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[31]隻腕の魔女①



 膨大な数の電子が一瞬で空間を走り抜けていく。その電子の粒ひとつひとつの動きは極端までに画一的な型に嵌った動きだ。電子は一定の空間に収束し、そこから加速を受けてひとつの方向に向けて走り抜けていく。収束した電子の束はさながら光の槍のようだ。


 電子の先方隊が俺の死体を激しく叩いていった。


 肉を突き刺し、骨を抜けていく極小の物質は、その加速によって異常な熱量をこの体躯にうつしていく。


 その電子の貫いていく空間に、一秒でも停滞していたならばその時が、隻腕の魔女とよばれた男の最期となっただろう。


 三足の獣が笑いながら電子槍を交わした。






「だけど、その時がくるのはまだまだ先だね」


 あたしのケーシは高笑いしながら、その死を約束する電光のなかを駆け抜けていた。風祭は、部屋の中心部から動くこともできずに、雷光を連発している。しかし、その必殺の雷がすでにケーシを捕らえることは稀になってきていた。


 あたしは首を巡らして、哄笑する宿主の無事な方の目を見た。人間の目にはとても見えないケーシの瞳。白目も瞳孔もすべてが真っ赤に血走っている。


 その赤い目玉が限界まで開かれたまま、獲物に固定されている。二本の足と一本の腕で地面を蹴りながら、その目玉だけが風祭を絶えず視界に捕らえており、彼が抵抗の雷撃を放つたびに、その口元が楽しそうにつりあがる。紫色の唇が三日月のようだ。


「どうした?!雷神、次だ。次を撃ちたまえ!」


 自身のスピードならケーシを圧倒するほどのはずなのに、風祭はその場から動けずにいた。


 それは、あたしの桜に足元を掬われるかもしれないという警戒もあっただろうが、それ以上に室内を縦横に駆ける男のせいだろう。


 血と肉の焼ける臭い、それに甘い香気を全身から立ち上らせたケーシは発情した表情を隠そうともせず、真っ赤な舌を犬歯の間から突き出して、獣のように息を吐いていた。


 高潮する肌。


 獣のような身のこなし。


 獲物以外を見ない視界。


 こんなケーシをあたしは何度も見てきた。この感情の未熟な獣に成り下がった慶慈を。すべての記憶を吹っ飛ばして、力を全開にしたケーシはいつもこうなる。笑い。喜び。発情し。イク。そして、蹂躙し。壊し。侵し。すべてを無にかえす。そしてまた、恍惚の中で絶頂する。


「っはぁーっ」


 声帯を使って言葉を操る能力があることはたしかだったが、今の彼はそれよりも肺を振動させて吐き出す音に意味をもたせている。


 空間を振動して伝わるエンゼルハウリング。


 魔女の唇から歌われるその音の形をした振動は空間そのものを揺らす。


 魔術?武術?幻術?


 彼の前ではすべてが拙い。意味がない。振動した空間はそのエネルギーのはけ口を求めて空間ごと爆砕する。


 もちろん空間には風祭の操る千次郎の魔力も含まれる。


 普通、電の術を防ぐためには、空間を隔絶する壁を作るか、物理的に遮断するか、術そのものを読み取って解除するしかない。


 だが、この魔女には四番目の方法があった。それは魔術を展開された世界ごと潰すこと。


「空間を消した?どういう術なのだ。馬鹿な…祇桜の一族に扱える能力は桜だけのはずっ。なんなのだ、この力は?」


 風祭が焦った声でわめいていた。


 彼はケーシのことをよく理解しているのかと思っていたが、何も知らないらしい。


 よく考えれば、それも道理だ。この状態のケーシを目にして、彼の狂手から逃れるのは難しい。運と実力、それに生命力に満ちた奴しか生き残れない。


 だから薬師ですら彼を扱いかねている。最悪の状況からでもたった一人、生きて戻ってくる男。


 皆が噂する。


 なぜ、いつも一人なのか?


 その理由は、ケーシが殺してしまうから。足りないのだ、一度こうなった彼を満足させられるタフさが。


 それに、彼を安定させられる玉女も今までは不在だった。


「あらま、風祭。あなた知らないで手を出しちまったんだね。この世界でもっとも危険な獣に」


「ミス、この力はいったいなんなのだ?!僕の作った術式演算装置でも図りきれない。まったく未知の術か!」


「あはははははははっ。あたしの力じゃないわ。彼の肉体が生み出した事象の1つ、それが今の世界の侵食よ。魔術なんていえるほどの物じゃないわ」


 肉薄するケーシがその三本の足を巧みに使って複雑なステップを踏む、それは機械演算装置と千次郎の本能で撃ち出される正確無比な電子槍を綺麗に避けてみせた。


「雷神っ!」


 切羽詰った声をあげる風祭、死角に回るなどという戦術的な思考は今のケーシには皆無だった。ゲームのように電子槍を交わし、肉薄し、拳を脚を、そして牙を獲物に突き立てる。それだけを目的に動きつづける。


「がぁおあおああー」


 千次郎が吼えた。風祭の体の上を刺青が這い回る。全身から、更なる電光が発せられた。


 風祭は、己の体とケーシの距離が縮まるたびに千次郎の力を解放しつづけている。つまりは、手綱を緩めているわけだ。


 だんだんと、変幻してしまったころの千次郎に雰囲気が似てきているのがわかる。千次郎も根っからの戦闘狂だった。


 来る日も、来る日も、修行ばっかりしてて腕試しだって云っては巷のゴロツキに喧嘩を売り歩いて………つまりはただのヤンチャだったんだ。


 どこまでいっても、子供っぽさが抜けない。


 そして、それはケーシも一緒。


 歓喜の笑みを浮かべて、濡れた瞳で千次郎を見ている。ケーシの相手は、意識が吹っ飛んだ時点で風祭じゃなくなっている。


 ほんとの喧嘩相手は千次郎だ。そして、具現化が進んでいる千次郎のほうもケーシを面白い相手だと認識しだしたらしい。やかましいほどの咆哮の中にも喜悦が混じっている。


 あたしはそれを見て、クスクスと笑ってしまった。一瞬ですべてが燃え尽きる光の乱立の中で笑った。


 まったく、この男って生き物はなんでいつまでもガキなのだろうか。


 かつての愛した女よりも、自分を楽しませてくれる遊び相手に気が行くなんて。


「失礼しちゃうわ。………でも、うらやましい」


 千次郎が魔族になってしまってから、ここまで感情を引き出せたのはケーシが初めてだ。


 せっかく、千次郎と同じ、ホルスに生まれ変われたのに、あたしはやっぱり蚊帳の外なんだろうか。


 ああ、なんて楽しそうな二人のスキンシップ。あたしも参加したい!




 激しさを増した電子槍がケーシの進行上に三発放たれた。それは無数に放たれる雷が生んだ偶然だったが見事に、ケーシの正面と避けるであろう場所にむかって伸びてきていた。世界を握りつぶすにも距離が近すぎて、危険だ。


 そうはいっても下がれば、避けることはたやすい。もちろん、ケーシならという話だが。


「でも、下がんないよね」


 片目をキラキラさせているケーシは、この危機的状況で軽くイっていた。微かに肢体が震えているからあたしにはもろ分かりだ。


 そんな旦那にやれやれだわっという笑みを浮かべながら、桜を展開して防ごうかとも思ったがそれは止めることにした。


 あんな雷、あたしに防ぐのは無理。


 時間をかけて編んだ完璧な結果ならともかく、一瞬で編める桜には限界ってものがある。


 それに、あたしが手を貸す必要なんてあるのか微妙だし。


「っはぁー」


 肺を振るわせる耳に痛い振動を吐き出しながら、ケーシが今までの獣的な姿勢から腰を上げた、そして生前のあたしよりは劣るけど、それでも十分に長い足を思いっきり振り上げてから振り下ろした。


 まるで野球のピッチャーのようなフォームで握りこんだ拳を突き出す。何に突き出すかって?決まってるでしょ。飛んでくる電子槍よ。


 彼は、英国宮廷魔術師の総領息子だった少年は、年を経て魔を扱う者の最上位に昇った。


 電子を肉体で殴ることすら彼には造作もない。


「ば、馬鹿な?!爆散してもおかしくない威力のはずなのに」


「っはぁっぁっぁ」


 喘ぐような喜悦の叫びを上げるケーシ。


 殴りつける瞬間、尻の間から昇った悦楽の波が背骨を抉りながら脳髄にもぐりこみ、その波に刺激されて全身の性感帯が火を噴いた。


 肢体を縮めて、指先を口に含む。


 鮮やかな紫の唇から、アンバランスな真っ白な歯が覗き、含んだ指の中ほどを噛んだ。その加減ない歯の勢いでぷつっと血の玉が湧き出た。


 それを舌先で吸いながら、さらに激しく噛みたてる。どーしようもないほどに肢体が火照って仕方ないのに、その慰め方が今のケーシにはわからないのだ。


 だから、そのもどかしさで自分を傷つける。


「なぜ?……わからない。本当にまったく糸口さえ読み取れないとは!この僕がっ!」


 そして、不意に目に入る自分以外に動く物、ケーシは子供のようにはしゃいで笑う、その口元を三日月にして悪魔のように残酷な子供の笑みで、虫を殺す感覚で。


 あれだけの存在が自分を殺そうと近づいてきているのに風祭は、そのこと自体については恐怖していないように見えた。


 それよりも、ケーシという存在についてまったく理解の糸がたどり着けないことに苛立っているようだ。


 ケーシや仙次郎の狂い方とは違っているけど、やっぱりこの男も狂ってる。


 獣にであったら目を合わせるな。声を殺してゆっくり下がれ。………誰だって知ってるでしょうが?それを守れば、もしかしたら逃げられたかもしれないのに。


 風祭が怒気を発したことで、ケーシの隻眼がクリッと動く。歪んだ笑みでありながら本当に嬉しそうにケーシは顔を上げる。先ほど目の前に着た「雷」にロックしなおされた獲物が再び風祭に、そして千次郎に切り替わった。


 隻眼が細まる、姿勢が再び前傾姿勢に変わった三足でケーシが地面を蹴った。


 手をついた耐震コンクリートが木屑のように削れる、その突進力。十の距離が一瞬でゼロになる。


 風祭は確かに、身体能力の活性化ではケーシより高いスペックを叩き出すことに成功していたが、所詮あの男は戦闘屋じゃない。同じレベルで動いてくる敵には対応できなかった。


 眼前に迫ったケーシに対応できず、睨みつけるしかするすべがない。それでも、自衛能力が働いた千次郎が雷撃を宿主に纏わりつかせて防御しようとする。


 触れた瞬間にすべてを破砕することが可能なだけの威力を秘めた、雷撃。先に述べた、物理的防御の究極だ。何者も、この壁を貫けない。


「それじゃ、無理よ。千次郎っ」


 あたしは優しい声音で忠告してあげた。


 絶対的な魔力量でケーシに敵う者はいない。その身に宿った魔力をただただ拳に載せて打ち出す。それだけで、世界に穴があく。


 術式で増幅させるよりも、魔力の浪費をまったくなしに体の深い部分から肩をとおって腕を螺旋に走りぬけ、拳に到達させたほうが強い。


 普通は、それをやると肉体がばらばらになる。だから、魔術が発達したのだ。どんなにタフな奴でも、普通は術式で補佐して力を使う。でも、それは確かにロスにつながるんだ。


 だが、それが可能な理想的な肉体をあったならば話は別だ。


 何発でも、最上の魔力をリミットなしに放つことが出来る。


 そして、媒介能力に秀で、毒なども飲み込んでしまえる体躯を持っているケーシはそれに該当していた。


 風祭が自らの体に埋まる拳をその目で捕らえて瞠目したのが分かった。あたしはにんまりと笑った。


「重拳っ……当たったね」


 拳は入墨の竜の眉間に突き刺さった。


「がぁっ……………」


 拳を埋められた男がその瞳と舌を限界まで外界に放り出す。まず最初に、拳の埋まった周囲が円状に陥没した。そして今度は内側から放射状に打ち込まれた力がはねる。逃げ口を求めた力の渦が風祭の体内を荒れ狂ったのだ。内臓が踊り、筋肉がボコボコと蚯蚓腫れに走る。毛穴から血の霧が立ち上った。細胞から熱が篭っているのだ。





 目標に牙をたてたその瞬間、ケーシの顔に恍惚とした笑みが漏れた。ブルブルッと体が震える。まったくはしたない旦那さまだわ。






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