたままの方が都合がいいから放って置いたけど、そろそろ高坂に助け舟を出すかなと思ってたから」
「じゃあ、私が真綾さんに付き合わせて貰おうかしら?」
「それもいいかもね。でも一回甘い顔をすると、真綾とお嬢さんの取り合いになるから、どうしようかな…」
それから本庄が本当に真剣に悩み始めてしまったので、とりあえずは珍しさ見たさからなので、一度目は、本庄に連れて行って欲しいとせりかが言うと、「独特な世界だから二回見たいと思わないかもしれないしね」と納得した。しかし、この婚約者同士だった従兄妹達から、何故こんなに気に入られてしまったんだろうと過去の記憶を辿った。好きに成るのに理由は無くとも、切っ掛けになる事象はあった筈だと思うのだが…。
ほんの少し前の過去に思いを馳せている間にミュージカルが始まりを告げるベルが鳴り、辺りが暗くなった。
主人公の女の子が、修行の旅に出るところから始まり、様々な人達と出逢って、人情あり、友情あり、ほんのり恋愛ありといった盛り沢山な内容に、ところどころ綺麗な歌と軽快な踊りが混じる。空中浮遊のシーンもあり、せりかは驚いてしまったが、主人公は楽しそうに空を飛びながら伸びやかに歌い続けていて、プロの人の凄さに純粋に感動した。
文化祭で二回も劇をしたので見る方はこんなにゆったりと楽しく見られるが、演者の人達は裏でバタバタと大変なのだろうと思うと、今迄ミュージカルだけではなく演劇も殆んど見た事も無いのに、よく演劇で主役など出来たものだと過去の自分に呆れてしまった。怖いもの知らずとは怖ろしいものである。しかし、今日の様なプロの人達の演技など見てしまっていたら、気軽に出来ないかもしれなかったから、逆に良かったのかもしれないとも思った。
あっと言う間に一時間半程の物語は終盤で、帰りを待って居てくれたお母さんに、主人公が外の世界がどれ程すばらしかったのか語り、恋する人も出来て、その街に帰りたいと思う気持ちを察した母が娘に「いつでも会えるのだから」と言って恋人の元へ送り出してくれて、ハッピーエンドで皆で最後は踊り出す。少しだけ、急に歌い出したり踊りだしたりする事にせりかは違和感を持ったが、おおむね楽しく観賞出来た。
明るくなって横にいる本庄を見ると、向こうもせりかを見ていて、顔を見合わせる形に成ってしまうが、今迄非日常な世界観の中にいた所為か、あまり気まずくは無く、相手の顔を覗き込んでその眼の奥に自分が映っている事を確認してしまう。こんな日が来るなんて考えられなかった。何度も何度も夢では無いか確認したくなってしまう。しかし、ずっと覚めないなら夢でも良いかと微笑むと、彼の瞳に映るせりかと同じ様に、本庄もとても幸せそうに微笑んだ。流れる柔らかい空気に、ここで目が覚めないで欲しいと切実に思った。
「この辺りでお茶でもして行こうか?お薦めの所が有るんだけど、そこで良い?」
そう言われて手を伸ばされてから、本庄の手の体温に、これはまぎれも無く現実なのだと感じてほっとした。
「ええ。貴方のお墨付きなら間違いなさそうだものね」
「椎名さんは予想外な人だから、絶対大丈夫とは言い辛いけど、女の子向けなお店かな」
劇場からほど近いお店は、アリスのティーパーティを連想させる内装で、可愛らしいティポットとお揃いのカップで出て来る紅茶も香り高く、確かにとても素敵なお店だった。しかしせりかの趣味からすると、真宏の家の店の方が身びいきかもしれないが、カントリー調のやりすぎない自然な店構えで好きだなと思った。
本庄は、せりかの思う事が分かって居た様で「宮野の店と同じ系統じゃ芸がないでしょう?」と言って星型の砂糖をティカップの中にひとつ落した。
作り物の世界だと分かってはいても、うさぎの耳の付いたポットカバーに、ハートやクローバーの色付きのお砂糖や、格子柄の床に大きな額の鏡に彫られたトランプの紋様は見ていて楽しくなってくる。何より頼んだセイロンの茶葉が、質が良くてとても美味しい。せりかも真宏の店でバイトをする様になってから、コーヒーと紅茶に自然と嵌まってしまって、以前より少しうるさくなってしまっていた。母も同様らしく、コーヒーの挽いた豆や紅茶の茶葉を特別に購入させて貰っている。家でもそうなのだから、自ずと舌が肥えてしまう。それも良し悪しなのだが、普段の生活に潤いが出来たのも事実だ。
そんな話をかいつまんで本庄にすると「不味いものが気に成る様になるのだけが、悪いところなんだよね」と相槌を打った。
「そうなの。贅沢に慣れるんじゃないかって母と言っているのだけど、どうしても凝りだしちゃうのは、今は身近に有るからすごーくお手軽なのよね」
「バイトはいつまで続けるの?」
「多分、一月の中過ぎくらいだと思うわ。まーくんの腕が良く成る迄の約束だから。私、骨折した事が無いから分からないのだけど、若いから治りが早いだろうって病院の先生に言われてるみたい」
「折れ方にもよるけど、それなら割合綺麗に折れたみたいだね」
「骨の折れ方に綺麗とかそうじゃないって有るの?!」
「うん。複雑骨折とかって聞いた事無い?そういうのだとボルトで留めたり手術をしたり色々大変だよ。あと成長期だと変にくっつくと大変だから気を使うかな」
「そうか~。まーくんがそういうのじゃ無くて良かったわ。今だってお店に出られなくて辛そうなんだもの」
「宮野は、家業が好きだもんね。俺も時々、宮野と自分を比べて共感するところが有るよ。他人からはレールの敷かれた未来だって思われるかもしれないけど、嫌なら乗らない選択も有る訳だから、結局好きで俺達はレールの上を走ってるんだなって宮野を見ていると気付かされるよ。今よりも進化させて行きたいって思ってるのも、この間行った時に端々に感じられたしね」
何だかんだ言って二人が気が合うのは分かっていたが、真宏の事を誉められると今は一緒に働いているせりかも何だか嬉しくなって少し照れてしまった。
しかし、本庄はそれが気になった様でちょっとだけ目を細めた。思ったより焼き餅やきな面を見せる本庄にそう言うと、「椎名さん限定だけどね」とにっこりと毒のある微笑みを返された。……ヤダ、何だか空調を下げたんじゃないかと思う程、ゾクッとする。風邪の引き始め?とせりかが現実逃避で遠い目になると、本庄が「ごめんごめん」と謝って来た。
魔王様で耐性が付いて来ているのでは無いかと思っていたが、本庄の微笑みには、違う迫力があるなぁと思う。それとも受け取るせりかの気持ちの問題もあるのかと考えると、最初に会った時から飛び抜けて大人な雰囲気で在った本庄に対して、他の同級生と同じとはとても思えないのだろうという結論に行きついた。そういえば幾つか相談しようと思っていた事が有った事をそれで思い出した。
「あの相談が有るんだけど、良いかしら?」
「いいよ。なんでも!」
うわぁー甘い、甘過ぎるよー!プラス蕩けるような微笑みでそんなシロップ漬けのような返事を返されたら、居た堪れない。体がムズムズしそう。……でもそれが通り過ぎたら嬉し過ぎて自然と涙が一筋零れた。
「えっと泣かす様な事言ってないよね?」
流石の本庄も焦り気味にせりかの顔を覗き込む。せりかは「人間は嬉しくても泣く生き物なのよ?」と気恥かしさを隠しておどけると、本庄は、一瞬目を見開いて驚いた表情をしたが、「確かにそうだね」と落ち着いた声が返って来た。
「それで相談って何?」
「何個かあるんだけど、一番最初はクリスマスプレゼント、何か欲しいものって無い?」
「うーん。無いかな。一番欲しいものはもう手に入ったしね!」
真顔で言われると本当に恥しい。さっきからこの人私を早死にさせようとしてるんじゃと疑う位、心臓が持たない事を平然と言わないで欲しい。
「あの、そんなに高いものは買えないけど、ペアで時計を買いたいと思っているの。今年はバイト代が入るから考えられる贅沢なんだけどね」
「いいね!時計だったら学校でも出来るしね。じゃあお互いのを買うって事で良いのかな?」
「私がしたい事だから、着けてくれるだけで良いわ」
「へえ、そんな事言うなら、俺が二つ買ってプレゼントしちゃおうかな~?」
「それはズルイわよ!私が思い付いたんだからね!」
「じゃあ、お互いのをプレゼントで赦してよ」
「そうね。考えたらその方が、良いかもしれないわね。私も貰った時計の方が、してて嬉しいものね」
「じゃあ、これからは時計店巡りかな?それともネットとかで欲しいものを目星付けてるの?」
「一応、見て来たけど、貴方の趣味も有ると思って、これとは決めてないけど、二、三個候補は有るわ」
「じゃあ、それを中心に見てまわるとして、他の相談事って何?」
「学校で私達が付き合っている事はオープンにするか隠すべきか、どちらが良いのかと思って。橘君との事もあるし、クラスも持ち上がりだから顔触れも変わらないでしょう?」
「橘は既に若宮先輩と付き合ってるから、お嬢さんが悪く言われる事も無いとは思うけど、橘が何だかんだ言っていまだにお嬢さんにべったりだから、そこは微妙だよね。元彼と現在進行形の彼にいつも挟まれた状態じゃ、好奇心を持って見るなと言う方が無理があるよね」
「やっぱりそうよね。別に悪い事してる訳じゃないんだし、こそこそする事も無いかと思ったんだけど」
「うん。だけどあえて好奇の目に晒される必要もないよね。こう言っては何だけど、元々、俺達って結構一緒に居る事って多かったよね?橘も一緒だけど」
「そうね。でも橘君が私達と距離を置くかもしれないわよね?」
「ああ、それは無いよ。付き合い始めてからの、ここ二日位の事を思い出して見て?何も変化なんて無いどころか、俺の事を挑発して楽しんでる節さえあるんだから、今迄と変わり無いと思うよ」
「確かに今のところ変わって無いと思う。でも橘君に気を遣われたら、私も本庄君も嫌なの判ってるから、あえて、ああしてくれてるんじゃ無いかしら?」
どんなフィルター通したら、そんな好意的に見れるのかというのがせりかに対する本庄の感想だが、せりかからすれば真実そう見えるのだろう。そして確かにせりかに関しては間違って居ないが、本庄には悪魔の尻尾を隠そうともしない橘は、気を遣うどころか嬉々としてせりかの一番近い位置をキープし続けている。流石にあれを善意とだけとは本庄には捉えられないが、ここでそれを言うのはせりかに心証が悪いと判断して、せりかの見える真実を本庄も採用する事にした。
「じゃあ、学校では今迄通りで、付き合って居る事は言わない、出来るだけ知られない方向で…森崎さん達にも頼んで置いた方がいいね。橘はどうせ何も言わなくても、大丈夫だろうしね。ああ、高坂には言って置いた方が良いかな…」
「それで、美久達なんだけど、学校行ったら月曜日にすごーく冷かしてきそうなんだけど、どう対処したら良いと思う?」
「休み中に冷かしそうな人全員に、今、話合った理由から学校では極力内緒にしたいから、協力して欲しいというメールを打って置けば表だっては冷かせないよ。だけど人目が無いところの時は甘んじて受けて置いて、そうだな…逆にこっちが少し惚気るくらいな話をすれば、割と直ぐに無くなるんじゃないかな。それでも多少残るなら、今はとにかく友達も一緒に喜んでくれてるからだと思って、ある程度は受け入れる覚悟が必要かなとは思うんだけどね」
「そうね。みんなに心配掛けちゃったし、みんなも喜んでくれているんだものね」
「それに、此方側が受け入れちゃえば、相手も馬鹿馬鹿しくて虚しくなってくるから。反対なら付き合いきれないでしょう?」
「バカップルに長く関わって中てられる程、皆暇じゃないわよね。傾向と対策はばっちり分かったわ。流石ね!私、今迄貴方に色々相談して来たけど、それでもこんなしょうが無いような相談って流石に身内じゃ無いし出来なかったから、これから些細な事でも話せるんだなと思ったら嬉しくて。だから、貴方も困った助けに私が成れるかは、分からないけど、それでも色々つまらない事だと思っても話してくれないかなって思っているの」
「有難う。今迄と直ぐにはあまり変わらないんじゃ無いかと心配したんだけど、そうでも無いんで良かった。俺も今迄なら話さなかった些細な事も多分話す様になって行くし、既にそうなってると思う」
本庄には、それがとても嬉しく感じて、せりかもそう思ってくれている事にふわりと柔らかい幸せを感じた。
それから時計店を見て、一軒目で直ぐに二人が気に入るものが有ったのでお互いに綺麗にラッピングして貰い、相手と交換した。国内メーカーのシンプルなデザインのもので、せりかの方が文字盤が小さい以外は同じだが、一見するとお揃いと分かる人は、二人の関係を知る人だけだろうというものをあえて選んだ。何だか内緒のお揃いは少しの背徳感もあって二人で腕に着けると気恥かしさと嬉しさで時計の感触がくすぐったかった。
辺りも暗く成って来た頃、イルミネーションを見に行こうか?と本庄に連れられてきたのは渋谷の表参道だった。
「横浜も綺麗だけど、ちょっと見慣れた感は否めないでしょう?」
「そうね。でもこっちは慣れない分、大人の人達の街って感じがするわ」
「それは、住んでいる所が向こうの方が近いからそう思っちゃうだけだよ」
周りを見るとカップル以外にも、確かに買い物に訪れた高校生くらいの子達もチラホラ見えた。皆がけやきの樹のシャンパンゴールドに光るイルミネーションを眺めながら、通りをゆっくりと歩く。せりかも暖かい色の光の道に目を輝かせると、本庄も繋いだ手に目を向けてから、せりかを見て微笑んだ。お店ごとに可愛い飾りをしてあるところもあって、いつまでも眺めていても飽きない。それに隣を歩く本庄の機嫌の良い笑顔は学校では見た事が無い表情で、普段よりも年相応に彼を見せていて、それにも新鮮な驚きを覚えた。普段の彼が大人過ぎるだけなのだが、せりかは本庄も同じ年なのだと思うと今迄の様に頼るだけの関係ではいけないと感じた。背伸びでは無く、彼にも頼って貰える信頼を勝ち得たいと思った。
「そろそろ夕食にしない?」
「そうね。でも、どこも混んでそうよね」
クリスマス前の休日だけあってお店はどこも一杯に見えた。
「実はオープンしたての、感じの良さそうなお店に勝手にだけど予約入れちゃったんだけど、そこで良いかな?」
「うん。よく取れたわね」
「ネットで探しただけだけどね。クリスマス当日じゃ無いとはいえ、運が良かったよ」
そうして案内されたのは、ふぐ料理店だった。お店の前で驚くと、「海鮮好きだったよね」と言われ、頷くと「良かった!」とそのまませりかをお店の中に連れて入った。中にはお客さんが若い人ばかりで、少し意外な気がしたが、席に案内されると飲み物だけ聞かれてウーロン茶を頼んだが、後はコース料理らしい。ふぐ自体食べるのが初めてなのにコース料理ってちょっと想像が付かない。
てっさと言われるふぐのお刺身が薄く切られ色鮮やかなお皿が透けて見えて、こういうのテレビ番組で見た事ある!と妙な感動をして、おそるおそる紅葉おろしとポン酢につけて食べてみると、コリコリとして美味しい。
「うわー美味しいね!実は人生で初ふぐなんでびっくりしちゃった」
美味しいものって人を幸せにする力があるとせりかは思う。ふぐが気に入ったらしいせりかに、連れて来た本庄もホッとしながら箸をすすめる。
「気に入ってくれて良かった。初めて来るお店だし、オープン記念価格で値段も驚く程、手頃だったんで少し心配だったんだよね」
「本当?それを聞いて、たいぶ安心したかも。ふぐってとっても高級なイメージだったから」
入って来て若い人達が多かったのにも、何だか納得した。お店の立地やクリスマス時期からばかりじゃ無かったらしい。新しいものは、やはり若い人達のほうが飛び付きやすいと思う。
次にから揚げ、そして、てっちり(ふぐのお鍋)、雑炊に抹茶のアイスクリームと続いた。
なかでもてっちりの後の雑炊は、今迄食べたものの中で一番美味しいと思う程、美味だった。自分では絶対出来ないセレクトなので、連れて来てくれた本庄にとても感謝してしまった。伊達におぼっちゃんしてないなぁと思う。しかも見つけて来るお店もせりかが聞いても、安いと唸る値ごろ感で感心した。本庄がさっさと会計を済ませてから、「まさか初めてのデートで持たせてくれないって事はないよね?」と言われ、迫力に負けて「御馳走さま。とっても美味しかったわ」とせりかもお礼を言った。
「フレンチかイタリアンの方がいいか迷ったんだけど、少し捻りを利かせた方がお嬢さんには受けがいいかと思って」
何だか、こんな所まで読まれている。おしゃれな所が嫌いな訳では無いが、今日はそういう、いかにもという様な所は遠慮したかった。気分的な問題だが、それを分かってくれる本庄は、きっとせりかが思うよりも、うんとせりかの事を考えてくれたのだろう。
送ってくれる帰り道、本庄がちょっとだけ逡巡する素振りを見せたが、立ち止まってとても小さな箱をせりかに手渡した。せりかは、本庄がプレゼントを用意していない筈が無かったのだと渡されて妙に納得してしまった。彼が自分にどんなものを選んでくれたのかも興味が湧いた。でも既に腕時計を贈り合っているので、貰うのには、気持ちが躊躇してしまう。
「俺が贈った時計を毎日してくれるのが見れる誘惑のが勝ってしまって、最初から用意していたものは諦めようかとも思ったんだけど、でもやっぱり椎名さんのために選んだものだから貰ってくれる?」
相手はせりかよりも何枚も挌上の人でこちらが断れる隙間など少しも無い。こちらが断れる筈も無いくらい、せりかが羞恥から土に穴を掘って埋まりたく成る様な甘い言い訳をされると、素直に受け取ってしまうのが一番良いと判断した。それでも誘惑に負けたでは無く、誘惑のが勝ったと表現する本庄の言い方は、本庄らしく口が上手い。なんだかこんな細かい言い回しだけれど、相手に綺麗に聞こえる方を選択する彼が好きだと改めて思った。
「ありがとう。それと…私と付き合ってくれて本当にありがとう」
せりかが、そう言って微笑むと、本庄は片手を額にあてて「お嬢さんには絶対一生勝てる気がしない」とぼやいた。
家迄帰ると御両親に挨拶したいと言う本庄を、朝の遣り取りの件を話して止めた。
別れ際、いつでも連絡出来る関係になったのだからと思うと、名残惜しいが、確実に今迄と違う事の数々は、些細な事でも、とても嬉しくて幸せな事だと思う。せりかを、これだけ嬉しい気持ちにさせる彼にも、せりかが何か出来たらいいなという様な事を彼に言うと、「真剣に勘弁して!」と真面目な顔で言われてしまった。せりかも、今日のデートに浮かれてしまって、とんでもない事を口走ってしまった事に気が付いて、顔から火が出そうになる。ひんやりした本庄の手が伸びて来て、軽くせりかの頬に触れたのでドキリとしたが、本庄は軽く頬を引っ張って「高坂にまた怒られるよ?」と軽口を叩いてから、じゃあねと背中を向けた。見送るせりかに、一度振り返って早く家に入る様に言い、そうして帰って行ってしまった。
なんだかドキドキさせられ損な気持ちになったが、せりかも自分で何を期待したんだか…と少し落ち着いて来てから、心の中で自分自身に突っ込むと、暖かい家の中に入ってひと息着いた。
両親に帰宅の挨拶を済ませると部屋には玲人がいて、一気に気分が日常に引き戻された。本庄を小舅と呼べないくらい今日の事を細かく聞いてくる玲人に、気が済むまで答えると、プレゼントの中身が気に成って居る様で、ちらちらと置いてある机を見るので、可笑しくなってその場で開けて見せた。細いプラチナの鎖に、見た目にも質が良いと分かるが本当に小さなダイヤが一粒通された、華奢なネックレスに玲人と二人で息を吞んだ。
「これ高価いんじゃないのか?」
「安くは無いと思うけど、此方が気にする程は高いものは選ばないと思うわ。いくら良いものでもかなり小さいし、それに合わせてくさりも細いから玲人が思う程は高価じゃないわよ。確かに私達と少し金銭感覚が違うかもしれないけど、それは向こうも分かってて合わせようとはしてくれてる節があるから、大丈夫よ。違う環境で育って来て、感覚が違うのは当たり前のことだもの。玲人とみたいにピッタリ何もかも合うわけじゃ無いわ。心配してくれるのは分かるけど、そういうのって段々と分かり合える関係になっていくものだと思うから、次回からは玲人にも話さないからね?」
「なんだか、せりだけが急に大人になって行くみたいで、置いていかれそうな気がして不安になるんだよ」
「私達、これから二人とも大人になっていくのよ?でも大人になっても、例え将来、お互い結婚しても、子供が生まれたりしても、玲人はずっと幼馴染の親友よ。玲人と私の関係は、玲人が嫌がらない限りずっとこれからも続いて行くのよ。不安になる必要なんてないわ」
「そうだな。俺達、今迄ずっと一緒に来たけど、物理的に距離が離れたりしても、家族と同じ様にずっと繋がってるんだよな?それは恋人とも普通の友達とも違う、そういう特別な存在だってせりの事を思ってるから」
「ありがとう……玲人」
異性だけど恋人ではなくて、でもただの幼馴染や友達と呼ぶには近過ぎる玲人は、幼馴染の親友だと思う。
「あのさぁ、今なんかすっごく良い事言われた気になったけど、要は本庄と付き合うのに兄貴でも無いのに口出しするなって事だよな?」
「ばれたっ…。だって玲人、しつこいんだもん!お互い適切な距離が必要よねって話よ。私達は本庄君達のところとは違うのよ?親しき仲にも礼儀ありよ」
今日は今迄心配かけた分、玲人に折れたが、せりかはこの近過ぎる距離も是正しようと考えていた。今迄は兄弟、家族の距離だったのを親友の距離感にしたいと考えている。せりかがそう言うと玲人も珍しく反対せずに、せりかの意見を分かってくれた。ただ、どこまで実地で分ってくれるのかは、今の時点では未確定ではあるのだが………。
完
まだ番外編で続きますが、けじめでここで完とさせて頂きます。今迄有難うございました。