創作で大事なのは、内容よりもその動機。
クリエイターを目指す人が多いらしい。クリエイターとは創造的な仕事に携わる人を指し、創造的とはこれまでになかった独自なものを作り出すことである。
自分で何かを作り出し、そこから収入を得る人間をクリエイターと言うのだろう。現代は多様なツールが発明されており、ものづくりへの敷居が従前に比べて低くなっている。また、かつては一子相伝とされていたようなテクニックなども広く共有され、誰もが気軽に創作に手をつけることが出来るようになった。特にコンピュータの普及は多くの人間にクリエイターへの道を拓いたと言えるだろう。いわゆるネットネイティブな世代が、若くして創作で名を上げているのはご存知の通りだ。
絵描き、歌手(歌い手)、映像製作者、俳優など創造的な仕事を列挙すればキリがなく、そのための専門学校も非常に多い。また、そういった専門学校に通わずとも独学で創作を行い、ネットを通じて個人が世界に向けて発信することも出来る。
多くの人間に門戸が開かれているということは、限られた人間にだけチャンスが与えられている状況よりは、概して健全で望ましいものと思える。
さて、誰もが創作し、簡単にその発信ができる世の中にあって大事なことは、創作の内容である。当たり前のことを言っているように思われるだろうが、その当たり前の視点が案外難しいことのように感じる。
創作の内容というと、作り出されたもの自体、すなわち何を作り出したかということに目が向きがちだが、それ以上に大切なのは、なぜそれを作り出そうとしたのかという発想の部分ではないだろうか。発想こそが創作の出発点であり、独自性の大部分がそこに宿っている。
創作物が溢れている場合、独自性こそが創作の価値を高めることになるが、単に奇抜なもの、ウケ狙いで流行に乗ったようなものは僅かな間だけ支持を集めることができても、長く語り継がれるようなものにはならないだろう。それは発想に芯がなく、動機が貧弱なものだからだ。
既存の創作物に触発されて、自分も同じようなものを作りたいという動機は、創作自体を目的としている点ですでに独自性を欠いている。よくある例えだと思うが、テレビゲームを作り出した当事者は、テレビゲームという前例を知らずにそれを作り出した。今までにない新しいものを作り出したいという動機から出発し、そのために必要な方法を発想し、その後の試行錯誤が結実した姿として、テレビゲームという創作が生まれたのだ。
誰もが創作者になれる時代は、それだけ前例に溢れた時代とも言える。真に創造的な仕事をするには、実は厳しい時代を迎えているとも言えそうだ。
様々な創作物で溢れる中においては、クリエイターだけでなく受け手側も苦労が多い。何を受け取るかという選別に多大な労力を必要とするからだ。なんでもかんでも受け入れていたら、人生がいくつあっても足りない。
限られた時間でより大きな満足感を得るためには、適切な取捨選択が必至となる。その方法は人それぞれであり、それを確立するための試行錯誤こそが、創作と向き合う上でもっとも苦労する局面である同時に、最も楽しい時間でもあるように思う。
発信する側も受け手側も、創作における動機の部分に注意を凝らしてみることで、より大きな満足感を得ることに繋がるのではないだろうか。終わり。




