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せりかのアルバイトも三週間目に入り、随分慣れて来た。来たいと言った美久と弘美を呼んでもいいかもしれないとせりかは思った。
「ねえ、友達からお店に来たいって言われてるんだけど、迷惑にならないかしら?」
真宏に一応確認を取ると「全然OKだよ。森崎さんと斎賀さんからせりかちゃんが慣れたら行くって言われてるから」と返された。
「美久達、まーくんに直談判してたのね!文化祭のお茶とお菓子が美味しかったから、楽しみにしてるのよね~」
「多分、せりかちゃんの働いてる所を見たいんだよ。うちの学校で一組の子なんてバイトとは無縁でしょう?」
「それも有るのかもしれないわね。でも私、最近楽しくて!お客様も常連さんも多いから最近は声も掛けてくれるし、こちらがにこにこしてると、お客様も微笑んでくれるでしょう?なんだか接客業って素敵な仕事だなって思うわ。勿論トラブルだって今迄遭わないだけで、そういう事もあって大変だっていうのは分かっては、いるのよ?」
「うちはせりかちゃんと小母さんのお蔭でとても助けられてるから、せりかちゃんが楽しく働けてるって言ってくれると気持ちが楽になるよ。ありがとう」
「ううん。そんな事…。まーくんには最近、玲人がお世話かけてるでしょう?何か迷惑掛けてたら言ってね!」
せりかの家族の様な言葉に思わず真宏が笑うとせりかは言いにくそうに「あと、本庄君の事もごめんなさい」と付け加えた。
「いや、玲人君はいい奴過ぎで、何で今迄あまり関わらなかったのか不思議なくらい。俺の友達とも仲が良いし、よく三組にも来てたからね。……本庄も基本的には一緒に居ると俺だけクラスが違うから、さり気無く分かる話題に変えてくれたりして優しいよ。それに俺やせりかちゃんが説明して回らなくても良い様に橘がうまく誘導してくれてるから、三組でも一組でも変な気苦労も無くて助かってる。有り難い位みんな大人だし良い人達過ぎて、流石精鋭一組で生徒会役員だなって思うよ」
「そうなんだけど、たまに本庄君が何ていうか、変な事をいう時が有るでしょう?」
「せりかちゃんの彼氏みたいな感じで、近づくなオーラを出して会話の腰を折ったりする時は極まれに有るよね」
「何だか違和感を感じるかもしれないけど、私の所為なの。だから、本庄君を止める事は言いにくくて。ごめんなさい…」
「せりかちゃんの所為って、思わせぶりな態度で接してしまったとか?それなら俺の方がそういう事しちゃってるし、本庄にしても好きな子が急に昔馴染みと仲良く成られたんじゃ、気になるのは当然だから、あのくらいの牽制は可愛いものじゃ無いの?」
「本庄君は基本的にああいう事はする人では無いのよ。だからみんなも驚いちゃって黙っちゃうから余計に気まずくなっちゃうんだけど。それくらい珍しい事をする理由って、多分まーくんじゃ無くて逃げてる私に揺さぶりを掛けてるのよ」
「せりかちゃんに?!逃げてるって本庄から?せりかちゃんにとって本庄とはどんな関係なの?」
「告白したけど、振られた人で、諦め切れなかった人なのよ」
「!!……でも橘は?!」
「彼は親友で戦友。付き合ってくれて居たけど、橘君の彼女でいる努力が出来無く成る位、不実な恋人に彼の方は信じられないくらい良い彼氏で居てくれたわ」
「部活にかまけて捨てられたって言うのは嘘なの?!結構有名だよねー?」
「それは彼が私の為に作ってくれた話で、小さな切っ掛けで橘君との付き合いが辛くなってしまって、そうは言ってもおおもとは、春奈先輩みたいに釣り合わないのが原因だし、その上彼以外の人を諦め切れて無い状態じゃ、付き合いも続かないのは当然だったのよ」
「橘は、本庄の事が好きでもいいからっていう付き合いだったの?」
「そう。付き合い始めた前の日に本庄君に何度目かの失恋をしたばかりだったから。それに彼は、最初は練習で良いって言ったのよ。私は愚かにもそれに騙された。悪い意味じゃ無くて、彼が私の事を好きで付き合い始める訳では無いと勘違いさせられたの。元々玲人に守られ過ぎた所為で感覚がおかしい所が有るから練習で付き合おうって言われて、彼の方にも事情があって私の仮の彼氏になってくれても良いかなと思う理由は有ったの」
「本庄はせりかちゃんを断ってたんだよね?でも今は違うって事はあっちの気持ちに変化が有ったって事?」
「相手の気持ちは、はっきりとは分からないわ。でも付き合ってた子と別れて、婚約迄していたのに解消してしまった事を思うと、わたしが、しつこく想い続けているのを隠そうともしなかったから、本庄君が結果的に私に絆されてしまったの。そんなつもりなかったなんて綺麗事は言えないわ。だっていつも傍で彼女の事、羨ましくて仕方なかったんだもの」
「……高校生で婚約って流石お坊ちゃんだよな!驚くけど婚約者の人とは会った事が有るみたいだね?」
「同じクラスの更科真綾さん。真綾さんは、本庄君の従妹で婚約者で、でも付き合い始めは高校一年生の終わり位からで彼女は昔から本庄君が好きだったからとても幸せそうだったわ。私が彼を好きになったのはその後だから、告白なんて本当は図々しいし、相手が優しいのを良い事に傍に居てしまった所為で二人がおかしくなってしまったんだと思うんだけど、真綾さんには昔からの関係を断ち切れて却って感謝してるって言われちゃうし、これは内緒だけど今は玲人の彼女なのよ」
「玲人君の?!そういえば噂になったけど…。確かにあの時を思えば隠さなくちゃ駄目だよね。それで、せりかちゃんは何で本庄から逃げてるの?今迄聞いた範囲だと誰も傷付かないくらい、もう周りは変化しちゃってるよね。今でも好きなんだよね?」
せりかは真宏には、本庄の態度がおかしい理由をおおまかに話そうと思っただけなのに、彼が聞き上手なのと今迄の状況を知って居る美久達と違い、純粋な疑問を投げかけて来るので殆んどの事を話してしまっていた。
「……彼は私の事を誤解してるのよ。好きな人には良い部分しか見せたく無いと思ってしまった私も悪いけど、人を妬んだり憎んだりしない『聖女』の様な女だと思われてるのよ。そんな盛大な誤解した人と付き合えないでしょう?」
真宏に話して居て、今迄やっぱり真綾や橘に罪悪感が有るからとか他の色々な要素も有って拒んできたが、結局本音は幻滅されたくないだけかと自分で気付くと情けなくなって来てしまった。
「うーん聖女か…。それはちょっときついかもねー。何て言っていいか分からないけど壮大な思い込みにせりかちゃんがビビるのも当然かなと思う。それは応えづらいよ。反対に神の如く神々しく相手に見られたら、付き合い始めたらその誤解は直ぐに解けるとは思うけど、……なんかがっかりされそうで付き合えないかな」
今迄相談して来たのは細かい事は気にしない玲人だったので、せりかの本音を察してくれる真宏の意見は新鮮だった。橘だってせりかを誤解している人間だから、言ってもせりかが自信が無さ過ぎる所為だと諭されてしまう。
「でもね、せりかちゃんがひるんでしまうのは分かるけど、折角そんなに色々あっても諦められない位好きな人が自分に好意を向けてくれてるんだよ?奇跡のような物だと思わない?確かに其処まで思い入れが有る分相手からの失望は怖いのは分かるよ。でも普通の付き合いだってみんな誤解してる部分もあって付き合い始めてがっかりされたりって事は少なく無いんだよ。慰めに成って無いかもしれないけど付き合い始めの人達が思う不安とそんなには変わらないと思うよ。本庄だって聖女じゃない生身のせりかちゃんと付き合いたいんでしょう?付き合ってがっかりされてしまったら、俺もせりかちゃんの友達と一緒に慰めるし、怖がっていても、傷付けた人にも自分だけ傷付きたく無いって思うのは申し訳無くないかな?」
「今迄言われた事無かったし、そういう風に考えた事もなかったわ。私の周りって耳に痛い事を言ってくれる人が居なかったのかも」
「それは、踏み込まない主義の人が多いんじゃないの?賢い人程、色々な可能性が過ぎるから他人にアドバイスする時に決定的な事は言わないで、本人に考える余地を残す言い方をするでしょう?橘なんてその代表なんじゃないの?」
「…確かにそうかも。自由になってって言われたわ」
「やっぱり!もう少し背中を押してあげれば良いのに…。うまく行かなくたって良くなーい?世の中みんな悩んでるし、うまく行かない事だってあるよ。それこそあの完璧優等生の橘だってせりかちゃんから振られちゃったんでしょう?」
「それは、橘君に非があった訳じゃないし、今は私よりもお似合いの彼女もいるから!」
「今迄の話と橘とせりかちゃんの関係をみる限り、橘はこっちが見て居ても胸が痛くなる位せりかちゃんの事が好きだったんだなって分かる。今の彼女と比べられないかもしれないけど、何故かせりかちゃんの事を恩人みたく思ってる様に感じる。そうじゃ無ければ自分を振った彼女との距離がこんなに近いまま居られない気がするんだよね」
橘は、せりかを恩人だと思ってくれているのだろうか…。せりかからすると橘は間違いなく恩人なのだが…。憎まれてもいい筈なのに親友に戻ろうという最初の約束通りに、彼は優しい友人でいてくれる。
せりかが黙ると真宏は少し言い過ぎてしまったかと焦ってしまった。しかし、言った事はせりかや周りの優しい人達の為にすべき事柄だと思うので撤回したくなかった。
お店に着くと黙ってしまっていた事に気付いたせりかが思考の波から戻って詫びた。「どうなるか分からないけど、まーくんに言われた事はよく考えてみる。ありがとう」と言って更衣室に行ってしまった。取り敢えず踏み込み過ぎて言い過ぎた事は、せりかを不快にさせた訳では無い事が分かってホッとした。せりかは真宏の家の恩人だ。怒っても明日からもにこやかに働いてくれる事をこの短い付き合いからでも分かるので、出来るだけ気分良く、居心地良くを心掛けて来たのに、此処でフイにしてしまったかと思った。しかし、本庄や橘はせりかのそういう誠実さに惹かれたんじゃ無いかと思うのだが、聖女扱いは流石に引くだろうとせりかにばかり責められないなと思う。
可愛らしいエプロン姿で感じ良く接客してくれるせりかは、この仕事に向いている。しかし、受験を考えたら、なるべく早く怪我を直さなくては成らない。それは勿体無いと思うけれど、せりかにこの店での仕事を素敵だと褒められて、真宏は改めて自分のこれからの将来への道を誇らしく思った。
きっと二、三日の内にせりかの友達も来てくれる事も今から楽しみだった。本庄も誘ってせりかに切っ掛けを作ってあげられないか考えてしまい、それはせりかの意思に反するのかどうか迷い出したら笑顔のせりかが着替えてお店に出て来たので、それを見て少しお節介だが、やはり声を掛けて見ようかと思った。それで本庄の警戒心も解ければ一石二鳥だなと都合の良い事を考えた。




