愛しているので踊りたい
「お嬢様……もう誤魔化しきれません」
「いいえ、まだよ。まだいけるわ」
アレッシアはドレスの裾を踏まないよう注意しながら、慎重に足を進める。
踵が床を蹴る音が、思いのほか強く響く。
「ですがお身体に影響が出た今、気付かれるのは時間の問題です」
「そんなことないわ! わたくし、平気よ。見てちょうだい。どこからどう見ても社交界の花! 麗しのアレッシア・カヴァッロ伯爵令嬢でしてよ!」
侍女の言葉に自分を鼓舞する為に胸を張る。亜麻色の髪が揺れて、涙で潤んだ黒々とした目が瞬いた。じっとしていると零れ落ちそうで、瞼が忙しなく動く。
アレッシアだってわかっていた。自分が意地っ張りでしかない事を。胸を張ろうにも全部虚構で、どうしようもない事実がある事を。
事実、胸を張るアレッシアを見て長年仕えた侍女も泣きそうだ。いいや、彼女の背後に続く若い侍女は泣いている。
アレッシアは花だ。持って生まれた色彩こそ地味だが、持っている素材をこれでもかと磨いた花だ。
貴族令嬢は姿勢。立ち振る舞い。話術だって武器にする為に沢山学ぶ。アレッシアも周囲に差を付けられぬよう、研鑽の日々を歩んだ。伯爵家の娘として恥ずかしくないように。伯爵家の娘として引けを取らぬように。
結果、誰よりも咲き誇ったアレッシア。
同世代の令嬢達から抜きん出て、社交界の花として咲いた。
後は無残に踏み荒らされないよう、後から追い縋る令嬢達に負けぬよう、油断せず奢らず自分を磨き続けるだけと思っていた。
思っていたのに。
「いいえ気付かれてしまいます。お嬢様……お嬢様は今……」
かつんっと踵が鳴る。
「脚の所為で背がもの凄く高くなっておいでです!!」
「うわーん!!」
継ぎ足して継ぎ足したドレスのスカートの中。
人間の足ではあり得ない……蹄のついた獣の脚が、不満を訴えるように高らかに鳴った。
アレッシアが自分の足に違和感を持ったのは、一週間ほど前の事だった。
むずむずと踵が痒いような、痛いような、不思議な感覚に襲われた。
十六歳になり社交界の花として夜会に多く出席していたアレッシアは、ダンスをしすぎたのかと思った。
麗しい花の役割として、夜会では五回踊るようにしている。ただし誤解されないように、必ず二回続けて同じ人とは踊らない。その辺りはきっちり決めていた。
誰よりも咲き誇る花になったからと言って、誰も彼もを誑かしたい訳ではない。
アレッシアは、ただ自分というものを磨きたかっただけ。頂点を目指して研鑽しただけだ。
しかしそれで身体を痛めては元も子もない。アレッシアは違和感を覚えた時から、ダンスを自粛して夜会の頻度も落とした。
それでも足はうずき続け、立っていても座っていても眠っていても、なんだか不快な感覚が纏わり付いていた。
そしてとうとう、アレッシアは立つのも満足にできなくなり……。
ある日目覚めたら、下半身が馬の脚になっていた。
「どういうことですの――――!!」
力強く立ち上がったアレッシアは、普段の目線よりとても高くなっていた。
蹄の分。いいや、膝の位置が変わり、小柄だったアレッシアは長身男性と同じくらいの目線になっていた。
「どういうことですの――――!!」
違和感のあった踵だけでなく、下半身がまるっと獣になって、アレッシアは大混乱に陥った。
ジタバタと暴れ、パカラッパカラッと床を蹴る。思った以上のスピードで走った結果制御不能となり、壁に激突して停止した。うっかりひっくり返って痛い痛いと泣きながら床を蹴り、立派な蹄の跡を見付けてまた泣いた。
予想外に長くなった脚の所為で上手く立ち上がれず、アレッシアの暴走はそこで止まる。
アレッシアだけでなく家族も周りも大混乱だったが、元気に泣いているアレッシアを見て自分達がなんとかしなければと、周りが落ち着くのも早かった。
箝口令を敷いてかかりつけの医者を呼び、診察する。足の痛みはすっかり引いたが原因不明の変身に、医者も目を見開いて驚いた。
これは管轄外だと話は医者から獣医に。獣医から呪術師に。呪術師から学者へと早急にバトンはリレーされ、やって来たのは生物学の学者。
ボサボサした金髪に、光の反射で目元が確認できないくらい分厚い眼鏡。ひょろりと長い背丈の若い男は、エルヴィートと名乗った。
「これは珍しい。お嬢さんは森の賢者の遺伝子をお持ちのようです」
イキイキとアレッシアを調べる男の声に、寝台に横たわるアレッシアは死んだ目になっていた。
剥き出しの獣の脚。普段はスカートの下に隠された場所を検分する男の目と手。令嬢としての羞恥心やプライドを全く考慮せず、エルヴィートは好奇心でワクワクとした声音を隠しもしない。
医者や獣医、呪術師にも同じように脚を晒したのだから今更だが、変貌したとは言え自分の脚。学者とは言え若い異性にスカートをまくり上げて脚を曝け出すなんて、令嬢としての矜持がボッコボコだった。獣医によってこれが馬の後ろ脚であると診断(?)されるのも苦痛だったが、背に腹は代えられない。ちなみにお察しかもしれないが、尻尾もある。
「森の賢者とはゴリラやフクロウが上げられますが、今回は別物……上半身は人、下半身が馬の幻獣です。彼らはかつて混乱の時代、森の生き物達の調停役として活躍していました。優位争いを繰り返す幻獣達と違い、森の生き物を導いてした事から森の賢者と呼ばれています」
エルヴィートは男爵家の四男で、特に継ぐ家督もない。だから大好きな生き物の研究に没頭している学者らしい。特に幻獣に興味を示し、過去の幻獣について調べ尽くしているという。若いながらも、造詣が深い。今回の件でも適任者としてやって来た。
そう判断されただけあって、少し調べただけで原因を特定していた。
幻獣とは、その昔、混乱の時代に蔓延っていた怪物の事を指す。
理性なき動物と違い、知性と知性を持つ生き物。か弱い人間と違い、特殊な能力を有する怪物は世界の頂点に立っていた。
しかし一括りに幻獣といっても種類は豊富で、彼らは常にどの種族が優位に立つかを争っていた。縄張り争いは過酷で、彼らより弱い生き物は争いに巻き込まれて命を落としていった。
そんな世界を変えるべく、五人の勇敢なる戦士達が立ち上がる。
自然災害と割り切るには距離が近く、手が届く脅威。ときには話し合い、ときにはぶつかり合い、彼らは幻獣達との間にルールを設けて世に平和を導いた。
それが人の世を築いたと言われる、五人の勇者の始まりである。
彼らはそのまま国を興し、それぞれの子孫が侯爵として国を導いている。
「建国の話だと森の賢者はサポート役に留まっていたようですが……そのどこかで、人と縁を結ぶ事があったのでしょう。もしかしたら伯爵家の始まりに、五人の勇者が関わっているかもしれません。幻獣メドゥーサも手懐けた勇者達ですからあり得ない話ではない、です」
話しを聞きながら、アレッシアはチラリとエルヴィートを見上げた。
分厚い眼鏡の隙間から、好奇心にキラキラと輝く青い目が見える。
その様子はちょっと、子供みたいで可愛かった。
「産まれながらの先祖返りは何人か確認済みですが、お嬢様の件はとても希少です。人として産まれ人として生きていたのに、突然下半身が馬になる……後天性先祖返りなんて、初めての経験です! なんて珍しい! サンプルとして上半身の毛と下半身の毛をサンプルとして採取してもよろしいですか!」
「いやぁ――――!!」
その後、鼻息荒くアレッシアの下半身に頬ずりする男は全く可愛くなかった。
咄嗟に蹴り上げたアレッシアは悪くない。
馬の脚力で蹴られると骨折ものだが、幸いにして馬初心者のアレッシアだったので、蹄の形をした青あざを作る程度で済んだ。それでもかなりの威力。
結論として、アレッシアの脚は治らない。何故なら先祖返りだから。
むしろこれが、本来のアレッシアの姿なのだと学者、エルヴィートは宣言した。
(そんな、そんな、こんなことって……!)
アレッシアは泣いた。歯を食いしばって泣いた。
両親も泣いた。使用人達も泣いた。
それこそ混乱の時代であれば幻獣達に交じっていられただろうが、今は平和な時代。幻獣達も過去の産物。森の賢者は上半身が人間で下半身が馬の生き物ではなく、賢くて強いゴリラか賢くて遠くを見渡すフクロウだ。馬ではない。
アレッシアは完全に、人としてあり得ない形で孤立してしまった。
「……いいえ! わたくし、負けませんわ!」
流した涙をハンカチで丁寧に拭いて、アレッシアは宣言した。
丁寧な所作と勝ち気な言い分がズレていたが、アレッシアはフンスと立ち上がった。
「森の賢者がなんですの……わたくしは、人の世に咲く花ですわ!」
アレッシアは馬ではない。
人であり、女。女は、花だ。
努力して咲いた、花だ。
「なんと言われようと、咲き誇ってみせますわ――――!」
それからのアレッシアは忙しなく動き回った。
脚はひたすらスカートを継ぎ足して爪先まで隠した。ドレスはAラインのプリンセスライン。胴体とのつなぎ目に不安があったが、コルセットでなんとかなった。できるだけ歩幅を小さく、ゆっくり歩く事で足捌きの不自然さを誤魔化す。
視界の高さに慣れない間は、どうしても身体がふらついた。脚の可動域が人の脚と異なる為、どうしても姿勢が悪くなる。しかしそこは、令嬢として培ってきた体幹を鍛え直す事で違和感のない姿勢を保つ事に成功する。
悔しい事に一番手子摺ったのはカーテシーだった。
誰よりも、何よりも磨いてきた礼儀作法。淑女の第一印象を決めるカーテシーが馬の脚では難しい。
アレッシアは鏡を見ながら何度も何度も練習した。変わりなく優雅に。むしろ今まで以上に滑らかにできるよう、血と汗の滲む努力と根性でかつての動きを取り戻した。
気分は骨折からの復活後、リハビリに励むスポーツマン。
令嬢とは、淑女とは、努力と根性だ。
そしてアレッシアは、馬の脚のまま人と同じ優雅な動作を身につけた――――が。
「背の高さまでは誤魔化せませんわー!」
結局ヒンヒン泣いていた。
「常に膝を曲げた状態でいるとなればまた姿勢が変わりますわ。うう、根性で習得したとしても」
「膝に大きく負担がかかりますからダメですね。普通に考えて膝が壊れます」
「悔しいですわぁ―!!」
わぁんと泣きながら地団駄を踏む。パカラッパカラッと床が鳴る。
そんなアレッシアを、エルヴィートが興味深そうに見ていた。
彼は、アレッシアに蹴飛ばされた後も懲りずにやって来た。後天性先祖返りの影響を調べたいと、晴れ晴れとした笑顔で。
「お嬢さんの変身は呪いでも病気でもありません。ご先祖様の繋がりを再確認しただけの事です。ですが人として生きたお嬢様にとっては青天の霹靂でしょうから、俺がお側で調査して、分析して、記録したいと思います! 過去から未来への贈り物! じっくり観察しない手はないでしょう!」
正直アレッシアは興味津々な男に腹が立っていたが、苛立ちは全てリハビリへの燃料として投入した。エルヴィートは日々弛まぬ努力を重ねるアレッシアを観察し、分析して、応援してくれた。
なんとも腹立たしい事だが、努力するアレッシアを心から応援してくれたのは彼だけだった。
彼だけが、下半身が馬になってしまったアレッシアを憐れむ事なく、努力を重ねる事を称賛してくれた。
もの凄く腹立たしいが、同じくらい、感謝もしている。
……呪いじゃないと。贈り物だと言ってくれたのも、ちょっとだけ感謝だ。
事ある事にアレッシアがからサンプルを取ろうとするのは頂けないが。
「うう、せっかくこの脚でダンスも習得しましたのに。こうも背が高くては、パートナーになれる男性がいませんわ……」
虚しくパートナーに添えるように上げていた手を、エルヴィートが掴んだ。
「そうですね。俺くらい背が高くないと難しそうです」
そう言って、当たり前のようにステップを踏む。
ひょろりと高い身長は、アレッシアとほとんど目線が変わらない。幸いほんのちょっとだけ、エルヴィートの方が高い。
何よりエルヴィートは事情を知っているし何度もアレッシアの脚を見てきたので、ダンスでふわりと揺れるスカートから爪先が覗いても、驚く事はない。そして男爵家の四男なので、それなりの教養もある。なので、問題なくアレッシアとダンスが踊れた。
夜会でもない。誰もいない。
音楽もない。二人だけ。
一つの夜会で五回は踊っていたアレッシアの、久しぶりのダンス。
誰もいなくても。夜会でなくても。
それでも――――踊れる。
(わたくしは、踊れる)
翻るスカートが、花弁のように揺れていた。
「……あっれー? なんで泣きそう?」
「噛み締めていただけですわ!」
この男は、本当に。
心底わからないと首を傾げる男の足を狙って脚を出す。さっと避けられて、蹄がガツンと音を立てた。
「あーっお嬢さんいけませんお嬢さんその脚は! いけません鍛えられたその脚は! 俺の爪先を的確に潰してしまいますお嬢さん!」
「砕けてしまえば良いのだわ! そうすればふざけた態度もとれなくなるでしょう!」
「ふざけてないんですよねこれが! 俺はいつだって真面目ですよ!」
「信じられませんわーっ! というか真面目にこの言動ならもっと問題ですわー!」
言い争いながら、ダンスは続く。
エルヴィートの手はアレッシアの背中に。アレッシアの手はエルヴィートの肩に添えられていた。
「ふざけていないんですよねこれが! 真剣に! 身長差が気になるなら俺とだけ踊れば良いと思うので!」
「へっ」
くるりと腕の下を潜り、繋いだ手を基点に反れる身体。次の瞬間には力強く、抱きしめるようにホールドされていた。
ひょろっとしている割に、案外力強い腕。
先程までと違い、ぴったりくっついたお互いの身体。
これは、ダンスの姿勢ではない。
それでも足元は、ステップを続けていた。
「お嬢さん、一度の夜会で五回は踊るんでしたっけ? なかなか体力がありますよね」
「つ、続けてではないわ。ちゃんと休憩を挟んでの五回よ」
「つまり一晩で五人と踊っているって事ですよね」
「そ、そうね。婚約者でもないのに、続けて踊る事はできないわ」
ハキハキ喋りながら、アレッシアは必死にステップを踏む足元を見ていた。
身長差のない状態でこの距離は、意図せず相手の吐息が耳に当たって擽ったい。かといって仰け反れば至近距離で相手の顔を見る事になる。
さっきまで平気だったはずなのに、なんだか突然恥ずかしくなってきた。叩くように鳴り響く心臓の音が、彼に届いてしまわないかと不安になる。
「じゃあお嬢さん、俺と五回踊ってください」
ドッカンと破裂音。
「あ、あ、あなた……何を言っているのかわかっているの?」
この会話の流れで。
一人と続けて踊る理由は。
「わたくしと続けて踊るなんて、そんな……奇異な目で見られましてよ」
「あなたと踊れるなら別にどこでも良いんですけど。夜会に出たいなら付き合いますよ。そりゃあ最初は、隠し通すのは無理なので変な目で見られるでしょうけど。どうってことないです」
ケロッとした顔で断言する。
「だってお嬢さんは馬の脚ですけど、人の脚と変わりない動きができるまで努力しましたもん」
アレッシアは思わず顔を上げた。
分厚い眼鏡の奥で、好奇心に輝く青い目が優しくアレッシアを見ていた。
この無礼者は、ずっとずっとアレッシアを見ていた。
アレッシアの努力を。
エルヴィートはへらりと笑う。
「誰よりも綺麗に歩くから驚くでしょうね。変な動きをしないんですから、目新しく見られるのははじめだけです」
そんなことはない。
社交界で弱みを晒したときの恐ろしさを知らないからこんなことが言える。
けれどアレッシアは、馬の脚が弱みにならないように徹底的に訓練した。
不自然に跳ねるような動きにならないように。
人として、令嬢として、淑女として完璧な。優美で優雅な仕草を叩き込んだ。
「はじめは騒がれますけど、きっと称賛に変わりますよ。どんな脚でも優雅に踊るあなたを見れば」
くるりと回る身体。馴染んだステップ。スカートから爪先が見えても、アレッシアは気にならなかった。
「だから踊りましょうよ、俺と。何回でも。俺とだけ」
繋いだ手は離れない。
俯きがちだった顔を上げる。背筋を伸ばす。それでもちょっとだけ、彼の方が高い。
アレッシアはスンッと鼻を鳴らした。
「よ、よくってよ」
「! わぁい!」
「わ、わたくしと踊るなんて物好き、もうあなたしかいませんし」
「えー? そんな謙遜しちゃいますー?」
エルヴィートはアレッシアをリードして、ステップを踏む。
「その内、身長差だって気にしない奴は現われますよ」
二人で部屋を滑るように優雅に踊りながら、エルヴィートはにっこり笑った。
「アレッシアお嬢さんはどこにいても綺麗に咲きますから、あなたと何回でも踊れる特等席。みーんな羨ましがるに違いないです」
今更他の人にはあげないでくださいね?
その笑顔が得意げな子供みたいで可愛くて。
うっかり踵が鳴ってしまったのは、アレッシアだけの秘密だ。
アレッシア・カヴァッロ伯爵令嬢。
後天性先祖返りで下半身が馬の脚になった彼女は、それでも背筋を伸ばして夜会に現われた。
ドレスで隠れた部分だがすらりと伸びた身長。歩く度に鳴り響く蹄の音。
けれどその所作は誰よりも優雅で優美。
麗しの花と呼ばれ続けた彼女のままだった。
そんな彼女の隣には、必ず背の高い男が一人。
手取り合って何度も踊り続ける程仲睦まじい、婚約者がいた。
明けましておめでとうございます!
午年です。
という事で、SNS文芸部 1月テーマは馬です。パカラッパカラッ。
今年もよろしくお願いします!




