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「…それで、橘は若宮先輩と付き合い始める事になったのか!それにしても、すごい騒ぎだね。うちの学年は橘の話題が一番盛り上がるネタだから仕方が無いけどね」
「本庄君も身も蓋も無い事言わないであげてよ。いくら橘君でもこれだけ騒がれれば、精神的にダメージ来てるでしょう。大丈夫?」
「いや、椎名さんに心配掛ける程じゃ無いよ。元々予想の範疇だけど、あっちが嬉々として皆の注目を浴びてるのが、少し割り切れないけどね」
少し苦笑しながらも、やはり疲れの見える橘を気の毒に思ってしまうが、せりかにでも予想出来た事なので、橘も腹は括って居る様だ。
学校一の美男美女カップルが、朝早くに一緒に登校したのを目にした者は、少ない。朝練をしているのはサッカー部位だからだが、その情報が流れるのにどうやったらこんなに早く知れ渡るんだろうと思う時間で噂は駆け抜けた。
事実であるし、春奈が周りの友人達に自慢しまくっていると言う所為もある。本庄も付き合いの経緯には少し驚いて見せただけで、反応が薄い様に思うが、せりかがそう思っただけで、本庄は心の中でかなり意外で、色々問い質したい気持ちで橘を眺めていた。
社会人彼氏と春奈がうまく行かなくても、橘が其処まで責任を感じる必要はあるんだろうか?しかも一緒にいる姿は数回は見ているが、見た目的には合うのかもしれないが、こんなに大騒ぎにもなって、橘は一体どういうつもりなのだろう?
佐々岡百合が、教室の奥の方の、橘達の近くまで寄ってきた。
「大丈夫―?!こっちも、結構な騒ぎになってるわよ。春奈は嬉しそうにしているから問題ないけど、こっちは流石に大変よね!」
「百合先輩、橘君の事心配して来て下さったんですか?こちらは皆、直接は聞き辛いのか、注目度だけ限り無く高くなってますよ」
「やっぱりね~。両方とも有名人だものね。うちの学年では、橘先輩の弟さんでもあるじゃ無い?私達の代はお兄さんのファンも多いから、橘君は、やっぱり似ているから入学当時から、かなり有名だったのよね。今は本人自身で知名度上げてるけどね」
「お兄さんとは、それほど似て無いと思いますけど?」
面影は無くも無いが、中身が違い過ぎて、一樹と橘が、そう似ていると思った事は無かった。
「私も生徒会で関わる様に成ってからは、似て無いって思うけど、せりかちゃん達には判らないだろうけど、黙ってると似て見えるのよ。近いと、醸し出す雰囲気がかなり違うけどね」
「もしかして春奈さんって兄のファンだったんですか?」
「ああ、そういう意味じゃ無いのよ。その時もう春奈は彼氏がいたし違うんだけど、周りにそういう子が多くて、ミーハーな話なんだけど、その子達が橘君に移行したのよ。節操ないでしょ!でもサッカー部も同じだし、生徒会長も同じく引き継いだから、重ねて見えても仕方が無い所もあるのよ。それで、その子達の中で、卒業前に記念告白しようとしていた子がかなり居て、春奈がこうやって牽制するのもその所為もあるから、あまり悪く思わないであげて」
本庄は納得した様で「先輩だと断るのに気を遣いますよね。特にフリーだと好みじゃ無いからとは言えませんよね」と納得顔だ。
「じゃあ、春奈さんが俺と付き合う事にしたのって、もしかして俺の為?!」
「まさか違うわよ!橘君だって春奈に同情だけで付き合い同意した訳じゃ無いんでしょう?ただ、ああいう性格だから、付き合う以上は変な虫は近寄らせないって言ってたから。春奈なりに一石二鳥を狙ってるのかもしれないけどね」
「今日、帰りに聞いてみますけど、自分に掛かる火の粉を、払い除けられないと思われてるなら心外だからって伝えて下さい…」
少し怒っている橘に、百合は「言い方間違っちゃったかな」と困った顔をした。本庄は教室の外まで見送りながら、『男は変なプライドが有るだけだから、先輩は気にしなくても大丈夫ですよ』とそっと囁いた。
一日中、周りに騒がれる割に、ちゃんと詳細を聞いて来たのは、クラスメイトとサッカー部の仲間だけだった。
両方とも春奈の元彼が社会人だったという事以外は、本当の事を話した。何故かというと、既に春奈が広めた内容は、そのままの内容だったので、齟齬が出ない様にしたのだ。
しかし、良く作られた話よりも、どんなに突飛だったにしても事実の持つ力は強いらしく、この納得出来ない様な話は、直ぐに理解された。クラスメイト等は、せりかが横に居たのであまり大きなリアクションは無く、「そうなんだ。やっぱり生徒会が、きっかけなんだね」と事実のみ口にして去っていったが、部活ではそうはいかない。せりりん同好会のメンバーは、橘がせりかと付き合っていた事を勿論知っているが、はっきりと振られた事も話していたので同情的だった。しかし、直ぐに年上の美女と、付き合い始めた事に文句を言い出したのだ。内容的には、別れて日があまり経って居ないのに不誠実では無いかという事と、もてる奴は良いよなぁと言う嫉みの混じるものだった。
「椎名さんは、もうすっかり友達に戻っているから、今日も騒がれてるのを心配してくれてた位だし、若宮先輩は、実際、何を考えて俺と付き合い始めたのか、まだ分からないから、良いなって羨ましがられても、取り敢えずは様子見なんだよね。相手は何せ、直で生徒会の先輩だった人だしね」
戸惑う様な橘の様子に、付き合いの経緯を聞けば無理からぬ事かと、文句を言っていた者も、微妙な顔つきで友人を心配そうに見る雰囲気に変わる。
玲人も、とても心配している一人だ。だが自分が擁護しなくても、橘は皆を自分の味方に、どうせ付けるし、春奈との事もどの位の付き合いに成るのかは分からないが、相手はともかく橘自身が自棄になっての付き合いでは、無いだろう。しかし、変に責任感を発揮する所もあるので、春奈が自分の所為で元彼と別れる事になった事で、多少の責任は感じているから応じた付き合いだろうと思っていた。いい加減な付き合いでは勿論ないだろうが、せりかの様な思い詰めた想いではやはり無いだろう。だからこそ、どう成って行くのか見当も付かない。
春奈と帰る約束をしているからと、図書室に迎えにいく橘を見送ったが、まだ戸惑いの色が見える橘に玲人は声を掛けようとして、やめた。自分の事を振り返っても成る様にしか成らないだろうと過ぎったからだ。
図書館はもう人も少なかったが、橘が現れて一瞬ざわついたが、彼の目の先の春奈を見て納得した様で、自然と視線を離してくれた。
遠目からにも長いストレートの豊かな髪と透き通る様な肌の色に整った顔立ちは、とても目を引いた。「春奈さん、もう帰れますか?」と声を掛けると、片付けを終えて、直ぐに立ち上がり頷いた。
無言で出て行くと、部屋を出てから、通り過ぎる人達が振り向く程、鮮やかな笑みを春奈が浮かべた。橘はとても驚いてしまうが、理由は迎えに来て貰ったのが嬉しかったらしい。
「こういう普通の事をしてみたかったのよ。相手が橘君以外だと悪いかなと思うけど、貴方とはお互い様だから気分的にとても楽で嬉しいわ」
橘はちょっと怪訝な顔をしてしまった。それが分かったようで春奈が言葉を続けた。
「この間、ファストフードのお店に貴方と入って思ったんだけど、店中の女の子が殆んど貴方を見ていたけど、貴方はそれに無頓着で、私と話し込んで居たでしょう?」
「今日の様な俺を認識した奴らからの視線に比べれば、見知らぬ人の目なんて、気に成りません。春奈さんだって、そうでしょう?」
「そうね。だけど、元彼は、気になってたみたい。三年位経っても慣れてくれなくて、春奈といると鬱陶しいって言われて、どんどん人目の有る場所に行かなく成ってしまって行ったの。だからあれ程の視線に堂々とする橘君の事、いいなって思ったわ」
「振られる前の話でしょう?順番がおかしく無いですか?!」
「順番は逆でも、自棄になって誰でもいいから貴方と付き合い出した訳じゃ無いって言いたかったの。ずっと前から想ってたっていう訳では勿論ないけどね」
「兄のファンだった人達からの牽制の為に、こんな時期に付き合う振りでもしてくれてるのかもとも、思いましたけど、貴女が俺の為に其処までしてくれる理由が無いから、多少の好意は有るのかなと思ってましたけど、本当に有ったんですね…」
「責任感じてるなら付き合ってって言ったら、本当に付き合ってくれた方に吃驚したわ!橘君て、せりかちゃん以外にそんなに良い人じゃ無いじゃ無い?」
「何だか的確過ぎて反論出来ません。でも、修学旅行の時に先輩は俺に付いてくれた時点で、話の分かる人だなとは思いましたけど、そんな理由での好意は今は失礼ですよね」
「ううん。橘君のお眼鏡に叶った理由は、その辺りしか無いものね」
やはり春奈は賢い女性だと橘は思う。こんな理由を他の女性に言ったら、かなりの確率で殴られているだろうと思う。結局こういう人だったから、自分の所為で彼氏に振られてしまった時、責任を取ってもいいかなと思ってしまったのだ。自棄になって居るのでは無いかと心配したからというのもあるが、それだけなら、別の道を選択しただろう。例えば明確では無くとも伊藤は春奈に好意を持っていると思う。だから彼氏と別れた事を話せば、自棄になった春奈を落ち着かせて、自分と付き合う様に仕向けるだろうと思った。春奈を好きだった伊藤に託すべきか、一瞬の迷いは実はあった。しかし、多分春奈も気が付いているだろう。その上で橘を望んだのだから、それに応えたいと思った。
「今日は部活の奴らに春奈さんと付き合うのは、せりりんと別れてから早過ぎて不誠実だって言われたんです」
「だって橘君が振られちゃったんでしょう?仕方が無いわよね。私とは無理矢理責任取らされた感じだし」
同情的ではあるが、きっぱりと振られた事実を言う春奈に少し笑ってしまった。
「はっきり言っておきますが、無理矢理では無いです。俺はあの時、違う選択肢は幾らでも有りましたし、春奈さんが言う通りそんなに良い人では無いですから」
「じゃあ、卒業までの期間限定とかじゃ無く、ちゃんと付き合ってくれるのね?」
「そんなつもりだったんですか?!」
「だって、そんなに好きでも無い私と環境が離れて迄、付き合いが続くのかっていったら、続かない可能性の方が高いでしょう?」
「受験が終わったら、色々な所に出掛けませんか?それから、俺と付き合いを続けるか話合いをしましょう。それと、こんな時期に付き合い始めたんですから、受験に失敗されたら俺が困ります。いくら勉強しながら待っていてくれても寒く成りますし、一緒に帰るのは三日に一回位にしましょう。朝は元々早く登校されてた様だから良いですけど」
「じゃあ、二回に一回くらいは、何処かに寄って行っても良い?この間みたいにファストフードでお茶しても良いし、女子だけでは入り辛くて行けなかったラーメン屋さんとか、一緒に行ってくれる?」
「良いですよ。先輩、学区は違うけど、同じ駅使ってますよね。家まで送りますから、少し位は遅くても大丈夫でしょう?」
「だって駅の反対側なのよ?すごく遠回りになるわ。部活で疲れてるのに悪いし、心配しなくても、これでも護身術はそれなりに身に付けてるから大丈夫なのよ!」
「じゃあ、帰りは先に帰ってて貰う事に成りますけど…」
橘がしれっとそう言うと、春奈は慌てて「送ってくれるなんて嬉しいわ」と取って付けた様に笑顔を引きつらせた。
そして反対側の出口に降り、春奈を家迄送り届けた。帰り道自体は、大きな人通りの多い道で橘も少し安心した。家の人に挨拶は流石に早過ぎるので家の前で別れた。




