[35]明ける放課後①
それはやっと夜が明け、太陽が姿を見せた瞬間に来た。
翠の光は、頭上の土壌を抜け、外にも明かりが広がって行った。それは、魔素を吸収してクリーチャー化した森から、いろいろな目的で侵攻してきていた人間にまで照らし出し、次の瞬間、透過して抜けて行った。
最初に変化が起こったのは同種の木々たちだった。
今までよりもさらに、凶悪な勢いで成長が始まった。新緑がだんだんと太くなり、禍々しいほどに黒い幹へと取って代わる。それは、信じられないほど巨大な桜の大樹だ。その表皮は鉄のようだ。
成長を続ける魔緑から、逃げ惑うクリーチゃーたち。能力の進化した彼らだからこそ、なんとか逃げ惑うことが出来ていている。そう云うしかない状況だった。腹を立てたリスのクリーチャーが桜の表皮に噛り付いたが、逆に彼らのサーベルファングが欠けてしまった。鉄を食い千切れる彼らの歯よりも、表皮は遥かに硬いらしい。
どのような能力で迫ろうとも魔緑はすべてを弾き返したのだ。
それは、クリーチャーだけではない。
慶慈のように、各校が放っていたエージェントたちにしても、同じだった。
「駄目だっ!魔力も弾かれてる」
「どうなってるんだ。傷ひとつないぞ」
「そんなことより、この気味の悪い光はなんなのだ?!」
地面には、迷走しているクリーチャーの大群。それらを他校のエージェントが不安そうに見ている。
すでに全天が桜に覆われてしまっている。彼らは異変の発生点から近すぎたのだ。巨大な檻とかした桜のなかで彼らは脱出作を練っていた。その中の一人が、奇妙な代物を見つけて、驚愕の声を発した。
「おいっ!あれを見てみろ」
「な、なんだあれは!?キメラだってのかよ。新種か!」
それは、よく見る鹿のクリーチャーだった。特徴的な角から、それは間違いない。しかし、その体から奇妙な物が生えている。動植物の二つの種が融合しているクリーチャーは未だ確認されていないはずだ。
「植物が、体から生えてる!」
桜の根を踏み越えて、その鹿は男たちの視界から消えてしまった。陽光が上ってきたといっても天頂に登ったわけではない、視界はとても悪いのだ、そのせいで見間違ったと思いたい男たちだったが、彼らは慶磁には劣るかもしれないが、間違いなくA級のエージェントだ。この距離で全員が同じ見間違いをすることなどありえない。
「な、なにが起こってるんだ…………」
一人が呆然と呟き、思わず、目をごしごしと擦った。もしかしたら、ゴミが入っていたのかもしれないっとの無意識の行動だった。
と、その時、男は自分の手のひらに付いているゴミを見つけて、すこし固まった。
「なんだ?これは」
男は自分の手首の横にいつの間にかくっ付いていた植物の葉を摘み上げ払おうとした。しかし、葉を摘んで引っ張った瞬間、神経を直接、弄られたような激烈な痛みを感じて悲鳴を上げた。
「ぎぁやああーあーーッ!」
「な、なんだ!?どうした?」
蹲り、手首を押さえて絶叫する男に仲間たちが駆け寄ろうとした。そして、その時になって異変に気づいた。
「なんだ?足が動かんぞ」
「お、俺もだっ。くそっ。どうなってやがる」
足のそこが地面に張り付いたかのように動かない。一人は靴を脱ごうとしたが、それも上手くいかないらしい。どうなってる?っと男たちが悲鳴を上げ続ける男の方へ首を向けたとたん、驚愕して口を大きく開いた。
蹲っている男の体が、皮膚の色が緑色に変色しているのだ。そして、悲鳴を上げて転げまわる間も植物の新芽が何本も生えだして来た。男の体がピタリと動きを止める、なぜか?それは男の体が根を張ったからだ。
何が起こったのか、男たちははっきりとは解っていなかっただろう。完全に理解するなど、この状況では無理な話だ。
だが、感の鋭い男たちは、はっきりと悪い予感に身を震わせた。
「ま、まさか……」
一人の男が自分の手のひらを目の前に持ってくる。普通だ。思わずホッと息を吐こうとして凍りついた。見る間に肌色が緑色に変わって行くのだ。
「うおあぁあおああおあおぁおあぁおぁっ!!!」
エージェントもクリーチャーもすべての存在が魔緑へと変貌していく。これこそが《暗き森》、隻腕の魔女の作り彼だけのテリトリー。
魔緑は大気中の魔素を吸収し成長と共に、可憐な花弁を生み出し、世界でもっとも強力な結界となり、地獄へと通じる門を押し戻し、ついには穴を埋めてしまった。
魔素が急激な勢いで消失していった瞬間のことだった。
「まっすぐ生きろぉおおお!!」
絶叫を上げる筋肉達磨、もとい雇われ薬師学園臨時教官の聡美は、華麗なハイジャンプからブラジルでメジャーなルチャと呼ばれる空中殺法を繰り出し、前方を塞ぐ巨木を、っというか普通の木など最早存在しないのだが、それの数本を根元から折り倒した。
なぜか、上半身裸の彼は、マッチョな肉体を汗にテラテラと濡らしながら、さらに突進を繰り返して行く。その背後から彼を呼ぶ声がしたが、彼には聞こえなかった。
「この道を行けばどうなるものか?!」
ベキシっ。
エルボ一発で巨木が折れた。
「危ぶむなかれ!!危ぶめば道はなしっィィィイ!!」
ダブルラリアートでさらに二本をぶっこ抜いた。
「踏み出せば、その一足が道となるっ!!」
このあたりで頭1つ高い巨木にズドンっと頭から体当たりを食らわした。そのままその巨木に腕を回して、幹をその大きな手のひらで握った。
「迷わず、行けよ。行けばわかるっああああううあうあうううあうあ!!!」
数十トンはあるだろうその木が、投げ下ろしのバックドロップで左後方に飛ばされた。
凄まじい土煙が巻き上がる。
聡美以外の全員が激しく咳き込んだ。
「聡美くんっ!君、調子に乗りすぎよ!」
保険医として同行していた佐保富教官が、生徒たち全員を代表して、筋肉達磨を叱り付けた。とんでもない速さで森を開いてくれているのは、ありがたいのだが、途中から妙な熱に犯されている。
「ぬ!これは、我としたが……。次からは投げる方に気をつけるとしよう」
聡美にとって先輩にあたる佐保富のお叱りにはさすがにシュンっとなった筋肉達磨だったが、すぐに、両腕を脇でパカンパカンと鳴らして、新たな大木へと突撃しようとしていた。目が輝きだし「さて、次はどんなフレーズを言霊にしようか……」などと呟いている。
そんな彼の背中にむけて、尾海の呼び声がやっと届いた。
魔素の消失が確認されたと同時に、聡美の上着にはいっていた携帯が鳴り出したので、それを伝えようとしたのだが、タイミング悪く、へし折った木が倒れた衝撃でおこった粉塵をもろに喰らって、道脇に吹き飛んでいたらしい。彼女がボロボロなのは、そんな理由で吹っ飛ばされて、榊庄輔の操る土木工事使用の格子甲冑デランにっよって、森のなかでひっくり返っていた彼女を助け起こされたからだ。
「うん?いかぬぞ、尾海。デラン部隊は道の舗装に忙しいのだ、世話をやかすな」
「ひ、ひどいですよぅ、教官ぁん」
ちょっぴり目尻に涙が浮かべながら、鳴り止まない携帯を差し出した。
「おう。電波が通じたか、どれ」
聡美が着信ボタンを押したとたん、薬師学園大学、生徒会長閣下であらせられるところのマリアンヌ嬢が、叫ばれた。
「全員、無事ね!!??」
命令形だ。だれか、一人でも欠けることはゆるさんっ!!というエゴが篭っている。
「ほぼ、全員がここに居るぞ。現在、仙遊ガ原からの脱出まであと、三キロといったところだ」
『聡美は生き残っている者は』という言葉を省いた。
「全員ってのはどういうこと!?」
「竜胆万葉の消息が不明だ。が、心配するな恐らくは慶磁と一緒であろう」
「それって、あんまり安心できないわね。………襲ってなければいいけど」
「あの娘なら大丈夫であろ、うっ!!」
聡美は小さな携帯を摘むように耳に当てながら、ショルダータックルでさらに木をへし折った。
「なんでわかんのよ?」
「感だ。我のな」
あっさりと明るく言うと、電話の向こうで相手が笑った気配がした。
「なるほど、感ね。しばらく、その娘と一緒に居たあんたの感だから信じてあげるわ。………それより、見てるでしょ?あんたたちの後ろから迫ってくる光」
「ああ、あの緑色か。見えておるぞ、かなり危なそうだなっ」
あんな気色の悪い光にあたるのは御免こうむるっと、聡美は太い首をふった。
「ええ、あんな力場を見るのは私も始めてよ。………でも、わかるでしょ?」
「ああ、恐らくあれをやっておるのは慶磁だ」
絶対の確信を篭めて聡美は言い切った。そして、太く笑って続ける。
「心配するな。マリー、今の慶磁には竜胆がついている。ホルスに精神を乗っ取られることはあるまいよ」
薬師は慶磁がただのホルス使いだと、思っているのでこの表現は間違っているが、実際の状況に当てはめてみると、聡美の言うとおりであった。
竜胆万葉が居る限り、慶磁は世界を滅ぼさない。
あの力場も、暫くすれば侵攻を止めるであろうと予測された。
マリーはひとつだけ大きく深呼吸した。
「私たちの部隊は、あんたの進行方向と逆から森を削って進行中よ。たぶん、あと三十分もあれば合流できると思う。そうなったら、一気にこの場を脱出する」
「当然だな、我はもう丸二日徹夜である。これ以上の労働は御免だ、ぞっ!!」
華麗なるソバットが巨木を破砕させた。
「皆、喜べっ。薬師の本体が間近にまで着ているぞ。もう少しだっ!!」
「おおおおぁう!!」
土木作業チームのスピードがさらに速くなったのは言うまでもない。




