[34]隻腕の魔女④
そうだよ、穴だ。死後の世界に通じている大きな穴だよ。これ塞がなきゃ、来た意味ないよ。
「って、ケースどこよ!?」
改めて耳を澄ますとオンロオンロと不気味な鳴動が聴こえてきた。何の音だかはわからないけど、すごくヤバイものだろうってことは予想できた。
しかも、その地獄の門がだんだんと淵をぼやけさせて行ってるのはどういうことだ?
……決まってる。穴がだんだん大きくなってきてるんだ。
派手にぶち壊したから、穴を安定させる装置が壊れちゃったんだろう。風祭が派手に雷を落とすからだ。
「ケース!ケースどこよ?どのなのー!?」
気がつけば、ケーシが薬師からもってきたはずの対異界兵器が消えている。っていうか、いつから?あたしが具現してる時点で、手放してた?
だとしたら────
「ママ、この部屋で無事な物なんてひとつもないよ?あのケースも壊れちゃったんじゃないの?」
呑気に万葉がケーシの髪を撫でながら云って来た。
そんな慌てることないじゃないの?
っという態度にちょっと腹が立つ。ここは慌てるシーンなのだ。
「万葉。そんな場合じゃないっての、この穴が広がったらどうなると思ってるの?!ここまで広がった穴はもう自然には塞がれないのよ」
「だったら、救援隊が来るまで放っておけばいいんじゃないかしら?」
「あんた、あたしが死んだ理由知ってるの?自然発生した開放性の穴から吹き出たエネルギーで一気に吹っ飛ばされたんだよ?香港が吹っ飛ぶエネルギーだよ。大崩壊だよ。わざわざ、薬師がなんでブレーキの壊れた暴走車みたいなケーシを寄越したと思うの!?情報収集?生徒の安否確認?それもある!でも一番の理由は開放性の穴なら、なんとしても防がないといけないからよ」
思い切り捲くし立ててやると、漸く万葉が現状を理解してくれたらしい。キョロキョロと目が彷徨いだした。自分で壊れたと云いながら、もしかしたらっと今頃思い直しているらしい。
「で、でも、そう云われても、ケースがないんだし、どーしようもないじゃない?」
慌てふためき、意味もなく手をぶんぶんと振り出した万葉にあたしの焦りは少しだけ納まった。うん、やっぱりあたしが慌ててるのって変だ。
あたしは何時でも何でもわかってるって顔で笑ってて、他のが慌てふためき動き回る。それが、正しい在り方だ。
「落ち着きなさいっ。対異界兵器がなくても、異界の穴を塞ぐ方法はあるわっ。あと1つだけね」
「ほ、ほんとに?!」
「ああ、その通りだよ。フロイラン」
第三者の声に、驚いたように万葉が振り返る。いや、このあたしも驚いてるけどね、出来るだけゆっくりと余裕たっぷりに振り向いてやった。
これ、あたしのスタイルだから譲れない。
「あらあら。生きてるのにも驚いたけど………貴方、そこまで知ってたの?風祭」
「当然だよ。僕が憧れた魔王に関することだからね。ああ、まだ云ってなかったが僕は慶慈くんのファンなのだよ」
振り向いた先には、倒れ伏した風祭が居た。無事とはとても云えない姿だ、全身の毛穴から血がぬらぬらと漏れ出ている。老躯は、ピクリとも動かないらしい、瓦礫の上で操り主を失った糸繰り人形のように奇妙な姿勢で倒れている。
しかし、その割りには声に張りがある。これから、死にいく者の声ではない。
だからといって、敵対者の声でもなかった。まぁ、あの傷じゃ戦いようもないだろうけど。
「どう云うことよ?」
「《ミッドガルドの暗き森》………魔王にのみ許された世界をリセットする反則技があるのだよ」
ミッドガルドの暗き森。それは、言葉に乗せるのも忌避される地名だ。若い万葉では知らないだろう。
「ママ?!」
説明を求める万葉をあえて無視して、あたしは命令した。風祭に向けて、轟然と微笑みながらね。
「万葉。ケーシに頼んでちょうだい、その鰻ちゃんを寄越しなさいってね」
「は、はいっ!」
万葉がにっこりと微笑みかけるとケーシが飛びつくようにして顔を近づけた。その首元をしめるように抱きしめながら、耳元に万葉が囁いた。
すると、コクコクっとケーシは従順に頷き、手に握り締めていた千次郎を口に銜えた。そのまま、ズルズルと飲み下していく、その様にあたしはちょっと引いてたけど、万葉はそんな暇すら与えられなかった。
ニッコリと少年のように微笑むと、彼は万葉の唇をディープに奪い、尚且つ、なにやら凄く長い物を流し込みだしたのだ。ホルスとの契約は普通は危なくてやらない、なぜかというと云うと、ホルダーは絶えずホルスに侵食される恐怖に犯されなければならないからだ。特に、実力的に下位の者が上位の者を支配しようとすると、かなりの確立で問題がおこる。風祭がそんな危険なことを敢行したのは、奴が鬼才で変人だからだ。万葉は、天武の才はあるかもしれないが、まともな精神をした娘だ、そして能力的に成長途上の彼女では千次郎には及ばない。
しかし、それらのすべての危険を排除できる存在が、ケーシという男だ。有り余る魔力はホルス2匹分をも浪費されたとしても絶対量が減る気配すら伺えないだろう。まぁ、契約時には過剰な魔力が必要だからケーシの魔力にもさすがに半分くらいにはなるだろうけど。つまり、これは契約者はケーシで、保有者は万葉ってことになるのだ。
「うむぅ…」
万葉がもがいて暴れるが、遊んでくれているのだと勘違いしたらしいケーシは面白がって万葉を拘束しにかかっていた。もちろん、流し込みは終わらない。
「おや、これは熱烈だね。残念だな、僕にも同じものをしてくれないものか?」
「駄目よ。千次郎はあんたには与えてやらない。やっと、家族がそろったんだから、邪魔するなんて野暮はやめてちょうだいよね」
艶やかにアタシは微笑み、万葉の喉を撫でた。流し込まれた千次郎が万葉の肌の上を刺青になって這っている。いたって大人しく、彼は万葉の中に封じられてくれた。
宿主と再契約を結んだことで、先ほどまでの情けない鰻から、再び雷神とも呼ばれた龍へと戻っている。
ケーシが、ポンッと空気の抜ける音をさせて唇を離すと千次郎の尻尾が万葉の細い喉を滑り落ちていって、娘の肢体にトグロを巻いた。
「な、何この子、すごい力だよ?」
「そりゃそうよ。あんたの実の親だもんっ……………」
ぼそっと呟いたけど「ありがと~慶慈ぃ~」なんて猫なで声だしてケーシを抱きしめているあたしの娘は聞いてなかった。
ちくしょう、自然にばらしたかったのに。
「ねぇ、ママ。別の手があるってこれのことなの?この子の力でどうにかなるってこと」
「ちがうわ」「ちがうね」
嬉しくもないけど、風祭と否定の声が被った。
「今のは、云ってみれば前準備という奴だよ。フロイラン、魔力を少しでも浪費してからでないと、四国そのものが《暗き森》に飲まれてしまうかもしれないからね」
さらに、忌々しいことに説明までされてしまった。
しかし、まあその通りである。どうやって調べたのかしらないが、世界中が知らない秘密をこの男は知っているらしい。今まで、知ってるのはあたしとケーシだけだと思ってたのに。
「たいしたものねぇ、あんた。地球側でケーシがあれを使ったのはミッドガルドでの事件だけだっていうのにさ」
よく調べてる。っと云うと、風祭が微かに笑った。
「云ったろう。僕はファンなんだよ」
「なら、知ってると思うけど、あんた死ぬわよ。ケーシのあれからは誰も逃れられないわ」
「それは困るな。死んだら、僕の実験が終わってしまうじゃないか。実験を引き継いでくれそうな子もいないしね。ああ、そうだ、慶慈くんになら僕の後を継いでもらってもいいな。それなら、ここで死んでもいい」
「お生憎さまだけど、あたしたちのケーシはそんなに暇じゃないの」
万葉に抱きついたままのケーシの髪を掴んで強引に風祭に向けさした。さあ、最期の幕引きだよ。
「万葉、ジッとしてなさいね。少しで全部終わるからね」
「う、うん」
緊張した様子で万葉が頷いた。あたしは、小さく微笑みかけると、スッと真剣な表情に引き締めなおし、ケーシの耳元に囁いた。
「君は咲かす」ケーシの耳がピクリと跳ねた。あたしはそのまま続けて行く。「新緑の若葉、それは永遠にして不変、犯されることなき強靭なる命」
ケーシの目が予め設定されたキーワードに反応して、鮮やかな深緑の光を放つ。
そして、無表情なまま喉を鳴らして、人の言葉に当てはまる音を吐き出し始めた。
「それは世界の革新」ケーシの言葉をあたしが次ぐ。「犯されぬ幸せの王国」
男の手の甲からあたしは指を合わせて握り合った。
グッと力を篭めて握り合わせてやる。そして、残った片手で万葉を抱き寄せて四人で一緒になった。
「ママ」
「万葉、見てなさい。これがあんたの男よ」
ケーシがその細い顎を上向けて、淡々と呟く。
《────魔緑────》
その短い言葉が彼の血の気の悪い紫の唇から漏れた瞬間、ケーシの体から鮮やかな翠の光が瞬いた。
その光はケーシから丸い円になってゆっくりと広がっていく。しかしその翠光の円から放たれる圧力は圧倒的だ。周囲を吹き飛ばす勢いでジリジリと広がって行く。圧倒的な翠の光に万葉が悲鳴を上げる、あたしはグッと娘の肩を掴んだ。
「酒井くんっ!」
その光が風祭の足元に届きそうになったとき、叫び声があがった。が、それは追い詰められた者の声ではなかった。最後まで、余裕を残すのが、この男らしい。
猛烈な振動音が足元から襲ってきて、風祭の後ろの床が盛り上がり破砕した。飛び出して来たのはメタリックな凸凹型の旧式ロボットだった。3、40年くらいは昔の型遅れだと思われる。
「ま、まだ、居たわけ?」
眩しそうに目を細めながらも万葉は「酒井」という名前にゲンナリしてみせた。が、その呟きに元気よく電子音は応じる。
「あの中に本体が居るとは云ってなかったでしょう?」
マニュピレーターを伸ばして風祭の体をポットに回収する時、腹部のロックが外れて、ロボットの中身が覗けた。
それを見た瞬間、万葉は絶句する。
中に乗っていたのは、さっきまでのスタイルのいいアンドロイドなんかではなかった。入っていたのは、大きなガラス瓶のなかで羊水に抱かれて浮いている生体脳だけだ。
唖然としたままの万葉に、ロボットが手を振った。
「じゃあね。また、どこかで絡むことがあったら遊んであげるわ」
笑っているようにガラス瓶に設えられた色とりどりの電球が瞬いた。そして、次の瞬間「では、後始末はよろしく頼むよ。フロイラン」っとのふざけた風祭の言葉を残して、土中へと再び消えてしまった。
彼らの消えた床の上をゆっくりと光が広がって行く、それはだんだんと拡大の早さを増していた。