メイド・イン・わんえるでぃーけー
その家にはメイドがいた。
眉目秀麗な、齢十七のメイドである。
しかし格式ばった教育を受けた本物のメイドというわけではなく、普段は近所の高校に通い、女子高生としての生活を謳歌するただの女子である。
そんな彼女は、遊ぶ金欲しさに、とあるバイトをしていた。
そのバイトこそが家事代行である。
彼女がそのバイトをするようになったきっかけは、単に割がよかったからというのと、家事の腕には多少の覚えがあったからだ。
普段、共働きの両親のために家の家事を手伝うことの多い彼女にとって、拘束時間を少なくしつつ、それなりの報酬が貰えるその仕事は、まさにうってつけであったのだ。
しかし、家事代行のバイト自体には、何もメイドにならなければならないなどというルールはないため、その辺は本人の趣味である。誰に頼まれたわけでもないが、そういう格好で仕事をしている方が、何となくやる気が出た。それに、単純に話のタネになると思ったのだ。
そんな風にバイトを続けていた彼女であったが、ある時、仕事のため訪れたマンションの一室で、クラスメイトに出会った。
同じクラスの、少し分からない彼。
ミステリアスと言う程でもないが、接点がなかったために、彼女は初めどうしたものかと戸惑った。
が、仕事は仕事。流石に知らないふりもできないだろうと、軽く挨拶をしつつ、彼女はその部屋で仕事をすることにした。
メイド服に着替えた際には流石に愕然としていたが、そういう趣味だと言うと受け入れられた。とは言えその辺については、初見の客が大体そんな反応をするので、彼女自身慣れたことであった。
そして、その日は特に何事もなく終わり、学校でもそのことを話題として話しかけてくることもなく、彼女は「まぁそんなものか」と、忘れることにしたのだが。
そのまた翌週。
同じ部屋に依頼が入った。
彼女はまたそこへ向かい、仕事をした。
そして、それを繰り返し。
二人は少し──否、それなりに仲良くなった。
すると、彼女は彼女で考え始めるのである。
これだけ毎週毎週自分に仕事の指名をしてくるのだから、向こうは自分に対して何か気があったりするのではないか──と。
当然、確証はない。
勝手な憶測で、決めつけでしかない。
自意識過剰だと言われれば、反論の余地はそんなにない。
単に仕事の腕がよかったから指名してくれているだけなのだろうと考えることもできた。
だが。
そうならいいな──という想いが、止まることは無かった。
そんなある日のことである。
「ねぇ……片栗粉ってどこにあるか知らない?」と、彼は台所の引き出しを開けたりしながら、彼女に訊ねた。台所から顔を出し、窓の拭き掃除をしていた彼女を見る。「無いんだけど」
「何で家主が知らないのさ」
「何でって……。君があちこち物の場所入れ替えるからでしょ」
「えぇ? 使いやすい場所に置いたりはするけど……。どこにも無い?」
「ありそうな場所には無い……と思うけど」念の為に今一度台所を見回すと、それが無いことを確認する。「どの辺?」
「食器棚の辺りに無い?」
「食器棚に片栗粉があるわけ……」言いながら、彼は少し歩いて行き、食器棚の辺りに目をやる。「……あったし」
「ほら~。ちゃんと探してから言ってよね」
「いや、何でこんなところに置いてあるの」
「だってボウルとかもその辺に入れてあるじゃん? だからそっちに置いた方がいいかなって思って」
「あぁ……。なるほど……。場所移動させた方がいいのかな……」
「そうかもね。……ところで、片栗粉なんて何に使うのかな? まさか、それで変なもの作ろうとしてる?」
と、彼女は少しニヤニヤとした表情を浮かべながら問い質す。
普段あまり感情を表に出さない彼を揶揄えないかと思ってのことだった。
最近の彼女はバイト中、それを自己に対してのミッションとして課していた。
感覚としては、帰り道、日陰になっている場所以外を歩いてはいけないという謎のルールを己に課すのに近い。
つまり、大した意味はない。
「何、変なものって」
「分かってるくせに~。変なものは変なものだよ」
「……? 分かんないんだけど。何?」
「知らないの? 片栗粉は煮詰めたらローション代わりになるんだよ」
「そうなんだ……。食べ物をそういう風にはしないけど……」
苦笑いにさえ達しないような表情を向けられた。
彼女は失敗かと思いながらも、続けて訊ねる。
「片栗粉って食べ物なの?」
「え? いやまぁ、食べ物っていうか、材料でしょ」
「でも魚焼く時、後片付け楽にするためにグリルに入れたりするし……。食べ物以外にも結構使うよ?」
「それは一種の応用でしょ。片栗粉も多分食べ物だよ。片栗粉を直で行くやつはいないけど」
あはは──と言いつつ、彼女は「それで? 結局何に使うの?」と、当初の質問に戻った。
彼は片栗粉の入った袋を持ってキッチンの前に戻ると、バットにそれを出しながら言った。
「揚げ物しようと思って」
「揚げ物? 料理するの?」
「そう。えのき買ったの忘れてて。そろそろ使わないとマズいかなって」
「えのき? えのきで揚げ物?」
「うん……。食べる?」
彼女は何が出てくるのだろうと思いながらも、折角ならと、それが出来上がるのを待ちつつ、掃除を終わらせることにした。
普段の彼女の仕事は、掃除と、後は主に数日分の料理の作り置きだ。
レンジでチンすればすぐに食べられるような総菜をいくつか作り、冷蔵庫に入れて帰っている。
それは彼が碌に炊事が出来ないが故の依頼だったはずなのだが、いつの間にか、彼は料理をするようになったらしい。
「料理とか……するの?」
「まぁ……うん。ちょっとずつね」
「へ、へぇ……」
「同い年の人間がああもテキパキ料理するの見たらさ、自分にも出来るんじゃないかって思って。それに、いつまでも出来ないままじゃ困るし」
「あー……ね。ま、まぁ、やれば意外と簡単でしょ?」
「どうだろ。まだ慣れてないから、時間はかかるけど。でも確かに、子供の頃に感じてたほどの壁は感じなかったかも」
「確かに。私も小学生の時とか、お母さんが料理してるの見て「こんなの出来る気しない!」って思ってたんだけど、やれば結構できるようになったし」
彼は小さく笑うと、「だからまぁ……。少しずつやっていこうと思って。それに、自分の食べたいものを好きな時に作れるっていうのは、結構いいし」と言い、手を動かし始めた。
「そっか……」胸の内で、何かがざわめいたような気がした。彼女はそれを無視し、胸を張って言う。「分かんないところあったら言ってよ。教えてあげられるから」
今目の前にいるのは、自分の働きに感化されて、これまでやってこなかった料理を出来るようになろうとしている一人の人間だ。
自分が見せた姿が、一人の人間に、小さかろうが何だろうが、確かに影響をもたらしたのだ。
それは素晴らしいことではないのか。
誰にだって出来ることじゃない。
やろうと思って出来ることじゃない。
だのに。
どうして。
それを嫌だと感じているのか。
分からなかった。
しばらくすると、台所から「出来た」と、彼の声が聞こえた。
パチパチ──という揚げ物の音は聞こえていたので、そろそろかなと思っていた矢先の事であった。
彼はそれをおっかなびっくりキッチンペーパーの上に出すと、余分な油を吸わせ、それを皿に載せて運んできた。
「えのきの……唐揚げ?」
出て来たそれは、えのきがそのまま衣をまとったような形をしていた。
「そ、唐揚げ。鶏肉より安いし、簡単に作れるって書いてあったから、試してみたくなって」
「ふぅん……」慣れてないと言いつつ、結構手馴れてきているような──と思いながらも、彼女は箸を受け取ると、熱々のそれを摘まみ、口の中へと放り込んだ。「──ん!」
そして、目を見開く。
下味をきちんとつけていたからだろう、食感こそ鶏肉のから揚げとは違えど、非常に美味であった。
「美味しい……」
彼も食べるのはこれが初めてになるからだろう、自分で作ったものに対する態度とは思えないような顔を向けていた。
「凄いじゃん」
と、彼女は口の中の物を飲み下すと、自然と口にしていた。
こうやって褒めようものなら、相手は自信を付け、ますますその腕を上げようとするだろうということくらい、分かっていたはずなのに。
そして、別の日。
その日もまた、彼女はいつものように彼の部屋を訪れていた。
彼はこの頃めきめきと料理の腕を上げており、このままでは追い付かれるのではないかという焦りのような物を、彼女は明確に感じ取っていた。
そんな彼女だったが、台所で作り置きの料理を作っていると、彼が自室からスマホを見ながら出てくるのが見えた。
彼は何やら難しい顔で画面を食い入るようにして眺めており、リビングまでやってくると、彼女に背を向ける形で窓辺に座り込み、床をじっと眺め始めた。
何をしているのだろう──そう思いながら、彼女は料理を続ける。
コンロに火を点けると、中火に調整し、フライパンに醬油などを注いでいく。
その最中、彼は突然振り返ると、「ねぇ」と声を掛ける。
「何?」
いきなり声を掛けられたことで声が少し上ずりながらの返事であった。
すると。
「ストッキングって持ってる?」
と、突然そんなことを訊かれた。
「へっ? ス、ススススススス、ストッキング!?」
驚きのあまり、菜箸を落としそうになり、わちゃわちゃとした。
「スススススススストッキングではないんだけど……」
「い、いや、それは分かってるけどね!?」彼女は菜箸を何とか落とす前に掴むと、布巾で汚れた手を拭いつつ、身を乗り出して言う。「いや、でも、ストッキングっていうのは……」
「あー、持ってるとも限らないか」
「いや、そういう話でもなくてね!? 持ってはいるんだけども!」
彼女は未だ動揺の最中。
止まりかけた思考を動かし始める。
「私たち、確かにそれなりに仲良くはなれたつもりでいるんだけど、だからって流石に使用済みの肌着を提供するような関係ではないと思うんだよ!」
「使用済み……。使用済みっていうか、破れた奴とかでいいんだけど」
「や、破れた……伝線したやつってこと? いや、だからって話は変わらないんだけど……」
「うぅん……そっか……。やってみたかったんだけどな……」
「な、な、何を!?」
彼女は顔を赤らめ、叫ぶようにして問う。
「ん? 何って……」彼は立ち上がると、窓辺を離れ、台所へ向かう。そして彼女に近付くと、スマホの画面を見せた。「これ。窓のサッシを簡単に掃除できるっていうやつ」
「あ……あー。なるほど……。今度は掃除……」
「うん。けどストッキングって、買うようなものじゃないからさ」
「買ってたらびっくりだけど……。はぁ……。別の意味でびっくりした」
彼女は嘆息した。
学校帰りなどであれば、もしかしたら持っていたのかもしれないが。
「それにしても……掃除まで手を出し始めたんだ」
「本格的な掃除をしてるわけでもないんだけど、こういうの見ると、やってみたくはなるんだよ」
「結構試したがり?」
「そうなのかも。面倒臭がってやってこなかっただけで」
そっか──と言いつつ、彼女は湧き上がる不安を押し殺す。
彼がこのまま家事を覚えていけば。
生活能力を高めていけば。
こんな時間も、いずれはなくなってしまうのではないか。
それは困る──嫌だ。
だが、だからと言って、それを止めろとなど、言えようはずもない。
「ただの仕事なのに……」
とっくに気が付いていたのだ。
自分自身が、これをただのバイトや仕事だと考えていないことなど。
ある種の特別な時間だと捉えていたことなど。
その日の仕事はどこか上の空であった。
そしてまた別の日。
未だ特別は終わらない。
部屋に上がり、掃除をし、料理をする。
彼は掃除自体も慣れてきているのか、彼女が来る日、部屋の汚れはほとんど残っていない。
軽くゴミが残っていないかなどを確認し終えれば、十分と掛からずに終わってしまう。
それをできるだけ時間をかけて終わらせると、彼女は料理を作り始める。
彼の好みもそれなりに把握出来た。
薄めよりも濃いめが好き。
甘辛い味付けのものを好む。
牛肉や豚肉のようなものよりは、鶏肉や魚などのあっさりとしたものを選ぶ。
葉野菜は食べるが、光物野菜をやや苦手としている。ナスは絶対に食べないと宣言していた。
さて──と一息ついて。
今日は何を作ったものかと、彼女は包丁を握った。
トントントン──と、包丁の音がリズムよく。
カチチチチチ──と、火の点く音が。
そうして手際よく料理を済ませていくと、彼女はそれらをタッパに詰め、少し冷まして置いておく。
時計を見ると、まだ少し、いや、かなり時間が残っていた。
もう一品くらい作っておこうか。
それとも、コーヒーでも淹れようか。
彼に尋ねると、「お願いしていい?」と帰ってきたので、彼女は「任せんしゃい」と言って、ケトルに水を入れ、お湯を沸かし、コーヒーを淹れ始めた。
ドリップさせるのには少し時間がかかるので、湯を少しずつ足しながら、彼女は戸棚を探る。
コーヒーに合いそうなものをいくつか手に取ると、それを更に盛りつけた。
そして先にそれをダイニングに運ぶと、そこでは彼がスマホを睨むようにして見つめながら、唸っていた。
「テーブルに肘をつかない」彼女は皿を置きながら注意する。「小さい頃言われなかった?」
「ん……いや、言われたのは『食事中に』だったと思う」
「あ、そっか。私もそうだ」
「……まぁ、なんにしたって、行儀の良いことではないんだろうけどさ」と、彼は肘をつくのをやめ、その代わりに、その手を菓子に伸ばした。「……んん」
それをサクサクと齧りながら、彼はやはり唸る、唸る。
彼女は珈琲を注ぎながら、そんな彼を見遣る。
何やら悩みごとのようである。
訊くべきか。
訊かざるべきか。
踏み込むべきか。
静観するべきか。
逡巡して、彼女は訊ねた。
「どうしたの?」
「ん?」
「いや、これ見よがしに唸ってるから、何か悩み事でもあるのかな~って」
「悩み……。まぁ、うん、悩み……。そうだね、悩みと言えば悩みだね」
「それは……話しにくいこと?」
そう訊くと、彼は無言のまま、目玉を一回転、ぐるりと大きく回した。そして、「かもしれない」と言う。
「まぁでも、どうしてもってほどでもないのか……ある意味では」
「ならとりあえず言ってみなよ。人に言うだけで解決することも……無くはないんだから」
「そりゃ解決するだろうね……」彼は小さな声で呟きつつ、先程まで食い入るように見ていた画面を彼女に見せる。「ここって、知ってる?」
画面に表示されていたのは、電車で三駅行った先にある水族館だった。
知ってはいる。
聞いてはいる。
行ったことはない。
だが、何故そんな水族館のことで悩んでいるのだろう。
らしくもない──などと。
「知ってるよ。私は行ったことないんだけど、彼氏に連れてってもらったって──」自分で言って、ちくりとしたものを感じた。「──エイミがね」
「エイミ? あぁ……友達?」
「うん」彼女は努めた──にやにやとした表情を作るのに。「……でも、何でそんなとこ調べてるのかな?」
今言ったように、そこはどちらかと言えば──デートスポットだ。
子連れの家族も多いが、しかし若い男女の二人組の方がもっと多い。
「何で……か。まぁ、気になったからとしか言えないけど……」
彼は腕を引っ込めると、スマホを置き、彼女が注いだ珈琲に手を伸ばした。
「それで? そのエイミって人は何て言ってた?」
「え? あー……、まぁ、良かったって言ってたけど……」彼女は珈琲を啜る。そして再びニヤニヤとした表情を浮かべた。「もしかして、誰か誘おうとしてる感じ?」
何故訊いてしまったのだろう。
はいと返されたらそこでお終いではないか。
訊かなければ、知らないふりを出来たかもしれないのに。
彼女は慌てて、「あー、ごめんごめん! 流石にそこまで踏み込むのは違うよね、プライベートなことだし」と、撤回する──間もなく。
「うん。……あぁ、いや、まだ場所選びの段階なんだけどね」
と、彼は答えた。
じんとした、痒みにも似た何かが、胸の辺りから全身に広がった。
「そう……なんだ。へぇ……。あぁ……。ふぅん……。そっか……」
「そうなんだけど……、どうかな?」
「え? え、あ、いや……」思考が上手く纏まらず、矢継ぎ早に、脳に浮かんだ言葉を紡いでいく。「ま、まぁ、ベタだけど、うん、でも、水族館って静かで落ち着いた場所ってイメージもあるし、安定感はあると思うよ、やっぱり」
これではまるで、意味もなく取り乱しているようにしか見えなかった。
彼は幸か不幸か、そんな彼女ではなく、スマホの画面を眺め、スワイプしていた。
「それは……女子的な意見?」
「そ、そういうことに……なる……のかな? まぁ、私女子だし、男子的な意見は出せないんだけど」
やはり、誘う相手は女子なのか──いや、こんな場所に男を誘って連れて行くこともないか──寧ろ、恋愛対象が女子なだと確定しただけ喜ぶべき場面なのか──だからと言って自分の付け入る隙があるとは限らないだろう──などと、意味もないことを考えていた。
すると。
「んん……。じゃあ、君としてはどう? こういう場所っていうのは」
「わ、私!?」
思考を一瞬にして吹き飛ばされた。
それほどの衝撃が全身を貫いた。
「わ、私は……」髪の毛に手が伸び、毛先をくりくりと弄り始めた。「まぁ、相手にもよるんだろうけど、割と、その……良いかなとは思うけど……」
どんな顔をしているのかが分からず、それをリセットさせるため、彼女はまたしてもにやにやとした表情を作った。
引き攣っていたのかもしれない、そんな表情で、彼女は揶揄うようにして尋ねる。
「そ、それにしても、私の意見なんて求めて、もしかして私、これから誘われちゃう感じ~?」
どうかそうであってくれ、と。
「あぁー、まず一般論を聞き出しつつ、私個人の知見も自然な流れで引き出したわけだ~」彼女は何かを言おうとした彼の口を塞ぐように畳みかける。「鮮やかな誘導だな~。流石だよ」
うんうんと頷きながら、彼女は着地点を探す。
ここまで何の考えもなくやってしまった以上、「いや、違うけど」などという返答をされたら、少なくとも数日は立ち直れないだろう。
その際に別の──デートに誘おうとしている人間の名前など出されようものなら、もう二度と立ち上がれる気がしない。
それを回避するために須らくは。
どうにかして向こうを、彼女が今現在置かれている『引っ込みの付かない状況』に引きずり込むことだ。
要するに、
「そうだよ」
と言わせればいいのだ。
そうだよ──と。
言わせれば。
言わ……せれば。
「……え?」
「だからまぁ、本人に相談するのもなって思ってたんだけど、でも、本人の意見が聞けるんだったらそれ以上に参考になる話もないよなって思って」
「あ……へ……?」
「なんだっけ、『相手にもよるけど割とよさげ』だっけ」彼は短く息を吐き、椅子の背に体を預ける。「……相手にもよる、か」
「えっと……」
頭がぐらぐらとし始めた。
彼女は肘をついて頭を押さえると、「ま、マジ?」と、にやにやとした表情──ではなく、ただのにやけ面で訊ねた。
「マジで私誘われちゃう感じなの? で、デート……に?」
「断られなければ、だけど」
全身が熱を帯びていくのを感じる。
とっくにそうだったのだろうが。
「あー……。へぇ……。あぁ……。ふぅん……。そっか……」
彼女は少し──否、かなり嬉しそうに、しかしそれを隠しながら言う。
「ま、まぁ? 来週の土曜日とかだったら? 何も予定入ってなかったはずだし?」言い終えて、カップを持ち上げる。手先の震えがそのまま伝わっていた。「ほんと、暇しちゃいそうなのを今から戦々恐々としてたわけだし?」コーヒーを啜り、慎重にカップを置く。「その日に誘ってくれるって言うなら? 受けないこともない……かなって、思い、ます……」
最後の方は尻窄みになっていたが、それでも何とか言い切った。
そんな彼女に対して、彼は。
少し安堵したような顔をして。
「ならその日、予定を入れてもいいかな」
と、真っ直ぐと彼女を見て、真剣な面持ちで言ったのだった。
それに対する答えなど、言うまでもなく。