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[22]男に女。剣に鞘。①


 祇桜慶慈。


 目標は何かと言われれば、こう答える。


「マニュアル道理には動かない。……感情こそが俺の道程だ」


 だから、俺が眼前を逃げていく後輩達を誘導してやらないのも気分が乗らないからなのである。傷だらけになろうともちゃんと生きて返ってくれることを心の端っこのすみで祈ることもあったりするときもあるが……今は、二の次、三の次である。


 匂いっていうのかな? この先に居そうな気がするんだよ。だから、飛ぶようにして駆けるのさ。動悸が激しくなるのが解る。まるで乙女のように焦がれてしまう。


 先ほどまで俺を包んでいた狂気が、薄れるほどに……。


 無数の蘇り人たちが密集する空間。屋根の上を疾走して悲鳴の先へと飛び込んで俺の目に映った影。そこに見えた気がした。輝くよう艶やかな黒髪の向こう側に見える活き活きとした大きな瞳。見間違うはずがない、あれこそ、俺を魅了した女の瞳だ。


「慶慈さん」


 ゾクゾクと背筋が快感とともに震えた。


 誰だか知らないが、この女を俺の前に使わせてくれた奴に感謝したいよ。キリスト、仏陀、マホメットに万歳だ。


「慶慈さん」


 喜びとともに紡がれる声音。


 俺を固定する声だ。俺を人間にしてくれる声だ。俺を人に留めてくれる暖かくい人の存在。


 竜胆万葉が俺の眼下に居た。始めてあったときと同じに見惚れてしまうほどに美しくて俺の名を呼ぶことに喜んでいるのが見て取れて。自然に笑えた。死神の微笑ではなくて、子供のように微笑むことが出来た。


 そして、もうひとり。ジュリが笑った。悪戯っ子のようにでも、戯れるようにでもない、心の底からこの娘と会えて嬉しいというように。無垢で純粋な子供のように殺戮を行う我が愛しき下宿人ジュリがそんな風に笑った、そんなことは俺がこの女を飼い始めていらい初めてのことだった。


 トンッと軽い音と共に大地に降り立った。足元から桜の根が走り出す。


 この場に無粋な存在を許さないと言うように、魔性を喰らいだす。踏み固められた大地を割り進んで、蘇り人たちに絡み付き押し潰し、喰い殺す。


 地面の爆ぜる音、肉の潰れる音、意味のない反抗を示す蘇り人たちの命の音、そしてすべてを終わらせるジュリの桜の育つ音。


 立ちつくしたまま見つめ合う、俺と万葉のふたりを放って周囲は地獄のような様となった。


 それでも、俺たちはその騒音すら耳に拾うこともなく立ち尽くしていた。


 見つめ合ったまま、俺たち以外の世界を一瞬忘れた。


 お陰で万葉から視線を外すこともなく見つめ合うことができた。いや、違うな。視線を外すこともできなかった。……これが一番正しいのだろう。


「竜胆万葉さん?」


「はい。桜祇慶司さん」


 戦場での高揚感とは違う赤みが頬をさしている。


「なんで俺だってわかるの?俺は今、あの時とは姿が違うのに」


 入学式の時は、どこをどう見ても男だったはず。


 俺のコード隻腕の魔女はかなりメジャーだけど隻腕の魔女イコール祇桜慶慈ってことは知られてない。


 なんといっても、そのためのコードである。


 竜胆は不思議な笑みを浮かべて俺を見つめてきた。とても深い親愛の情のようなものが垣間見えている。


「わかります。だって貴方は私の魂に刻まれた人だから」


 胸に手をやって瞳を閉じる万葉。ウットリとした表情でその傷を確かめる彼女。魂の傷と言う言葉が俺にひとつの確信を抱かせる。


 そうだ。


 会えばすべてがわかるんじゃないか? そんな漠然とした感覚をなぜ信じて動いていたのか。


「私、祇桜樹里の娘です」


  ジュリおまえは最初から解ってたんだな。竜胆万葉はおまえの娘だって。


『そうだよ。わかんなかった? 言ったじゃないか。少年にあげるってね』


 昔のようにケラケラと大口を開けて笑うジュリの姿が脳裏に鮮やかに浮かび上がった。


「とっても会いたかった。ママにも、そして義父である貴方にも」


 瞳に透明な雫を浮かべながら手を伸ばしてくる万葉に思わず手をとろうとして思い直す。


「君はなぜここに来たの?」


「貴方に会いに……」


「それは、心に刻まれた契約だから?強迫観念?」


 唇が乾いているのがわかる。それだと、人形だ。俺はほんとの心が欲しい。


「いえ。あのときママと私のために生きてくれた貴方だからこそ、私は貴方を慕ってるんですよ」


 ニコリとほほえんで付け足す。


「私、おなかの中に居たときから意識があったんです。だから全部知ってます、貴方の想いも、潔さも、誇りも」


「………それは、ちょっとこちょばいな。ジュリにはばれないように心がけてたんだけど……。」


 なんとか無理矢理、ニヤリと微笑んで俺は笑った。


 ハッキリ言えば、安心してホロッと来てしまったのを隠したかったのだ。心意気に惚れてくれたってんだぜ?俺の二番目の惚れた女が、だ。


「ママは気がついてましたよ。お腹を撫でてくれながら言ってましたもん。……私と少年の友情はずっと続くって、私からその関係はぜったいに崩さないって。でも、だからこそ出来るだけ速く……速く…………奪いに来なさいね。私から少年を解放する役目があんたにはあるんだからって。いっつも、言ってましたもん」


 上気した頬をさらに染めて母の言葉を報告する我が愛しき娘。


 俺の知らない、樹里と万葉の親子の情景。


 しかし、樹里の台詞にはちょっと頭が痛くなる。


 なんで、あいつは俺の恋人の世話までやってくれたのかね?しかも、速く奪いにこいって?


 妙な心配なんぞせんでもかまわん!俺はおまえとは、誓って友として以外の感情では触れなかったぞ。そりゃもう、大嫌いな親たちを反面教師として培った紳士的な心をフルに運用してね。エヘンってもんだ。


 今の生活からは信じられないくらい禁欲的でストイックに暮らしてたんだからな。


 わかってるか?俺の同居人さん。


 俺はおまえと友情を育むことを契約して結婚したんだぜ? おまえがあの男を思っていることを認めてたんだ。


 俺の文句にジュリがケラケラと笑って、背骨がこそばゆくなった。


「慶慈さん」


「ん。おぅなんだい?」


 力無く、ハハハハと乾いた笑いを浮かべていると、万葉が下から覗き込むようにしてニッコリと笑った。この笑い方を昔見たことがある、祇桜樹里と呼ばれた女がよくしていた笑顔だ。母親によく似た、子猫のふりした雌虎の笑みだ。


「ふつつかな母ですが、これからもよろしくお願いしますね。……もちろん、私ともどもですけどね♪」


 ふわっと羽毛のように飛んで抱きついてきた万葉は、魔女と呼ばれ恐れられる狂気の王の唇をいともあっさりと奪っていった。


 奪うようにして抱きしめることは何度でもやってきたが、奪われたのは初めてだ。頭に回された両手でさらに深く繋がりながら、思い出すのはかつて家の都合で結婚した女の言葉。樹里、おまえはあの時、ああ言ったが、どうやら違ったようだぜ? 俺が引いたのは間違いなく特吉だよ。


 進入してくる甘い舌に絡まりながら、俺は昔を思い出した。







「あんたも貧乏くじ引いたね」






 ボクの目の前でふんぞり返っている女性は、両家の仲介人たちがいなくなった瞬間に笑いながらそう言った。


 最初から慎ましい女性とはいえなかったが、今、頭を掻きつつ椅子に足を開いて男のように座っているのを見ると、先ほどのまでの礼儀正しいとはとても言えない態度すらも聖女のように見える。


 長い足を伸ばして膝を組み、ポケットからシガレットを自然な動作で取り出すと、スパスパとやりだしたのだ。


「おーい!少年。どーした?婚約者の本性にショックを受けたかのかい?英国貴族が口を馬鹿みたいに開いて固まってるとこなんか他人に見せても言いいのー?あ、でも私と結婚するんだからかまわないか。ワイフにまで肩肘張って格好つけることないもんね」


 今までボクが出あったどんな種類の人間よりも、よく言えば豪快で、悪く言えばがさつだった。


 しかも、それがこのボクの婚約者だというのだ。そう、この大口を開けてよく笑う女性がだ。


 確かに、黙って座っていれば美しい女に見えたのだろう。アジア人にしては鼻梁の通った鼻筋は美しく、堀が深いにも関わらず小さな顔だった。


「……あの、貴女がボクのこ───────「あーー!止めて!なよなよ君みたいだから『ボク』なんて言わないで!」


 両手をボクの口元に突き出して叫ぶ。イヤイヤするように長い髪を振り乱して、世も末だというように嘆きまくる。


「くぅ、ならなんていえば良いんですか……」


「あー、拗ねないでちょうだいよ。ただ、私その型にはまった敬語しか出来ない人と毎日顔つき合わすような生活したくないだけよ。特に『ボク』なんて一人称使う人とはね。……だから」


 ヒラヒラと手を振った後で、魅惑的で大きな瞳でボクを覗き込む。口元が面白そうに言葉を紡ぎだした。


「これからは自分のことは『俺』って言うこと。あ、これ決定ね」


 拒否権は少年にはありません。そう言ってまた、ケラケラと笑い出した。


 普段なら絶対にやらないことではあるが、思いっきり髪を掻きむしって大きな溜息をついた。


 求めるスタイルに譲歩し合うのは人付き合いの基本。なら、合わせて行こう。たぶん長い付き合いになるだろうから。


「貴女がボ……俺の婚約者なんですよね?桜祇樹里さん」


「そうだよ。まぁ一週間後には少年のお嫁さんだけどね。こんな年増もらうことになっちゃって悪いね」


 言い直したボクに満足そうに頷く上海領の貴族女性。あはは、と笑う彼女は、今年二十歳になるそうだ。十分に若い年齢なんだろうけど、今年やっと十歳になったボクにとってはちょっと遠い人だ。


 従兄弟のネルシは九歳のときに四歳のお嫁さんを貰ったと言ってたっけ。


 確かに、貴族間結婚にしては不思議な年齢差だ。後家さんというなら話もわかるけど。


「俺は構いませんよ。この家で俺に決定権のあるようなことはほとんどありませんからね。結婚しろと言われれば、それが男性とだろうが、式を強要されるでしょう。


 この貴族社会というのは残念ながらそういう世界のようです」


 婚約が決まって一週間で結婚。どちらかの家、あるいは両家が何かやらかしたのは確かだろう。そうでなければ、ここまで急ぐ必要も無い。


「諦観してんねー、もっと若い理想に燃えときなよ?年取っちゃえば、そういうのに燃えるのって難しいんだよ」


 眉を顰めるボクの奥さん。


 ボクの認識では結婚なんて家を強くする道具という固定観念があったので、不思議な感情を持ち込む桜祇という女性には困惑という感情を齎される。だって、この世界を窮屈だとは思っても、壊そうとか思ったことはなかったから。


 曖昧に微笑んで、ボクは桜祇の言葉を誤魔化した。


「俺は構いませんが、桜祇さんこそ良いんですか?」


「んん?何が?」


 唐突な質問に桜祇さんが意味がわからないという顔をするが、その表情はボクにとっても意外だ。


「だって、貴女は……身篭ってますよ」


 最後の言葉は小さく呟いた。


 反射的に下腹部を守るように抑える彼女、自分でも解っていなかったのか、ギョッとした表情で固まっている。でも、最初の動きで解った。身に覚えはチャントあるらしい。


「な、なに言ってるの?お姉さんをからかうんじゃないよ!」


 無理やりに眉を怒らせる彼女は、酷く弱々しかった。


「俺は英国宮廷魔術師の息子ですよ?命の数くらい、一目見れば解ります」






 大きく見開いた瞳から大粒の涙が零れる。


 その言葉に、彼女は泣いた。嬉しいような、悲しいような、そしてどうしようもないような、複雑な表情で泣いた。






 慟哭の声を上げながらボクに縋りつく桜祇、しがみ付いて来た彼女の力は二十歳の女性のものではなく、母親の力だった。


「お願い。殺さないで、知らなかったんだよ、知っていたらレガーナッシュ家だってこんな話うけなかったはずだ。だけど、知ってしまったら堕ろすことなんかできない。君に尽くすよ、だからお願いだ。あの人の子供を殺さないで……。」


 お願いだ…。


 彼女はボクがこのことは誰にも言わないと約束するまで決して手を離そうとしなかった。強い、とても強くて深い愛情。こんなに激しい感情に触れたのは生まれて初めてだった。


  たぶん、この瞬間だろうか?ボクはこの女に恋をした。


 そして、同時に理解した。この女はボクと結婚したとしても、ボクじゃない誰かを愛しつづけるだろうと。でもそれじゃ、悲しすぎる。彼女にとっても、ボクにとっても。


 だから、ボクは誘ったんだ。


「ねぇ、俺の奥さんになる人。……俺たち夫婦じゃなくて共犯者にならない?」


 これまで浮かべたことのある笑みの中でも最高なんじゃないかって思うくらい、いい顔が出来たと思う。


 困惑した表情で顔を上げるボクの初恋の君。


 親友になろう。この世で無二の存在として支えあおう。


 差し出した手に、彼女の手が置かれたとき契約は成立した。








 それから、僕等はいっぱい話し合った。いろんな事、今までの価値観とか考え方とか、生きてきた道筋とか。


 聞かなかったのは、子供の親のことだけだった。


 それ以外はみんな話した。


「まずは子供ですね。幸いお腹はぜんぜん目立ってない。一週間後に結婚だったのはラッキーだ。一月も二月も先じゃ、いくらなんでも隠し切れないですよ」


「うん。……でも、十歳の君が一発で私を孕ませるなんて普通できるのかな?」


「大丈夫。ギネスによると、アフリカで八歳の女の子が子供を出産した事例があるそうです。なら十歳の男でもなんとかなるでしょう。だいたい、もう種は入ってるんですから、中身は関係ありません。薬でも魔術でもなんでも使って、それらしくしておけばいいだけです」


「うぁ、十歳児にしてはイヤーンな知識いっぱいもってんね」


 ケラケラと笑う彼女は煙草に火を付けかけて止めた。目線を落として愛おしそうにお腹を撫でている。


「とりあえずの目標はこの子を幸せにしてあげることですね」


「うん……。」


 桜祇はボクを見つめて、なにか言葉を捜しているようだった。


「どうしました?」


「なんか参っちゃなって思ってさ」


 意味がわからないと首を捻るボクに彼女は手を伸ばして僕の頭をガチっとつかんだ。


「少年にここまで頼りっきりになっちゃなんて年上のお姉さんとしては情けないわけなのよ。……どうにかして、お返ししたいけど、実家は私をお荷物程度にしか思ってないから援助は期待できないし」


 んん~なんかないかな?


「別にいいですよ。貴女の言った『燃える』ってやつに挑戦できて楽しいですから」


「んにゃ、なんかお返ししないとね。だって私と結婚したら君は君自身のほんとの奥さんをゲットできないわけだもんね……。なにか、ないかな?少年も大満足の品物はー」


 ユックリと撫でていたお腹に視線が行った。ニコリと、最高にいいことを考えついたように笑う彼女。


「決めた!私の子供をあげる」


 唖然としたボクを誰が攻められるだろうか?いいのか?子供の将来勝手に決めて。まだ生まれてもないのに。


「まってくださいよ。男の子か女の子かもわかんないんですよ?それに……そん」


「大丈夫!私の子供だもん。きっと可愛いわよ♪ぜーったい。お買い得だよ。最高のお嫁さんを作ってあげるって言ってるんだからさ。それに少年って女の子にもなれる家系でしょ?なら、男の子でもいいじゃない」


「ベースは男なんですけど」


 眉間に皺を寄せるボクの肩をバシバシと叩いて彼女は幸せそうに微笑んでいた。







「では、誓いのキスを」


 予定道理、一週間後に僕等は式を挙げた。桜祇樹里は樹里レガーナッシュに、ボクは樹里レガーナッシュの夫、ケーシ・レガーナッシュになったわけだ。


 両家の複雑な利害関係に送られる祝福の言葉と拍手を浴びながら、僕等ふたりは互いに目配せして笑いあった。


 誓いのキスは、共犯者に対する友愛の気持ち。


「上手くいくかな?」


「大丈夫、子供は受胎してから半月経ってません。今夜の初夜見を乗り切ればなんとでもなりますよ。幸いといってもいいのか知りませんけど、このごろの英国魔術師たちには俺ほど感の鋭い人はいませんからね」


 ニンマリと笑ったボクを見て、樹里が笑いながらもう一度キスしてきた。


「うんうん、いいよ♪少年。だんだん、私の好きな顔で笑うようになってきたよ」


 バージンロードを出口に向けて歩きながら、ボクは身重の樹里をさり気なく庇いながら進んだ。


 誰の子とも知れないボクの子供。でも、ボクは祝福しよう、精一杯の愛情を篭めて。君を愛させてください。


 ボクが初めて示すボクの意思で、君と君のママを守ったことを誇りにさせてください。






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