[29]大先輩・・・狂った風⑤
増大した殺気が俺の躯からたちのぼっていく。
最初から殺意を隠すつもりなどない。真っ赤に染まった目で語る。俺はおまえを殺すぞ、と。
「万葉」
「はい」
俺の殺気に気づいたときから、身構えていた万葉が素直に答えてくれる。至高の玉女は絶えず、男の意志を助けるというが……万葉もそうだ。彼女は理由を一々聞いたりしない。
俺が風祭を敵だと判断すれば、彼女にとっても敵となる。
「あの増殖女は任せる。……気をつけろよ。お笑いキャラに見えるが、あれでも特A級の犯罪者だ」
「わかったわ」
任されたことに嬉しそうに頷く。
風祭が纏ったものと同種の雷が万葉の肢体を跳ねた。空気が帯電していく。
「なにか彼の気に障ったかな?」
老人が小首を傾げて、酒井を振り返る。彼女たちもそろって首を振った。
「「「「「「「「「さぁねぇ、情緒不安定なホルダーの感情なんて波みたいにかわるものじゃない?」」」」」」」」」
確かに、その通りだ。だが、今回ははっきりとした理由でキレている。
「殺気を当てられる理由くらいは知りたいな?」
風祭が悠然と話し掛けた。
俺の殺意をこれだけ受けて平然としているのは大したものだ。俺は並の人間なら、殺意だけで心の蔵の鼓動を弱められるというのに。
「貴様が召喚した悪魔はな……」
滑るように老人の懐に飛び込んだ。
「俺の女の旦那だよ」
風祭の耳もとに囁きながら、地を舐めるような低空から握りこんだ拳を振り上げた。老人の矮躯が宙を飛ぶ。
「「「「「「「「「風祭君!」」」」」」」」」
「あんたの相手は私っ」
万葉が俺に追随して走った。
無数に飛び交う電子の線を無視して老人の躯を追う。空中にある、それの足首を掴んで地面に叩きつけようとした。
「なるほどっそれは恨まれるな」
首が吹き飛んでも可笑しくない拳をまともに受けたというのに風祭にはまだ意識があったらしい。まずい、と本能が警告した瞬間、室内を青紫の光速で這い回る蛇が何匹も生まれた。
「雷蛇是喰う!」
「雷神よ、許す」
一瞬で組みあげた万葉の高位魔術と、万葉の実の父である千次郎の咆吼が交錯して中空で爆裂した。
酒井が数体巻き込まれて吹き飛ぶ。それを視界の端におさめながら、俺もそのエネルギーの嵐の中で吹き飛ばされていた。
風祭は、俺が叩きつけてやった地面を黒こげにしながら立ち上がってくる。躯に封印した雷神、千次郎の膨大な魔力を吸い上げているのだ。回復能力はおれよりも上かもしれない。
「じじいが、よくやる」
「すごいな。顎の骨が二十秒で繋がった」
科学者の目で自分の躯をあちこち触っている。
「素晴らしいな。ほんとうに素晴らしい。もっと試してみたいな、こいつの才能を」
雷光で焦げた衣服の下に、彫り物がみえた。見事な龍の入れ墨。まるで生きているかのようなそれが、老人の皮膚に縫い込まれている。
「……千次郎」
口の中で呟いた。
「てめぇは何、勝手に魔族になって、勝手にくたばって、最後には他人に利用されてんだ?……しゃれにならねぇほどむかついてるぜ。雷神なんて呼ばれるほどの能力者がなんで、そこまで情けねえ姿さらしてやがる」
一度もあったことはない男だったが、云いたいことならいくらでもあったし、その資格は十分もっていると思っている。
「これ以上、女を泣かせるなよ。毎晩、寝ながら泣いてたんだぜ?起きてるときは、底抜けに明るいくせに、寝てるときは馬鹿みたいに涙流してた」
風祭の両手に光が集まる。老人の笑みが吊り上がった。
「それは俺のホルスになってからも変わってねぇ。ずっと愛してるのはおまえだ。ほんとに愛してるのはおまえだ」
風祭が両手をあわして突き出す。
俺も合わせるように片手を突き出した。手の平を風祭に向けて目を閉じる。
ぐっとその手の平を握りこんだ。そして、開くとその手の平に大きな目玉が生まれていた。ギョロッとした目玉が風祭を凝視する。
「慶慈くん、行くよ」
「万葉、上でその増殖女と遊んでろっ」
極太の雷撃が放たれた。自然発生する雷などとは比較にならない、電子の波。
俺の長身よりも、幅の広い直径が正面からぶち当たってきた。
「ジュリ。やっちまえ」
目玉が瞬きすると、魔力が桜へと具現していった。全身を覆う桜吹雪に雷が当たる。ひとつひとつが強力な結果能力を付与された花弁に雷撃が乱反射する。
室内に散った数十の雷が、室内を穴だらけにした。
その雷撃の雨を縫うように万葉が階段を駆け上っていった。直線速度なら、俺よりも明らかに早い彼女の足に遅れて酒井たちが追っていく。
風祭が笑った。
「さぁ、君の思うとおりの状況になったぞ」
「遊ぶなよ。先輩、戦場で遊んでいいのは俺だけだ」
じっとりと滲んできた汗が香る。いいなぁ。これだ。この匂いだ。
「出てきな。ジュリ」
目玉の浮いた片手を突き出しながら、腰を落とす。突きだした手の二の腕に右手を添えて、魔力を集める。
自然に魔族となった千次郎と違い、ジュリは俺が魔術をつかって人工的に魔族にしてある。彼女が行使する力の元は俺にあるわけだ。
目玉の目尻が下がった。
手の平のまんなかの肉が盛り上がりながら鼻が生まれる、親指の付け根が奇妙に捻れる。そこから口が開いた。だんだんとピンク色に染まるそれがスッと笑みを作る。内側には綺麗に歯が並んでいた。
そして、小指が耳に変じた。
人差し指と中指の爪の間から美しい髪がニョロニョロと流れ出す。
「具現というのは効率が悪いようだね。遅すぎだなっ」
風祭が動いた。
俺の脳は戦闘時には加速状態にはいるので、弾丸の軌道すらゆっくりに見えるのだが、風祭の動きはその弾丸なみだった。
老人の矮躯から、拳がつきだされる。
単調で捻りがない。拳打を修練した人間の拳ではなかったが、それはかなりまずい代物だった。
見えてはいても、避けられない速度だからだ。なにせ、それは軌道から躯をずらしても順次修正してくる人間という優秀なコンピューターを積み込まれているのだから。いくら俺でも標的を追いかける鉄砲の弾は避けられない。
具現の終わらない俺に拳が迫る。
スウェーした頭を逃がそうとするが、それよりもはやく拳が瞳に迫る。
だんだんと大きくなる拳がゆっくりと知覚できた。最後に、視界が拳に塞がれて真っ黒に鳴った瞬間、俺の自前の目玉が沸騰して弾けた。ボンッと威勢のいい音をさせて前に飛び散った右目の肉片を左目で見つめながら、俺の躯はビリヤードの玉のように後方に飛ばされた。
「万葉なみに早いなぁ。雷術使いってのは、肉体活性を促進できるのかねぇ」
直撃した顔から煙が上がっいた。が、俺は苦痛を快楽として受ける訓練を受けているので、痛みに悲鳴をあげることはない。瞬間的な痛みに一瞬、脳髄を駆ける官能の波に体を震わせただけだ。
水平に吹っ飛ばされながら、両足を勢いよく振り上げて、反動で下げる!爪先がコンクリートを削ったが数メートルのところでやっと躯が止まった。
リンボーダンスの選手のような体勢で、煙をあげる顔だけが別の生き物のように風祭を凝視している。
「どう思うよ?ジュリ」
「そうねぇ。確かに、千次郎の雷が微弱にだけど風祭の躯を這ってるわ。たぶん、神経速度を活性化させてるのね。それも、異常なレベルで」
攻撃をもろに喰らいながらも具現が終わった。片腕が消失した変わりに、ひとりの女が生まれる。彼女の指が、焼けただれてゴミと化した目玉の肉片を掻きだした。ついでに奥の視神経をなでて、完全に殺す。鈍痛を放つ神経がピタリと沈黙した。
そうしながら、ジュリは風祭の躯の入れ墨をじっと見つめる。そしてニッと微笑んだ。
「まさか、また会えるなんて思わなかったわ。それも、こんな再会だなんて」
「ほう、美しいホルスだ。映像で見るのとでは、まったく違う神秘性があるな」
風祭の賛美にジュリが苦い顔になる。
「ありがと。でも、あなたからの賛美は嬉しくないわ。二度と云わないで。それから、早く、その人を解放しなさい。これは忠告よ。…あなたは酷い目に遭うわよ」
「それは出来ないな。フロイラン、ようやく手にした力だ。大事にしたい」
「もう一度云ってあげる。慶慈が、正気を保ってる間に、その人を放しなさい」
「何度でも云うよ。答えは「NO」だ」
風祭が再び加速した。
小さな躯が見る間に近づいてくる。
「なめるなっじじい」
膨大な魔力を放出して、呼びかける。木龍よ、目覚めろ。
地下施設を支える分厚い鉄筋コンクリートの壁が壊れて、何かが室内に飛び込んできた。根だ。植物の根が複雑に絡み合って龍を形成している。
「喰え!」
「焼き落としたまえ」
風祭の矮躯に横から食らいついた木龍の躯が眩い光を放ちながら縦に裂けた。
「植物と雷では、僕のほうに分があるのかな?」
にたりと笑う風祭に構わず、俺は吼えた。そして、自分から風祭に疾走する。
「ジュリ!」
「おーけい。死肉は苗どころとなり、無限なる緑を再生する。まずは、芽を拭くがいいっ」
バラバラに吹き飛んだ木片からいっせい緑の芽が出た。
「根を張り巡らし、力を増せ」
俺が駆けている足下の感触が変わった。地面すべてに微細な裂け目が覗いている。土を求めて伸びた根がコンクリートを破ったのだ。
「土がないところだと、君も辛いだろう?地形的な有利性も僕にあるな」
風祭が軽く手をふるとシャワーのように雷が振った。
横っ飛びに交わしながら、やつに近づく。
「馬鹿か?地下なんて、周りは全部土だろうが?」
「慶慈、いくわよ?」
「さっさとやれ!」
ジュリがその蠱惑的な唇から呪を解放した。
「来たれ、魔を封じる。聖なる槍!」
前後左右上下、室内を覆うすべての耐圧コンクリートが粉塵に変じて室内を真っ白にした。
「なにを……がぁ!?」
風祭が空気を吐き出して悶える姿が俺の想像に浮かんだ。
「ビンゴだねぇ」
ジュリが笑う。彼女が放った魔術は、桜の魔性を喰らうという特性を極限まで高めた、樹の槍を風祭の躯に撃ち込むというものだ。
それも、一本や二本ではない。部屋中に張り巡らした根を外の土で成長させて、360度すべての位置から風祭を狙うというえぐい業だ。
「やったかな」
俺はぶちぎれた奴の死体を想像して笑った。
「うちの一族じゃ、封魔系最強の業だよ。でもねぇ、これ千次郎にはきかなかったなぁ」
「なに?」
「だから、昔、魔族化しかけてた千次郎にこの術をかけてみたけど、弾かれちゃったのよ」
俺の躯に知らぬうちに厭な汗が噴き出た。
今の聖槍は、個人的な魔術としては間違いなくトップクラスの威力をもつ。これで封じられない魔族というのは……いったいどれほどの力を持っているのか。
ゴクリと唾を飲む。
唇が吊り上がった。
…………おもしろい、と心底思う。
「風祭まさか、死んでないだろうな?」この程度で死ぬな。もっと楽しませろ。
俺が呟いた瞬間、右目の網膜を焼き尽くすような猛烈な光が走った。
千次郎の咆吼だ。
「もちろんだとも。この程度で死にはしないさ。まだ、なにも実験していないのに」
風祭が粉塵の中から現れた。
体中を槍で突かれて穴だらけになっていた。その槍は炭化してボロボロと崩れていく。
ポッカリと開いた穴だけは急速な勢いで塞がれていった。
風祭は、その傷口をグチグチ、グチグチと指先で押しては血を絞り出し、何事か頷いている。
「筋肉から発電される体電圧を助長して肉体を活性しているのか?酸素による活性おこなわないからかもしれないが……これは、どうも組織が若返っているような。不思議だ。まったく不思議だ。謎が埋まらない」
風祭が興奮でキラキラと光る目で俺を見た。
「埋まらない謎。なんと、楽しい響きだろうね。さぁ、慶慈くん、僕に謎を与えてくれ」
ジュリが呆れたような目をする。
「ほんとうに科学者なのね。まちがいなく狂ってるけど」
そして、ふと気づいたように上を見あげる。上階で、爆発音が続いている娘とあの女が戦っているのだろう。
その音がだんだんと離れていくのを知覚して、ジュリはハッとしたように慶慈を見る。
俺は彼女の視線にも気づかず、獣のように息を荒くして笑っていた。
時折、口元から涎が零れる。
楽しい。楽しい。楽しい。
「なるほどね。うちの娘をわざわざ、外に行かせたのはこのためか」
万葉は慶慈の安定剤だ。
四国でもっとも腕が立ちながら、もっとも危険視されているエージェント。隻腕の魔女。
彼の本当の力は狂った後に発揮される。
「風祭」
「なんだい、フロイラン。さっきも云ったが説得は無理だよ」
「ああ、そっちじゃないの」
ジュリは頭をふって風祭の言葉を止めた。そして、哀れみという傲慢な表情で風祭に告げた。
「あなたも狂ってるけど、うちの慶慈も、そうとう狂ってるの。………ふふっふふ。このあと、あんた酷いよ?」
ジュリが可笑しそうに笑った。
俺は彼女の高い笑いを耳の奥に聞いて、ともに哄笑した。
楽しい。楽しい。
この男は、俺が本気を出しても良い相手だ。
にたりと俺が笑った。