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話をする時間を貰いたいと言ったのは、せりかの方なので、時間と場所は橘にお任せした。お任せするとは言ったけれど、橘君のおうちの前に着いた時には、『いきなりお家ってどうなんでしょうか?先生~!』と居ない本庄に向かって心の中で雄叫びをあげた。
嫌じゃなければ、うちに来て欲しいとメールを貰った時には、動転したが、色々と、人目を憚る話に成る事は確かなので、その配慮だろうとは思ったが、御家族だっていらっしゃるだろうし、(居なくても問題だけど)とっても緊張してきた。
一応手作りのアップルパイを多めに作って手土産にした。昨日はリンゴを煮たり、冷凍パイ生地を買ってきたりと急に忙しくなった。後は、たいして手間もなく、失敗もないので、簡単で持ち運びも楽な、せりかの一押しのお菓子だった。たまに学校で美久や弘美とも食べている。親には友達の家に、文化祭の打ち上げの打ちあわせに行って来ると伝えた。、本当の事を言って、橘だと分かったら、こっちに連れて来いと言われるのは間違いなかった。きっと玲人や玲人の小母さんまで来て落ち着いて話など出来ないだろう。
最寄り駅まで迎えに来てくれると言われたが、駅から近く、降りて右にずっと歩いて数分という、分かりやすい場所だったので、万が一分からない時は電話すると言う事にしてもらった。
橘の家は、白い三階建のお家で、玄関には綺麗な、名前は分からないが、色とりどりな花が咲いていて素敵だった。聞いた事は無かったが、きっとお母さんがガーデニングが趣味なのだろう。
少し、逡巡したが、約束の時間も来ていたので、観念してインターフォンを押した。
すぐドアを開けてくれたが、お母さんが、出て行こうとしているを止めている橘の声が聞こえて中々、出てこない。流石に諦めたのか二人で出て来ていらっしゃいと迎えてくれたけど、それまでの攻防戦が聞こえてきていたので、微妙な笑顔に成ってしまって、二人にも伝わってしまった様で、二人ともお恥ずかしいところをお見せしてと恐縮されてしまった。せりかは学校とは全然違う橘を見れてここに来た理由も忘れて、心の中で、美久や、玲人にも見せたい!かわいい~!と思ってしまった。お母さんも思った通り、予想を裏切らない、美女である。せりかの母と同じ位の歳とは到底思えなかった。しかし、見かけは相当美女なのだが、中身が気の良いおばちゃんで、どんどん話し掛けて来てくれる。
通されたリビングで、お土産のアップルパイを、とても喜んでくれて小さく切ったのを口に早々と入れて、「おいしい、林檎、紅玉でしょう?この酸味がいいのよね!」と褒めてくれた。とても気さくなお母さんで安心した。下のリビングで声がしたからか、階段から誰か、降りてきた。それを見て橘は眉を顰めた。
「おっ!!シンデレラちゃんじゃん。俺、忍の兄で、一樹です。よろしくね♪」
「椎名せりかです。よろしくお願いします。今日は、お邪魔してしまってすみません」
「イヤイヤ、来てくれてありがとうね。昨日のシンデレラ良かったよ~!超かわいかった。途中から忍見るの忘れちゃったもん」
「見て下さったんですね。お恥ずかしいです」
「俺もあの高校出身だから、後輩から弟が主役やるって聞いたから飛んでいったんだよね。こいつ全然、言わないからさ」
橘は、その言葉に苦笑いを浮かべただけで何も言わなかった。男の子がお家で王子様をやる事を自慢するのは、幼稚園迄の話だろうと思う。正直にいえば、せりかも親にシンデレラは観に来て欲しく無かった。せりかも橘の兄の不平の言葉には、微笑を返しただけだった。
お兄さんは、これから、出掛けるらしく、お母さんに私のアップルパイをラップで包んで貰っていた。
「これ、アップルパイのお礼にあげる。友達がバイトしてて、貰ったんだけどね。良かったら、忍と行ってやって?」
そう言って、八景島シーパラダイスの券を二枚くれた。結構高いものなので、遠慮しようとしたが、橘君と行くのを嫌がっている様にも取られてしまうので、笑顔でお礼を言って頂いた。
お母さんがアップルパイと紅茶を御持たせですが、と言ってお盆に載せてくれた。どうやら、これから橘くんの部屋に案内されるらしい。
お盆は、橘君が持って、三階だからと言い、先を歩いていった。小母さんに軽く頭を下げると、「ゆっくりしていってね」とにっこりと言ってくれた。
橘君の部屋は、雰囲気が、驚くほど玲人の部屋と似ていた。サッカー関連の雑誌が積まれていて、本棚には参考書がびっしりでボールがネットでつるされている。六畳程の部屋に、ロフトが付いていた。
小さなテーブルが置かれていてそこに橘は、お盆を降ろして、手際良く、せりかの前に紅茶とパイを置いた。自分のも置き終えると、ふぅーと息を吐いた。どうやら緊張しているらしい。
「アップルパイありがとう。気を使わせてしまってごめんね。俺も気が付かなくて…母と兄も無遠慮で、なんかいろいろとごめんね」
「ううん。全然そんな事ないよ。お母さん、すっごい美人なんで驚いちゃったよ。気さくな感じで大分ほっとしたけどお兄さんも優しそう。シーパラの券ホントに貰っちゃっていいのかな?」
「貰い物なんだから気にしなくていいよ。押し付けていった様なものだし、紅茶冷めるからどうぞ。俺もアップルパイも頂くね」
「うん。じゃあ頂きます」
「この紅茶アッサム?美味しい!茶葉凝ってるんだね~」
「母は、そういうの好きみたいだね。アップルパイも美味しいね」
「ありがとう。そんなに手間掛かったものじゃないから、あまり褒められると恥かしいんだ。パイは冷凍のでホントに簡単なの」
「今日は、こっちまで来てもらってごめんね。他に思い付かなくて、なんだかその所為でいろいろ手間掛けさせちゃったね」
「そんな事ないよ。少し緊張したけど、こっちから時間作って貰ったんだし、謝らないで。私が、橘くんに謝りにきたのに…」
「何を謝るの?劇の事なら、どちらかと言えば俺が、謝るべきだと思うけど。普通は男の方が、謝るものじゃないの?」
「そんな事ないよ。ホントにこめんなさい。男の人だってそんなに軽いものじゃないと思うの。あの…もしかして、初めてかもしれないし…やっぱり大事にしたいものじゃないかと思うんだよね。それが、あんな事故じゃ、申し訳なくて」
「椎名さんには、俺は、随分女の子に慣れて無いように見えるんだね」
「ごめんね。失礼な心配だよね。でもずっとサッカーやって来て、勉強その後、頑張ったって言ってたから、彼女とか居なかったかなーとか勝手に思っちゃってごめんなさい。高校でも時間が無いからって言って断ってるじゃない?」
「…よく知ってるね。理由まで」
「引かないで聞いて貰いたいんだけど、告白してくるっ子って全員違うクラスの子でしょう?だから、うちのクラスの子は結構、橘君情報の提供を求められるのね。みんな、答えないで適当に流してたんだけど、五組で独占する気?!とか訳分からない方向に行きそうになって、みんなで個人情報を悪いとは思ったんだけど、知ってる範囲の事は答えるようにする様になったのね。一学期の初め辺りから。そうすると逆に聞いてないんだけど、その前にいろいろと聞いて来てた子が、振られちゃったって言ってくるのよね。報告みたいな感じなのかな?本人からすれば」
「……………」
「ごめん。びっくりするよね。こんな話。でも、みんなの事責めないで貰いたいの。一緒のクラスの子は、橘君がそういう事嫌がりそうだって分かってるから、出来るだけ話さないようにしてたんだけどね。最初はホントに知らないし、知ってる事でも知らないで通してたんだけど、段々、それで通らなくなるでしょう?みんなが私のところに相談に来て、話し合ううちに、最終的に話して害に成らない事は話して、住所とかケータイとかメールアドレスみたいな困る物は、自分達も知らないで全員通す事に決めたのね。最後に橘君に知らせるかは意見が割れたんだけど、気分が悪くなるから自分だったら知りたく無いってひとが多くて知らせない事になったの。知らない方が幸せって事もあるよとか、みんな真剣に考えた結果なの。今、私が言っちゃうのもどうなのかな?と思うけど、直接聞かれた場合は、黙ってると裏切られたっていうか、話してくれたらいいのにってきっと思うと思うから、聞かれたら話すっていうのも決まってた事なの」
「ごめん。みんなに謝れるものなら謝りたい!!なんだかうちのクラスの女子ってさっぱりしてて気のいい子が多いと思ってたけど、気の所為じゃなかったんだな。そんなに迷惑掛けてたなんて知らなかったよ…なんか俺、歩く人災みたいだよな…」
「違う違う!!ホントにみんなは、橘君の事もクラスのみんなも大好きなの!女子とかは、却って結束固まったし、男子もいい人多いから三年間このクラスだといいのにって言ってて、どっちかっていうと雨降って地固まるっていう感じで、今はみんな慣れもあってそんなに大変な事は無いんだけど、黙ってるのが少し辛くなってきたから、話せて良かったかもって位のもので。ペラペラ話してたって橘君に誤解されちゃったらどうしようって思ってる子も多いからね。話した方がいいっていう意見の子はそういう意見の子が多かったの。だから、橘君さえ、気を悪くしないでくれたら、誰も迷惑なんて思ってないよ」
「そっか。…有難う。今度みんなにもお礼言っとく」
「みんなすごくいい子で嬉しくなっちゃうよね!今度の文化祭でも思ったけど、力の出し惜しみしないで協力してくれるし、色々、判断早いし、ワルツ踊らなくちゃならなくなった時も誰も不平不満を言わなかったのには感心したけど。でもあれは橘君のお蔭なんだよ。王子様役、一瞬も嫌な顔見せずに引き受けてくれたでしょう?そうしたら他の人達もみんな見習わなくちゃって空気になって、やれる限りの事をやるのは当たり前になったら、劇もすごくうまく行って最優秀賞まで取れたじゃない?なんだかんだ言っても橘君がみんなを引っ張って行ってくれてるんだよ。うちのクラスは」
「そんなに褒めてくれても、椎名さんは俺の事は対象外なんだよね?やっぱり玲人がいるからなのかな」
「そんな事ないよ。入学してから今迄、橘くんの事ずっと好きだったんだもの。カチューシャの告白は嬉しかったんだけど付き合うってなると今迄、付き合った人いないし、急に怖気づくっていうか、それに橘くんとってなるとやっぱり嫉妬みたいのもあると思うし、それはちょっと遠慮したい部分も正直あるんだよね。まして告白されたのなんて初めてだから、パニくっちゃって自分でもどうしていいか分からなくて」
「今迄、告白された事ないの?本当に?!」
「うん。橘君位もてると何回もあると思うけど、普通はそんなに無いんじゃないのかな?」
せりかの事を気に入っている部活の先輩も少なくない。いつも玲人と、のらりくらりとかわしているが、紹介しろと暗に言われているのは間違いない。そのせりかが、今迄に誰からも告白を受けた事が無いというのはどうにも不自然で、なんらかの力が働いていたのを感じられる。いわずもがなでは有るが、玲人が邪魔していたんだろうと思った。しかし、其処まで大事にしているせりかをフリーにさせておいて平気なのものだろうか?実際自分や本庄など、比較的親しくする異性が出来てきている。もしも、せりかが玲人の彼女だったら、もちろん告白など出来ないし、友達としてももう少し距離を開けた関係になるだろうと思う。彼氏に誤解を与える行動は出来ないだろと思われた。せりかは、自分といる事によっての弊害と自分の経験の無さをが、付き合う事の壁の様にいうが、聞いてみると一番の壁は自分の友人でもある玲人の存在だと思った。今迄もなにも考えなかった訳ではないが、この瞬間に確信に変わった。
「あのさー、今の話は、俺が椎名さんの事を思う程は、思われてないけど、好意は存在してて、でも付き合うと周りに色々変に思われたりするのが嫌で、それで初心者だし、抵抗あるって事だよね?纏めると」
「ごめんなさい。あんまりな感じだけどその通りです…」
「じゃあ、学校では一応、内緒にして、付き合いもそんなに気を張らなくていいから、少し休日出かけたり、それも毎週とかじゃなくていいから。それからメールとか電話とか用事なくてもしても良かったりとかその辺の事でいいから、付き合って貰いたいんだけど。玲人と仲がいいのも今更、ヤキモチ焼いたりしないし…」
ここ迄、譲歩されて断れる人なんているんだろうか?隣を歩く苦行問題が残っているが、それは有る程度問題ないと本庄に言われてから少し気にし過ぎかと考えを改めた。どう、答えていいものか悩んで、黙っていると断り辛いのかと心配気な顔で覗きこむ橘の顔が見えた。こんな時でもこちらが気まずくないかを一番に考えてくれる橘に少しは応えたいと思う。
「とりあえず、お兄さんから貰ったシーパラの券で、水族館に行ってみない?私もずっと一緒にいたら、橘くんが思ってくれているような人間じゃないかもしれないし、色々と思い違いもあるかもだし、気が合わない所もでてくるかもしれないじゃない?とりあえず、一回お試しでお出かけしてみる事にしない?お兄さんの好意も活かせるわけだし」
せりかが、そういうと橘は、ぱぁーと顔を明るくさせた。概ね、橘の思った通りになった。付き合ってもらっても、一緒に出掛けて合わなければ、振られてしまう事だってあり得ることだったら、出掛ける機会と考えて貰える余地が残れば結果としては上々だった。




