奴隷オークションに出されたエルフの私ですが、牢屋の隅にいた美少年が王国最強の魔術師でした
「お前はここに入ってろ!」
――ドンッ!
「きゃっ!」
背中を乱暴に押され、私は冷たい石床に倒れ込んだ。
慌てて振り返ると、男が鉄格子の扉を閉めるところだった。
――ガシャン!
「おとなしくしてろよ。明日には高く売ってやるからな。」
「ま、待ってください! お願いです! ここから出してください!」
「うるせえ! 黙ってろ!」
男は吐き捨てるように言うと、そのまま立ち去ってしまった。
「そんな……。」
私は鉄格子にしがみついた。
けれど、遠ざかっていく足音が戻ってくることはなかった。
……どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
私の名前はフィーナ。
生まれてからずっと、深い森の中で暮らしてきたエルフの少女だ。
私たちの森は、木々の間から柔らかな日差しが差し込み、澄んだ小川が流れる美しい場所だった。季節ごとに色とりどりの花が咲き、森の仲間たちと穏やかな毎日を過ごしていた。
そんな私には、幼い頃から憧れていたものがある。
森の外の世界だ。
人間たちが暮らす大きな街。賑やかな市場。見たこともない建物や、美味しい料理。
そして、どこまでも水が続いているという海。
森を訪れる旅人から外の世界の話を聞くたびに、私は胸を躍らせていた。
いつか、自分の目で見てみたい。
その夢を叶えるため、私はついに森を出ることにしたのだ。
もちろん、お父さんもお母さんも心配していた。
人間の中には、エルフを珍しい商品として扱う悪い者もいる。だから、決して知らない人を簡単に信用してはいけないと、何度も言い聞かされた。
私は大丈夫だと答えた。
知らない世界を見たいという気持ちの方が、ずっと強かったから。
それなのに。
森を出て間もなく、私は奴隷商人に捕まってしまった。
道に迷っていた私に、親切そうな男が声をかけてきたのだ。街まで案内してくれるという言葉を信じ、渡された飲み物を口にしたところまでは覚えている。
次に目を覚ましたときには、両手に鎖をかけられていた。
そして、ここへ連れてこられたのだ。
……私、なんて馬鹿だったんだろう。
お父さんとお母さんの言うことを、ちゃんと聞いていればよかった。
森から出なければよかった。
私はその場に座り込み、膝を抱えた。
涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
明日には売られると言っていた。
売られたら、どうなるんだろう。
もう二度と森には帰れないのかな。
そう考えると、怖くてたまらなかった。
しばらくして、私はようやく周囲に目を向けた。
薄暗い牢屋の中には、私と同じように鎖をかけられた少女たちが何人もいた。
泣いている子。虚ろな目で床を見つめている子。誰もが絶望したような表情を浮かべていた。
そのとき、小さな泣き声が聞こえてきた。
「……お母さん……。」
見ると、私よりずっと幼い女の子が、牢屋の隅で膝を抱えていた。
まだ十歳にもなっていないように見える。
私は迷った末、その子の隣に腰を下ろした。
「……大丈夫?」
女の子が顔を上げる。
「お母さんに……会いたい……。」
「……うん。そうだよね。」
私だって、お父さんとお母さんに会いたい。
怖くて、今にも泣き出しそうだった。
それでも、私は女の子の手をそっと握った。
「きっと、また会えるよ。」
「……本当?」
「……うん。」
自分でも、そんな保証はどこにもないと分かっていた。
それでも、何も言わずにはいられなかった。
女の子は私の手を握り返すと、少しだけ泣き止んでくれた。
その様子を見て、私はほっと息をついた。
すると、不意に視線を感じた。
顔を上げると、少し離れた場所に一人の少年が座っていた。
銀色の柔らかな髪。
透き通るような白い肌。
長い睫毛に縁取られた、綺麗な青い瞳。
女の子と見間違えてしまいそうなほど、美しい顔立ちだった。
年齢は私と同じくらいだろうか。
少年も両手を鎖で繋がれていたけれど、不思議なくらい落ち着いた表情をしていた。
私と目が合うと、少年は小さく微笑んだ。
「……優しいんだね。」
「えっ?」
「その子のこと。」
「あ……。」
私は隣の女の子を見た。
「だって、泣いていたから……。」
「うん。」
少年は穏やかに頷いた。
「君だって怖いだろうに。」
その言葉を聞いた途端、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
……そうだ。
私だって、怖い。
怖くて、怖くて、仕方がない。
でも、そんなことを言ったら、また泣いてしまいそうだった。
私は俯いた。
すると、少年が優しく声をかけてくれた。
「……大丈夫?」
「……うん。」
「怪我はしてない?」
「うん。大丈夫。」
「そう。よかった。」
少年は、それ以上何も聞かなかった。
ただ、静かに微笑んでくれた。
どうしてだろう。
たったそれだけのことなのに、少しだけ安心してしまった。
私は迷った末、少年の近くへ移動した。
「あの……隣に座ってもいい?」
「うん。いいよ。」
少年は少しだけ身体をずらしてくれた。
私はその隣に腰を下ろした。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
けれど、不思議と気まずくはなかった。
「そういえば、君の名前は?」
「フィーナ。」
「フィーナか。いい名前だね。」
「……ありがとう。」
名前を褒められて、少し照れくさくなった。
「あなたの名前は?」
「僕の名前は……そうだな。もう少ししたら教えるよ。」
「……どうして?」
「ちょっと事情があってね。」
少年は困ったように笑った。
不思議な人だと思ったけれど、無理に聞くのも悪い気がして、それ以上は尋ねなかった。
「……ねえ。」
「何?」
「あなたも、捕まっちゃったの?」
「うん。そんなところかな。」
「そうなんだ……。」
少年は、それ以上何も言わなかった。
私も、どう話を続ければいいのか分からなかった。
それでも、隣に誰かがいてくれるだけで、少し心が落ち着いた。
「……私ね、今日、初めて森の外に出たの。」
「森の外?」
「うん。私、エルフだから。ずっと森で暮らしていたんだ。」
「そうなんだ。」
「森の外には、大きな街があるんでしょう? それに、海とか、お城とか、見たこともないものがたくさんあるって聞いたの。」
「うん。たくさんあるよ。」
「本当?」
「本当だよ。」
少年が頷いた。
私は、少しだけ身を乗り出した。
「海って、本当にどこまでも水が続いているの?」
「うん。水平線まで、ずっとね。」
「すごい……。」
「夕日も綺麗だよ。海が一面、金色になるんだ。」
「……見てみたい。」
思わず呟いた。
けれど、すぐに現実を思い出してしまった。
「……でも、もう見られないのかな。」
私は膝を抱え直した。
「私、楽しみだったんだ。知らない場所に行って、いろんなものを見て、いろんな人とお話しするのが。」
「うん。」
「それなのに、森を出た途端に捕まっちゃって……。」
声が震えた。
「お父さんとお母さんにも、心配をかけちゃった。きっと今頃、私のことを探してると思う……。」
「……うん。」
「私、森から出なければよかったのかな。」
少年は何も答えなかった。
ただ、静かに私の話を聞いてくれている。
慰めるわけでも、無理に励ますわけでもない。私が言葉に詰まれば、続きを待ってくれた。
それが、なんだか嬉しかった。
さっきまで胸の奥を押し潰していた苦しさが、少しずつ和らいでいく。
誰かに話を聞いてもらうだけで、こんなにも心が軽くなるなんて。
私は、少し驚いていた。
「……ごめんなさい。」
「どうして謝るの?」
「だって、私ばっかり話しちゃって。つまらないでしょう?」
「そんなことないよ。」
少年は穏やかに微笑んだ。
「もっと聞かせて。君が見てみたかった世界のこと。」
「……いいの?」
「うん。」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「じゃあね、私、大きな街の市場にも行ってみたいの!」
「市場?」
「うん! いろんなお店が並んでいて、美味しいものがたくさん売っているんでしょう?」
「そうだね。焼きたてのパンとか、甘いお菓子とか。」
「甘いお菓子!」
思わず声が大きくなってしまった。
慌てて口を押さえると、少年がくすっと笑った。
私も、つられて笑ってしまった。
……あれ?
私、笑ってる。
ついさっきまで、もう二度と笑えないんじゃないかと思っていたのに。
この少年と話していると、森を出る前の、わくわくした気持ちを思い出せる。
私は、そのことが嬉しかった。
やがて、少年が私に尋ねた。
「フィーナは、やっぱり外の世界を見てみたい?」
「……うん。」
私は少し考えてから頷いた。
「怖いけど……でも、やっぱり見てみたい。」
「そっか。」
少年は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、きっと見られるよ。」
「……本当?」
「うん。」
「でも、私たち、明日には売られちゃうんでしょう?」
少年は少しだけ考えるような表情をした。
そして、静かに答えた。
「大丈夫。もうすぐ、みんな帰れると思うから。」
「……どうして?」
「そうだなあ……。」
少年は困ったように微笑んだ。
「今は、まだ秘密かな。」
「……秘密?」
「うん。」
私は首を傾げた。
どうして、そんなことが言えるんだろう。
私たちは、こんなところに閉じ込められているのに。
けれど、少年の青い瞳には、不思議なほど確かな光が宿っていた。
その表情を見ていると、ほんの少しだけ、また希望を持ってもいいような気がした。
◇
翌日。
私たちは奴隷商人たちに連れられ、牢屋を出された。
長い廊下を歩かされ、重い扉の前に並ばされる。
扉の向こうからは、大勢の人の声が聞こえていた。
「いいか! 余計なことをするなよ! おとなしくしていれば、痛い目には遭わずに済むからな!」
男が怒鳴った。
私は震える手を握り締めた。
……怖い。
昨日、少年と話している間は忘れられた恐怖が、再び胸の奥に広がっていく。
隣を見ると、あの少年がいた。
昨日と同じように、落ち着いた表情をしている。
目が合うと、少年は小さく微笑んだ。
「大丈夫。」
「……え?」
「きっと、大丈夫だよ。」
どうして、そんなことが言えるんだろう。
私たちは、これから売られてしまうのに。
それでも、少年の声を聞くと、少しだけ呼吸が楽になった。
私は小さく頷いた。
やがて、扉が開かれた。
眩しい光が差し込んでくる。
その先には、大きな舞台があった。
舞台の向こうには、豪華な衣装を着た人たちが大勢座っている。
貴族たちだ。
誰もが、私たちを品定めするような目で見つめていた。
……嫌だ。
背筋が冷たくなった。
「さあ、皆様! 本日も素晴らしい商品を取りそろえております!」
舞台の中央で、派手な服を着た男が声を張り上げた。
「なお、落札された商品の引き渡しは、すべての競売が終了した後となります。それでは、最初の商品からご紹介いたしましょう!」
一人の少女が前へ押し出された。
少女は怯えた表情で客席を見つめている。
「銀貨五十枚!」
「金貨一枚!」
「金貨二枚!」
次々と声が上がる。
少女は、金貨三枚で落札された。
客席から拍手が起こった。
……嘘。
人が、物みたいに売られている。
分かっていたはずなのに、実際に目の前で起きていることが信じられなかった。
次の少女も、その次の少女も、次々と競り落とされていく。
泣いても、助けを求めても、誰も気に留めない。
やがて、私の番が来た。
「さあ、皆様! 続いては本日の目玉商品でございます!」
男が私の肩を掴み、舞台の中央へ押し出した。
「なんと、こちらは希少なエルフの少女! 美しい金色の髪に、透き通るような緑の瞳! これほどの商品は、滅多にお目にかかれません!」
客席がざわめいた。
「ほう……エルフか。」
「これは珍しい。」
「なかなか可愛らしいではないか。」
いくつもの視線が私に集まる。
私は思わず俯いた。
……見ないで。
お願いだから、そんな目で見ないで。
「それでは、金貨十枚から!」
「十五枚!」
「二十枚!」
「三十枚!」
金額が、どんどん上がっていく。
私は震えていた。
誰かが金額を口にするたびに、自分の未来が遠ざかっていくような気がした。
そして――。
「金貨百枚。」
客席の奥から、低い声が響いた。
そこには、太った中年の貴族が座っていた。
派手な宝石を身につけ、私を見ながら嫌な笑みを浮かべている。
「ふふふ。エルフの娘か。これは楽しみだ。」
全身に寒気が走った。
……嫌。
あの人だけは、嫌だ。
「金貨百枚! ほかにいらっしゃいませんか!」
誰も声を上げなかった。
「それでは、落札でございます!」
――カンッ!
木槌の音が響いた。
私は、その場に立ち尽くした。
……終わった。
私、あの人に買われちゃったんだ。
もう、森には帰れない。
お父さんにも、お母さんにも会えない。
海を見ることも、大きな街を歩くことも、きっとできない。
昨日、少年に話した夢が、次々と頭に浮かんだ。
あんなに楽しみにしていたのに。
どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
涙が頬を伝った。
そのとき、ふと視線を感じた。
舞台の袖に立つ、あの少年だった。
目が合うと、少年は小さく頷いた。
まるで、心配しなくてもいいと言っているように。
……どうして?
私、もう売られちゃったんだよ?
それなのに、彼の青い瞳には、少しも諦めの色がなかった。
◇
「さて、皆様! 本日最後の商品でございます!」
司会の男が声を張り上げた。
私は顔を上げた。
舞台へ連れてこられたのは、あの少年だった。
銀色の柔らかな髪に、綺麗な青い瞳。
昨日、牢屋の隅で私の話を静かに聞いてくれた少年だ。
彼は両手を鎖で繋がれたまま、落ち着いた様子で舞台の中央に立っていた。
「こちらも大変珍しい、美しい少年でございます! この容姿であれば、どのようなお屋敷でも重宝されることでしょう!」
客席から感嘆の声が上がる。
「ほう、これは見事だ。」
「まるで人形のようではないか。」
けれど、少年はそんな声など気にも留めず、静かに客席を見渡していた。
……どうして、そんなに落ち着いていられるの?
これから売られてしまうというのに、彼の表情には少しも恐怖が見られなかった。
やがて、少年は小さく頷いた。
「……これで全員かな。」
「ん? 何か言ったか?」
司会の男が眉をひそめる。
「うん。もう十分だよ。」
「何が十分だ! お前は黙って――」
――バキンッ!
突然、乾いた音が響いた。
少年の両手を繋いでいた鎖が、粉々に砕け散ったのだ。
「なっ……!?」
司会の男が驚いて後ずさる。
「き、貴様! 何をした!」
「証拠はそろったし、参加者の確認も終わった。そろそろ終わりにしようか。」
「何を訳の分からんことを! 衛兵! こいつを取り押さえろ!」
男の怒声に応じて、武装した衛兵たちが舞台へ駆け上がってきた。
「おとなしくしろ!」
一人の衛兵が剣を抜き、少年に斬りかかる。
「危ないっ!」
私は思わず叫んだ。
けれど、少年は逃げなかった。
それどころか、振り下ろされた剣に向かって、ゆっくりと片手を上げた。
――ガキィン!!
……え?
私は自分の目を疑った。
少年が、剣を素手で受け止めていたのだ。
鋭い刃は彼の手のひらに触れているのに、傷一つついていない。
「なっ……なんだと!?」
衛兵が顔を引きつらせる。
少年の身体を、淡い青色の光が包んでいた。
「ば、馬鹿な……! あれは身体強化魔法か!?」
客席から驚愕の声が上がる。
少年は剣を受け止めたまま、空いている手を伸ばした。
そして、衛兵の胸にそっと触れる。
「穿て、イクトゥス!!」
――ドォン!!
「ぐあああっ!!」
凄まじい衝撃とともに、衛兵の身体が後方へ吹き飛んだ。
舞台の端まで転がった衛兵は、そのまま動かなくなった。
「なっ……!?」
「何をしている! 全員でかかれ!」
司会の男が叫ぶ。
今度は三人の衛兵が、同時に少年へ斬りかかった。
しかし、少年は慌てる様子もなかった。
最初の剣を軽くかわし、二人目の衛兵の胸に手を当てる。
「穿て、イクトゥス!!」
――ドンッ!!
「ぐはっ!」
衛兵が吹き飛ぶ。
続いて、背後から迫った三人目の剣を振り返りざまに受け止めた。
そのまま胸に手を触れる。
――ドォン!!
「うわああっ!!」
また一人、衛兵が宙を舞った。
最初に剣をかわされた衛兵が、再び斬りかかってきた。
少年はその剣を軽く払い、相手の胸元へ手を伸ばす。
――ドンッ!!
「ぐあっ!」
最後の衛兵も、舞台の上を転がった。
あっという間だった。
たった一人の少年が、武装した衛兵たちを次々と倒してしまったのだ。
しかも、少年は息一つ乱していない。
……すごい。
私は呆然と彼を見つめていた。
昨日、牢屋の中で優しく微笑んでくれた少年と、同じ人だとは思えなかった。
「ば、化け物だ……!」
司会の男が震える声を漏らした。
その言葉を聞いた少年は、少しだけ困ったように笑った。
「ひどいなあ。ちゃんと人間だよ。」
そのときだった。
「に、逃げろ!」
「こんなところにいられるか!」
客席の貴族たちが、一斉に立ち上がった。
豪華な衣装を乱しながら、我先にと出口へ殺到する。
「開けろ! 早く扉を開けろ!」
一人の貴族が大扉に手をかけた。
しかし――。
――ガチャガチャ!
「なっ!? 開かんぞ!」
「何をしている! 早く開けろ!」
「だ、駄目です! びくともしません!」
何人もの男たちが扉を押し、引き、身体ごとぶつかっていた。
それでも、扉はまったく動かなかった。
よく見ると、大扉の表面に淡い青色の魔法陣が浮かび上がっている。
……魔法?
まさか、あの少年が?
「無駄だよ。」
舞台の上から、穏やかな声が響いた。
少年は逃げ惑う貴族たちを見渡し、静かに微笑んだ。
「一人も逃がさないよ。」
その瞬間、会場の空気が変わった。
少年が右手を掲げる。
その足元に巨大な魔法陣が浮かび上がり、青白い光が会場全体へと広がっていく。
「天を巡りし光の檻よ、不浄なる者を縛せ。」
詠唱に呼応するように、無数の光の輪が宙に現れた。
「戒めよ、アヌルス・ルキス!!」
――キィィィン!!
光の輪が一斉に飛び出した。
「な、なんだこれは!?」
貴族の一人が叫ぶ。
光の輪は宙を滑るように飛び、逃げようとしていた男たちの手足に絡みついた。
「ぐあっ!?」
「う、動けん!」
「は、離せ! 私は侯爵だぞ!」
光の輪が次々と貴族たちを拘束していく。
ある者は両腕を縛られ、ある者は両足を封じられ、その場に崩れ落ちた。
抵抗しようとした者もいたが、光の輪はびくともしなかった。
司会の男も、奴隷商人たちも、倒れていた衛兵たちも例外ではなかった。
ほんの数秒で、会場にいた男たちは全員拘束されていた。
「た、たった一度の詠唱で、これほどの広域魔法を……!?」
客席の誰かが、震える声で呟いた。
私は、ただ呆然とその光景を見つめていた。
あれほど大勢いた人たちが、たった一人の少年に制圧されてしまったのだ。
しかも、彼は一歩も舞台から降りていない。
「き、貴様……いったい何者だ……!」
床に倒れた司会の男が、震える声で尋ねた。
少年は静かに答えた。
「王国特別捜査局、潜入捜査官。」
会場が静まり返った。
「今回の任務は、この違法奴隷オークションに関わる者たちを特定し、証拠を押さえることだったんだ。」
「な……なんだと……!?」
「この競売に参加する貴族たちの顔を、直接確認する必要があったんだ。君たちは、なかなか尻尾を出してくれなかったからね。」
少年は淡々と続けた。
「でも、今日で終わりだ。」
そう言うと、右手を軽く持ち上げた。
――パチンッ!
指を鳴らす乾いた音が響く。
すると、大扉に浮かんでいた魔法陣が消えた。
次の瞬間。
――ドォン!!
大扉が勢いよく開かれた。
「王国特別捜査局だ! 全員、その場を動くな!」
鎧を身につけた捜査官たちが、次々と会場へ駆け込んでくる。
「会場内の参加者は全員拘束済みです!」
「取引記録も確保しました!」
「落札者の身元確認が完了しました! 被害者の引き渡しも、すべて阻止しています!」
「地下に残された被害者たちの保護も開始しています!」
捜査官たちが次々と報告する。
少年は満足そうに頷いた。
「ありがとう。被害者の保護を最優先でお願い。」
「はっ!」
捜査官たちが一斉に敬礼した。
……え?
あの少年に?
どうして、こんなに偉そうな人たちが、彼に敬礼しているの?
そのとき、一人の騎士が少年に近づいた。
「お疲れ様です。まさか、ご自身で潜入されるとは……。」
「僕が入った方が確実だったからね。」
「しかし、王国最強と称される魔術師が、奴隷として競売にかけられるとは……。」
……王国最強?
私は耳を疑った。
あの少年が?
昨日、牢屋の隅で私の話を聞いてくれた、あの優しい少年が?
「き、貴様が……まさか……!」
司会の男の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「銀髪の……王国最強の魔術師……!?」
少年は小さく首を傾げた。
「そんなに有名だったかな。」
「ひ、ひぃぃぃっ!!」
司会の男が悲鳴を上げた。
私は、ただ呆然と少年を見つめていた。
王国最強の魔術師。
そんなすごい人が、どうして昨日、私の話をあんなに優しく聞いてくれたんだろう。
すると、少年がこちらを振り返った。
そして、昨日と同じように微笑んだ。
「フィーナ。」
「……え?」
「もう大丈夫だよ。」
その瞬間、私の両手を拘束していた鎖が、ふわりと光に包まれた。
――カラン。
鎖が外れ、床に落ちる。
私は自由になった両手を見つめた。
……外れた。
鎖が、外れた。
「もう、誰も君を売ったりしない。」
少年が優しく言った。
「君は自由だよ。」
「……っ!」
胸の奥から、熱いものが込み上げてきた。
涙が、次々と溢れ出す。
「う……うぅ……。」
私はその場にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。
怖かった。
本当に、怖かった。
もう二度と、自由になれないと思っていた。
それなのに。
「……ありがとう……。」
声が震える。
「ありがとう……本当に……。」
少年は、何も言わなかった。
ただ、私が泣き止むまで、静かにそばにいてくれた。
昨日の牢屋の中と、同じように。
◇
翌日。
私は王国の保護施設で、窓の外を眺めていた。
昨日の事件で捕まっていた少女たちは、全員無事に保護されたらしい。あの小さな女の子も、迎えに来たお母さんと再会できたそうだ。
その話を聞いたときは、自分のことのように嬉しかった。
私も、王国の人から森まで送り届けてもらえることになっている。
……帰ろうかな。
窓の外には、ずっと憧れていた人間の街が広がっていた。
石造りの建物が立ち並び、通りには馬車が行き交っている。遠くからは商人たちの威勢のよい声も聞こえてきた。
昨日までの私なら、きっと目を輝かせていただろう。
でも、今は少し怖かった。
また悪い人に騙されたらどうしよう。
また、あんなところに閉じ込められたら……。
思い出すだけで、胸が苦しくなる。
お父さんとお母さんのいる森に帰れば、もうこんな怖い思いをしなくて済む。
大好きな森で、今までどおり穏やかに暮らせばいい。
……それで、いいのかな。
私は窓の外に目を向けた。
ずっと憧れていた世界が、すぐそこにある。
なのに、私はまだ何も見ていない。
海も、大きな市場も、美味しいお菓子も。
何一つ、知らないままだ。
……本当は、見てみたい。
でも、怖い。
どうしたらいいのか分からず、私は小さくため息をついた。
そのときだった。
――コンコン。
「フィーナ。入ってもいい?」
聞き覚えのある、優しい声。
「……うん!」
私は慌てて振り返った。
扉が開き、一人の少年が姿を現した。
銀色の柔らかな髪に、澄んだ青い瞳。
昨日、私を助けてくれた少年だった。
けれど、その姿は昨日までとはまるで違っていた。
白いシャツに、銀の刺繍が施された濃紺の上着。肩には黒い外套を羽織り、胸元には王国の紋章が輝いている。
凛とした佇まいは、まるで物語に登場する王子様のようだった。
……わあ。
思わず見とれてしまった。
「どうしたの?」
「あっ、ううん! 何でもない!」
慌てて首を振ると、少年は不思議そうに笑った。
「そういえば、まだ名前を言ってなかったね。」
「あ……そういえば。」
「僕はルシアン。」
「ルシアン……。」
私は、その名前を小さく繰り返した。
綺麗な名前だと思った。
「フィーナは、これからどうするの?」
「……え?」
「森に帰る? 帰るなら、王国が責任を持って送り届けるよ。」
「……森に。」
私は俯いた。
「……帰ろうかなって、思ってたの。」
「うん。」
「お父さんとお母さんに会いたいし……また怖い思いをするのも嫌だから。」
「そっか。」
ルシアンは、静かに頷いた。
「それなら、帰った方がいいかもしれないね。」
「……うん。」
その言葉を聞いたとき、胸の奥が少しだけ寂しくなった。
どうしてだろう。
森に帰れば、きっと安心できるのに。
私は窓の外を見つめた。
「……でもね。」
「うん?」
「本当は、まだ見てみたいの。」
ルシアンが私を見る。
「海も、大きな街も、賑やかな市場も。私、ずっと楽しみにしてたから……。」
言葉にすると、胸の奥にしまい込んでいた気持ちが、少しずつ戻ってきた。
「怖いけど……やっぱり、諦めたくない。」
ルシアンは、しばらく私を見つめていた。
そして、ふっと微笑んだ。
「じゃあ、僕と一緒に来る?」
「……え?」
「僕、仕事でいろんな場所に行くんだ。王都だけじゃなくて、ほかの街にも行くし、海の近くにも行くよ。」
「海……?」
「うん。フィーナ、海を見てみたいって言ってたでしょう?」
……覚えていてくれたんだ。
昨日、牢屋の中で話したこと。
私が、ずっと憧れていたもの。
「もちろん、無理にとは言わないよ。森に帰りたくなったら、いつでも送っていく。」
「……本当に?」
「うん。」
「私が一緒に行っても、迷惑じゃない?」
「どうして?」
ルシアンは、不思議そうに首を傾げた。
「僕も、フィーナともっと話してみたいと思ってたから。」
その言葉を聞いた瞬間、胸が大きく高鳴った。
私はルシアンを見つめた。
王国最強の魔術師。
大勢の奴隷商人や貴族たちを、たった一人で捕まえてしまった人。
でも、私が思い出したのは、そんな姿ではなかった。
暗い牢屋の隅で、私の話を静かに聞いてくれた少年。
私の夢を、笑わずに聞いてくれた人。
あのとき、私は確かに救われていた。
鎖が外れるよりも、ずっと前から。
ルシアンが、私に手を差し出した。
「どうする?」
私は、その手を見つめた。
森に帰ることもできる。
でも、まだ知らない世界を見てみたい。
そして、できることなら。
この人と一緒に。
「……うん!」
私は差し出された手を、ぎゅっと握った。
「私、ルシアンと一緒に行きたい!」
ルシアンが嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、胸がどきりとした。
……あれ?
どうして、こんなに胸が高鳴るんだろう。
私は少しだけ頬が熱くなるのを感じながら、繋いだ手を握り直した。
「じゃあ、行こうか。」
「うん!」
「まずは王都の市場を案内しよう。美味しいお菓子のお店も知ってるよ。」
「本当!? 行きたい!」
「それから、少し仕事を片づけたら、海にも行こう。」
「海!」
「うん。夕日が綺麗な場所を知ってるんだ。」
「……楽しみ!」
私は笑顔で頷いた。
森の外には、まだ知らないものがたくさんある。
怖いことも、きっとあるだろう。
それでも、私は自分の目で見てみたい。
ずっと憧れていた、広い世界を。
「行こう、フィーナ。」
「うん!」
ルシアンに手を引かれ、私は一歩を踏み出した。
こうして、私の本当の冒険が始まった。
王国最強の魔術師と一緒に。
――まだ見ぬ世界へ向かって。
おしまい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
牢屋の隅で出会った優しい少年が、実は王国最強の魔術師だったというお話でした。
フィーナとルシアンの冒険は、まだ始まったばかりです。
少しでも面白いと思っていただけましたら、評価やリアクションをいただけると嬉しいです。
今後の創作の励みになります!




