[36]明ける放課後②
拡散し、統合されずに暴れていた自意識が収束して行き、俺つまりは「慶磁」という形を作り出し、深い部分からゆっくり浮かび上がっていくのを感じていた。
入れ替わるように、よく見知った女の意識が上の方から降りてくる。
「やあ、ジュリ。今回も俺を止めてくれてありがと」
腕を伸ばして、彼女を抱きとめてやった、ジュリは不思議な微笑を浮かべて、嬉しそうに俺を見た。
「当然よ。ケーシを助けるのが、あたしの役目なんだから………それに、今回は魔緑で力をスッカラカンにする前に、あなた止まってた。万葉がしっかり、止めてくれてた」
「そっか……」
二人が交差して、俺は上に、彼女は下へと落ちて行く。
「大事にしてあげてよね。あの子だけよ、ほんとに貴方に最期まで付いてきてくれるような子はね」
「わかってる」
ジュリが上へと手を伸ばす、俺は彼女の手を取るが、目覚めが近いらしく、凄い力で上へと引っ張られて行く。
握りあった掌がすべって指先を滑って行く。
それを見て、最後の会話だと悟ったのだろう。
彼女はニンマリと微笑んで、意味深に付け加えた。
「……ちょっと、ケーシの魔力を無駄遣いしたのっ」
「ん?…無駄遣いって何に使ったんだよ」
急速に二人の体は遠ざかって行く。
「後で、万葉を脱がせばわかるよっ」
どう云う意味だよ?
問い返す間もなく、俺の意識は覚醒した。
「おはよう、万葉」
柔らかい感触に包まれた、素晴らしい目覚めだった。
俺は魔緑の中心に育った桜の巨樹の中ほどで眠っていたらしい、覚えている最後の記憶では地下深く潜っていたはずだが、成長する森に押し出されたのだろう。
俺の体からは、魔力がもはや欠片もない。いつの間にか、性別も男のほうに戻っている。実は、一度スイッチが入ると、魔力を残らず吐き出さないと元にどれないのだ。
「おはよう慶磁さんっ」
優しい手触りが俺の前髪を退けてくれた。膝枕から頭を起こし、周囲を改めて見直すと思わず苦笑が漏れてしまった。
「これはまた、派手にやっちまったなぁ」
魔素で覆われていた地域は、不気味なほどに大きい桜の森の覆われてしまった。この不気味なほど華美な一帯で生存を許される存在は俺たちだけだ。
壮絶に美しいのに、だれもが忌避する《暗き森》がまた1つ、増えてしまったわけである。
俺は、頭をガシガシと掻いた。そして苦笑する。いや、ほんとに苦笑するしかない惨状なのである。
生徒会長閣下がお怒りになるかもな。っと、口の端で笑みを作る。
だからと言って、この惨状の原因が俺であるなどと誰にも証明できない。白々しいとは思うが、何かあったかと聞かれれば「さぁ?俺は意識を失ってたから、よく解らないな」と答えて終わりだ。
何と云っても、すべての元凶は《マッドウインド》だったのであるから、メンドクサイ説明など必要ないだろう。
変態の行動の理由なんて、普通人にはわからないものだ。
俺は、太陽の日差しの中で思いっきり背筋を伸ばした。ポキポキっと骨が鳴って、眠気が吹っ飛んでいく。意識はとてもクリアだ。
「さてっと、万葉。時間はわかるかい?俺のは…雷で壊れたからね」
夜が明けてからずいぶんたっている。
太陽の暖かな光は、森の上の方の枝に座っていた俺たちに降り注いでいる。朝露を浴びた花弁はキラキラと光り輝いている。万葉はその美しい景色のなかに自然に溶け込みニッコリと微笑んでいた。
「今、ちょうど八時。いい朝になりましたねっ」
すごくいい笑顔で、快晴の空を見上げている。
万葉は、俺ほどじゃないがずいぶんボロボロの服を着ていた。焼け焦げと、切り裂かれたような破れた服。血は出てないみたいだけど、ちょっと肌が赤い部分があった。
俺はそれを指でゆっくりと撫でてやったのだが、少しすると妙な気分になってきて困った。なんといっても、ここは俺の世界と云ってもいい場所だから、デバガメなんていやしない。
だーかーらー、俺が勝利のメイクラブを欲したところで問題はない。(他人がどう云うかは知らないが、俺の倫理観ではノープロブレムだ)
しかし、しかしだ。
俺と迎える最初の朝日に、心良さ気なようすで風と舞い散る花弁に戯れる美しい女を、そんな即物的に汚すのは間違っているような気がしたのだ。
今の彼女なら、内の美術部が鳴いて喜ぶ、最高の被写体となるだろう。まさに、女神を閉じ込めた一枚の絵画だ。そこに俺が入るには、偉大なる風格を持つ王様でなければいけないだろう。
偉大なる王様が、そんな即物的ではいけないだろう?………………王様なんだから、何してもいい気も少しはするけど。
軽く頭を振って苦笑した。今はこの美しい情景を堪能しよう。
彼女に習って、空を見あげた。快晴の空だ、今日の四国は雲ひとつない。あんまりいい天気だから、今日は自主休講にしようと思い、目を伏せたのだが次の瞬間、ハッとして薬師の方を見つめる。
「今日は何曜だったかな……」
「土曜ですよ」
それが、どうかしたのか?っと万葉は首をかしげた。
俺は思いっきり、皺を寄せて唸ってしまった。
ヤバイ。ほんとにヤバイ。洒落にならないほど、ヤバイ。
「……洒落にならねぇ。」
土曜は、俺の大嫌いな吉田の英会話だっ。奴の気取った下手糞な発音が身の毛のよだつほどに嫌いな俺は、奴の授業はいつだって出席日数ギリなわけである。
よく考えてみると、万葉に始めてあったときも、吉田の野郎からのペナルティーだ。そこでのイザコザで俺はここに居て、さらにここで、欠席なんぞした日には、俺は恐怖の吉田スパイラルからいつ抜け出せるか、わからないではないか。
奴に、これ以上こき使われるのかと思うとゾッとする。
「万葉、帰るぞ!急いでなっ」
「ええっ!?どうしたの?そんな切羽詰った感じで?」
「何いってる?四国の本来の時間が始まるんだぞ」
万葉が首をかしげる。
「どういうこと?」
俺はため息を吐いてしまった。が、よく考えると万葉が、こんなに困惑するのもなんとなくわかる。
だって、一年は入学の次の日から研修に行き、そしてその研修終了日に事件に巻き込まれてしまったわけだもんな。たぶん、抜けてしまってるんだ。
俺たちが、ただの───
「学校だよ。俺は大学の講義、万葉の選択単位の履修届けもたしか今日が提出日だぞ」
「ええ!?こ、こんな大事件が起こったんですよ?普通、締め切りの期限とか延ばしてくれてもよさそうなものでしょ?」
「そんな普通の学校みたいなこと期待するだけ無駄だ。ここじゃ、程度の差はあれアクシデントなんて日常茶飯事。学生自治国家、四国の名は伊達じゃないんだよ」
万葉は、俺の言葉に悲鳴を上げて、跳ね起きたっ。俺はそんな彼女に真剣な目で頷き返す。お互い、酷い身なりになってはいたが、そんなこと構って入られない。
「履修届けの提出って確か、最初の一時間目ですよ!」
なにがなんでも、授業開始のベルが鳴る前に、あの校舎に滑り込まないといけない!俺たちの目にはそんな切実な指名のような炎が灯っていた。
1つ、深く頷き、次の瞬間、二人は大きく跳躍した。飛んだ先には何もない空があるが、大丈夫、この森は俺たちにとても優しい。
太い枝が曲がり伸びて、空中に足場を作ってくれる。その枝は、俺たちの体重をしっかりと受け止め、しなりを作って加速を与えて空へと返してくれた。
滑空する俺たち、予想外だったであろう森の加護に万葉が驚いた顔だったが、すぐに俺に微笑みかけてくる。
「これなら、間に合いそうですねっ!さすがは慶磁さんの森です」
俺もニッと微笑み返す。
ここは世界で唯一の学園自治国家。その名も四国。四国の放課後はとても魅力的であり、そして刺激的だ。どんな欲望を孕んだ思春期の生徒もしっかりと満足させてくれるだろう。
それが、俺みたいな人間の変種でもね。
だが、その楽しい放課後も何時かは終わり、新しい一日が始まる。
その時間律を乱さないことも、ここが楽園であるべき条件なのだ。
何しろ、ここは生徒という特殊な存在にのみ許された場所なのだから。
「万葉っ!!」
俺は宙を飛びながら、俺だけの玉女に手を伸ばす、彼女は微笑みながらその手を握り返してきた。
「薬師入学おめでと!!」
祝福するように森は花弁を華麗に撒き散らした。飛翔する俺たちは風に舞う桜の中を舞っていた。