[25]大先輩・・・狂った風①
「…………なんて子かしら……信じられないわね。……あれだけの数の実験体が雑談されてるあいだに全滅よ」
電灯の落ちた室内。無機質な壁に女の声だけが反射していた。
「当然のことだよ。彼は魔王だからね。──────知ってるかい?普通、ホルダーの寿命は一年から二年なんだよ。宿主はホルスに意識を引っ張られて自我を崩壊させていくものだからね。でも彼は違う」
静かな室内に男の声が響く。
男は、静かに微笑みながらディスプレイされた絵を見つめていた。
桜の根が龍のように、うねりながら大地を削っていくさまが映し出されていた。
「すばらしい力だと思わないか?坂井。…彼の抱えているエネルギーの大きさは、異界とのクロスロード後に誕生した新生児たちのなかでも異常に高いのだよ。彼がその気になれば、あの桜を国中に咲かせることも出来るんだ。《ミッドガルドの暗き森》のことは知っているだろう?あれは自然変異でできあがった森じゃない。彼が作った新世界なのさ」
誰も知らないだろうけどね…。
笑いながら続ける男に坂井と呼ばれた女性が息を呑む。そして、納得したように頷く。
「……─────なるほどね。急に四国に帰るなんて言い出すからビックリしてたけど。これなら貴方が欲しがるのもわかるわ。風祭くん」
「そうだ。僕はあれが欲しい……」
瞬きをするのも忘れたように彼は見つめていた。視線の先には背中から女性を生やした祇桜慶慈がいた。
「あら?こっち向いたわ」
ディスプレー越しに慶慈がこちら側に目を向けた。詮索するように細められた緑の瞳。口元がニィッとつり上がるところをこちらに見せた瞬間。端末が火を噴いた。
液晶が一瞬で沈黙する。
「気づかれたようだね」
突然の事態にあわてた風もない。
「視覚素子に気づいたって言うの?気配なんて持ちようのないただの無機物なのよ」
「酒井。いつも言ってるだろう?これが僕たちオールドタイプには持ちようのない。新世代の力なんだよ。こんな力だからこそ欲しいのさ。……さぁ、実験を急ごうじゃないか?地獄の釜を開けっ放しにしているのも怖いが、なにより彼に邪魔をされるといけない。彼はもうすぐここに来るだろうからね」
「なにか居たね」
『居たねー。のぞきなんて悪趣味だわ』
さも、けしからんと言うように母娘がウンウンと頷き合っている。
俺がなんか怪しかった壁を見つけた途端。俺の真上から燃えさかる桜吹雪が飛び、横から青い雷が走った。
「出番ねぇじゃん」
出遅れた俺は付きだした右手を握ったり、離したり。グッパーグッパー。
轟音をたてて崩れ去る建築物。あーあ、半壊しちゃったよ。
「……しかし、ここに来て初めて敵さんに動きが見えたな。万葉ここでなにか見つけたか?」
「ううん。なんにも見つけてないの。ちょっとした事故があって証拠も全部おじゃん」
収穫無しか。……やだね~、敵さんについての情報なしで挑むことになるなんてこれじゃ聡美の筋肉馬鹿が挑んだところで変わりねぇんじゃねぇの。
「……そうか。よし、俺はやっぱり、このまま穴に向かうことにする。万葉はどうする?」
「行く!ぜったい役に立ってみせるから、連れてって」
大きな瞳をランランと輝かせる万葉。
『いいのかな?そんなに大口たたいてさー。ホルスの私以外は高濃度の魔素の中で術を使うと疲労度がとんでもないんでしょ?疲れて倒れちゃっても知らないぞー』
「う…だ、だいじょうぶだもん。…たぶん」
たしかに、途中で倒れられると困る。特に戦闘中にガス欠なんて、しゃれにならん。
「万葉こっち向きな」
久しぶりにやりますか。血魂の術でも。
口の中に魔力を集めて精気を収束させていく。これは俺がたまに使う術のひとつで、他人のマジックポイントみたいなもんを回復させれるんだわ。まぁ、そのぶん俺が疲れるんだけどね。でも便利だろ?
ただ、術の形式上、女友達限定なんだけどさ。
口中できあがった血のように赤い玉を口移しで渡すのだ。
「えェ……んぅ……」
細い顎をとらえて唇を奪う。そのままこじ開けるようにして口を開かせて、流し込む。俺の精気を。
「んん……」
「飲み込め。体の疲れがとれる」
大きな飴玉ほどもある玉に困ったように万葉が固まる。何度も飲もうとしているらしいがそのたびに戻ってくるようだ。
『もしかして……玉の薬は飲めないタイプ?………プッ…残念ねぇ、それじゃまだケーシはあげられないわ。今回はまぁ、引っ込んでなさい。ほっほっほっほっほ』
高笑いするジュリ。
娘の弱点探して悦ぶなよ。それから、そんな挑発に乗るかよ。万葉。
決心した表情になった彼女は鼻をつまんで思いっきり頭を振り上げた。飲み込むと言うより、重力で落とすというような飲み方だ。
のどがぐぐっと圧されているのが見える。俺が飲めといったのではあるが……けっこう痛そうだな。
酷くゆっくりとした動きで玉がのどを通過していった。
どうよ?!ちゃんと飲んだわよ!文句ある?
そんな感じでフフンと鼻を鳴らしながらジュリを見つめる万葉。ただ、その目元にちょっと涙が浮いている。
「ジュリ。おまえもそろそろ引っ込め。召還し続けるのは疲れる」
『えーっ。もう?』
「万葉のお陰で安定度が増したからって、俺が劇的にタフになるわけじゃないだろ」
『普通人に比べれば、ずっとタフのくせに。フンだ!いいわよ。二人っきりにしてあげるわ』
戯れ言を残して、ジュリが俺の肢体に沈んでいった。
「ふぅ……」
彼女を呼び出した後に、意識があるという貴重な、というか、これまではテンションが上がりすぎてまともな状態ではいられなかったのだが。……まぁ、そういう体験はとても新鮮で嬉しいものだった。
ジュリの肉声をこんなにクリアな頭で聞けたのは生前しかなかったことだから。
「万葉…………」
「ん?……どうしたの慶慈さん」
「おまえが俺のそばに居てくれることが嬉しいよ」
なぜだか、静かな感情で、普段なら言えないような台詞をはけた。
万葉はそんな俺に、なにもかも解っているというような暖かな微笑を返してくれた。
「行こう」
差し出した手を万葉の柔らかな手が握りかえしてきた。